97.点火
97話目です。
よろしくお願いします。
「出動命令が出ましたよ、隊長」
「えっ、もう?」
城からの連絡兵がやってきてヴェルナー直筆の命令書を手渡すと、ロータルは露骨に迷惑そうな顔をした。
彼がヴェルナーの命によって組織された部隊の長となって数か月が経っているが、実戦に出て活躍できるほどの練度があるとは思っていなかった。
「とりあえず、内容を教えてくれないか」
「一部の騎士たちとの連携による極秘作戦です。声に出すわけにはいきませんから、ご自身でこっそりとご確認を」
それでは、と城へ戻っていく兵を見送って、ロータルは小さく息を吐いて肩をすくめた。
「私は少しだけ席を外す。気を付けて作業を進めてくれ」
彼ら“火焔隊”の肝となる武器を製造している部下たちに告げると、ロータルは近くにある小屋へと歩いて行った。
ここは王都の郊外のさらにはずれにある火焔隊専門の訓練場だ。その昔、ヴェルナーが当時一兵士だったファラデーたちにプラスティック爆薬の威力を見せつけた場所でもある。
大きいがシンプルな掘っ立て小屋の作業場を出て、その真横にあるロータルの執務室と兵たちの休憩所を兼ねた小屋に入る。
「ああ、陛下。本気ですか」
軋みが酷い椅子に腰かけたロータルは、命令書の内容を一読して天井を仰いだ。
「移動の日数を考えると、今日明日には準備をしないと間に合わない。同行する騎士隊とも打ち合わせをしないと。それに、ああ、任地がここってことは、ああ……」
ロータルはこめかみを人差し指でぐりぐりと押さえながら悶えた。
「船に乗らなくちゃいけないのか」
一度も乗ったことがないロータルは、海の上に浮かぶということがまず理解できないタイプだった。話に聞くところによる、随分揺れるうえに悪天候の場合は転覆の可能性もあるという。
「私は泳げないぞ。大丈夫なのか?」
立ち上がり、命令書を制服の胸元に押し込みながらロータルは作業場へと戻った。隊員たちの視線が集まるのを確認してから口を開く。
「城に行ってくる。一号装備で出発の用意をしてくれ。早ければ明朝。遅くとも二日後には発つつもりで」
「初めての実戦ですね」
「実戦か実践か。どっちの意味になるかはわからないけれど、少なくとも戦地に行くのは間違いないね」
肩をすくめたロータルは、作られたばかりの彼らのための“兵器”を指さした。
「全部持っていこう。陛下は派手な戦果をお好みだからね」
●○●
ブラッケは少しだが焦りを感じていた。想定していたよりもアーデルの事件に対する動きが早かったからだ。
皇帝へ向けて確認のための伝令はすでに放たれており、アルゲンホフやその部下たちの遺体も毒殺現場となった宿も、全てアーデル直属の部下に固められてしまった。
皇帝の威を借りたブラッケに対してはこれと言った圧力はかけていないが、監視の目があるのは明らかだ。
教会に立ち寄ることができないので、二次手段として用意していた連絡手段を使っているが、数名を介した手紙によるやりとりなので、なんとももどかしい。
問題は他にもある。アルゲンホフの副官の死体が見つかっていないのだ。
部下たちに確認したが確かに殺したと言うばかりで、なぜ見つからないかまでは答えが出ない。
「万一、副官が生きていてオトマイアーに直訴でもしてみろ。いや、最悪は皇帝への直訴をされる可能性だ。まだ皇帝は俺よりもオトマイアーを信用するだろう」
多少強引でも離間工作を進める必要が出てきた。そのためにブラッケは皇帝に対してオトマイアー大将に謀反の疑いがあるという報告を送る使者は密かに出発している。
また、国境付近の街道に部下を伏せており、アーデルからの伝令は始末するように手配は完了していた。
「オトマイアーからの報告は無く、俺からの密告だけが皇帝へ届く。あとは……」
監視がある状況では準備段階で気付かれてしまう可能性があるが、それでも皇帝からのオトマイアーに対する信用を失墜させるための罠を仕掛ける必要があった。
元より計画していたものではある。実行を命じるのはすぐにでも可能だ。だが、その罠を実行した直後、ブラッケ自身がどう動くかをまだ迷っていた。
