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にじいろの煙  作者: 芝みつばち
4/19

秘密

次の日の土曜日、真春は昼過ぎに起きた。

頭がガンガンする。

昨日はかなり飲み過ぎた。

ベッド横の窓を開けると、乾いた心地良い空気が部屋に流れ込んだ。

昨日の実習の記録やらなきゃ…と頭が語りかけるが、身体のスイッチが入らない。

再びベッドに寝そべり、ゴロゴロと寝返りを繰り返しようやく部屋から出たのは13時半。

ズシリと重い、二日酔いの身体をリビングまで運ぶ。

それだけで疲れる。

リビングには誰もいない。

両親は共働きで平日はほとんど家にいない。

休日は、仕事の日もあれば父親は会社の人と釣りに行ったり、母親は買い物やランチなどによく出掛けている。

たまに2人で出掛けたりもしているようだ。

真春は大学に入ってから休みの日はバイト三昧なので、家族で出掛けることはめっきり減ってしまった。

ため息をつきながらコップ一杯の水を一気に飲む。

胃に冷たい水が入っていくのがわかった。

この水と残ったアルコールは、あとどれくらいで排泄されるのだろうか。

病院の実習でやられた脳はそんなことしか考えなくなっていた。

コーヒーを淹れ、マグカップを片手に部屋に戻ると携帯のランプが光っているのが目に入った。

メールボックスを開くと、香枝からだった。

なぜか、心臓がドゴンと音を立てた。

『真春さん!おはよーございます!昨日はめっちゃ楽しかったですね!また飲み行きましょ★』

すごくすごく嬉しかった。

ただの香枝からのメールなのに特別に感じた。

『おはよ。完全に二日酔い!頭痛いー!また飲みに行こうね』

すぐ返信した。

なんでだろ。

今まで香枝と普通にメールしてたよね?

昨日、しがみついたり抱きついたりしてきたのは、酔っぱらってたからだよね?


