98.誤算と野望
98話目です。
よろしくお願いします。
ブラッケは教会からの報告を受け取った時点で、ようやく自分が何者かに“嵌められた”ことを知った。
「だ、誰がこんな真似を……!」
彼の指示で帝国からの使者を迎撃する予定だった者たちは、ロータルの部隊よりも旧聖国内の奥に布陣して使者を待っていた。
ところが、旧国境からの連絡から数日待っていても使者がやってくることは無く、確認すると予定のルート上にある街道上に人と馬の死体が転がり、旧国境では怒り心頭で帝国本土へ撤退していく騎士隊に困惑が広がっていた。
「どうやら、オトマイアー大将とブラッケは旧聖国の兵力と武器を取り込んで独立を企んでいるらしい」
そういった噂は旧国境周辺では不自然なほどの速さで広まっており、ブラッケがいる旧聖国王都にも商人たちがせっせと話を伝え始めているらしい。
「このままでは、共倒れになる……!」
アーデルが帝国に弁解するとなったとき、もしブラッケの暗躍が表ざたになってしまったら、彼の首が皇帝への手土産となる可能性もあった。
注意に注意を重ねてはいるが、教会関係者が捕縛されて、そこからブラッケの立ち位置が証明されてしまえば、いくら皇帝の命令という権威に遠慮しているアーデルでもブラッケを捕らえるのをためらうはずもない。
確実な証拠でも掴んだなら、ブラッケが生きている理由すらもなくなる。
「先手を打つしかない」
ブラッケは深呼吸を繰り返し、執務室の机に左肘を突くと、指を開いて両こめかみを入念にもみほぐした。
直接アーデルを狙うのは危険が大きい。右腕を失ったときを思い出せば、面と向かって戦えば不利なのは明らかだった。さらに、今のアーデルは周囲についた護衛の数も増えている。
副官が進言してそうしたようだが、彼らも決して甘く見て良い相手ではない。
狙うとすれば、どこか。
「オトマイアーは、十中八九帝国本土へと向かうはずだ。そこに同行する間に隙を見て毒を盛るのが確実か……」
懐に入れているいくつかの薬包を指先で探る。
「即死させる」
まだ、ブラッケには帝国の将として立つ機会は残されているという考えがあった。
野営のタイミングで毒殺し、誰かを犯人にしたてあげることもできる。あるいは、オトマイアー大将が恭順のために登城すると見せかけて皇帝を害する狙いがあったとして、証拠を捏造したうえで殺害することもできるだろう。
「まだ、失敗したわけではない」
それが失敗したとしても、最悪はアーデルが帝国本土に行っている間に旧聖国領を押さえてしまうこともできる。
未だに教会地下に秘匿している武器や薬は大量に残っているし、地方の勢力との結びつきは強い。
「オトマイアーをこの手で殺すのが目標だが、最終的な勝利のためならどんな手でも使ってやろう」
ブラッケは急ぎ用意を進めるため、各地に送るための指令書作成を始めた。
●○●
ラウレンツ・フォーレルトゥン帝国大将は、その舌を噛みそうな名前だけは有名だったが、実力で評価されたことはほとんどない男だった。
オトマイアー侯爵家よりも若干家格が劣る侯爵家出身であり、家柄に後押しされて危険の少ない無難な任務をこなすことで大将位にまで昇進した。
現状でも退任すればそれなりの爵位を与えられ、不自由ない余生は過ごせるだろう。四十も半ばを過ぎた今、それを考えるのも悪くない時期ではあった。
だが、理性ではそう考えながらも、彼の中にはくすぶり続けている思いがある。
「天が与える好機というのは、こういうことを言うのだろう」
馬に乗って一人ごちたラウレンツは、隣で轡を並べている副官から声をかけられたが、何でもないと答えた。
彼らは今、旧聖国領の目前まで来たところで放った斥候からの報告を待っていた。
「もし、敵が伏せているならばこのまま一気に攻勢に出る。敵の姿が無いのであれば、一度ここで野営して兵を休ませる」
「はっ。しかし、あのオトマイアー大将が帝国との対立を選ぶとは、小官には未だに信じられません」
「人というのは、大きな権力を得ると豹変する者が少なからずいる。旧聖国とはいえ一国の規模を扱う立場にたって、あの女も勘違いしたのだろう」
そして聖国には強力が武器があり、それが皇帝からの使者に対して使われたのだ。もはやオトマイアー大将に対して弁明の機会すら与えるべきではない、という意見が皇帝の周囲では大半を占めていた。
それでも、ラウレンツの部隊のみを派遣して大軍をもって旧聖国領に対して攻勢に出ることをしなかったのは、偏に皇帝の判断による。
「皇帝陛下は、まだオトマイアー大将に期待をされておられるようですが」
副官が言うと、ラウレンツは鼻で笑った。
『俺は未だオトマイアーの真意を示すと言えるような証拠を見ていない。本人が弁明し、改めて臣下としての礼を尽くすのであれば、此度のことは遺族への賠償と謝罪によって終わりとしても良いと思っている』
皇帝はそう言って、現状でこれと言った任務を帯びていなかったラウレンツを指名し、兵五百を率いてオトマイアーの真意を質すための使者となった。
もちろん、攻撃をされる可能性は充分にあるため、緊急の命令ではあるものの補給線の確保と武器の用意は怠っていない。
そのあたりの用意周到さは、長い期間将として軍籍についていた経験が光っていた。
彼にとって不幸であったのは、同世代の将軍たちがギースベルトやアルゲンホフと言った、派手な武勲を立てる目立つ者たちであったことだろう。
