96.王の決断
96話目です。
よろしくお願いします。
「おい、あんた。生きてるか?」
旧聖国王都の大通り。大きな宿の裏路地で傷だらけの男に、別の男が声をかける。
一見すると死体のようにすら見えるが、呼吸をしているのは声をかけた男がわかる程度には胸が上下していた。
「静かにしてくれ。声が聞こえない……」
「声? ああ、あの連中か」
声をかけた男はグンナー。怪我をしている男はアルゲンホフの副官だった。
帝都での諜報を部下に任せたグンナーが、火薬についての情報を監視するために部下を先行させていた旧聖国王都に到着したまさにその日、アルゲンホフ暗殺騒動が起きた。
状況を自ら確認するために宿の裏手へと来たところで、壁に寄りかかっている副官の姿が見えたのだ。
積み上げられた木箱の陰にいる二人は、そろって壁に耳を押し付けて中から聞こえる声を聴いていた。
ちらちらと副官の方を見るグンナーは、彼の傷が見た目ほど酷くはないと判断し、まずは状況の確認を優先した。
室内からは、オトマイアー大将と思われる凛とした女性の声が聞こえてくる。
「許可しない」
「なんですと?」
アーデルがきっぱりと断ると、ブラッケは上ずった声を上げた。
「私は皇帝陛下からの勅命を受けて……」
「火薬の製法について調査をしているのは聞いた。だが、アルゲンホフの死についてはまた別の話だ。お前は下がっていろ」
「……これも秘密を狙う者の動きの一つかと思われますが?」
「それを判断するのは私だ」
断言したアーデルに、ブラッケは渋々と引き下がった。
自分の部下を連れてアーデルに命じられるままにブラッケが建物を後にすると、アーデルの大きなため息が聞こえてきた。
その後、部下を呼ぶ声が聞こえたところで、アーデルはグンナーたちには聞こえない程度の小声で何かを命じる、自らは現場に残り、調査を続けるようだ。
兵士たちが周囲の人払いを進め、宿の封鎖を改めて整え始めたところで、グンナーはすぐ隣で痛みに顔をしかめている男を見下ろした。
「で、どうするね?」
「まず君が何者かを教えてもらおう。こんなところで私と同じようにコソコソと聞き耳を立てているんだ。まともな身分ではあるまいが」
「まともさ。少なくとも今はな」
だが、言える身でもない。グンナーが名前だけを教えると、副官の男は苦笑する。
「状況もある程度は聞いた。耳の良い奴が仲間にいてね、誰が殺されたかくらいは兵士たちの話で分かっている」
「それは、大した仲間がいるものだ……」
しばらく逡巡を見せた副官は、グンナーに助けを求めた。
「多少の金を持っているのみだが、グンナー殿に頼みがある」
「どうした? オトマイアー大将に声をかけてくるか?」
「そうじゃない。帝国の兵の中に敵がいると分かった以上、誰に接触するのも問題だろう……少なくとも、今は」
副官は奥歯を噛みしめた。
「では、どうするね?」
「帝国本土。いや帝都へと戻りたいが……」
今の副官は帝国から見ればアルゲンホフ殺害の重要参考人であり、もしブラッケの息がかかった兵士たちに見つかれば、殺人犯と断定されて殺されるのは明白だ。
「ふむ。お困りのようだな。俺から提案があるが、聞く気はあるかね?」
「解決の糸口になるなら」
「それは保証しよう。少なくとも、俺の上司なら大概のことはどうにかするさ」
「大した人物のようだが……。一体誰の命令で動いているんだ? まさか皇帝陛下の……」
「惜しい!」
グンナーは指を鳴らし、にやりと笑った。
「その前に、旦那の名前を聞いておこうか」
「これは失礼した。私はヒルトだ。オットー・ヒルトという……どうした?」
名乗ったヒルトに対して、口をへの字に曲げたグンナー首を振った。
「いやね。真面目くさってちょいと苦手な奴と同じ名前なんでね。ヒルトと呼ばせてもらうよ」
「それで、一体誰を頼ってどんな方法をとるつもりなのだ?」
「俺の上司の名はヴェルナー・ラングミュアというんだ。帝国の息がかかったエリアだと危険だというなら、いったんこっちに来ると言い。そのかわり、色々教えてもらうぜ」
