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にじいろの煙  作者: 芝みつばち
6/19

ビタースイート

あの飲み会の日以来、香枝は優菜とあまり喋らなくなり、一緒に帰ることも少なくなっていた。

そして、香枝から避けられていると感じた優菜は、仮病や学校を理由にシフトに入らなくなっていった。

「ねぇ、本当に優菜と清水さんって付き合ってると思う?」

実習が休みの水曜日、久しぶりに平日にロングシフトだった真春は休憩中、さやかに突然思いもよらないことを聞かれた。

「付き合ってるんじゃないんですか?ブログにめっちゃ色々書いてるし」

「いや、でもさ。嘘書いてるってこともあり得るじゃん?なんか、そんな気がしてきちゃって」

今まであれだけ噂しといて、今度は嘘だと言い始めるのはどうなんだよ、と真春は思った。

しかも、なぜ嘘など書く必要があるのだろうか。

ブログに嘘を書いて楽しんでるということか?

だとしたら、過度な妄想癖または虚言癖のあるとんでもない人だ。

いくら優菜でもさすがにそれはないだろう。

「これ、よく見てよ」

さやかが携帯の画面をこちらに向けた。

そこにはたっくんとドライブしたということがつらつらと書いてある。

「これがどうしたんですか?ただのノロケじゃないですか。あー、寒い寒い」

真春は震える仕草をして茶化した。

「いくらなんでもこれだけのことして、この時間に帰ってくるのは無理じゃない?」

さやかは真剣な顔をして言った。

よく見ると、ブログが書かれた時間は1:05。

清水さんは隣の県にある店舗の店長で、いくら早くても仕事が終わるのは0時。

それから優菜を迎えに行って食事をして、また隣の県に行って、夜景を見て帰ってきたって…。

いくら田舎で道路が空いていたとしても1時間じゃ絶対に無理だ。

フードファイター並みに2人が相当な早食いなら話は別だが。

「んー…確かにちょっと無理ありますね。結構盛ってますね」

「これだけじゃなくて、他にもつじつまが合わない記事がいっぱいあるの。なんか優菜の全てが信じられなくなってきちゃって…。あー、なんで今まで気づかなかったんだろ」

さやかは休憩中、延々と優菜について語った。

真春とさやかが戻る頃、香枝が入れ替わりで休憩に入った。

「真春さん…」

「ん?」

キッチンから事務所に繋がる通路ですれ違った時、香枝が少し沈んだ声で言った。

「この間、すみませんでした」

「全然平気。謝らないで。…大丈夫?」

「はい」

「元気出して」

真春が優しく笑うと、香枝もエヘヘと笑って事務所に入っていった。

ディナーはとても暇だった。

バイトは真春、香枝、さやか、18時からシフトに入っている女子高生の4人という少人数だったがお店を回すのには十分すぎるほどの人数だった。

そのため会話が弾みすぎて、ほとんど喋りに来ているようなものだった。

「芸能人が好きすぎて、今日どこで会ったとか、事務所に行ったとか、ブログに妄想をいっぱい書いてる子が同じ学校にいるの!ほんとヤバいよねぇー!」

女子高生がダスターを整理しながら言った。

暇を持て余した4人は、掃除をしながら他愛もない話をしていた。

優菜の妄想疑いの話から、女子高生が"意外とよくある話"としてそんな話を持ち出した。

真春はビールサーバーを掃除しながら「なにそれ気持ち悪い」と言った。

「なんか聞いたことあるー、そういうの」と、さやか。

世の中には、そういう事をする人がいるらしい。

真春は、優菜もその類なんじゃないかと思った。

でも電話している姿は何回も見たことがあるし、たまに清水さんがお店に物を借りに来た時は、すごく嬉しそうに話している姿もよく見た。

ただ仲が良いだけなのか、本当に付き合っているのか…。

付き合いたい気持ちが溢れ返って、付き合ってると勘違いしているとか?

