スパイシーな11月
深夜1時。
飲み過ぎたさやかは泣き上戸となりバイトの話題でヒートアップし、真春と香枝は完全に聞き手に回っていた。
結局、さやかは優菜をよく思っていないということを誰にも言えなくて悶々としていたらしい。
バイトリーダーなのに高校生と愚痴り合うのも大人気ないし、でもこれ以上自分に嘘ついていい顔して我慢するのも嫌だし…と悩んでいたと。
後半は「聞いてくれてありがとう」と泣きながらお礼を言われ、さやかにもこんな一面があるのだと思うと同時に、バイトリーダーとして大人として、みんなのことをちゃんと考えていたのだなと真春は感心し、尊敬した。
「言ったらなんかスッキリしちゃった。なんかごめんね、いっぱい愚痴っちゃって」
「いえいえ。溜め込むのは良くないですからね。いつでも聞きますよ」
「ありがとう真春ー」
帰り際、玄関先で酒臭いさやかに抱きしめられ、真春は「また話しましょー」と背中を叩きながらケラケラと笑った。
「この話は秘密ね」
さやかが真春を引き離して言った。
「はい」
「もう、おしまい!嫌だけど、仲が悪くなるのはもっと嫌だしね!」
「ですね。今まで通り、いきましょ!」
真春が親指を立てると、さやかも「よしっ!」と親指を立てた。
「それじゃ、またね」
「はい、おやすみなさい」
さやかの家を後にして、真春と香枝は自転車を押しながら帰り道を歩いた。
終始無言で、空気がいつもより冷えている気がする。
過去に好きだった人が、一番仲が良いと思ってた友達と付き合っていて、それを隠されていたという事実。
そしてこの数時間の間でもう1つ、真春を驚かせた事実があった。
香枝は、優菜のブログを前から知っていたのだ。
バーベキューの数日後にたまたま発見し、毎日更新されるそれを見ていたと、笑いながら語ってくれた。
知っていながらずっと優菜と接したり、一緒に帰ったりしていたのだ。
優菜に接する香枝は、いつも見る香枝と同じだった。
香枝はそういう子だ。
他人のことを一番に考え、自分の気持ちを押さえ込んでいつも優しく笑っているのだ。
何があっても本音を言わずに、悪く言えば我慢をしている。
少なくとも、真春にはそう見えていた。
ちょっとくらい、自分のワガママ言ってもいいのに。
「うちの近く、街灯あまりないから暗くて怖いんですよ」
香枝がやっと口を開いた。
「あ?そ、そうなんだ」
色々考えすぎて、変な声が出る。
しばらく歩くと交差点に差し掛かった。
真春は左、香枝は右。
「あたし、こっちだから…。真春さん、また一緒に飲みましょうね!」
最後の言葉はいつもの香枝だった。
でも、今日のその下手くそな笑顔は真春の好きな香枝の笑顔じゃなかった。
自転車に跨りペダルを漕ぎ始める後ろ姿を見つめる。
なんだか、心が締め付けられそうだった。
このままでいいのかな?
香枝のことだから、本当のこと誰にも言っていない気がする。
いや、言えるはずもないか、こんなこと。
でも、ずっと誰にも相談しないでひとりで抱え込むの?
自分の気持ちを、無かったことにしようなんて思っていないかな。
せめて、吐き出して楽になれれば…。
「…香枝!」
思いよりも先に、言葉が口から出た。
香枝が振り返る。
「送るよ。帰り道、暗くて怖いんでしょ?」
真春が言うと、香枝は弱々しく笑った。
数メートル先で止まっている香枝のところまで自転車を押して行く。
香枝も自転車から降りて、再び2人並んで夜道を歩いた。
送るよ、と言ったものの、また沈黙が訪れた。
優菜が清水さんと付き合ってるなんてショックだよね。
だってその頃、香枝は清水さんのこと好きだったもんね。
しかも優菜に伝えてたんだよね。
優菜と接するの、本当は辛いんじゃないの?
裏切られて、辛いんじゃないの?