「香枝、真春さんとバイトかぶってるとテンション高いですよ」


未央の言葉を思い出す。


「香枝はほんと白石のこと好きだよね」


泰貴の言葉を思い出す。


「真春さんは憧れです!なんか、いいなって思います」


香枝の言葉を思い出す。


真春の頭を言葉たちがぐるぐる支配してくる。

昨日、香枝にキュンとした。

ドキドキした。

まるで片思いしているかのようだった。

…いやいやいやいや、待て待て待て待て。

それはない。

あってはならない。

自分には彼氏がいる。

それに女同士だなんてありえない。

そもそも、1度頬にキスしたくらいがなんだ。

スキンシップがなんだ。

友達同士ならよくある話ではないか。

コーヒーを一口飲み、記録をやろうと思い机に向かうが、やる気出ないし集中できない。

無性にハラハラする。

真春はとりあえずタバコを吸って落ち着くことにした。

部屋の窓から上半身を出しタバコに火をつける。

今日は秋晴れ。

空が高いな、と思う。

雲一つない空に飛行機雲が走っている。

空を眺めて心を落ち着かせる。


―――香枝…。


真春はハッとなって、飛行機雲から周りの住宅街へ視線を逸らした。

昨日、香枝に一瞬でもドキッとしたことで自分はなんでこんな気持ちになっているんだ。

そんなに気にする事ではないんじゃないか。

香枝が自分の事を慕ってくれているということを知っているから、自分は調子づいているんじゃないか。

そうだ、そうに違いない。

そうに決まっている。

この間買ったフタ付きの缶コーヒーの空き缶に短くなった吸い殻を捨てる。

ジュッ…と火が消える音がした。

窓を少し開け放したままにして、深呼吸して机に向かう。

教科書やプリントを見ながら記録を進めた。

あれから2、3通香枝とやり取りをし、夕方頃メールは来なくなった。

夕方からバイトらしい。

メールが途切れると、例えようのない寂しいような気持ちに襲われた。

これが寂しいということなのか、そうでないのかよく分からない。

でも、寂しいという言葉が一番しっくりくると思う。

真春は『じゃあまた明日バイトで!いってきまーす!』と香枝から来た最後のメールを意味もなく眺め続けた。


翌日の日曜日、11時に出勤しホールへ向かうと、入口の看板を"open"にして戻ってきた香枝がいつもの優しい笑みを向けて「おはようございます」と真春に挨拶した。

複雑な気分だった。

キスをした香枝の頬…。

考えただけで気がおかしくなりそうだ。

そんなことを考えている自分に反吐が出そうになる。

今日はラストまで香枝と一緒だ。

いつもならなんとも思わずにいられるのに、やっぱりなんだかおかしい。

あの日から完全に真春は香枝のことを意識してしまっている。

昨日は、そんなはずはない、気のせいだと思っていたのに、本人を目の前にしてしまったら息がしにくくてたまらない。

この気持ちを勘違いや気のせいとは言わないだろう。

真春はふわふわした意識のまま仕事をしていた。

「白石さんと永山さん、そろそろ休憩入っちゃって」

15時、戸田さんがステーキを切りながらのんびりした口調で言った。

今日に限って、香枝と一緒だなんて。

「はーい。真春さん、行きましょ!」

香枝がパントリーでシルバーを拭いている真春の隣に来た。

「これ片付けてから入るから、香枝先行ってて」

真春が言うと、香枝は少し考えたあと「あたしも手伝います」と言って乾かしてあったタオルを手にとってシルバーを拭き始めた。

「ありがと」

「いーえー」

いつもならくだらない話で盛り上がるのに、今日は頭の中が真っ白だ。

何を話そう…。

「真春さんまかない何食べます?」

香枝はいつもと変わらない口調だ。

「えっ?あー…カレーにしようかな」

「えー?またカレーですか?真春さんいつもカレー食べてる」

香枝がやわらかく笑う。

そんな笑顔にもキュンとした。

「あはは、よく見てるね」

「えへへー。真春さんのことなら何でも知ってますよ」

さり気なく言っているんだろうけど、香枝は人を喜ばせるのが上手だ。

いい子だな、と純粋にそう思う。

そして、また穏やかならぬ気持ちになる。

シルバーを拭き終え2人で休憩に入り、仲良くカレーを頬張るが真春はうわの空のまま香枝と会話していた。

ようやく喫煙所で1人になった時、煙を吸って吐き出したのが大きなため息のようになってしまった。

昨日と同じ、清々しい秋晴れ。

真春の心はどんよりだ。

こんなんじゃダメだ。

しっかりしろ自分。

きっと、一時的なものだ。

真春はなるべく気にしないようにしようと強く自分に言い聞かせた。

ディナーは日曜日だというのに全然お客さんが来ず、香枝は21時で上がることになった。

優菜と2人で仲良く事務所に戻っていく後ろ姿を目で追う。

「どーしたんすかー、真春さん」

未央が2枚のお皿を乗せたトレンチを持って裏に戻ってきた。

「へ?なにが?」

「今日、テンション低くないですか?」

「そう?いつもと変わらないよ」

「そーっすか」

