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にじいろの煙  作者: 芝みつばち
15/19

カウントダウン

雨にも負けず咲き誇った桜は、1週間が過ぎる頃には緑に変わっていた。

4月も半分終わろうとしている。

後半の実習ガイダンスと国家試験対策授業のために学校に行くと、久しぶりに実習のグループの仲間達に会った。

もちろん、真春が敵対視している大橋にもだ。

嫌味のひとつでも言われるかと思いきや「白石、髪の毛めっちゃ伸びたねー!」と想像もしていなかった絡まれ方をしたので拍子抜けしてしまった。

今日は9時から実習ガイダンスが1時間、その後10分休憩を挟んで対策授業が行われた。

試験の流れの説明と心得を聞いた後、早速ホチキス留めされた分厚いA4用紙が配られた。

両面コピーで10枚…ということは、20ページ分の量だ。

縦向き印刷で1ページにパワーポイントの画面が2つ、上下に刷られている。

パラパラとめくって内容を見てみるが、こんなのやったっけ?というものばかりだ。

なんとなく国家試験の勉強始めなきゃな、とは思っていたが、かなりナメていた。

先生は全員に資料が配られたことを確認すると、教室の電気を消してスクリーンにパワーポイントを映し出した。

真春は漠然とした不安を抱えながらスクリーンを眺めた。


翌日の夕方、いつものようにバイトに向かうと奈帆が喫煙スペースでタバコを吸っていた。

背を向けていたが、バニラの香りで誰だかは分かった。

「おはよ」

華奢な背中に声を掛けると、紺色のパーカーを着た奈帆がゆっくりとこちらを向いた。

「あ、おはようございます」

この間律の話をして以来、奈帆と会うのは初めてだ。

あれから、奈帆は律と何か話したのだろうか。

ここ最近、バイトに来る度に憂鬱とはまた違った重苦しい気持ちになる。

幸せだと思うその先には、何もないことは分かっている。

このままでいいわけがない、と何度も何度も思うのに、そこから逃げる自分が心底嫌いだ。

「奈帆、あのさ…」

「はい?」

「今日、終わったら話したいことあるんだけど、いい?」

奈帆の表情がいつもと違ったように見えたのは何故だろう。

自分の心が弱って萎みきっているからそう見えるのだろうか。

「はい。終わったらゆっくり話しましょ」

何の事だか分かっているような口調で驚く。

いつものようにハイテンションで「真春さんがそんなこと言うの珍しいっすねー!」とか言われるかと思ったら、真逆の反応だったので調子が狂う。

奈帆もこういう表情、するんだな。

「うん…ありがと。まだ休憩?」

「そろそろ戻りますよ。あと1本吸ったら」

「そっか。じゃあまたあとでね」

真春は奈帆に手を振って、震える足で裏口からお店の中に入った。


何か目的があると、時間が過ぎるのがひどく遅く感じる。

スローモーションで仕事しているのかと錯覚してしまいそうだ。

真春はこれから奈帆に話すことを考えながら働いていたので、終始うわの空だった。

平日ということもありお客さんの入りはあまり良くなかったので、必要以上に色々なことを考えてしまう。

暇はネガティブを作り出すのにもってこいの時間だ、と無意味に汚れていないサラダバーのカウンターをダスターで拭きながら真春は心の隅で考えた。

やっと22時になり、真春と奈帆はラストまでのさやかを残して上がった。

そそくさと準備を終え、裏口から出る。

階段を降りながら奈帆が「話ってなんですか?」と言い、振り返って真春をチラッと見た。

下まで降りて喫煙スペースに向かう奈帆の背中を見る。

タバコを吸う気になれなくて、真春は階段の側に立ち尽くした。

「この間の話の続き…」

そう言うと、奈帆は立ち止まって数秒後、こちらに戻ってきた。

「律になんか言われました?実は最近、そんなに話してなくて」

「何も言われてないよ。今日は律じゃなくて…あたしの話」

自分の声が耳を通って脳天に響き渡った。

もう後戻りはできない。

高速で脈打つ心臓を押し潰したい衝動に駆られる。

「…真春さんのことですか?」

「うん。前に、あたしに香枝とのこと聞いてきたでしょ?」

奈帆は何も言わなかった。

何かを期待しているような、不思議な表情をしている。

真春は頷いた後、大きく息を吸って、吐いた。

「あたし、多分…ってか、多分じゃなくて…本当に、香枝のことが好き」

同性を好きになってしまったと悩んでいるなんて思われたくなかったし、なんだか恥ずかしかったので、"多分"と濁した言葉が出てきてしまったが、これから話すのにそんな曖昧な表現はよくないと思い、真春は急いで訂正した。