立て続けに聞きたい。
でも香枝の顔を見たら、そんなこと言えなかった。
言ったら今にも泣き出してしまいそうだから。
彼氏に別れを告げたって言われた時泣いていたけど、電話だから顔は見えなかった。
香枝の泣いてる顔、見たくないな。
傷が癒えるまで待とうか。
「ここ、あたしのお家です」
考えているうちに結局目的地に着いてしまった。
香枝が指さしたのは、可愛らしい一軒家。
塀の横に植木鉢がびっしり並べられていて、暗くてよく見えないがしっかり手入れがしてありそうだった。
庭も切り揃えられた芝生が綺麗に敷き詰められている。
「送ってくれて、ありがとうございます」
「いーえ」
頭の中で言葉がぐるぐる回るだけで、口から出てこない。
「気を付けて帰ってくださいね!おやすみなさい」
香枝は、この日2回目の下手くそな笑顔を見せて、家の中に入っていった。
結局、何もできなかった。
言いたいことも言えず、香枝の心に寄り添うこともできず。
しかしそれ以前に、香枝が何を考えているのか分からない。
よく考えたら、真春は香枝のことをそれほど知らない。
うわべだけしか知らないのだ。
闇の部分は明かしてくれたことはただの一度もない。
家まで送るだなんて、出すぎた真似をするんじゃなかった。
真春はタバコに火をつけて、ゆらゆらと自転車を漕いで帰路についた。
月曜日の朝目覚めた時、別れ際の香枝の顔が忘れられなかった。
もちろん昨日もだ。
バイトしていても、香枝のことばかり気にしていた。
最後、無理してたんじゃなかったのかな?
真春は準備を済ませると、ぼーっとしながら自転車で最寄駅に向かった。
街路樹にはもう葉っぱはついてない。
全部茶色くなって、地面に落ちている。
実習の始まりと同時に黒染めした真春の髪の毛も、もう茶色く色落ちしてきている。
切り揃えたマッシュショートは伸びきって、この髪型はなんという名前なのか、よく分からない。
かなりダサい。
真春は早朝の駅でマフラーに顔をうずめて電車を待った。
線路は1つ、4両しかない車両、ボタン式の列車。
到着した電車に乗り込み空いている席に腰掛ける。
上り線との待ち合わせのためしばらく停まる電車の中で、真春は足元からじんわりと温かくなっていくのを感じた。
その時、ポケットの中で携帯が震えたのが分かった。
見ると、メールが来ている。
こんな朝早くに誰だ。
実習のグループの子かな。
メールボックスを開いて真春は驚いた。
香枝からだった。
『おはよーございます!この間はありがとうございました。今日も実習ですか?頑張って下さいね☆』
一昨日のことを何も思わせない文面に、真春は逆に心配になった。
それとも、香枝自身はもう割り切っているのだろうか。
ここのところ、香枝の心の内を探ってばかりだ。
ストレートに聞けばいいのだろうけど、それができない。
それが、自分と香枝の心の距離だと真春は思っていた。
優菜には清水さんのことが好きだと打ち明けた。
自分には清水さんのことを好きじゃないと嘘をついた。
そういう事だ。
自分は香枝の中では彼女を裏切った優菜よりも劣る存在なのだ。
どうしたら、もっと近付けるのだろう…。
真春は、香枝の中で一番の存在になりたいと心の隅で思っていた。
実習先の最寄駅に着くまでに温まりきった両足は、歩き始めると少しじんじんと痛んだ。
その日の夜、さやかからバイトのグループに一斉送信でメールが来た。
右手で記録を書きながら左手で携帯を操作する。
『今週の土曜日、閉店後お店で飲み会しまーす♪来れる人は来てください!』
メールを読み終えると同時にシャーペンの芯がポキッと折れた。
香枝もそうだが、さやかの気持ちもまた切り替えが早くて驚く。
お店の飲み会だなんて、優菜は絶対に香枝やさやかを自分の隣にキープして騒ぐに決まっている。
想像しただけで真春は憂鬱な気分になった。
あの2人がどんな風に接するのか、考えるだけで息が止まりそうになる。
しかし、翌日にはまた実習で忙しくなりバイトのことなどすっぽりと頭から抜けてしまい、土曜日の飲み会当日まで真春の頭の中は終わらない記録のことでいっぱいになっていた。
今回の実習は遠い上に、精神病院なので内容もなかなかハードだったため、身も心も余裕のない1週間となった。
そして土曜日、ディナーからラストまでのシフトだった真春は22時を過ぎても騒がしい事務所を見て、閉店後に飲み会があることをやっと思い出した。
締め作業をしていると、22時に上がって化粧を直したさやかがやってきて「真春、まだ言ってなかったんだけどさ」と声をひそめて言った。