真春は未央が持っていたお皿を「ラストまでだからもらっちゃうね」と洗い場に持っていきながら言った。

「洗い場先に片付けるから」

「お願いしまーす」

ラストが1人になってしまったので、暇といえど効率よくやらなければ帰れない。

戸田さんも別のことで忙しそうだし。

22時になり真春以外上がってしまったので一度ホールに出ると、お客さんは1組の夫婦だけだった。

本当に日曜日なのかと疑いたくなる暇さだ。

順調に締め作業を終えて、最後のお客さんである夫婦を見送ったあと、真春はキッチンで翌日の仕込みをしている戸田さんに声を掛けた。

「ノーゲスですよ、戸田さん」

「やばいねー、今日。こんな日曜日もあるんだねぇ」

戸田さんはやんわり笑いながら言った。

あと30分お客さんが来なければ、今日のお勤めはおしまいだ。

意味もなくホールを巡回し、座敷の座布団を揃えていた時、事務所から声が聞こえてきた。

座敷席のすぐ近くには事務所に繋がる扉があるので、騒いでいたらお客さんに丸聞こえなんてこともよくある。

まだ帰らないで何人か騒いでいるようだ。

お客さんもいないので、チラッと顔を出そうと思ってドアノブに手を掛けた時、未央の声が聞こえてきた。

「香枝めっちゃ酔っ払っててホントにヤバかったんだから」

「いいな、いいなー!優菜も行きたかったー」

「優菜も今度行こうよ。でも、ソフトドリンクだよ?」

ケラケラと笑いが起こったあと、突然事務所のドアが開いた。

次の瞬間、目の前に香枝が現れて、自分の顔と香枝のそれがほんの数センチの距離まで近づいた。

真春は硬直してしまった。

「わぁっ!真春さん!ビックリしたー!すみません」

香枝はケタケタ笑って一歩下がった。

「ご、ごめん!声が聞こえたからまだみんないるのかなーって思ってドア開けようとしてた」

「もうノーゲスですか?」

「うん」

心臓がドクドクと血液を送り出すたびに、その鼓動に合わせて顔がどんどん熱くなるのが分かる。

なんで、なんで。

「締め作業まだ途中だから戻るね。お疲れ」

真春は香枝の次の言葉も聞かずに、意味もなくドリンクバーの方に向かって行った。

だめだ、こりゃ。

ため息が出た。

結局お客さんは来ず、「あとは俺がやっとくから」と戸田さんが言ってくれて、真春は23時で上がった。

事務所にはもう誰もいなくて、さすがにさっきいた香枝達も帰ったようだった。

更衣室で着替え、携帯を確認するとメールが来ていた。

彼氏の桧山恭介からだ。

恭介とは高校生の時に好きなバンドのライブで知り合い、何度か会ううちに自然と惹かれ合ってかれこれ2年くらい付き合っている。

本当に気の合う、よきパートナーだ。

真春は昔から誰かを好きになることがなくて、今まで付き合ってきた人も「これから好きになれればいいな」という感じで付き合ってきた。

恭介も最初はそうだったが、今は大切な人だし側にいたいと思っている。

しかし、世の中の女子と比べたら砂漠地帯のようにサラッとドライなお付き合いであることは認めざるを得ない。

「真春は俺よりもサバサバしてるよね」と言われるが、そんなところが好きだと恭介は言ってくれる。

そんなドライな自分がこんなに胸を痛めるほどの思いを抱くなんて。

しかも同性に。

真春は何も考えないようにして、恭介からのメールを開いた。

『木曜日、実習終わった後空いてる?』

実習が始まってから恭介とは会っていなかった。

恭介とは月に1、2回のペースで会っているが、少な過ぎだと周りからはよく言われる。

お互いにそれで満足しているのだからいいだろう、と真春はその言葉に内心イラッとしていた。

それに、大学も違うし住んでいるところも電車で2時間近くかかる所にあるので、そう頻繁には会えない。

いつも会う時は、中間地点で待ち合わせている。

『うん、空いてるよ。またあそこのバーに行く?』

"あそこのバー"とは、よく2人で遊ぶ中間地点にある、お洒落なバーのことだ。

その街はライブハウスや古着屋が多く、たくさんの若者でごった返している。

そのバーに限らず、周辺の飲み屋もミュージシャンや美容師、アパレル関係などに関わっている人ばかりで個性的な人が多く小洒落た雰囲気がムンムンと漂っている。

恭介と何度かその街に行くにつれて、真春はその独特な雰囲気がすっかり気に入っていた。

いつも行くバーもまた、雰囲気が良く、かつ安いので2人のお気に入りのお店となっていた。

『いいね。じゃあ実習終わったら連絡ちょうだい』

恭介からのメールに了解の返事をし、真春は携帯をスウェットのポケットに入れた。

「戸田さん。お疲れ様です」

キッチンで明日の準備をする戸田さんに声をかける。

「はーい、お疲れ様!気を付けてね」

戸田さんは優しく笑って手を振った。


木曜日。

3週間にも及んだ慢性期の実習が無事に終了した。

「白石さん、大変だったけどよく頑張ったわねー」

最終日のカンファレンスを終えた後、実習担当の先生が真春に昨日の記録を渡しながら言った。

成績の悪い真春にとって先生からの褒め言葉は神様からのプレゼントのようだ。

