其の三
それは十年前のことだが・・・。
貧乏旗本の三男坊であった金之助は、
「今に、剣術の世界に俺の名を轟かせてやる!」
と野心満々たる思いを抱き、皆川道場の門を叩いた。
家督は長男が継ぐだろうし、次男はその予備としての役割もある。滅多なことでは、三男の出番などない。金之助は、我が家に居心地の悪さを感じていたのだ。
初めこそ、想像を絶する稽古の連続に、心折れそうなこともあったが、
(俺はきっと、あの屋敷を出て剣に生きてやる・・・!)
この思いと、日々を通して実感する己の成長とで、どんどん修行にのめり込んでいった。
そのうち、金之助は道場でも五本の指に入る実力者と評されるようになったが、
(やはり、俺なんかでは足元にも及ばぬ・・・)
と思う者が、四人いた。いずれも、金之助と同様に「道場の五指」に数えられた者である。
一人は、当時三十代の皆川林太郎。
一人は、黒原宗太夫といって、林太郎の剣友。
一人は、橋本源之助という男。
そして最後の一人が、吉中宗次郎だったのだ。
宗次郎は道場の中でも群を抜いた強さで、林太郎や他の門弟たちが打ち合って、
「三本のうち、一本を取れるかどうか・・・」
と言われるほどの実力者であった。
「腕もあり、人柄も良い。俺はな、次の道場主には吉中を推そうと思うのだが・・・」
当時の道場主であった皆川辰三も、そのようなことを言っていた。
そんな吉中が、ある日、突然に姿を消した。
表向きは、
「諸国修行のため」
と辰三の口から伝えられたが、
「お前たちだけには、本当のことを伝えておこうと思う」
道場の五指・・・いや、四指を集め、辰三が語ったことには、
「吉中はな、俺の手文庫に秘かに入れてあった十両を盗んで逃げたのだ」
ということだった。
何故、吉中の仕業と分かったかと言えば、
「手文庫の中に、手紙があったのよ」
そう。吉中直筆の手紙があったのだ。
詳しい事情は書いてなかったが、
「先生より金をかすめ取ること、到底許されるものではありません。誠に勝手ながら、どうか私のことは忘れて頂きたい」
このようなことが書かれていたという。
「何に使うか知らぬが・・・貸してくれ、と一言あれば貸してやったものを・・・」
辰三の落胆は相当なものであった。
真実を聞いた四名の高弟も、同じ思いであった。
(師匠の金を盗むとは、怪しからんやつ!)
とは、誰も思っていなかったのである。ここに、吉中宗次郎に対する評価が見えると言ってよい。
(その吉中さんが・・・今、衝立を挟んで俺の後ろで・・・誰かと話している・・・)
金之助は、菜飯の米一粒一粒を味わうように、ゆっくりと喰らいながら、耳は常に背後へ集中させた。