「でもその子だけじゃなくてさぁ、他にも嘘ついたりしてる子いるって友達が言ってたよ。あんま関わりたくないからウチは避けてるんだけどねー」

「それ完全に頭おかしいよ」

「だよねぇー」

さやかと女子高生と時々真春が話している中、香枝は近くでソースの補充をしていたが、優菜の話題になってから全く会話に入って来なかった。

なんだか怒っているような表情に見えるのは気のせいだろうか。

真春が話し掛けようと思ったその時、お会計の呼び出し音が鳴った。

「あたし行ってきます」

香枝は誰かが動き出す前に、そそくさと行ってしまった。

真春は暖簾をくぐってホールに出て行く香枝の後ろ姿を目で追った。

22時、真春とさやかはラストまでの香枝に別れを告げ、足早に喫煙所へ向かった。

「暇疲れ」

さやかは大きく息をついてタバコをくわえながらベンチに腰を下ろした。

「同じくです」

真春は空気の澄んだ寒空を見上げて「お店は綺麗になりましたけどね」と言ってタバコに火をつけた。

「言えてる。てか香枝、今日なんか元気なくなかった?」

「…そうですか?」

「最近優菜と話してるのもほとんど見ないし。ま、そもそも優菜はあんまりバイト入ってないけどさ。なんか知ってる?」

香枝はさやかともわりと仲が良い方だったので、何か言っているかと思っていたがそうではないらしい。

この間のことは、自分しか知らないのだと真春は確信した。

「いや、知らないです…。さやかさん何か聞いてないんですか?」

「何も。それとなく聞いてみたんだけど、笑ってはぐらかされたよ。香枝ってよく分からないよねぇ。秘密主義って感じで。なんかありそうな気がしてならない」

さやかは気になって仕方ないようだったが、真春は何も言わないことにした。

確かに香枝は秘密主義者だ。

誰にでもガードが固いようだが、この間漏らしたあの言葉は、自分に少し心を許し始めてくれているということだと信じたい。

そして、優菜の一件があってから、さやかは大がつくほどの噂好きだということが分かった。

世の中の女の大半は、人の噂話ほど面白い話はない、と思っているだろう。

真春も少しは噂話には興味があるが、近隣のおばさん同士の井戸端会議のようにベラベラと話す方ではない。

どちらかといえば聞き手に回る方だ。

一方さやかは、色々と妄想を膨らませてあーでもないこーでもないとよく喋る。

対照的だからバランスが取れてるな、と真春は頭の隅で考えた。

吸い殻を灰皿に捨てて一息つくと、さやかが「もう1本吸ってかない?」と言った。

真春もケースからタバコを出して火をつけた。

「真春は香枝にかなり好かれてるっぽいから何か言ってると思ったんだけどな」

さやかが火をつけながらモゴモゴと言った。

「そんなことないですよ。清水さんが店長だった時はさやかさんと優菜と結構仲良かったじゃないですか」

つい言ってしまったことにはっとなる。

真春は清水さんと優菜の話を口に出したことを後悔した。

勘付かれていないだろうか。

「えー?そうー?優菜と香枝はなんか2人の世界って感じだったよ」

「そうですか」

「だから尚更、2人がちょっと変な感じなのが気になるんだよね」

墓穴を掘ったかもしれない。

真春はビクビクしていたが、2本目のタバコが燃焼し切る頃「てかまじ、もう優菜とか清水さんとかどうでもいいよね」とさやかが呆れながら言ったので、ホッとした。

「結局、何が本当か分からないですしね」

「そうそう。結果的に別に誰も困ったり傷付いたりしてないしね」

一瞬、香枝のことが脳裏を過った。

真春はさやかの言葉に心の中で、それは違う、と呟いて「ですね」と答え、濁った煙を吸い込んだ。


あの日以来、もうひとつ変わり始めたことがあった。

それは、香枝とほぼ毎日メールするようになったということだ。

内容はくだらないことばかり。

香枝の文章はかわいらしくて、どんな内容でも心がほっこりする。

メールでのやり取りを繰り返すたびに、前より更に香枝のことが好きになっていることに真春は気付いた。

好きだと言ってしまいたい。

しかし言ってしまったら最後だと思うと、このままでもいいのかなとも思う。

が、香枝が自分のことを好きでいてくれたら…と汚い考えがちらついてしまうのも事実だ。