「ありがとうございます」

真春は「お疲れ様」と言って去って行った先生に頭を下げた。

この実習が終われば1週間休みで、また次の実習が始まる。

その間に今回の実習のレポートを完成させなければならない。

明日は祝日で休みなのがラッキーだ。

1日多く遊べる、と真春の心は浮き足立っていた。

「白石、レポートちゃんと書けるー?」

いつも真春をおちょくる男子、大橋将人が真春の顔を覗き込んできた。

せっかくのウキウキ気分が一気に台無しになる。

「うるさいな!レポートくらい書けますー」

大橋はいつも人のことを小馬鹿にして陰で笑っている最低な性格のやつだ。

女子よりもネチッこくて、面倒臭い。

真春の一番嫌いなタイプだ。

頭が良くて、顔もまあまあなので、それがまた癪に触る。

「余裕ぶっこいてるとまた『ヤバイんだけどー』って言うのがオチなんだから、しっかりー!」

真春の真似をする大橋を睨みつけ「余計なお世話ですー」と言って真春はロッカーに戻った。

着替えを済ませて学校から駅に向かう途中で、恭介に連絡をする。

返事はすぐに返ってきた。

『久しぶりに会えるの、楽しみ』

恭介からのメールを見て、真春は自然と笑顔になった。


19時5分前に駅に着くと、改札の向こう側で背の高い黒髪の男が携帯を片手に辺りをキョロキョロと見回していた。

そして、真春を見つけるとマウンテンパーカーの下の顔がニコッと微笑んだ。

「お待たせ」

「実習お疲れ様ー。なんか、痩せた?」

恭介は穏やかな口調で言い、優しいタレ目で真春の顔を覗き込んだ。

「痩せたってか、やつれたかな…」

「そんな大変なんだ。でも、明日休みでしょ?」

「うん、休み。だから今日はとことん飲む!」

「お、負けませんよ」

「勝つとか負けるとかじゃないから」

2人で笑い合う。

「それじゃ、行きますか」

恭介と真春は人混みをかき分けながら目的のバーへと向かって行った。

10分程歩いたところにそのバーはあった。

明日が祝日ということもあって、店内はいつもよりも混み合っていた。

2人席に案内され、先にビールを2つ注文する。

「すごい混んでるね」

「明日休みだからね。そうだ、実習の話聞かせてよ」

「もう、ちょー大変だったの」

ビールが運ばれてきて乾杯した後、真春はダムが決壊したかのように喋り続けた。

まだたった3週間しか終わっていないのに、先が思いやられる。

2週目の実習で患者さんが急変したという話をしたところで、真春は香枝からメールが来た時のことを思い出した。

「…真春?」

「へ?」

知らぬ間に沈黙してしまっていたようだ。

恭介が「なにいきなりボーッとしてんの?もう酔っ払った?」と笑いながら言った。

「あ、いや。ごめん。疲れてるから、酔いが回るのが早いのかも」

真春は運ばれてきたポテトを食べて、あははと笑った。

そして一気にビールを飲み干し「でも、今日は飲まずにはいられない!」と言って近くを歩いていた店員に「ビールください!」とジョッキを手渡した。

恭介の前で、香枝のこと考えてフリーズするなんてどうかしている。

気にしないようにすればするほど、思い出すたびに気持ちがどんどん大きく膨れ上がる。

もう、異常だ。

真春は上の空でビールを飲み続けた。

恭介の話も聞いているようで、聞いていなかった。

なぜか、香枝のことで頭がいっぱいになっていく。

「そういえば、バイトどう?面倒臭いことになってるとかって言ってなかったっけ?」

いつだか恭介に、優菜がお店を仕切っていて高校生たちが優菜のことを嫌っているという話をしたことがあった。

恭介からバイトの話が出たこのタイミングで、香枝の話をしてみようと真春は酔った頭で考えた。

もちろん、存在を伝えるだけで特別な感情を持ってしまったかもなんてことは口が裂けても言えないし、言うつもりもない。

「あれね。店長が変わってから少し落ち着いたけど、一度嫌われちゃうとなかなかねー…」

真春は5杯目のビールを半分まで飲み「それより、関係ないんだけどさ」と言ってさりげない感じで話し始めた。

「バイトの子でね、すごい可愛い子がいるの」

言ってしまった。

「へー!どんな子?可愛いって顔が?」

「うーん…顔はまあまあなんだけど、すごくほんわかしてて、いかにも女子って感じの子なんだけどね。仕草とか、話し方とかが可愛いの」

「そーなんだ!女子から可愛いって言われる子ってポイント高いよね。つーか、真春が可愛いって言う女の子ってみんなレベル高いよね。てことは、その子もそうなんだ」

真春は可愛い女の子がいると、すぐに目で追ってしまったり「可愛いなぁ…」と思ってしまう。

イケメンな男より可愛い女の子の方が好きだ。

しかも、かなり可愛い子ではないとそうは思わない。

しかし、香枝はそこまで可愛いかと言われたらそうでもない。

普通だ。

なのになんでこんなに可愛いと思ってしまうのだろうと心の片隅では思っていたが、香枝のどんなところに惹かれたのか、今、口からスルスルと出てきた言葉が全てを物語っているように思えた。