「ら、ラングミュアだと!?」
痛むからだに鞭打って立ち上がったヒルトは、それはできないと壁に手をついた。
「グリマルディ王国の取り合いを行い、この国でも破壊工作を行った帝国の敵ではないか!」
「まあ、そういうと思ったよ。あんた真面目っぽいもんな」
だが、グンナーは素直に引く気はなかった。
「悪いが、これも俺の仕事なんでね。報告書を書くのは苦手なんだ。説明できる奴を送った方が、話が早い」
言うが早いか、グンナーの拳がヒルトの顎先をかすめるように振るわれる。
あっさりと意識を手放したヒルトが倒れないように抱き留め、グンナーは部下が潜伏している建物へと裏道をするすると小走りに向かう。
「さて。どうやらまた騒ぎになりそうだ。ある程度情報を得たら、一時的にこの町を放棄するべきかもな」
●○●
帝国領を通らず、海を渡って報告書を添えられたヒルトの身柄が送られてきたとき、ヴェルナーは大笑いし、オットーは頭を抱えた。
「帝国の兵を拉致するとは……」
「まあ良いじゃないか。これでこの前捕まえた連中から得られた情報の裏取りもできる」
「では、聖国の事件も救国教の動きがあると陛下はお考えなのですね」
オットーの問いに、ヒルトから聞き取りをしたというグンナーからの報告書を見ながらヴェルナーは頷いた。
「汚い字だな……。そう、救国教だな。おそらくはその帝国に下ったというブラッケが何かしら関連していると思う。アルゲンホフを毒殺したのも、おそらくそいつだ。方法はわからんが、どうにかして毒を飲ませたんだろう」
すでに解毒薬はアシュリンが静養しているデュワー男爵領に送っている。彼女が回復し次第、二人の王妃とイレーヌは、アシュリンを連れて王都へ帰ってくるだろう。
ヒルトは一時的に軟禁しているものの、抵抗の意思は見せていないので厳しい尋問などは行っていない。
「しかし、先を越されてしまった」
不満げに口をとがらせてヴェルナーが言うと、オットーは「何のことでしょう」と問う。
「離間工作だ。帝国皇帝とアーデル殿の間に溝を作る隙ができそうなのはわかっていた。ただ、その方法を実行するタイミングが無かったわけだ」
ヴェルナーはアーデルの将としての才能を高く買っていたし、彼女レベルの指揮官がいればそれだけで自分が随分楽になると考えていた。
「ブラッケが黒幕かどうかはわからないが、アーデルの……というより、帝国の軍人の気質をよく知っている奴が動いているようだな。おそらくは聖国でもこの王国でも共通する弱点だろうが」
「弱点、ですか」
オットーにしても、過去の先頭からアーデルトラウト・オトマイアーという帝国の将軍の才能は知っていた。皇帝崩御の際にどのように立ち回ったかも聞いている。
「長い長い専制君主制度の間に、皇帝や王の命令は絶対という共通認識がこの世界にはある。平民は“偉い人”であると無条件で思い込んでいるし、貴族たちはその権威を頼り、時には武器にする」
ブラッケは皇帝の信任を得て派遣されたことを、命令書付きで証明してアーデルと再会した。いくらブラッケが嫌いでも、皇帝が命じたことであればそれはゆるぎない権威に裏打ちされた行動になる。
そしてその人物が皇帝の名を出して密命を帯びていると言えば、根拠もなくそれを否定することは皇帝に対する不満とも取られかねない。少なくとも、貴族たちや軍部がアーデルを攻撃する充分な材料になるだろう。
「ラングミュア王国でも同じだ。例えばデニスあたりが『王の命令だ』と言えば、一も二もなく信用するだろう。それはデニス本人というよりデニスが使える俺の権威を利用している形だ。同じことをブラッケも狙ってやったんだろう」
「しかし、それでは帝国本土に確認されてしまうと全て露見してしまうのではありませんか?」
「やりようはある。例えば、アーデル殿に具体的な謀反の疑惑があるとして、その証拠を先に皇帝へ届けたとしたら、アーデル殿が皇帝へ“疑惑”の段階で問い合わせても自分の邪魔になる人物を遠ざけようとしている、と取られる可能性はないか?」