実習の忙しさに加えて心が穏やかでない日々を過ごしていた中、週末のシフトで久しぶりに未央に会った。

「あ!真春さん!お久しぶりですー」

「未央ー!もう実習疲れた…。代わって」

「やですよ!わたしも来年から行くのに!」

未央は整った顔を少し崩して笑った。

アイドルタイムだというのに、断続的に入るオーダー。

このままディナーも忙しくなったら嫌だなと考えながら、真春と未央は片付けつつ、料理提供をこなしていた。

「もう、そんなに疲れちゃったなら飲みに行くしかなくないですか?」

未央がノリで言う。

「うん、飲みに行くしかない!」

「って言っときながら、あんまお金ないんすよね…」

「心とお財布が釣り合ってないね」

「切ないですー」

未央はトレンチを脇に挟み、肩を落とした。

「あっ!じゃあうち来る?宅飲みなら安いでしょ?」

「え!いいんですか?やったー!ナイスアイデアです。あと誰誘いますか?」

真春の提案に、未央の綺麗な顔がパッと華やいだ。

「んー、誰でもいいよ。未央が好きな人誘って」

「オッケーです!テキトーに誘っときますね!…いつにします?」

「うーん、いつでもいいよ。今日でも」

真春はふざけて言ったつもりだったが未央は「さすが真春さん!ノリがいい!」と本気で受け止め、ガッツポーズまでした。

「え?本気?」

「はい、真春さんが良ければ」

「じゃあ飲んじゃいますー?」

「そうこなくちゃ!」

突然の開催で誰か捕まるのだろうか。

休憩中、未央が今日シフトに入っている人に呼び掛けたところ、唯一大丈夫だったのが香枝だった。

「真春さんの家!真春さんの家!」

香枝はディナー中、そればかり言っていた。

「本当に行っていいんですか?」

「うん」

香枝が自分の部屋に来ると思うと真春はいてもたってもいられなかった。

ドキドキしすぎて、バッシングしてきたお皿を何度も取り落としそうになった。

「香枝、真春さんの家に行くのすごい楽しみにしてるみたいですね」

未央がいつもよりテンション高めで働く香枝を眺めて言った。

「確かに。超ハイテンション」

「ホント、香枝は真春さんのこと大好きですね」

「分かりやすいところが可愛いよね、妹みたいで」

真春は"可愛い"だけだと変に聞こえてしまうのではないかと思い、慌てて"妹みたいで"と付け足した。

何を意識しているんだ、と少し呆れる。

「妹みたいなの、分かります」

「タメでしょ?」

「タメだけどあれはもう完全に妹キャラですよ」

真春と未央が話していると、トレンチにお皿を大量に乗せた香枝が早足でホールから戻って来た。

「妹が来ましたよ」

「えっ?妹ってなにー?!」

「なんでもなーい。真春さん、7番のバッシング一緒に行きましょ!」

香枝はこちらを見て「2人で楽しそうでずるーい」と眉間に皺を寄せた。

「あ、ほら香枝ちゃん、お客さん呼んでるよ」

真春がクスクス笑って「いってらっしゃーい」と手を振ると香枝は「もうっ」と言ってまた早足でスタスタとホールに戻って行った。

今日は3人とも22時で上がる予定だが、それまでの時間がひどく長く感じる。

いつもなら矢のような速さで過ぎる時間も、今日はスローモーションだ。

チラッと見た時計はまだ19時半。

じわじわと可もなく不可もないスピードでお客さんがやってきて、帰って行く。

無駄に心臓が早鐘を打ち、22時を迎える頃にはそれほど忙しくなかったのに真春はひどく疲弊していた。

帰り支度を済ませた後、3人は隣のコンビニでお酒とおつまみを買い揃え、自転車で真春の家に向かった。

大通りの信号を渡り、住宅街に入って何度か曲がり角を経てようやく真春の家に着いた。

「複雑ですね」

「ちょっとね…明日帰る時分からなかったら送るよ。特に今は暗いから尚更分かりづらいだろうし」

真春は家の鍵を開けて「どうぞ」とコンビニの袋を手に下げている2人を家の中へと促した。

「おじゃましまーす」

築15年の一軒家の玄関に2人の声が響く。

リビングへと繋がるドアから明かりが漏れている。

父親と母親が晩酌しているに違いない。

廊下に上がり、右へ曲がった所の階段を昇ると真春の部屋がある。

「うわー!真春さんの部屋だあ!」

香枝は真春の部屋を見渡した。