「……例の計画を実行に移すように指示を出せ」
「はっ」
使用人として雇ったことになっている男を呼び寄せてブラッケが命じると、頷いた男はすぐに執務室を出ていく。
彼は商人として町で店を開いている人物のところに行き、命令は商人から教会へ伝達される。
その罠は、ブラッケからの報告を見た皇帝が派遣してくる使者を帝国兵が攻撃し、居合わせたブラッケの部下が手助けして帝国本土まで逃がすという芝居だった。
「火薬という攻撃手段を得たオトマイアーは皇帝に弓を引いた」
帝国側にはそう宣伝し、旧聖国領内では人気を集めているオトマイアーが新たな聖国の王となると宣伝する。
あとはオトマイアーがどう動くかによる。
オトマイアーが皇帝に弁明するために帝国に向かう可能性は高い。その時に殺害して帝国によって殺された尊い犠牲となってもらうか、手をこまねいて帝国からの動きを待つようであれば、毒殺して病死扱いにし、ブラッケが後を引き継ぐことにしても良い。
反発する兵もいるだろうが、こと聖国内であればブラッケの影響力は強い。兵力も問題なく補充できる。
「もとより、前国王が火薬の利用について俺の意見を受け入れていれば、このような苦労をせずに済んだのだ。それに……」
脳裏には、ラングミュア王国の若き国王の姿があった。
「しばらくは王都に散らばった救国教信者の対策に追われているだろう。その間に俺は力をつけて、必ず復讐してやるぞ……」
まずは右腕を奪ったオトマイアーを帝国の裏切り者に仕立て上げ、失意のうちに命を奪う。それがブラッケ最初の復讐であり、次なるヴェルナーに対する復讐の第一歩となるのだ。
憎々し気に左腕を握り、ぎりぎりと力を入れていずれ訪れるであろうその瞬間を心待ちにしているブラッケ。
だが、彼はラングミュアの王都内にいる救国教信者があっという間に一掃されてしまったことをまだ知らない。
そして、火薬の扱いについて自分よりも詳しい者がいることも、またアーデルトラウト・オトマイアーという存在を欲している者がいることも、想定していなかった。
結果的に離間工作は進んでいるのだが、状況はブラッケが考えているのとはやや違う方向に進むことになる。
それは、ヴェルナー・ラングミュアの命を受けた者たちの手によって。
●○●
「やられたな……。こっちは手遅れだったか」
オトマイアーの使者が殺害され、身元がわかるような装備をはぎ取られた死体を発見したグンナーはできれば助けたかったが、と舌打ちした。
救国教信者の動きは割とわかりやすいのだが、オトマイアー大将側の兵たちの動きはなかなか掴めなかったからだ。
別の一行。ブラッケ側が放った使者の方は簡単に捕捉できた。
こそこそと動いているが、グンナーから見ればどうにも不自然極まりない。ヴェルナーが国王になる前に何度か貴族がスラムに送ってきた調査役と同じで、自然に振る舞おうとするあまりに、余計不自然になっている。
こちらは無事に捕縛できた。密告書の内容をすり替え、グンナーの部下が扮した偽の使者がしっかりと抱えて帝国へ向かう。
「まるで子守りの気分だ」
こうして、ヴェルナーからの指示で旧聖国領内の帝国側で部下たちと共に網を張っていたグンナーは、おそらくは殺害されるであろうオトマイアーの使者を先に捕まえることには失敗したが、重要な“すり替え”には成功した。本物の使者が持っていた身分証を握っているのだから、まず看破される可能性は低いだろう。
「そうすると、次は帝国から来る連中の足止め策に出てくるだろうという話だったな」
グンナーが宿へ戻ると、そこには騎士隊の服ではなく薄汚れた麻製の服を着たロータルが椅子に腰かけていた。
「来ていたんですかい」
「ああ。部隊を予定地に伏せ終わったから、あとは君のゴーサインを待つばかりさ」
「ご苦労なことですな」
ベッドにどっかりと座り込んだグンナーは、水を汲んだカップを傾けて喉を鳴らすと、大きく息を吐いた。
「かはぁ! んで、我らが王はどうしてるんです?」