特にブラッケは旧聖国の土地勘があり、帝国軍の一指揮官として物流も兵が使うルートも把握している。足止めも、或いは帝国へ向かう部隊を襲うことも可能だ。
「しかし、そのためには少なくない人数が必要です」
「人間ならたくさんいる。あの国は元々救国教信者の国だぞ? 元から現地に人材がいるようなものだ」
あらかじめ通じておけば、命令書なり指示書なりを送るだけで自分は動かずともことは成せる。アーデルの魔法は怖いが、聖国には“毒”がある。
「ブラッケは最初からこれを狙っていたんだろう。皇帝に会うまでに多少期間が開いているのも、腕の傷を癒しながら準備を進めていたのかもな」
執念深いことだ、とヴェルナーは嘆息した。
「では、ブラッケという男はオトマイアー大将と帝国の間に不和を生じさせることを狙っているわけですね。しかし、それでは再び聖国の地が戦いに巻き込まれることになるのですが……」
「今の帝国の体制が揺らぐだけでも救国教や聖国残党の連中にとっては万々歳だろう。アーデル殿が皇帝と戦うならそれでも良いし、恭順を選んでおとなしく帝国に帰り、もっと使えない奴が来るならそれでも連中にとっては有利になる」
もしくは、機を見てアーデルを殺害し、ブラッケが事実上帝国軍聖国派遣部隊の長として一時的にでも権力を握ることを考えているかもしれない、とヴェルナーは語る。
「そのようなことが可能でしょうか?」
「アーデル殿の性格を利用すれば可能性はある。皇帝に改めて忠義を示すために帝都へ戻るとするならば、謀反の意思がないことを示すために警備も最低限にするだろう」
随行する副官らも含めて殺害し、救国教の仕業とすればブラッケ以上の格を持つ軍人はいなくなる。慣習として大将格が死ねば新たな命令が下るまでは次席が命令権を引き継ぐ。
「しかし、それでは救国教とは反対の立場になってしまいますが」
「そこさ。ブラッケが“もと聖国の地位を活かしたという宣伝”で救国教の反発を平和裏に抑えることに成功したとしたら?」
アーデルの能力は疑問視され、ブラッケの評価は上がるだろう。
「アーデル殿は与えられたフィールドの中で戦うにはよく判断するし実力もある。だが皇帝という権威の傘の下から抜けるほどの自由度は持っていないわけだな」
それは諜報の中で、ギースベルト大将のように皇帝に命令の変更を申し立てたりせず、聖国の統治についてもギースベルトの前例を見るまで、当初は与えられた戦力でどうにかこなそうとしていたあたりにもみられる。
「忠誠心というものは、時に都合よく利用されるという良い例だな」
「陛下。ではこのまま、旧聖国と帝国の動きを監視するということで……」
「いや。帝国と旧聖国の不和を狙うのは俺がやろうとしていたことだ。先を越されたまま放置というのは腹も立つし、救国教の力が増すのを放置しておく理由もない」
ヴェルナーは立ち上がり、ヒルトに会って話を聞く、と言った。
「それに、このままいけばアーデル殿の命が危ない。どうせなら、こっちの陣営に来てもらえば有益な人材だからな。予定通り引き込みを狙う」
「では……」
「ああ。こっちから動く。ミリカンを読んでおいてくれ。デニスも同席するように伝えて、軍議を行うとしよう」
ヴェルナーは執務室の扉に手をかけながら、ついてくるオットーに微笑む。
「美人がむざむざ殺されるのは後味が悪い。それに……」
執務室の外に出て、警備で並んでいる騎士たちを見まわした。
「職場には華が多いに越したことはないだろう?」
「陛下の個人的なご意見として、覚えておきます」
「……まあ、いいけどな」
肩をすくめて、ヴェルナーは歩き始める。
「もう一回聖国で大暴れだ。アシュリンの仕返しも兼ねて、派手にやってやろう」
王城の廊下に、ヴェルナーの高笑いが響いた。
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