右にある本棚には学校の教科書や実習の記録がずらりと並んでいる。

正面の窓のところにベッド、真ん中には小さな四角いテーブル。

左にある机の上は、今行っている実習の記録やら教科書やらが散乱している。

ライトブラウン系の家具で統一し、物もあまり多くないのでシンプルといえばシンプルな6畳の部屋だ。

「汚くてごめんね。テキトーに座って」

真春は買ってきたおつまみやお酒をテーブルに並べ始めた。

ビール、色々な種類の缶チューハイ、ボトルで買ったウィスキーとコーラ、そして梅酒が3つ。

さやかの影響で真春は梅酒が好きになった。

「おつかれーっ!」

缶をパコパコ鳴らし合い、楽しい飲み会がスタートした。

「うあー!疲れたからお酒が身体にしみわたるぅー」

香枝が言う。

「今日も疲れたねー。特にあの5番テーブルの人ホントむかついた」

「分かる!もう、オーダー取りに行くの嫌でしたもん」

3人は今日の話から始まり、この間居酒屋で話したように時間も忘れて夜遅くまで喋り続けた。

その中でも盛り上がったのが恋愛話だ。

未央が「優菜と清水さん、どうなったんですかねー?」とスルメイカを食べながら急に言い始めたので、真春はドキッとした。

気付かれないように香枝を横目で見ると、お菓子の袋を漁っていた。

聞こえていて無視しているのか、本当に聞こえていないのか。

どちらだろうか。

「あの2人は興味ないない!ちなみに未央は彼氏いるの?よく考えたらあまり恋バナしたことないから知らないよね」

真春は香枝に「ね?」と相槌を求めた。

「あ、うん、そうだよ未央!教えて教えてー!」

「えー?今は彼氏はいないけど、実は…明日気になる人と会うんですよね」

未央が少し照れくさそうにするのを見て、真春と香枝は歓喜の声を上げた。

そこから質問責めが続いたが、未央は華麗にかわして真春に爆弾を投げてきた。

「真春さん、彼氏いますよね?付き合ってどれくらいなんですか?」

「へ?あたし?」

「聞きたい!聞きたい!」

香枝も興味津々といった様子でこちらに身を乗り出して話を聞こうとしている。

あまり香枝の前で恭介の話はしたくなかった。

しかしそんなわけにもいかず、馴れ初めからバカ丁寧に真春は話した。

おまけに写真まで見せてしまった。

「高身長でこんな爽やかイケメンだなんて、パーフェクトすぎますね!」

未央は恭介のことを褒めちぎった。

確かに背は高いし、顔もわりとハッキリしている方で悪くはないし優しいし申し分ないけど…ただ、頭がかなり悪い。

しかし今はそんなことはどうでもいい。

真春は香枝にこんなに恭介のことを知られるのが何故か嫌で嫌で仕方なかった。

「美男美女カップルで羨ましいなー。この写真の真春さんめっちゃ可愛い」

「え」

恭介じゃなくて自分の方を見てくれていたことに真春は少し驚いた。

「確かにー!真春さんって、ぱっちり二重だし顔小さいし、ほんと可愛いですよねー!なのに、性格がクールっていうギャップね!」

未央が突然熱弁し始めたので急に恥ずかしくなってきた。

「そうそう!あたし男だったら真春さんと付き合いたいって思うもーん!」

香枝は酔った勢いなのかなんなのか、とんでもないことを口走った。

そんなこと言われたら本気にしてしまう。

でも、今のはその場のノリというか、そういう類のものに違いない。

真春は「やめてよー」と心のこもっていない顔で笑うので精一杯だった。

その後はまた未央の気になる人の話に戻ったり、香枝の好きなタイプの話になったり、いつもはしないようなディープな話で盛り上がった。

ちなみに香枝の好きなタイプは、少しだらしない人らしい。

ダメ男に引っかかりそうなタイプだ。

すぐに清水さんが頭に浮かんできた。

そんな香枝は、今は恋愛は休みたいと語った。

未央があの手この手で理由を聞き出そうとしたが、結局香枝は口を割らなかった。

きっと清水さんのことだろう。

何があってもはぐらかす香枝は、やはり秘密主義者だ。

「あたし、メールとかあんましない方なんです。いつもめんどくさくなって、すぐシカトしちゃうんですよねー」

0時を過ぎていい感じに酔いが回ってきた頃、香枝が言った。

「あたしもそう!後で返そうって思って結局返すの忘れちゃうんだよね」

未央が答える。

