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体こそ猛き剣なり  作者: かもめし
寄り道一つ目:皆川道場
12/15

其の六

夜駆(よかけ)伝右衛門(でんえもん)がお縄になった」


 このニュースが江戸の町を騒がせたのは、翌日の昼過ぎであった。

 その伝右衛門なる男は、上方から江戸へかけて幅広く盗みを働き、今まで一度もお縄になったことが無いどころか、その姿を見た人がいないことで有名だったのだ。

 して、同じ頃。金之助は火付け盗賊改め方の呼び出しを受け、その役宅へ赴いていた。

 金之助を迎えたのは、田辺伝十郎(たなべでんじゅうろう)という同心である。

 彼もまた、神通流を学んだ剣士なのだ。


「江戸に戻ったのなら、何故知らせなんだ」

「知らせたところで、お役目の邪魔になろうよ」


 などと、挨拶もそこそこに金之助が連れられたのは、役宅内の牢屋であった。


「今朝、盗人の夜駆の伝右衛門という盗人が、自分から役宅に名乗り出て来てな」

「ふむ。大変な騒ぎとなっているな」

「そうだ。で、そ奴は一から十まで自分の盗みを白状したのだが・・・そのうち、奴めがお前の名前を出してな。最期に、お前と話がしたいという」

「はて。俺は盗人とは繋がりはないぞ」

「さもあろうよ。お前は十年前、千住大橋で浪人数名に囲まれていた男を助けたことがあろう」


 田辺に言われた金之助だが、そのような記憶は全くない。


「はて・・・?」


 思い出すふりをして答えを渋っていると、


「その男がな。実は夜駆の伝右衛門だったのさ」


 田辺が言うので、金之助も調子を合わせた。


「あぁ、思い出した。なにせ十年も前だから」

「だろうなぁ」

「で、その伝右衛門さんが、またどうして俺に・・・?」

「あの時のお礼を、遂に言いそびれていたから、今生の別れついでに言っておきたいんだと」

「なるほど。しかし、いいのか?一介の剣術使いを、火盗賊改メ様の牢屋に入れてしまって」

「長官が良いと言っているのだ。問題なかろうよ」


 言葉を交わしているうち、二人は夜駆の伝右衛門なる盗人がいる牢の前まで来た。

 牢屋に収容されているのは、伝右衛門一人のみだという。


「せっかくの今生の別れだ。すまぬが、二人きりにしてくれないか」


 金之助が言うと、


「よいとも。だが、逃がすなよ」


 笑いながら、田辺同心は外へ出て行った。

 果たして・・・。

 金之助は牢格子の向こうにいる男が、夜駆の伝右衛門でないことを見破っていた。

 伝右衛門の顔を知っているわけではないが、格子向こうの男の顔なら知っているからだ。

 男は、昨晩に吉中から、


「三平」


 と呼ばれていた男であった。


「まさかに、これほど早くお前様と会えるとは・・・」


 深々と頭を下げながら、三平が言った。


「夜駆の伝右衛門とは、昨夜、一番に逃げ去ったあの黒装束のことだな」


 ズバリ言われ、僅かに肩が揺れた三平であるが、


「ここでは、あっしが夜駆の伝衛門でございます」


 頭を下げながらそう言うのみであった。


「何故、俺を呼んだ」

「へぇ。吉中先生のことで、お話しておきてぇと思いましてね」

「何・・・?」


 今度は、金之助の眉が微かに動いた。


「お前様には、どうしても先生のことを話しておきたいんでさぁ」

「・・・言ってみろ」

「へい」


 こうして、偽りの夜駆伝右衛門が語ることによれば・・・。

 まず、男は伝右衛門の右腕となる者で、(ましら)の三平というらしい。

 その三平が、吉中と出会ったのは、九年前の箱根であった。


「吉中先生は、箱根でおっかさんの湯治(とうじ)をしようとしていたのですが、その甲斐もなく・・・」

「亡くなられたか」

「はい」


 吉中が辰三から十両を盗み、江戸を去った理由がこれで分かった。

 十両は、箱根へ行くまでの旅費と湯治のための(つい)えだったのだ。

 しかし、師を裏切ってまで看病した母が亡くなったことで、遂に吉中は自棄になってしまった。

 酒に狂い、博打に手を出すようになった。

 そんなある日。無頼浪人五人に因縁をつけられた吉中は、これを赤子の手をひねるようにして捌いてしまった。その様子を、夜駆の伝右衛門と猿の三平が見ていたのである。

 伝右衛門は吉中を見て、


「腕っぷしが気に入ったのもあるが、なによりあのお方はどこか危なっかしい。放ってはおけまいよ」


 言って、仲間にすることを決意した。

 盗人稼業のスカウトを受け、初めこそ戸惑っていた吉中だったが、


「先生の剣を、血に濡れされることは決していたしません。あくどく稼いでいるところから、ひっそりと金を頂戴する。それが私たちのやり方です」


 伝右衛門の言葉を受け、最後にはこれを承諾したのだという。

 後に吉中は伝右衛門たちへ自身の生い立ちを話したそうな。無論、その話の中には辰三から金を盗み、それを母の湯治へ充てたことや、その母が亡くなってしまったことも含まれていたが、それを聞いた伝右衛門は、


「こういう真面目なお人はな。どんなに小さな綻びでも、それを作ってしまったことに納得がいかなくなり、いともたやすく崩れてしまうものよ」


 三平へ秘かにそう告げたのだという。


「それから、上方から江戸にかけて、随分と盗みを働きました」

「江戸でも・・・な」

「はい」


 だがここ最近、お頭の伝衛門が心の臓を患うようになり、


「これが最期の盗みよ」


 と決めたのが、さらしな屋であった。

 しかしこれは、たまたまに吉中に気付いた金之助によって破綻してしまった。


「して、本当の夜駆の伝右衛門は、どこに・・・?」


 金之助が問うたが、三平は首を振り、


「あっしにもそこまでは・・・ただ、生きていなすったとして、もう長くはないと・・・」

「なるほど。それで、お前が身代わりとなったわけか」

「どうせ先は長くねぇ。ならば、畳の上で死なせてあげたいじゃございませんか」

「・・・吉中さんの名前は、役人に・・・?」

「出しちゃいません。夜駆の伝右衛門、最後の盗みということで、何もかも一人でやったと申しておきました」

「・・・恩に着る」


 話はそこで終わった。

 立ち上がり、牢屋を出て行こうとした金之助が、


「盗みは御法度。・・・だが、お前たちが吉中さんに目をかけてくれなかったら、あの人は堕ちるところまで堕ちていたろうな」


 言うと、暫くして三平の嗚咽が聞こえてきた。

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