「好きなら好きでいいじゃん」と背中を押されてここまで来たが、濁して伝えてしまうあたりがやはり後ろめたい気持ちの方が勝っているということを表していると思う。

いつまでも、ぐらぐらとした気持ちが渦巻いている。

「え?香枝さんがじゃなくて…真春さんが香枝さんのこと好きなんですか?」

「…そう。でも、香枝があたしのこと好きってことは知ってる」

「誰かに聞いたんですか?」

真春はその問いに首を振り、「直接言われた」と言った。

「告られたってことですか?」

「えっ。あ、まぁ…そういうことになるのかな…」

改めて客観的にそう言われると、不思議な気持ちになると同時に恥ずかしさが込み上げてきた。

「それで?あ、キスなんかしちゃったり?」

奈帆がニヤニヤしながら「どうなんすか?」と真春の脇腹を小突いた。

「ちょっと…やめてよ」

「したの?してないの?」

「…し、したよ」

あーあ、言っちゃった…と心の中で後悔したのも束の間。

「やりますねぇ。で?」

普通の会話をしているかのように奈帆は言った。

そういう話には免疫があるのだろうか。

「この前話した時、奈帆と律は前付き合ってたって言ってたでしょ?それで…奈帆は、最終的にどうしたのかなって思って」

真春が言うと、奈帆は「なるほど…」と呟いた。

「香枝のことは好きってだけで、それ以上は望んでないし考えたくもない。でも、これって香枝に失礼なんじゃないかって思って。キスまでしといて友達でいてなんて言えないし…って思ったら、どうしていいか分からなくて」

奈帆はしばらく考えた後「付き合っちゃえば?」と笑った。

「えっ?!無理だよ…あたし彼氏いるもん。そんな浮気なんて出来ない…」

「キスしたのに浮気できないってなんすか!それもう浮気ですって!」

奈帆は手を叩いて爆笑した。

痛いところを突かれた真春は、何も言うことができなかった。

「なんちゃって…すみません。真春さん、本気で悩んでるんですもんね」

奈帆はバツの悪そうな顔をして沈んだ声で言った。

なんだか自分が情けなさすぎて、何も考えられなくなる。

いや、考えたくないのだ。

見えない結末へのカウントダウンはもう始まっている、と心のどこかでは思っている。

それがいつになるかは自分次第だということも、薄々感じている。

思うだけで何も前に進まない。

でも、もう立ち止まるのはやめたい。

やめたいけど、けど…。

「はは…だよね。あたしって本っ当に最低だ」

「そんなことないですって…」

突然、涙腺が大崩壊しようとしていることに気付き、目の前の景色が濁ったと思った時には、大粒の涙がとめどなく溢れ出していて、真春は情けないくらいに泣きじゃくっていた。

奈帆が無言で背中をさすってくれている。

涙が止まらない。

もはや、なんで泣いているのかも分からない。

「…真春さん。大丈夫ですか?」

「ごめん…」

「ずっと悩んでたんですよね?」

奈帆の優しい声が聞こえる。

「うん…。もう、どうしたらいいのか分からないよ。あたし、香枝に何て言えばいいのかな。テキトーな事言って、香枝を傷付けたくない…」

「今のままじゃ…今のこの状態じゃ、結果的に香枝さんを傷付けることになると思いますよ」

「…へ?」

「曖昧な関係が一番いけないって言ってるんです」

奈帆は強く言った。

「じゃあ香枝を無理矢理引き離せばいいってこと?」

「じゃなくて。ちゃんと説得するんです。ずっと友達でいよう。キスとかそういうことはもうしない。前の関係に戻ろうって」

香枝が自分に恋愛感情を抱いているのは分かっている。

そんな言葉を言ってしまったら、付き合ってる相手に好きなのに別れようと言っているのと同じようなものだ。

身勝手すぎて、嫌われてもおかしくない。

律とのキスを目撃された時のことを思い出す。

もしかしたら、あの時みたいに無視されてしまうかもしれない。

「そんなこと…言えない」

「どうしてですか?香枝さんが傷付くとか思ってるんですか?」

「…」

「…そりゃそうですよね。実際、あたしもそれで律を傷付けました。あたしもその時は結構落ち込みました」

「でも」と奈帆は続ける。

「本当に仲が良ければ、ずーっと一緒にいられます。一緒にいるだけで幸せな気持ちになれますよ。だから、真春さんにとって香枝さんがそういう存在になってもらえるように、説得するべきです」