惚気ているように見えていないだろうか。

「でもさ、ぶりっ子とか思わない?女同士って、そういうの見てぶりっ子って言うだろ?」

アルコールでひたひたになっている脳で少し考える。

言われてみれば、そうかもしれない。

真春は一瞬、何かが腑に落ちた気がした。

「あー…。若干、あるかも」

思ったことがそのまま口を突いて出た。

「でも、男に対してだけご機嫌取りみたいなのするのがぶりっ子でしょ?香枝はそういう事はしないよ。…ま、男と楽しそうにしたり何人かで遊びに行ったりはしてるみたいだけど」

「ふーん。香枝ちゃんって言うんだ。今度会ってみたいなぁ!」

恭介は6杯目のビールを飲み、新しいものを注文した。

「恭介飲むの早すぎ」

「えー。だって真春に負けたくないもん」

「なんの勝負してんの」

また笑い合った声はさっきより大分大きかったと思うが、周りの騒音に掻き消されていた。

耳もバカになってきて、音がボワンボワンと頭の中でハウリングしている。

気付いた時には、終電はとっくになくなっていた。

「終電なくなっちゃった…」

「真春の計算だろ?」

お店から出てあてもなく夜道を歩き回りながら恭介はニヤニヤした。

「何言ってんの」

「はは。うーそ。真春と会うの久しぶりだし、帰りたくなかったんだよね、俺」

恭介はたまに素直に照れ臭い言葉を口にする。

こういう時、真春はいつも黙ってしまう。

甘い空気が苦手なのだ。

恥ずかしくて、どうしたらいいか分からなくなってしまう。

「もう一軒行こ」

恭介はそう言うと、真春の左手をギュッと握った。

あまり手は繋がない方なので真春は驚いた。

同時に少し胸がチクンとした。

やっぱり、恭介のことがちゃんと好きだ。

真春は恭介の手を握り返した。


11月に入った頃から、スタッフの間で高校生の優菜嫌いに追い打ちをかけるような噂が広まっていた。

「優菜と清水さんのこと、知ってる?」

金曜日の勤務後、奈帆と帰りが一緒になり喫煙所で話していた時、冷静な口調で聞かれた。

あのド田舎に行ってしまったチャラ男の清水さんがなんで今更、と真春は首を傾げた。

まだまだ実習中の真春はバイトに入る回数も少なく、優菜とその他の高校生たちとシフトが被るたびに両者の機嫌を伺いながら働いていた。

正直、誰が誰を嫌いだろうが関係ないと思っているが、なるべくなら波風立てずに穏やかに過ごせる方がいいに決まっている。

「優菜と清水さんがどうかした?あたし、実習で全然シフト入ってないから何も知らないや」

「あ、そっか!…なんか、付き合ってるって噂なんですよ」

「え!なんでそんなこと分かったの?」

「優菜が自分のブログにそんなような事を書いてるんですよ」

「ブログ?そんなのやってるの?てかよく見つけたね」

真春は「くだらなー」と言って煙を吐き出した。

「そう、くだらないんだけどさ。ちょーくっだらないんだけど…。なんかもうホントにイラっとすると言うか、なんて言うか」

奈帆は苛立った口調で話しながらタバコに火をつけた。

優菜のことをよく思っていないから、話に尾鰭がついてありもしないことがでっち上げられているのかもしれない。

そもそもそれが優菜のブログだという根拠はないのだろうと、真春はあまり重く受け止めなかった。

しかしその考えが間違いだったということは、すぐに証明された。

翌日のランチ後の休憩中、バイト後に宅飲みしようとさやかに誘われ、真春はやや高めのテンションで働いていた。

「好きなお酒持ってきて。うちにも少しあるけど、足りないと思うから」

ランチだけのシフトだったさやかは、帰り際に真春と香枝にそう言った。

今回はさやか、香枝、真春の3人でのお酒の席だ。

なぜこのメンバーなのかと聞いたら、「他にも声掛けたけど、みんなダメだったから」ということだった。

シフトにあまり入っていない分、香枝と一緒に働くことも少なかったので、真春の浮ついた心は少しずつ平常を取り戻していた。

だから、バイト後に2人でさやかの家に向かうのもなんとも思わなかったし、むしろ以前のように楽しく話すことができた。

21時半、お酒の入ったコンビニの袋を持ってさやかの家にお邪魔する。

店の近くの2DKのアパートでひとり暮らしをしているさやかの部屋は白を基調にとても綺麗に整頓されており、お洒落なインテリアが色々置いてあって、さすが、デザイナーを目指している人の部屋といった感じだ。

