其の二
化け物がシャオレ国へ強襲をかけたのは、その日の夜である。
城壁や門扉を打ち壊して侵入する未知の化け物を前に、シャオレ国は一瞬にして大パニックとなった。
無論、国として何もしないわけにはいかぬ。
そこで、王家直属の騎士団が出動した訳だが、これが戦いと言えるものにすらならなかった。
剣で突き刺し、魔法で焼いても、化け物は死ぬことがない。
一方で化け物たちは、その身の丈に合った棍棒で戦士を叩き潰し、あるいは生きたまま口の中へ放り込んでいく。
「もっ、もう駄目だぁ!」
遂には逃げ出す戦士も現れ、統率の取れなくなった騎士団は、もはや国を守る機能を失っていた。
そして・・・。
同胞の骸が転がるシャオレ国の城下町を、息を切らして駆けている者がいる。
騎士団最高齢の剣士・シュタロスであった。
茶筅のようにまとめた白髪に、皺の目立つ肌。鎧の下には程よく引き締まった肉体を隠しているシュタロスは、御年二百六十歳。エルフの平均寿命が三百歳程度なのだから、彼は矍鑠とした老エルフだと言えよう。
しかし、そんなシュタロスの胸中は、絶望に満ち溢れていたのである。
ちらと、シュタロスが別の方向を見やった。
そこに見えるは、煙と炎とを空高くに伸ばしている城。
シャオレ城である。
そこには、シャオレ国の王・バルバロットや、娘のリーガレット。そして避難をしてきた国民が、別の場所へ《転移》するために身を寄せているはずだ。
シュタロスは、彼らが《転移》する時間を稼ぐため、城下町に繰り出し、一匹でも多くの化け物を引き付け、城から遠ざかっていたのだ。
(だが、それも無駄な事であった・・・城がああなったということは・・・奴らの魔の手が城に届いてしまった、ということなのだから・・・)
燃え盛る城から、後方へと視線を戻したシュタロス。
三匹の化け物が、我先にと《得物》目掛けて迫っているのが見える。
石畳となっている道の幅は、化け物からすれば一匹通れるかどうかというものだが、奴らは左右に並ぶ建物を棍棒で打ち壊し、無理やりに道を広げていた。
(もう、いかぬ・・・)
膝が笑い、今にもよろめきそうになる。
背後からの化け物共の足音が、ゆっくりなものとなる。どうやら、獲物をじわじわと追い詰めることに快楽を覚えているようだ。
(おのれ・・・!)
遂にシュタロスは倒れ込んでしまった。
化け物共が、一斉に吠えた。
ゆっくりだった足音が、急速に迫ってくる。まるで地鳴りのようだ。
すぐ傍まで化け物共の気配を感じ、
(無念・・・!)
シュタロスが、固く目を瞑った・・・その時である。
ひゅん・・・と、風を切る音が聞こえたかと思うと、化け物一匹の悲鳴が響く。
何事かと顔を上げると、前方に、馬に乗ったまま弓を構えるエルフの少女が見えた。
少女を、シュタロスは知っていた。
「エリシア!」
シュタロスが、少女の名を叫ぶ。
シュタロスと同じく、シャオレ国の騎士団に属する戦士・エリシアは、こくりと頷くと、続けて三本の矢をまとめて放った。
無傷の化け物二匹が、腕や腹でその矢を受け止める。
その隙に、馬を走らせたエリシアはシュタロスに近づくや、手を伸ばし、
「さぁ!」
と声をかけた。
シュタロスも、満身創痍ながら、その手を取る。
火事場の馬鹿力とでも言うべきか。華奢な体つきであるエリシアは、片腕でシュタロスの体を引っ張り上げると、これを背後に乗せ、化け物たちへもう一本、矢を放った。
再び、丸太のような太い腕で矢を受け止めようとした化け物だったが、その寸前に、矢が煙へと変化し、これがムクムクと膨れるや、化け物たちの視界を遮った。
矢に、「煙幕」の魔法を付加しておいたようである。
棍棒や腕を振り、なんとか煙を払おうとする化け物たち。
その間にエリシアは手綱を操って馬の方向を転換するや、化け物たちを背に、一気に城下町を駆け抜けた。
木の枝のように右へ左へと伸びる道を、エリシアは迷うことなく選んで進む。
化け物たちの顔面を覆っていた煙が、やっと消えた時。エリシアたちはすでにシャオレ入り口の門を抜け、広大な草原に馬を走らせている。
二匹の得物を失った化け物が、青筋を浮かべて咆哮を上げた。
そして、最初にエリシアの矢を受け、目の痛みに悶えている化け物を見るや、これに棍棒を振り下ろし、ただの肉塊へと変えてしまったのである。
もはやシャオレ国に、生きているエルフの姿を見ることは出来なかった。