「…うん」

「はじめのうちは無理かもしれませんけど。律がそうでしたし。しばらく口きいてもらえませんでしたもん」

奈帆は思い出すように笑った。

「律がアメリカ行く直前にそういう話になってね…。本当は律、日本にいたかったのに向こう行かなきゃいけなくなっちゃったから、すごい寂しがってて。そんな時に空気読めないあたしがもう別れようみたいなこと言ったから、大喧嘩になっちゃったんです」

「なんで別れようって思ったの…?」

真春は鼻をすすりながら聞いた。

「んー…恋愛とは違うって思ったから、ですかね」

ふと、奈帆の目に寂しさが過ったような気がした。

「男でも女でもあるじゃないですか。あれ?なんか違うな…ってやつ。簡単に言うとそういうことです。あ、悪い意味じゃないですよ」

それが前に言っていた"人として好き"ということなのだろうか。

「あと、単純に男で好きな人ができたってこともあって。…ま、時間が経てば、何事も時効になるもんですよ。辛いのはその時だけ。言っちゃえば案外スッキリ終わるかもしれませんよ?全部が全部悪い方向に向かうわけじゃないですって」

高校生に慰められるってどういうことだよ、と奈帆と話しているうちに情けないを通り越して、自分に呆れてきた。

でも奈帆は年下だが、苦い経験をしてきた先輩だということには変わりない。

「真春さん」

「…ん?」

「聞こえてます?」

奈帆は困ったような顔で笑った。

「泣いたらスッキリしました?また何かあったら言って下さい。いつでも話聞くんで」

「ありがと…」

奈帆は「1本、吸っていきません?」と明るく言って真春の背中をポンポンと叩いた。

真春は短く返事して喫煙スペースまで向かうと、奈帆の向かいのベンチに腰掛けてタバコに火をつけた。

4月といっても、夜はまだまだ肌寒い。

タバコの先端からゆらゆらと立ち上る煙は濁った色をしていた。


奈帆と別れて1人になった帰り道、さっき言われた言葉をふと思い出す。

これ以上、こんな関係はだめだ。

こんな風になるなら好きにならなきゃよかった、好きという気持ちを押し殺して普通の関係でいればよかった、と思ってしまいそうになる。

でも、それはちょっと違う気がする。

次に香枝に会った時、この気持ちを伝えなければ…。

そう思ったが、次に会えるのは実習が始まってからだ。

そんな余裕、ないかもしれない。

気付いたら真春は携帯の電話帳を開いて永山香枝の番号を呼び出していた。

いつもより大きく聞こえる呼び出し音。

どうか出ないで、と心のどこかで思ってしまう。

逃げ出しそうになる心をひっ掴み、無理矢理その場に押し付ける。

無風の空に、ぽつんと細長い三日月が見える。

『わー!真春さん!どうしたんですか?今日はバイトだったんですか?』

意外と早く電話に出られて、真春は焦った。

「あっ…うん、バイトだった」

『お疲れ様です!なんか久しぶりに話す気がします』

香枝の明るい声を聞いたら、これから言わなきゃいけないことを考えるととてつもなく胸が苦しくなった。

「あのさ」

早く今日のこの時間を終わらせたい。

予測できない未来がこんなに恐ろしいと思ったのは初めてだ。

「…今から会えない?」

『え?なんか、あったんですか?』

声色から察したのだろうか、香枝の声のトーンが変わった。

『香枝ん家行くから、待ってて』

それだけ言うと真春は電話を切り、回れ右をして三日月を背に香枝の家を目指してペダルを漕いだ。

同じ季節の風なのに、この前とは全く違う生温かく冷たい風が頬を撫でて去って行く。

動悸がして口の中がカラカラに乾いて、何から話そうか全く思いつかない。

街灯の少ない暗い住宅街はいつになくひっそりとしていて、自分の鼓動が聞こえてきそうな気さえする。

家の近くに着くと香枝が既に玄関先に出ているのが見えた。

真春の姿を確認すると香枝は笑顔で手を振った。

「こんな風に会うの初めてですね」

スエットとパーカーを着た香枝はへへっと笑った。

「ごめんね、夜遅くに」

真春は自転車から降り、道路脇に停めて香枝と向き合うように立った。

足も心も鉛のように重い。

何て言って切り出そう…。

何から言うべきなのかわからなくなってきた。

「大丈夫ですよ。急にどうしたんですか?話ってなんですか?」

「んーと…」

どうしよう。

どうしよう。

香枝は黙ってこちらを見ている。

「真春さん…?」

「香枝、あたしのこと好きって言ってくれたよね?」

意を決して口から出た言葉は、微かに震えていた。

指先が冷たくなっていく。

「…はい」

香枝は一瞬恥ずかしそうな顔をした後、俯いた。

「なんで…」

「え?」

「なんで、そんなこと聞くんですか?」

俯いた顔を上げ、今にも泣きそうな顔をして真春を見つめる香枝。

胸が苦しくなる。

こっちだって泣きたい気持ちでいっぱいだ。

本当は、言いたくない。

でももう、そんなことは言っていられない。

「…ごめん」

「言いたいことあるなら言ってください」

意外と香枝はこういうことも言える子なのだ。

いつのまにか秘密主義の香枝はいなくなっていて、自分の気持ちを素直に伝えてくれるようになっていた。

秘密主義で、いつでも誰にでも穏やかな笑顔を向けている香枝。

世話好きで、優しくてやわらかい雰囲気で周りを癒すのんびりした子だと思っていた。

でも本当は負けず嫌いで意地っ張りで意外としっかり者で積極的。

そんな一面を知れたのも、香枝とこういう関係になってからだ。

真春はそんな香枝の全てが好きだった。

いや、今でも好きだ。

そんな真っ直ぐな目で見つめられたら負けてしまいそうになる。

真春は一度深呼吸をして、口を開いた。

「あたしは香枝の事が好き。でも…それは友達として好きなんだと思う。キスしたりして、香枝をその気にさせちゃったかもしれない。けどやっぱり、そういうことするのは、その…んーと……」