「確かにっ!未央、返事遅すぎだよねー。次の日どころの騒ぎじゃないもんね」

香枝はキャハハと笑った。

香枝はメールが面倒臭いと前にも言っていた。

でも自分にはちゃんと返事を返してくれている。

次の日になっても、ちゃんと朝になると『おはようございます!今日も実習頑張ってくださいね』とメールをくれる。

やはり社交辞令というか、先輩だからというのもあって自分からメールを終わらせづらいのだろうか。

だとしたら、今まで香枝には迷惑をかけていたかもしれない。

くだらないメールに付き合わせて申し訳なかったかな。

嫌われていないだろうか。

面倒だと思われていたらどうしよう。

真春は少し心配になった。

「真春さんはわりとすぐ返事してくれますよね」

香枝がこちらを見る。

「え?うーん。そうかな?」

「そうですよ!マメだから彼氏も安心ですね」

恭介のことを言われてチクリと胸が痛む。

「いつからか忘れたけど恭介とは惰性でずっとメールしてるから、なんか慣れちゃって」

真春が言うと、2人は驚いた声を出した。

「付き合ってからずっとメールしてるんですか?」

「うん」

「途切れたことないんですか?」

「ないかな…いや、1回くらいあったかな?」

「なにそれすごーい!ラブラブで羨ましい!」

香枝はうっとりしたような顔をして「いーなー」と真春の腕をグイグイと引っ張った。

「ラブラブじゃないよ。結構ドライだよ。なんかもうメールするのが日課っていうか、そんな感じだから途切れると気持ち悪いんだよね」

香枝の前で恭介の話をするのがどんな気持ちかと聞かれたら、どう答えたらいいのか分からないが、とにかく嫌なものは嫌なのだ。

そう思ってしまう自分は、やはり香枝のことが好きなのかもしれない。

時が経つにつれて、どんどん特別な存在になっていく。

だから、お願いだから、彼氏とラブラブだとか羨ましいとか、他人事みたいな言葉を言わないで。

ヤキモチ妬くくらいに思って欲しい。

「すごすぎますよ、真春さん!やっぱりズボラなのはモテないよ、香枝!」

未央は「脱ズボラだよ!」と言って香枝の肩を両手で掴んだ。

「直せるかなー?」

「直せるかなじゃなくて、直すんだよ!」

2人はその後も「脱ズボラ!」と盛り上がって、気付いたらウィスキーは半分以上なくなり、缶チューハイは全て空っぽになっていた。

真春はなんだか傷ついたような気分になって、ウィスキーを何杯も胃に流し込んだ。

3時を過ぎた頃、ベロベロに酔った真春はベッドにドサリと倒れ込んだ。

「真春さーんっ!もう寝ちゃうんですかー?まだだめですよー!」

浮腫んだ脳に香枝の声が響いた。

脱力した体をゆさゆさと揺さぶられる。

「んーっ…」

真春は眠すぎて、声を出すので精一杯だった。

「あっ!未央も眠そうにしてるっ!」

酔っ払う前に、早々に2人分の布団を用意しておいて良かったと真春はぼやんとした頭で考えた。

やっぱりこうなってしまうのだ。

「いや、まだ寝ないよー!」

未央は香枝の声で起きたようで、しばらく2人は喋り続けた。

2人の声を遠くに聞きながら、真春は睡魔に負けた。


まだ暗いうちに目が覚めた。

部屋は暗くなっていて、いつもは点けない豆電球がオレンジ色を放っている。

2人のどちらかがそうしてくれたのだろう。

不意に違和感を感じ横を見ると、香枝の寝顔が驚くほど近いところにあった。

胸がドキリとすると同時に目の前に閃光が見えた気がした。

布団をかけず、気持ちよさそうにスースーと寝息をたてている。

真春は何も考えられず、ただ香枝の寝顔をしばらく見つめていた。

「んーっ…」

真春ははっとして香枝から目を逸らした。

「真春さん…起きてたの?」

寝起きの香枝の声。

心臓がパクパクいっている。

「布団かけないと、カゼひいちゃうよ。ここ狭いし、布団で寝たら?」

真春はつとめて冷静に未央の方を目で見やった。

未央はどうやら爆睡のようで、グーグーといびきをかいて寝ている。

香枝はしばらく考えた後「真春さんと一緒に寝る」と耳を疑うような一言を発した。

これは夢だろうか。

香枝のことを考え過ぎて、ついに変な怪しい夢となってしまったのだろうか。

「え…?」

「ダメですか?」

「いや、ダメじゃないけど…狭いでしょ」