「国境の反対側。沖で動きが始まるのを待っているよ」
戦場でも執務をしているのだが、それについてはロータルも触れなかった。
「しかし、良いんですかね」
「何がだい?」
「ここで帝国とオトマイアー大将が完全に手別れになったとして、オトマイアー大将を引き込めば今度こそ帝国と戦うことになる。それで良いのかってことですよ」
グンナーの言葉に、ロータルは小さく笑みを浮かべた。
「認識が少し違う。ラングミュアと帝国はすでに敵対しているんだ。聖国とグリマルディでの戦いがあって、表面的に落ち着いたように見えてはいても、それはあくまで次の戦いへの準備期間でしか無い」
そのためにヴェルナー国王はロータルに新たな兵器の製造を命じ、グンナーらスラム出身者を使って斥候部隊を作り上げた。
「必要だったのは、ラングミュアが先頭に参加するための大義名分。それと勝てる算段に勝った後の収支が黒字になるか否かの計算かな」
ロータルは、おそらくヴェルナーの中でそれがすべて揃ったから動き出したのではないかと語った。
「オトマイアー大将とも交流があったんでしょう? 特にエリザベート王妃とは親友と言っていい。彼女の命を助けるためではないんですかね?」
それもある、とロータルはグンナーの意見も正しいと頷いた。
「アシュリン・ウーレンベックの件もある。きっと陛下は、この戦いで救国教そのものをなくしてしまおうと思っているんじゃないかな」
「……ロータルさん。あんた、何かヴェルナー様から聞いているんだな?」
「さわりだけだけどね」
ロータルから耳打ちされ、グンナーは顔をゆがめて噴き出した。
「……何を考えているんだか」
「それくらい派手にやって見せて、民衆には救国教の終焉を、帝国には改めてラングミュア王国の力を見せつけるおつもりなんだよ、きっと」
その先陣を賜るのだから、名誉なことだと思う、とロータルは語った。
それから四日後、帝国領から先遣隊が旧聖国領へと足を踏み入れた。
その動きは旧国境で確認した兵士からブラッケの部下たちに伝わり、その動きをグンナーの部下がキャッチするという形でロータルまで伝わる。
「想定通りのルートだ。準備は良いか?」
火焔隊の隊員たちと、同行してきた別の騎士隊員たちが頷く。
「さて、では大芝居を始めよう」
ロータルは街道を塞ぐようにして部隊を展開し、先遣隊の行く手を塞いだ。
彼らは一様に鹵獲した帝国兵の鎧を着ていた。
「ああ、緊張するな」
胃が締め付けられるような不安を抱えるロータルたち偽の帝国兵の前で、憤った様子の人物が馬車から降りて来た。
「何を考えているのか! すぐに道を開けろ!」
ロータルは答えず、ただじっと相手の様子を見ている。先遣隊は馬車を三台連ねており、護衛の兵士たちは三十名ほど。全員が馬に乗っていた。
「帝国から独立するなどと言い出したオトマイアー大将と、皇帝陛下より赦しを得ておきながら、そのオトマイアーに味方するというブラッケ! 貴様らの行動もそれに従ってのことか!」
重大な反逆行為だ、とわめいている貴族風の男の言葉に、ロータルは密告書のすり替えが上手く行ったことに内心でほくそ笑む。
アルゲンホフの副官であったヒルトのサインが入った密告書は、完全に信用されたらしい。目の前でわめいている貴族はその真意を確かめるべく遣わされた使者なのだろう。
帝国では、オトマイアーとブラッケが揃って独立を企てていると疑っているはずだ。
初期段階は上手く行った、とロータルは真後ろに置いていた荷台から丸い陶器の道具を取り出し、使者に向かってボールでも渡すかのように放り投げた。
「可哀想な気もするが、帝国では尊い犠牲として名が残るんじゃないかな」
思わず使者が抱え込んだ道具に、ロータルは魔法で火を点けた。
直後、陶器に包まれていた火薬がはじけ飛び、使者は上半身を粉みじんに打ち砕かれて周囲にいた馬と兵士を赤く染める。
旧聖国内での、仕組まれた内戦が始まった瞬間だった。
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