「なんですか?」
「今日の飲み会、主役は戸田さんだから」
「戸田さんですか?」
「戸田さん、いつもうちらに良くしてくれてるから感謝の意味も込めて、ありがとう会的なのやりたいよねって未央と話してたの。歓迎会もしなかったし」
「なるほどー!サプライズですか?」
「そうそう!後半でケーキ出す予定だからよろしくね」
「いいですね!戸田さんの反応見るの楽しみ」
「ね!じゃ、ラストまで頑張って!うちら用意しとくから」
さやかはそう言うと、座敷のテーブルをくっつけて席を作り始めた。
すると、その音に気付いた高校生たちが事務所から出てきて「やりますよー!」と口々に言っていた。
着々と会場ができ始める中、真春は最後のお客さんを送り出し早めに表の看板を裏返して鍵を閉めた。
戸田さんは飲み会に出す料理を作ってくれている。
自分がもてなされる側とも知らずに。
その姿を見て真春はひとりでニヤニヤしてしまった。
23時半には締め作業は全て終わり、真春はサロンと帽子を外して事務所に向かった。
座敷でみんながワイワイ話している声が聞こえる。
着替えを済ませてみんなの所に行こうとした時、裏口側の事務所のドアが開いた。
「お疲れまはるーん!」
バッチリメイクで現れた優菜に真春は思い切り抱きつかれた。
「お、お疲れ。優菜、化粧濃いし香水つけすぎ…」
そう言った時、視界に香枝の姿が飛び込んできた。
一緒に来たの?
信じられない。
「まはるん早くみんなのとこ行こ!」
「えっ?あ、あ、あたしタバコ吸ってくるから先始めてて」
真春は優菜から離れて事務所から出て行くと、裏口を出て喫煙所のベンチに腰掛けタバコに火をつけた。
ため息と一緒に煙がモクモクと上がっていく。
香枝、優菜に誘われて断れなかったのかな…。
そんなことを想像する。
そうとしか考えられない。
可哀想なイエスマンだ。
タバコを吸い終えてみんなの所へ行くと「あー、真春さん来たー!遅いよー」と奈帆が頬を膨らませた。
「ごめんごめん」
真春は一番端にいた未央の隣に座った。
「あ、真春来たー?じゃ乾杯しよっか!」
さやかはジョッキを掲げて「みんなありますかー?」と言ったあと「かんぱーい!」と掛け声をかけた。
みんなが一斉に「かんぱーい!」と言い、カチカチとジョッキの当たる音が鳴り響いた。
お酒は大量にあり、戸田さんが作ってくれたおつまみもいい感じに盛りつけられていて、ちょっとしたパーティーのようになっている。
いつものように騒がしい高校生たちは相変わらず騒がしく、奈帆を中心に爆笑トークが繰り広げられている。
真春とほぼ対角に座っている優菜とその隣に座っている香枝は、2人で楽しそうにしている。
さやかも時々混じって話しているのが見える。
真春は、あの2人は結構演技派なのかなと思った。
高校生もたまに優菜と話したりしているが、とりあえず話さなきゃと思って話しているのが見え見えだ。
結局、優菜は高校生の輪の中には入れずじまいだった。
1時間が経過する頃には、みんなだいぶお酒が回ってきてかなり騒がしくなっていた。
すると、さやかが「みんな聞いてー!」とみんなに呼び掛けた。
ザワザワしていた声がぴたりと止み、さやかに注目が集まる。
「ここで、サプラーイズ!」
さやかがそう言うと、いつの間にかいなくなっていた未央がキッチンから大きなショートケーキを持ってやって来た。
「戸田さん、いつもありがとうございます」
「えっ?俺ー?」
ほろ酔いの戸田さんは顔を綻ばせて「なんでなんでー?」と言いつつもかなり嬉しそうにしている。
「歓迎会兼いつもありがとうございますのケーキです」
未央が戸田さんの目の前にケーキを置く。
「おー!ありがとー!」
「サプライズ成功!」
「戸田さんいつもありがとー!」
「ずっと戸田さんが店長がいいー」
みんなが次々に言う。
たくさんの女子に囲まれて、ハーレム状態の戸田さん。
穏やかに「ありがとー、嬉しいー」と笑顔をこぼす嘘偽りのない顔。
そして、どこかの夢の国のハチミツが大好きな熊のキャラクターを彷彿とさせる、ゆるキャラのようなフォルムはみんなに安心感を与えてくれる。
戸田さんは、愛されおじさんだ。
本当に、戸田さんにはずっとここの店長でいてもらいたい。
「みんなでケーキ食べよー!」
戸田さんはそう言うとキッチンの方に向かって行った。
その時。
「あれー?どうしたの?」
キッチンから戸田さんの驚いた声が聞こえてきた。
真春は振り向いた時、目を疑った。
戸田さんと一緒に、清水さんがやってきたのだ。
「おう、みんな!久しぶりだな!」
なぜここにいる?
