褐色少女
私は伝えなければいけない。
私のことも、君のことも。そして、手紙のことも。
だから、聞いてくれないか。
私は、君に伝えなければいけないことがある。
急にどうしたのか、と? まあ、聞いてくれ。この手紙についてだ。
私が旅好きだということは知っているな。そんなことはわかっている? そうかもしれないが、聞いてくれ。
東洋の方に旅をしようと会社の休暇を使って、そのときは現地で買ったガイドブックをもとにホテルでどこに行こうかと悩んでいた。お腹もすいていたし、ホテルで食事をとってもよかったんだが、そのときは腹いっぱい食べるという気分でもなくて、ホテルから少し歩いたところに小さな商店があったから、そこで何か買おうかと外に出た。
街並みを楽しみながら歩いていると、急に服の裾を引っ張られる気がして、後ろを振り向いた。すると、そこには、褐色肌で黒髪を腰まで伸ばし、薄汚い服を一枚だけ着た少女がいた。おそらく十二、十三歳だ。
「×××、××××……」
「すまないね。私には君の言っている言葉がわからないんだ」
「××? ×××……!」
そして、急に少女は私の手を引っ張って前を歩き出す。
外国で美人局というわけでもないだろうし、危ないとは思ったが、少しの間、少女に付き合ってあげることにした。
「×! ×、××!」
「なんだ、これが欲しいのかい?」
連れてこられたのは、私の目的地でもある商店。少女は売り物であるお菓子を私に差し出してきて、買ってくれといわんばかりの表情を私に見せた。
店主に顔を向けると、苦笑いを浮かべていた。そう、少女はこうして食べ物を手に入れようとしていた。
今思えば、私もおかしなことをしたものだ。
私が次に少女へ視線を向けるときには、お菓子の袋を開けて食べ始めていた。まったく、勝手なやつだろう?
食べていることには変わりはなくて、私は仕方がなく、店主に私が買ったものと少女が食べたものの代金を払った。
「こういうことをしてはいけないよ」
日本語だから、通じているとは思わなかったが、やんわりと怒りを伝えると、少女は走り去っていった。
あの少女がなんだったのか、わからなかったが、私はホテルへと戻り、その日は眠りについた。
次の日は観光地を巡るために早く起きて、ホテルを出た。
そしたらだ、昨日の少女がホテルの前に立っているんだ。少女は私を見つける駆け寄ってきて、手を引っ張る。
「もう、買ってあげないよ。君は家に帰りなさい」
「××……」
少女が差し出した紙切れには、その国の言葉が書いてあった。日本語も話せるホテルマンにその紙を見せると、どうやら、少女が周辺を案内してくれるらしいのだ。
「あまり、この子を過信してはいけませんよ。人通りの少ない場所で別の人間が出てきてお金を取られたり、最悪は殺されてしまうかもしれません」
「ふむ……」
ホテルマンに翻訳してもらう間も少女は私の手を握ったまま、離さなかった。
もしのことがあったら大変だというホテルマンだったが、この少女は昨日の罪滅ぼしでもしたいのではないかと思い、私は用心することにして、少女についていくことにした。
結果的には少女について行って正解だと思ったよ。連れて行ってくれた場所は綺麗だった。美しかった。
「君はよくここにくるのかい?」
少女は私の気持ちを汲み取ったのか、黙って深く頷いた。
「明日も、案内を頼めるかい?」
また、少女は黙って頷いた。
次の日から帰国日まで私は少女と一緒に様々な場所を巡った。美しく、綺麗な場所も多かったが、反対にこの国の事情を知ることができるような場所にも連れて行ってくれた。すべての場所に私は感動した。雨に降られることもあった。それすら感動できるような場所にも連れて行ってくれた。初めてだったよ、雨に降られて気持ちがいい、感動したりしたのは。
――そして、帰国日になった。
ホテルをチェックアウトし、スーツケースを片手に外へ出ると、やはり、ホテルの前には少女が立っていた。
「私はね、今日、帰ってしまうんだ」
「××……?」
「ああ。今日までありがとう。いい旅の思い出になったよ」
「……」
すると、少女は寂しそうな表情を浮かべ、私に古ぼけた封筒を差し出した。
「これをくれるのかい?」
やはり、少女は頷くだけだった。
私は感謝の言葉を告げるために、膝をまげて屈むと、少女は私に抱きついてきた。おまけに頬へキスもしてくれた。
「今までありがとう」
その言葉を最後に、私と少女は別れた。
帰りの飛行機の中で、少女にもらった手紙を読もうとするも、やはり、理解できなかった。
自分で言葉を勉強して手紙を読もうかと思ったが、仕事が忙しくなって、手紙を読むことも旅をすることも忘れてしまった。だが、ふと手紙のことを思い出し、ネットや本を参考に必死になって手紙を読んだ。
最後の一文だけは、文章の構成が複雑すぎて理解できなかったが。
手紙は「殺さなければいけないのに、殺せなかった。私はどうなってもいい、貴方には生きてほしい。出会えてよかった」と子供らしいバランスのとれていない字で書かれてあった。
――あの少女は、私を殺そうとしていたんだ。
――あの少女は、私を見逃してくれたんだ。
――あの少女は、死ぬかもしれないのだ。
そう思うと、居ても立っても居られなくなって、もう一度、あの土地へ訪れ、あのとき泊まったホテルに向かった。ホテルの前には――。
「×……?」
――褐色で。――長い黒髪で。――薄汚れた服を一枚着た、あの少女が佇んでいた。
あのときと変わらず、言葉の意味は分からなかった。
「お腹が空いているのかい?」
私は事前に買っておいた「あのお菓子」を少女に差し出した。
「×××、×××……」
以前、私が訪れたときに少女に買わされたあのお菓子さ。少女はそれを受け取ると、胸に抱えて泣き出してしまった。私は、少女が泣き止むまで、ずっと待った。そして、泣きはらした顔を隠すように私の腕の中へ飛び込み、胸に顔を埋めた。
私は、少女に一目惚れしていたのかもしれない。一目惚れではなくても、一緒に様々な場所を巡っているうちに好きになっていたのかもしれない。
昔こそは理解できなかったが、今は君の言葉も手紙の内容も理解できる。
だから、あらためて伝えたい。この手紙に書かれた最後の一文のように。
――君のことが好きだ。