友達として好きなのには嘘はない。

でも恋愛感情があったのは確かだ。

キスしたい、触れたい、抱き締めたいって思ってしまうのだから。

今でもそう思うのに、欲望を押し殺して話す言葉は恐ろしく無責任だ。

自分で言いながら、自分を諭しているだけで、香枝を説得しようなんて気持ちはもしかしたら1ミリもないのかもしれない。

「…いいんです。あたしもそうしたいって思ってたから」

香枝は真春と目を合わせずにそう言った。

真春も香枝と目が合わせられなくて、香枝が今どんな顔をしているかは分からなかった。

「こんな時に恭介のことを言うのはどうかと思うんだけど…香枝のことが好きって思う度に、苦しくて…。香枝にも、恭介にも、ひどいことしてるって」

香枝は黙った。

こんな関係にはタブーでしかない恭介の存在など、本当は話にも出したくなかった。

言ってしまったら全てが終わるに決まっている。

説得以前の問題だ。

でも、分かっていながらそこから目を背けてここまできてしまったのは自分の弱い心のせいだ。

さっき涙を流したせいか、涙腺が緩くなっているようで、一瞬にして目の前がぼやけてコンクリートが白く濁り始めた。

「あたしは香枝と、ずっと友達でいたい。お互いに友達として好きって気持ちがあればそれでいいって思った。これから先も、仲良しでいたいって思ってるの…」

そこまで言うと、また真春の涙腺は大崩壊した。

大粒の涙がとめどなく溢れ出てくる。

「ごめんね…。あたし最低だよね。香枝に好きって言って抱き締めて…キスまでして。それで友達でいてなんて」

体全体がかぁーっと熱くなり、もう何も考えられない。

香枝の前でこんなに感情が溢れたのは初めてだ。

本当に本当に大好きな人にこんなこと言うのは、辛すぎる。

「やっぱり、あたし真春さんに迷惑かけてたんですね…」

違うよ。

そうじゃない。

迷惑なんかじゃない。

自分の感情がいけなかったのだ。

少しでも揺らいだ、自分の感情が。

でも、幸せだと思っている自分がいたのは事実だ。

「…違う。あたしがいけないの。ずっとずっと、あたしは香枝が好きだった。香枝はなにも悪くない…」

香枝は何も答えなかった。

その代わりに、「真春さん、泣かないで」と嗚咽の止まらない真春の背中を優しく撫でた。

そんなに優しくしないで…。

香枝に触れられるだけで、我慢している気持ちがへし折れてしまいそうになる。

今すぐにだって香枝にしがみついて泣きたい。

キスだってしたい。

自分で言ってるくせに例えようのないくらい大きな悲しみが覆いかぶさってきて、どんどん涙が出てくる。

「後悔してないですよ」

香枝が言った。

「真春さんを好きになったこと、後悔してません。今もこれから先もずっとずっと友達でいてください」

真春は重い頭を上げて香枝の顔を見た。

香枝も泣いていた。

しかし、この間みたいに泣きじゃくるような感じではなかった。

「旅行の時に言ってくれたじゃないですか。付き合うとかそういう形的なものじゃなくて、お互いに好きならそれでいいんじゃないか、って」

「…うん」

「そういうことでしょ?」

やんわり笑った香枝の目から涙が一筋流れた。

いつもと違う、大人びた感じの香枝。

立場が完全に逆転してしまっている。

「あたし、あの日からずっとそのこと考えてたんです。真春さんは優しいから受け入れてくれただけで、本当は迷惑かけてるかもしれないって思ってました。それで、もうキスとか抱きついたりとか、そういうのもやめようって本当は思ってたんです」