「いーの」

香枝は真春の右側に寝そべると、こちらを向いて再び寝始めた。

こんなに近くに香枝がいる。

気がおかしくなりそうだ。

真春は布団を掛けると香枝とできるだけ距離をとって、体を思い切り壁に押し付けた。

カーテンの隙間からひんやりとした空気が流れ込んで顔を撫でる。

上手く呼吸ができない。

心臓が暴れ馬のようにのたうち回り、指先が冷たくなってきた。

未央の寝息が聞こえる。

もっと近くで、香枝の呼吸する音が聞こえる。

「ちゃんと布団かかってる?寒くない?」

真春は天井を見つめながら言った。

「大丈夫です」

そう言った香枝の目は開いているのだろうか。

「ねえ」

緊張で目が冴えてしまった真春は、香枝にひとつだけ聞きたいことを口にした。

「香枝はメールするの面倒くさいんでしょ?でもあたしにはちゃんと返事くれるよね」

すると香枝は「真春さんとメールするの楽しいから。面倒くさいとか全然思わないですよ」と即答した。

「そっか、ありがと。優しいね、香枝は」

真春が笑うと香枝もエヘヘと笑った。

少し、楽になった気がした。

「真春さん」

「ん?」

「おやすみなさい」

「おやすみ」

ずっとこんな時間が続けばいいのに。

純粋にそう思ってしまった。

真春は香枝の寝息を聞きながら目を閉じた。

ドキドキする。

耳の奥がツンツンする。

この心臓の音、香枝に聞こえてないといいな。


朝、真春は寒さで目が覚めた。

香枝に布団を全部持ってかれていたのだ。

幸せそうに眠る香枝が隣にいる。

夢ではなかった。


香枝が好き。


その気持ちがありえないほどのスピードで膨れ上がって、もうはち切れそうになっていることに真春はやっと気付いた。

今まで気付いていながら、あやふやにしたり見ないフリをしたり、忘れて冷めてしまうこともあったりと感情の浮き沈みが激しかったが、この状況をこの上なく幸せだと思ってしまうのは、もう取り返しのつかない気持ちになってしまった証拠だ。

でも、どんな好き?

付き合いたい?

いや、違う。

一体どうしたいの?

ただ、好きなだけ?

その愛おしい寝顔にキスしたいと思ってしまうのは異常なのかな。

真春は香枝を起こさないようにそっと起き上がり、寝癖を直しながらベッドから降りた。

部屋は昨日のまま、空き缶やおつまみの残骸などがテーブルだけでなく床にまで散らばっている。

真春が床に放られたコンビニの袋にゴミを入れて片付け始めると、布団で寝ていた未央が「今何時ですか…」としゃがれた声を絞り出した。

「ごめん、起こしちゃったね。んーと…9時だよ」

「9時ですか…」

未央は半分寝ぼけているようだった。

起き上がったはいいものの、座りながらまた寝ている。

寝起きの乱れたロングヘアが色っぽいって、羨ましいなと真春は思った。

「おはようございます…」

今度は香枝が起きた。

寝ぼけ眼をこすり、小さくあくびをする姿を見て胸がキュンとした。

「おはよ」

香枝は一緒に寝たことをどう思っているのだろうか。

もしかしたら、なんとも思っていないかもしれない。

答えを知りたいような、知りたくないような、複雑な思いが巡る。

なんだか、香枝の顔を見ることができない。

「2人ともコーヒー飲む?」

「いいんですか?ありがとうございます」

「わーい!いただきます」

真春はゴミを入れた袋を片付けがてらリビングに向かった。

お湯を沸かしている間、真春は夜の出来事をずっと考えていた。

全身から離れようとしない香枝の温もりと寝息、可愛い寝顔…。

「真春ー、昨日は何時まで起きてたの?ずいぶん楽しそうだったじゃない」

ソファーに座ってテレビを観る母親の言葉にはっとなる。

「え?うーん…何時だろ。覚えてない」

彼氏の話になった時、未央が気になる人と今日遊びに行くと話していたのを今思い出した。

その話が一番盛り上がっていたな。

階下まで聞こえるなんて、相当うるさかったのだろう。

「若いねー。あ、スコーンあるからお友達に持って行ってあげて」

「ありがと」

コーヒーを淹れ、戸棚の中にあったスコーンをお皿に出しお盆に乗せて再び部屋へ戻ると、2人は布団を綺麗に畳んでくれていて、顔も先ほどよりはいくらかスッキリとしていた。