ラウレンツにしても決して無能と言われるような腕ではないが、防衛戦や補給路の構築などを得意としていたために、どうしても表舞台で目立つことはできなかった。
そこに来て、若い女の将としてアーデルトラウト・オトマイアーが台頭してきた。
家柄を利用して初の女性騎士となったうえ、訓練後の正式な入隊直後から百人隊長となったときは、侯爵家の圧力がここまで使われるとは、と軍の中でも噂になったほどだ。
その当時には、彼女の実力について正確な評価ができる者など軍部内には一握り程度しかいなかった。
しかし、実際に戦場に出てみれば本人がもつ強力な魔法と兵の指揮に関する精密さにおいてめきめきと頭角を現していく。
そして、数年もするころには大将位まで上り詰めていた。周囲の評価も軽んじるようなものは少なくなり、戦果という軍人として何よりも明確な実力を見せて帝国を代表する将軍の一人となった。
対して、その数年の間ラウレンツはずっと後方勤務をこなしており、気付けば大将としての序列も追い抜かれてしまっていた。
八つ当たりだとわかっているが、人間として嫉妬を憶えずにはいられない。ラウレンツは自分の感情が醜いものであると知っていたから、その気持ちを誰にも見せることは無かった。ゆえに、皇帝も彼をアーデルへの使者に選んだのだろう。
「皇帝陛下は慈悲深いお方だ。最後の機会をオトマイアー大将にお与えになった。しかし、使者に対して妙な武器を使ってまで攻撃したというのが事実であれば、反逆は明白だ」
そう言いながら、ラウレンツの内心では反逆が事実であることを心から願っていたし、もし違うとあっても、何かしらの方法を使ってアーデルを失脚させる機会が来たのだと小躍りしていた。
アルゲンホフが死んだという報が事実で、ここでアーデルが失脚なり離反なりするとなれば、自然とラウレンツの地位も上がる。
「ギースベルト大将が問題だが……あれに迂闊に近づくのは危険だな」
再び小さな声で独り言を呟く。
ギースベルト大将は攻勢に守勢にと柔軟に対応できる人材であり、アルゲンホフが目立つのでその陰に隠れがちではあったが、今となっては帝国筆頭大将との扱いになる。
実力で対抗できる相手でもないので、ラウレンツはそこまで狙う気はしなかった。
次席の大将でも、退任時には実家の侯爵まではいかずとも、伯爵位は得られるだろう。しかも、大将職であれば軍務関連の要職に就くことも考えられる。
「俺は、ここで終わるわけにはいかない」
アーデルトラウト・オトマイアーには、栄達のための犠牲になってもらおう。ラウレンツは後ろ暗い狙いを特徴のない顔の中に隠した。
●○●
「戦場は旧聖国領内の帝国方面国境付近が中心となる」
船を下り、変装して最低限の供回りのみを連れて旧聖国王都近くに潜んでいるヴェルナーは、同行している騎士デニスに説明した。
「帝国がどう出るかはまだ未確認だが、少なくともアーデルをそう簡単に切り捨てるとは思えない。だから、アーデルが対応する前に入ってくる帝国軍を完膚なきまでに叩きのめす」
ロータルが率いる部隊とその武装があれば、多少の軍が来ても充分に撃退できるだろう、とヴェルナーは予想していた。
「その際に使用されるのは“火薬”だ。アーデルは当然、その存在を帝国本土に伝えているだろうし、ブラッケがその技術を持っていることも知っているだろう。何しろ、火薬の管理に今も関わっているわけだからな」
「しかし、現状ではもうブラッケは火薬に近づくことはできないのではありませんか?」
「本人はそうかもな。だがここは元聖国。代わりに行かせる奴くらいは簡単に用意できるだろう」
なるほど、とデニスが頷くと、ヴェルナーは広げていた聖国王都の地図へと視線を落とした。
「今までのグンナーたちの調査からみて、協力者はやはり救国教信者たちだろうな」
「では、国境で帝国からの軍勢を止めている間に、オトマイアー大将に協力して救国教を相手に戦うというわけですか」
「んなことできるか」
ヴェルナーは笑いながら地図上に印をつけていく。それはすべて救国教の教会だ。
「これだけの教会がある。つまりブラッケの手下がこれだけの場所に潜んでいると同意だ。それに、このままだと聖国国民もすべて敵に回すことになる」
戦力的に言えば、ヴェルナーの魔法による爆破だけでも勝てなくはないだろう。しかし、オトマイアーの部下と、入り乱れて存在する信者たち、そして聖国国民。
すべてまとめて吹き飛ばすことになる。
「個人的には、それでも良いんだけどな。アーデル殿にあまり恨まれてしまうのも困る。多少の脅しはするにしても、こちらに味方になってもらいたいからな」
「では、どのように?」
「アーデル殿が今のうちに帝国に向かう可能性もある。その前に足止めをしたい」
立ち上がったヴェルナーは、予め用意しておいた書類を二つまとめて懐に放り込むと、立ち上がってマントを付けた。
身体をすっぽりと覆ったヴェルナーは、さらにフードを目深にかぶる。
「直接会って、色々と“教えて”さしあげようじゃないか」
ヴェルナーは馬を回すようにデニスに命じた。
「目立ちたくないから、ついてくるのはお前だけだ」
「はっ。承知いたしました」
「国境も旧王都も、騒々しくなるぞ」
楽しそうに話すヴェルナーに、デニスは苦笑するしかなかった。
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