「え…」

「でも、真春さんに会うと気持ちが抑えきれなくなって、『やっぱり、好きだ』って思っていつも自分に負けてました。体調悪かった時は特に…」

香枝はへへっと伏し目がちになって力なく笑った。

「あの時、真春さんがずっと側にいてくれて本当に幸せでした。帰りも、別れるの嫌でしたもん」

今そんなこと言われたら、折れかけている心が完全に真っ二つになってしまいそうだ。

こんなに近くにいるのに、触れたくても触れてはいけない相手に触れたくなってしまう。

「あたし…香枝の気持ちを弄んでたような気持ちになったの。自分から色々しといて、結果、友達でいようなんて本当に最低だし…嫌われても仕方ないよね」

「何言ってるんですかー。あたしは何があっても真春さんのこと、嫌いになんかならないですよ。てか、嫌いになれないです」

香枝は手の甲で涙を拭いながら言い、鼻をすすった。

「真春さんとなら、これから先ずっと仲良しでいられる気がします」

「…本当?」

「はい…っていうか、仲良しでいたい。何でも言い合える仲というか、なんだろ…そんな感じ。上手く言えないけど」

香枝は涙で光る眼差しを真春に向けて「でも、好きなのには変わりないです」と優しく微笑んだ。

泣きながらくしゃっと笑う香枝の笑顔を見るのはこれで2度目だ。

毎回その笑顔に心を奪われてしまう。

香枝の本心はどうなのかわからない。

時間が経つにつれて、いい関係を築いていけるだろうか。

今この瞬間、香枝の言う"好き"は"恋のような好き"から"人として好き"に変わったのだろうか。

自分の心も、時が経てば形を変えていくのだろうか。

これから先のことを考えると、今、目の前に映るのは霞みがかった薄暗い空間だけだ。

右も左も分からない、灰色で孤独な知らない場所に立たされた不安定な心が当てもなく彷徨い始める。

ちゃんと香枝に伝えられてよかった。

受け止めてもらえてよかった。

何故だろう…心からそう思えない自分がいた。

「ありがと…。ごめんね」

「なんで謝るんですか!もう謝るのはナシですよ」

真春は「ごめん」と涙を拭いながら微笑んだ。

「あー、ほらまた謝った」

香枝はケラケラ笑って両方の指で余った涙を拭った。

鼻をすすった後、真春は香枝を見据えた。

何も言わずに数秒が経った。

香枝も何も言わず、こちらを見ている。

何を言うべきなのか、分からない。

「…遅くにごめんね。寒いし眠いのに」

「いえ。ちゃんと話せて良かったです。あたしもモヤモヤしてたから」

香枝は真春の目を見て言った。

「本当にありがとね。…じゃ、そろそろ帰るね」

「そんなにいっぱい泣いた後で自転車漕いで大丈夫ですか?」

「大丈夫」

「事故らないでくださいね」

「大丈夫だって」

真春は小さく笑った後、道路脇に停めた自転車に跨り香枝に手を振った。

「おやすみなさい」

「おやすみ」

泣き腫らした目でぎこちない笑顔を作って、真春は少し傾いた三日月に向かって自転車を漕ぎ始めた。

今日はもう、何も考えられない。

頭も何も考えようとしていない。

予測出来ない未来は、可もなく不可もない結末を迎えた。

そして、また予測出来ない霞みがかった未来を作り出した。

何をしてもつきまとう香枝への思いが決して悪い方向に向かいませんように、と真春は心の中で祈った。

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