「はい、どうぞ」

片付けられたテーブルの上に3人分のコーヒーとスコーンを置く。

「スコーンもあったから、食べて」

「ありがとうございまーす!」

香枝はコーヒーを一口飲むと「うぇー!にっがーい!」と叫んだ。

「真春さんいつもこんなの飲んでるんですか?」

「うん。分からなかったからとりあえずブラック持ってきたんだけど…。砂糖とミルクあるから使って」

真春がスティックシュガーとミルクをテーブルに置くと、香枝は「いっぱい砂糖入れよっ」とミルク1つとスティックシュガーを3本入れた。

「入れすぎでしょ」

笑った未央の声はまだ少し掠れていた。

「未央、時間大丈夫?」

「これいただいたら、帰りますね」

「おっけー。準備しっかりしないとね!てか二日酔い大丈夫?」

「意外とそんなに残ってないですよ!あ、でもちょっとお酒臭いですかねー?」

あんなに飲んだのに、3人とも奇跡的に二日酔いは軽度だ。

真春はほとんど眠れていなかったが、睡眠不足なんて言っていられない精神状態だ。

スコーンを頬張る香枝の横顔を無意識に見る。

また胸がトクンと鳴った。

「未央、今日上手くいくといいね」

真春はコーヒーをすすりながら自分の中で頭を切り替えた。

「頑張ります。って頑張るっていうのもちょっと変ですね」

「まー、未央なら大丈夫っしょ!」

真春の言葉に香枝もうんうん、と頷いた。

コーヒーを一口飲んで、真春がスコーンをかじると未央は「真春さん、甘いものあんまり好きじゃないって言ってませんでした?」と驚いたような顔をした。

「スコーンはそんなに甘くないから嫌いじゃない」

「えー!そうなんですか?分かんないなー」

「生クリームとか、ブラウニーとか甘ったるいのが無理なの」

「じゃあ、タルトは?」

「タルトは好き」

「えぇ?!じゃあじゃあ、ソフトクリームは?」

「うーん…微妙だな。ジェラートとかかき氷とかの方が好きかな」

「むずっ!真春さんって意外とワガママなんですね」

「ワガママじゃないよ!」

真春と未央が盛り上がっていると、香枝が一言「真春さんっぽい」と笑った。

「なんか真春さんそのものみたい。すっごい甘いわけじゃないし、かといってすごいサッパリしてるわけでもなくて、ちょうどいい甘さといい意味のサッパリ感っていうか…」

香枝の言葉に、真春と未央は一瞬考えた。

「なんとなく言いたいことはわかるけど、2割くらいしか伝わってこない」

と、未央。

真春は褒められているのかそうでないのかよく分からなかったが、香枝が「なんて言ったらいいか分からないけど、とにかく良いってこと!」と必死になって伝えようとしているのを見て、顔がじわじわと熱くなっていくのを感じた。

