其の六
「夜駆の伝右衛門がお縄になった」
このニュースが江戸の町を騒がせたのは、翌日の昼過ぎであった。
その伝右衛門なる男は、上方から江戸へかけて幅広く盗みを働き、今まで一度もお縄になったことが無いどころか、その姿を見た人がいないことで有名だったのだ。
して、同じ頃。金之助は火付け盗賊改め方の呼び出しを受け、その役宅へ赴いていた。
金之助を迎えたのは、田辺伝十郎という同心である。
彼もまた、神通流を学んだ剣士なのだ。
「江戸に戻ったのなら、何故知らせなんだ」
「知らせたところで、お役目の邪魔になろうよ」
などと、挨拶もそこそこに金之助が連れられたのは、役宅内の牢屋であった。
「今朝、盗人の夜駆の伝右衛門という盗人が、自分から役宅に名乗り出て来てな」
「ふむ。大変な騒ぎとなっているな」
「そうだ。で、そ奴は一から十まで自分の盗みを白状したのだが・・・そのうち、奴めがお前の名前を出してな。最期に、お前と話がしたいという」
「はて。俺は盗人とは繋がりはないぞ」
「さもあろうよ。お前は十年前、千住大橋で浪人数名に囲まれていた男を助けたことがあろう」
田辺に言われた金之助だが、そのような記憶は全くない。
「はて・・・?」
思い出すふりをして答えを渋っていると、
「その男がな。実は夜駆の伝右衛門だったのさ」
田辺が言うので、金之助も調子を合わせた。
「あぁ、思い出した。なにせ十年も前だから」
「だろうなぁ」
「で、その伝右衛門さんが、またどうして俺に・・・?」
「あの時のお礼を、遂に言いそびれていたから、今生の別れついでに言っておきたいんだと」
「なるほど。しかし、いいのか?一介の剣術使いを、火盗賊改メ様の牢屋に入れてしまって」
「長官が良いと言っているのだ。問題なかろうよ」
言葉を交わしているうち、二人は夜駆の伝右衛門なる盗人がいる牢の前まで来た。
牢屋に収容されているのは、伝右衛門一人のみだという。
「せっかくの今生の別れだ。すまぬが、二人きりにしてくれないか」
金之助が言うと、
「よいとも。だが、逃がすなよ」
笑いながら、田辺同心は外へ出て行った。
果たして・・・。
金之助は牢格子の向こうにいる男が、夜駆の伝右衛門でないことを見破っていた。
伝右衛門の顔を知っているわけではないが、格子向こうの男の顔なら知っているからだ。
男は、昨晩に吉中から、
「三平」
と呼ばれていた男であった。
「まさかに、これほど早くお前様と会えるとは・・・」
深々と頭を下げながら、三平が言った。
「夜駆の伝右衛門とは、昨夜、一番に逃げ去ったあの黒装束のことだな」
ズバリ言われ、僅かに肩が揺れた三平であるが、
「ここでは、あっしが夜駆の伝衛門でございます」
頭を下げながらそう言うのみであった。
「何故、俺を呼んだ」
「へぇ。吉中先生のことで、お話しておきてぇと思いましてね」
「何・・・?」
今度は、金之助の眉が微かに動いた。
「お前様には、どうしても先生のことを話しておきたいんでさぁ」
「・・・言ってみろ」
「へい」
こうして、偽りの夜駆伝右衛門が語ることによれば・・・。
まず、男は伝右衛門の右腕となる者で、猿の三平というらしい。
その三平が、吉中と出会ったのは、九年前の箱根であった。
「吉中先生は、箱根でおっかさんの湯治をしようとしていたのですが、その甲斐もなく・・・」
「亡くなられたか」
「はい」
吉中が辰三から十両を盗み、江戸を去った理由がこれで分かった。
十両は、箱根へ行くまでの旅費と湯治のための費えだったのだ。
しかし、師を裏切ってまで看病した母が亡くなったことで、遂に吉中は自棄になってしまった。
酒に狂い、博打に手を出すようになった。
そんなある日。無頼浪人五人に因縁をつけられた吉中は、これを赤子の手をひねるようにして捌いてしまった。その様子を、夜駆の伝右衛門と猿の三平が見ていたのである。
伝右衛門は吉中を見て、
「腕っぷしが気に入ったのもあるが、なによりあのお方はどこか危なっかしい。放ってはおけまいよ」
言って、仲間にすることを決意した。
盗人稼業のスカウトを受け、初めこそ戸惑っていた吉中だったが、
「先生の剣を、血に濡れされることは決していたしません。あくどく稼いでいるところから、ひっそりと金を頂戴する。それが私たちのやり方です」
伝右衛門の言葉を受け、最後にはこれを承諾したのだという。
後に吉中は伝右衛門たちへ自身の生い立ちを話したそうな。無論、その話の中には辰三から金を盗み、それを母の湯治へ充てたことや、その母が亡くなってしまったことも含まれていたが、それを聞いた伝右衛門は、
「こういう真面目なお人はな。どんなに小さな綻びでも、それを作ってしまったことに納得がいかなくなり、いともたやすく崩れてしまうものよ」
三平へ秘かにそう告げたのだという。
「それから、上方から江戸にかけて、随分と盗みを働きました」
「江戸でも・・・な」
「はい」
だがここ最近、お頭の伝衛門が心の臓を患うようになり、
「これが最期の盗みよ」
と決めたのが、さらしな屋であった。
しかしこれは、たまたまに吉中に気付いた金之助によって破綻してしまった。
「して、本当の夜駆の伝右衛門は、どこに・・・?」
金之助が問うたが、三平は首を振り、
「あっしにもそこまでは・・・ただ、生きていなすったとして、もう長くはないと・・・」
「なるほど。それで、お前が身代わりとなったわけか」
「どうせ先は長くねぇ。ならば、畳の上で死なせてあげたいじゃございませんか」
「・・・吉中さんの名前は、役人に・・・?」
「出しちゃいません。夜駆の伝右衛門、最後の盗みということで、何もかも一人でやったと申しておきました」
「・・・恩に着る」
話はそこで終わった。
立ち上がり、牢屋を出て行こうとした金之助が、
「盗みは御法度。・・・だが、お前たちが吉中さんに目をかけてくれなかったら、あの人は堕ちるところまで堕ちていたろうな」
言うと、暫くして三平の嗚咽が聞こえてきた。