一気に酔いが覚めた気がした。
真春は優菜に気付かれないようにさやかを見た。
さやかも驚いた顔をしている。
「清水さんなんでここにいるのー?」
高校生のうちの1人が「ウケるんだけど」と言って笑った。
「たまたま近く通ったからちょっと寄ってみた」
「清水も少しみんなと話していきなよ。あ、車だからソフトドリンクにしろよ」
戸田さんが清水さんに気をつかっている。
「じゃあ、少しだけ。コーラいただきます」
そう言うと清水さんは靴を脱いで座敷に上がり、迷いもなく優菜と香枝の向かいに座った。
優菜はいつものテンションで清水さんに絡んでいる。
いや、やや高めか。
とても嬉しそうに見える。
香枝も、あの頃清水さんに接していたのと同じ態度だ。
そもそも清水さんはなぜこんな深夜にお店の近くを通ったのだろうか。
閉店している時間なのに。
誰かがいるとは考えられるはずもないのに。
きっと、優菜が連絡したに違いない。
そうとしか考えられない。
だからあんなにバッチリメイクなのか?
真春の妄想に拍車がかかる。
みんなブログのことを知っているからか、それとも自分が敏感すぎるのか、清水さんが来てから恐ろしく空気が重い。
周りのテンションが急激にトーンダウンして、全てが冷ややかだ。
そんな中、何も知らない優菜のうるさい声だけが店中に響き渡った。
さやかはこの間の宣言通り、大人な対応で優菜と接していた。
そして、清水さんとも以前と変わらない態度で接し、その場の笑いを誘っていた。
戸田さんの会なのに、一瞬で空気が悪くなった気がして真春は少し嫌な気分になった。
「ケーキ食べましょー」
未央が何かを察したのか、取り分けられたケーキのお皿を真春の前に置いた。
「ありがと」
真春は、いつの間にか泰貴の横に来て軽くいちゃついている南を横目に、アルコールで満たされた胃にケーキを流し込んだ。
美味しいケーキなのだろうけど、甘いものはアルコールと一緒に摂取するもんじゃない。
そもそも真春は甘いものがあまり得意ではない。
半分だけ食べて、甘いもの好きの未央に譲ってまたビールに口をつけた。
「真春さん、甘いの嫌いでしたっけ?」
「うん、あんまり好きじゃない」
「えー。もったいない」
「女子力に欠けるなーってすごく思う」
「スイーツ好きだけが女子の魅力じゃないっすよ」
未央が笑いながら言った。
真春は変な空気をぼやんとした目で見ながら、無心にお酒を飲み進めた。
知らないうちに顔が赤くなっていたようで、高校生たちに「真春さんカワイイ!」とからかわれる。
席は完全にバーベキューの時と同じと思われるシチュエーションになっていた。
清水さんが来てからしばらく経つと、ようやくいつもの空気になり、騒がしさも戻ってきて真春は高校生と未央とどんちゃん騒ぎしていた。
「暑いー。ちょっと外行ってくる」
真春はフラフラしながら事務所を通り裏口を出ると、階段の下まで行かずに、その場で壁にもたれかかって座りながらタバコに火をつけた。
外はひんやりとしてた。
座敷が暑かったので丁度いいくらいだ。
半分くらいタバコを吸ったところで、ドアが開く音がした。
誰かタバコ吸いに来たのかな。
そう思って目を向けると、そこに立っていたのは香枝だった。
「わぁ!びっくりした!」
香枝は真春を見下げて笑った。
いつもの香枝だ。
「真春さん、灰皿下ですよー。階段も降りられないくらい酔っ払っちゃったんですかー?」