テレビ台の横に置いてある間接照明がこなれ感を演出している。

「2人ともお疲れ様!飲も飲もー!」

白いキレイなテーブルに用意された3つのグラス。

3つとも梅酒が入っている。

さやかは梅酒が大好きらしい。

真春と香枝は梅酒の入ったグラスを手に取り「お疲れ様です」と言ってさやかとグラスを合わせた。

最近、よく飲むようになったなと思う。

学校の話や、さやかのデザイナーの勉強の話、バイトの話などで盛り上がり、お酒も進んできた時、さやかが「あのさ」と改まった口調で真春と香枝に言った。

「なんですか?」

「優菜と清水さんのこと、聞いた?」

「あー、あの根拠のない噂ですか?ブログとか本当なんですかね?なんか、嫌いだからって勝手に言ってるのかなってちょっと思ってましたけど…」

あまりよく思っていなかった話題だったので、真春は酔っ払った勢いでつい口調が荒くなってしまった。

「あ…すみません」

さやかはふふっと笑って「真春はきっとそう思ってると思った」と言った。

「でもね、残念ながら本当なんだなー。これ見て」

自分の携帯を差し出したさやかは「びっくりするよ」と言って真春と香枝の顔を交互に見た。

画面にはブログが映し出されていた。

これが、噂の優菜のブログか。

真春と香枝は最初のページからバカ丁寧に読みふけった。

優菜と思われる人物はブログの中で、清水さんと思われる人物のことをたっくんと呼んでいた。


たっくんに香水をもらった。

たっくんとドライブに行った。

たっくんとご飯を食べた。

たっくんと電話した。

たっくんが迎えにきてくれた。


そして、9月10日の記事を見て真春は愕然とした。

『今日、1ヶ月記念日って言ってたっくんがプレゼントくれた!やっぱりたっくんと付き合ってたみたい!やっとハッキリできたよ。すっごく嬉しかった!てことで、8月10日は2人の大切な大切な記念日でーす♪』

何も言えなかった。

優菜が夏頃からずっとつけているネックレスと全く同じ物の写真が載せられていたのだ。

他にも、髪を切ったとか染めたとか、顔は出さないものの、優菜そのものだったので本人だと信じざるを得なかった。

あの夏休み、2人はそういう関係になっていたのだ。

香枝の恋心を知りながら、優菜は何事もないように毎日を過ごしていたのだ。

「あたしその日、優菜と遊びに行ってましたけどね」

香枝の言葉に、氷よりも冷たいものを感じた。

さやかは香枝の気持ちなどもちろん知るはずもないので「まだ続きがあるから読んで読んで」と促した。

読み続けたいところだったが、香枝を傷付けるには十分すぎる内容で溢れかえっているブログを、真春はこれ以上一緒に眺める気にはなれなかったので、URLを転送してもらった。

「てか付き合うのってダメなんじゃ…」

「そう!そうなの!」

さやかは声を上げた。

「あたしゃショックだよ、清水さんがそういうことするなんて。ま、あんな見た目だしやっぱりなって思うところもあるけどさ。でも絶対バイトには手を出さないって言ってたし、上からも禁止されてんのに…。てかもう店と関係ないんだから、これ以上関わんないでって感じ」

さやかは一息ついて言った。

「それにもう、優菜にも幻滅だわ」

確かに優菜も優菜だ。

禁止と分かっていながら付き合うなんて、確信犯もいいところだ。

ブログには"付き合ってたみたい"と書いてあったが、あの他人事のような物言いはなんなんだろう。

自分はあくまで"受け身"である、罪はないと言っているように見える。

「優菜とはもう普通に接せられなさそうだわ」

さやかは言った。

「……」

「そりゃそうだよ。今まで誰にも言わずに隠し通してきてさ。しかも掟破りだし。それに、店を仕切ってる感じもなんか許せないし。彼女だってことをいいことに、清水さんに色々教えてもらって社員気取りで牛耳っちゃってさ。調子乗ってるよ、完全に」

マシンガントークのさやかに、真春と香枝は何も言えなかった。

いくらさやかの前だけ従順であったとはいえ、噂は四方八方から入ってきていて、さやかも優菜の行いには気付いていた。

分かっていながらここまでやってきたのだろう。

そしてさやか曰く、バイト仲間のほとんどは優菜のブログを知っている。

この件のせいで仲が壊れていくのだろうか。

真春は香枝の顔を直視することができなかった。

汗をかいたグラスを手に取り、梅酒を一気に飲み干しながら視線を向けた時、香枝は無表情で携帯の画面を見つめていた。

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