其の一
一か月後・・・。
シャオレ国より遥か南東に広がる森の中に、逃げ延びたエリシアとシュタロスの姿を見ることが出来る。
夜となり、辺りがすっかり暗くなったので、彼らは開けた場所に出て焚き火を囲み、途中で捕まえた野兎を焼いて、これにかぶりついていた。
シャオレから逃げた時に走らせていた馬はもういない。十日前、あまりに食料が手に入らず、飢え死にかけたので、仕方なく食料としたのである。
二人は、その日を生きるので精一杯だった。
「スーフォの街へは、あとどれくらいでしょうか・・・」
食事の手を止め、エリシアが呟いた。
《スーフォの街》。それは、西の域における《ギルド》の中心街である。
パラダガルドにおける《ギルド》とは、
「害虫および害獣駆除のエキスパート集団」
のことを指す。
彼らは、国が抱える騎士団と並んで、武装や魔法仕様の許可を得ている集団で、一般の民から国家まで、あらゆる身分の者から依頼を引き受け、それが成功した暁には、所属する域の法律に則って報酬を得て、生計を立てている。
中には、違法な武装や《外道魔法》と呼ばれるものを用い、法外な報酬をふっかけるギルドもいるとか・・・。
果たして、シュタロスたちが目指しているのは前者の、所謂《正規ギルド》が集う街であった。
(スーフォはギルドの聖地。あの化け物どもも、流石にあそこは壊滅させられまい)
シュタロスはそう考えていた。
王の命あるとき以外は、宿舎でのんびりとした稽古の日々を送るシャオレの騎士団と違い、ギルドは巨大な害虫や強暴な害獣を相手に、実践の毎日を送っている。
装備の質では騎士団が上だろうが、戦いのセンスや肉体の鍛錬の度合いで言えば、ギルドが上である。
このパワーバランスがあってなお、今までギルドが国に対して反旗を翻さなかったのは、偏にシャオレ国の初代王・バルバロット王一世が一枚上手だったからである。
すなわち、
「お前たちが戦場に出ている間、家族の身はシャオレで預かろう」
時の王は、およそこのようにして、ギルドの家族を国元へ住まわせた。
こうなると、シャオレ国へ手を出すわけにはいかない。
国を戦場にすることは、そこにいる家族を危険にさらすことに直結するからだ。
とまぁ、こうした具合で、今までシャオレ国と西の域のギルドの均衡は保たれていたのである。
話を戻そう。
食事が終わった。
火はそのままに、彼らは四時間交代で睡眠をとる。無論、これは突然の敵襲に備えるためだ。
最初に起きていることになったのは、エリシアである。
「若いお前は、休める時にしっかり休んでおけ」
シュタロスはそう言ったが、
「こんな時こそ、シュタロスさんに任せて私が楽をするわけにはいきません」
エリシアはそう言って焚き火の前に座り込んでしまった。
こうなっては、梃子でも動かぬことをシュタロスは熟知している。
(ここは寝たふりをして、この娘が微睡み始めたら交代しよう)
そう考えたシュタロスは、手枕をし、エリシアとは反対に焚き火へ背を向け、横になった。
エリシアの頭が、こっくりこっくりと揺れるのに、さして時間はかからなかった。
その都度、彼女は必死になって眠気を払おうとするのだが、重くなる瞼に抗う術もなく、やがては寝息を立て始めてしまった。
(無理もない)
苦笑を漏らしたシュタロスは、なるべくエリシアへ刺激を加えぬよう、慎重にその身を寝かせると、焚き火に向かって座り込んだ。
めらめらと燃える炎を見ていると、燃え盛るシャオレ城の幻影が浮かび上がってくる。
(王や姫・・・それに避難してきた国の民が、あの中にはいた・・・他の域へ《転移》するために・・・)
幻影が、燃える城から、その中で身を寄せていたであろう、数多ものエルフたちへと変わる。
やがてその幻影も炎によって飲まれ、現実に戻ったシュタロスは、焚き火を見つめながら、舌打ちをした。
その時・・・。
がさり、と手前の茂みが揺れた。
すかさず身を低くしたシュタロスが、腰元の剣へ手を伸ばしつつ、反対の手で、近くに眠るエリシアを揺らした。
「あっ・・・」
慌てて起き上がるエリシアを手で制しつつ、シュタロスは前に視線を向け、静かに剣を抜き払う。
エリシアもまた、傍に置いてあった弓と矢筒を手に取り、これを構える。
果たして、茂みの中から出てきたのは・・・奇妙な格好をした若い女であった。
歳の程は、エリシアと同年齢か、僅か上のように思える。
白い上衣に、黒い下衣。腰には大小二本の剣を差していて、長く艶のある髪は、馬の尾のように、後ろで一つにまとめられていた。
その髪も、瞳の色も黒く、なんといっても、丸みを帯びた耳をしているのが最も奇妙であった。
金髪緑眼、そして鋭耳がエルフの特徴である。
例外もいるにはいるが、髪も瞳も黒く、丸い耳をしたエルフなどというのは聞いたことが無い。
女はシュタロスたちの姿を見るや、、それまで殺気立っていた目を丸め、次には力なく肩を下ろし、
「よかった・・・」
と呟いた。
その姿に困惑しつつ、シュタロスたちが女へ声をかけようとした、その瞬間。
地響きと共に、何かの足音が近づいてくた。
一同、その音は嫌というほど聞いていた。
咄嗟に、シュタロスは焚き木の中でも一番に長くて太いのを引き抜き、これを松明代わりに持つ。
エリシアもそれに倣おうとしたところで、足音の主が姿を見せた。
シャオレ国を襲った、猪面の化け物であった。