「降りるのめんどくさくて。てかどうしたの?もう帰るの?」
外に来る用なんてないはずなのに、どうして来たのだろうか。
真春の言葉に、香枝は困ったような、何か言いたげな顔をして口を開いた。
「真春さん…あたし…」
真春は地面にタバコを押し付けて火を消した後、香枝を見上げた。
「もう、優菜に普通に接せられない」
香枝はそう言って俯いた。
そして、真春の隣にぴったりとくっついて体育座りした。
今までこんなにストレートに自分の気持ちを言ってくれることはなかった。
ちょっと酔っ払っているのかな。
「んー…でもさ、今日一緒に来てたし、普通に喋ってたじゃん!全然不自然に見えなかったよ」
「そうだけど…。表面では平気。でもやっぱり心の中が無理。付き合ってるならちゃんと言って欲しかった。言ってくれなかったのがショックで…。未だに聞いてないし」
いっそのこと、このままこの間の質問を全部しようかと考えた。
しかし、香枝本人から清水さんのことが好きだったとは聞いていない。
あれは優菜が言ったことだ。
さすがに言えない。
「そうだよね、香枝と一番仲良いのに言ってくれなかったのは傷つくよね」
真春がパーカーのポケットに手を入れたその時、パーカーの肘の部分をギュッと握られるのが分かった。
香枝が無言で掴んだのだ。
顔は俯いていて見えないが、きっと涙をこらえているのかもしれない。
「…もう……やだ」
聞き取れないくらい小さな声で香枝が言う。
白々しく何事もないかのように接してくる優菜の姿を思い出す。
付き合っていた事を隠されていたのがショックというのはそれはそれで本心だろう。
しかし、もっと重要なのは香枝が清水さんのことが好きだったということだ。
香枝が清水さんのことが好きだという恋心を知っていながら、優菜はその本人の目の前で堂々と楽しげに恋人として清水さんと接しているのだ。
香枝からしたら、見るに耐えない光景だ。
ブログを知らなければ2人が付き合っているなど、みんなは全く知らなかっただろう。
しかし残念ながら、バレていないと思っているのは当の本人だけだ。
その姿がどれだけ周りを不快にさせ、そして香枝をひどく傷付けているか、その気持ちは優菜と清水さんは全く知らない。
今日、今この瞬間もだ。
「もうバイト辞めたい…。優菜と働きたくない」
「香枝、そんなこと言わないで」
なんて無責任な発言なのだろう。
何もいい言葉が見当たらず、真春はそれしか言えなかった。
「…もう、やだよ。あたし疲れた」
香枝がどんどん小さくなって、消えていってしまうんじゃないかと真春は思った。
「香枝…あたしがいるから、大丈夫。あたしは香枝の味方だよ」
どこから来た自信かはわからないが、そんな言葉が口から飛び出た。
自分が味方だからなんなのか、香枝が救われるのかどうかはわからない。
真春は香枝の頭を撫でながら「大丈夫だよ」と言った。
「真春さん…」
涙目の香枝に見つめられ、一瞬、ドキッとする。
「…ごめんなさい」
なんで謝られてるのかよくわからなかった。
沈黙が訪れた時、香枝を抱きしめたい衝動に駆られた。
しかし、そんなことはできない。
香枝はきっとそんなこと望んでいないし、きっと変に思われてしまう。
今の香枝との関係上、慰めるように頭を撫でるだけで、それだけでいいんじゃないかと、真春は自分の気持ちを押し殺した。