「あー、真春さんちょっと顔赤くないすかー?」

「へ?赤くないでしょ」

「照れちゃってー。そういうとこ、可愛いですよね」

「うるさいな!あ、未央そろそろ行かないとじゃない?」

未央は「話逸らされたけど、リアルにヤバいんでそろそろ帰ります」とバッグを持って立ち上がった。

「下まで送るよ」

真春は未央を玄関の外まで見送った。

今日も快晴だ。

午前10時の空気は、寒さと暖かさの入り混じった不思議な味がした。

「道、分かる?送ろうか?」

「大丈夫です、なんとなく分かるんで」

自転車のスタンドを上げながら未央は言った。

「ありがとうございました!また宅飲みしましょうね!」

「うん、また。じゃあ、今日は頑張って」

「はい、それじゃまたバイトで」

未央に手を振り、近くの角を曲がるまで美しいロングヘアをなびかせる後ろ姿を見送った後、真春は部屋に戻った。

すると、先程までコーヒーを飲んでいた香枝がベッドの上に寝そべって携帯をいじっていた。

香枝と部屋で2人きりという状況に、真春の心臓はめまいがしそうなほどにのたうち回り始めた。

真春は「香枝、どうする?帰る?」と言おうとした。

けど、言いたくなかった。

帰ると言われたらどうしよう、もっと香枝と一緒にいたいと瞬間的に思ってしまったから。

帰るタイミングを逃した香枝は一体何を考えながら自分のベッドに横たわっているのだろうか。

ドアを後ろ手に閉めて、真春は香枝に気付かれないように深呼吸した。

「未央、帰っちゃいましたね」

香枝は起き上がると、ベッドの上で胡座をかいていつもの調子で話した。

息が詰まりそうになる。

「香枝は、どうする?」

返答に困った真春は迷った挙句、結局その言葉しか出てこなかった。

一瞬の沈黙。

そして、

「あとちょっとしたら帰る」

香枝が答えた。

ほっとした。

真春が大きく息をつきながらテーブルの前に座ると、香枝に「ため息ですか?」と笑われた。

「え?あ、違うよ。なんか寝不足だし、ちょっと二日酔いだし」

異常なほど高鳴る胸に気付かれないように、真春はコーヒーをひと口すすった。

香枝は今度は体育座りをしながら携帯をいじり始めた。

部屋にはテレビはないし、パソコンは父親が仕事で使わせてほしいと言って、貸出中だ。

何もすることがなくて、香枝は楽しくないと思っているに違いない。

時間が経つにつれ、真春は徐々にそんなことを思い始めた。

ただの友達ならば、もっとオープンに接することができたはず。

でも香枝だから、色々なことを考えてしまう。

次はどうしよう。

何をしよう。

何を話そう。

ただ、時間だけが過ぎていく。

「あ!」

無意識に真春も体育座りになってコーヒーを飲んでいた時、香枝が突然声を上げた。

「オセロやりたい!」

香枝は本棚の一番下の段に本と一緒に並んでいるオセロの箱を見て言った。

「香枝、オセロ好きなの?」

「あたし、オセロ結構強いですよー!」

香枝はまだ少し眠気の残る顔を綻ばせると、ベッドから降りて本棚からオセロの箱を引っ張り出した。

テーブルに箱から出した盤を置き、白黒の石を並べてオセロを始める。

「真春さん先いいですよ」

「なにそれ。余裕ぶっこいてるね」

「譲ってあげます」

真春は笑いながら「むかつく」と言って、右下の白い駒を黒にひっくり返した。

ゲーム中、一喜一憂する香枝を見て真春はまた深呼吸がしたくなった。

第1回戦は真春の圧勝。

「もういっかい!」

「香枝弱ーい。強いんじゃなかったの?」

「計算ミスですー。次は絶対勝ちます!」

負けず嫌いの香枝はその後もリベンジを申し出た。

強いと豪語したわりに、勝ったのは1回だけだ。

コーヒーを追加したり何回もオセロをやっているうちに、気付いたら12時を過ぎていた。

「あー、もうお昼過ぎてるよ」

「本当だー。さすがにそろそろ帰ります。長居しちゃってすみません」

荷物を整理しバッグを手に取り、部屋を出て行く香枝について真春も部屋を後にした。

玄関を出て、眩しさに目を細める。

本日2回目の外は、先程よりも大分暖かく感じた。

「コーヒーとスコーン、ごちそうさまでした」

「いーえ」

微妙な空気が流れる。

「あ…道分かる?大通りまで送ろうか?」

真春がそう言うと、香枝は「ありがとうございます」と微笑んだ。

住宅街を並んで歩くのは、さやかさんの家からの帰り道以来だ。

香枝が押す自転車から、カラカラと空回りする音が聞こえる。

あの絶望的な日々を乗り越えて、香枝はなんとかバイトを辞めずにここまで頑張った。

優菜に対する否定的な感情を初めて自分に打ち明けてくれた時、香枝との距離がぐっと縮まった気がした。

でもきっとそれは、そんな気がしただけで香枝は何とも思っていないのかもしれない。

自分じゃなくても良かったかもしれない。

今までのことを考え、そして昨日から今日にかけての出来事を考える。

思い出すだけで、少しばかり落ち着きを取り戻した心臓が再び暴れ出す。

「今日、バイト入ってますか?」

不意に香枝に声を掛けられて、ドキッとする。

ぐるぐると考えているうちに、大通りまで出てきていた。

交差点の信号は赤に変わってしまったばかり。

「…あ、うん。18時から」

「じゃ、またあとでですね!」

「そうだね、またあとで」

ふと見た香枝の顔はまだ少し眠そうだった。

あの時、一体何を考えていたのだろう。

酔っ払っていて覚えていなかったりして。

綺麗な鼻筋を見ていると、香枝が鼻をすすったので真春は急いで視線を信号に移した。

「真春さん」

「ん?」

香枝に呼ばれてそちらを向く。

大通りの信号が赤に変わり、青い右矢印がパッと出た。

車は止まり、右折の車だけが綺麗なカーブを描いている。

「寝癖」

香枝は真春の左耳の丁度上の方を優しく手で撫でた。

近付いた香枝と目を合わせることができなかった。

顔は赤くなっていないだろうか。

「ありがと…」

香枝はやんわり笑うと、「じゃあまたあとで」と言って自転車に跨り青信号になった横断歩道を渡って行った。

風と一緒に香枝の匂いがふわっと真春の鼻を掠める。

香枝の後ろ姿がどんどん小さくなっていく。

真春は香枝に撫でられた部分をくしゃっと掴みながら、その小さな後ろ姿を見えなくなるまで見つめていた。

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