94.偽装工作
94話目です。
よろしくお願いします。
「貴様! 何を考えているのだ!」
激高するアルゲンホフの副官がブラッケを取り押さえようとしたが、逆にブラッケの指示で雪崩れ込んできた兵士達に取り押さえられてしまった。
「何をするか!」
激高するアルゲンホフの部下たちを無視してブラッケは宿の従業員と宿泊客を外に出さないように命じると、早々に出て行ってしまった。
「離せ! 我々はアルゲンホフ大将直属なのだぞ!」
「ここはオトマイアー大将が治められる地です。それに我々は上に従っているに過ぎません」
淡々と話す兵士に話が通じないと見ると、副官は舌打ちした。
「あまり抵抗なされますと、貴方方の不利になるかと」
「不利だと? 我々は上官を毒殺されたのだぞ!?」
「毒殺された?」
副官を縛り上げた兵士は、現場となった食堂のテーブルを見た。
「であれば、ここの料理を作った者たちに話を聞き、残った料理や酒に毒が入っているか否かを調べることになります」
「ブラッケという男だ。あいつが持って来たワインを飲んでから、アルゲンホフ大将はお倒れになられた!」
「ワインですか。……二人分注がれていますが?」
どちらも杯の中には三分の一も残っていない。副官はそれを指摘されると、歯を噛みしめて押し黙った。
「いずれにせよ。この建物にいた者たちは全員拘束します」
遺体はオトマイアーへの報告まで保存されることになり、打ち捨てられたように床に倒れ伏したままのアルゲンホフの遺体を見て、副官はその見開かれた瞼を閉じることすら許されずに部屋から引き出されてしまった。
「こんなことが、許されるのか……!」
ただ、副官たちはオトマイアーと会うことさえできればどうにかなると考えていた。彼女は良識のある人物であるという評価もあり、過激派の救国教徒と敵対する立場にあるオトマイアー大将であれば、旧聖国の人物が行ったことを調べないはずがないからだ。
「調査さえ入ればどうにか……」
後ろ手に拘束されたまま一室へと放り込まれた副官は、背中に受けた衝撃に言葉が止まった。
床に倒れた副官は、手をつくこともできないまま顔面を打ちつけて前歯を折った。
血の味が、口の中に広がる。
他の兵士達も次々と部屋の中に倒されていった。
「貴様……」
振り向いた副官の前で、ブラッケの部下たちが剣を抜いていく。
「アルゲンホフを毒殺した副官たちは、我々に悪事を暴かれて抵抗し、宿の者を全て殺したあとで我々に殺害された。今頃そういう報告がブラッケ様からオトマイアー大将へなされているはずだ」
時間が惜しい、とブラッケの部下たちは次々と副官たちへと刃を振り下ろした。まるで作業のように身体のあちこちに傷を付け、動かなくなると縄を切った。戦闘の結果に見せるためだ。
「死体は建物のあちこちに置いておけ。従業員も始末しておけよ」
剣の血を拭い、鞘に納めた男は小さく呟いた。
「これで本来の聖国が取り戻す第一歩だ……」
手古摺っている部下を手伝い、従業員を次々に殺しながら“惨劇の舞台”は入念に作られていく。
●○●
ラングミュア王国の首都。
夜の帳が下りた城の中からは、使用人たちの姿は減り、廊下には仄明るい蝋燭の明かりが並んでいる。
静かな城内で、自分の執務室に座っているヴェルナーは呟いた。
「毒、か」
手にしている報告書には、アシュリンが傷つき、兵士達が倒された事件について書かれている。そこに書かれている“毒”というキーワードでまず思い浮かぶのが、先日滅んだ聖国だ。
この世界で、毒はそう広く扱われてはいない。植生の問題もあるが、取扱いが難しいことと研究自体があまり行われていないことが原因だった。
あるいは、一部の部族などでは伝えられているものはあるかも知れない。
しかし、火薬と同様に秘薬と呼ばれるいくつかの治療薬を秘匿していると言われてきた聖国ならば、自然と毒についても情報を蓄えていると考えられる。
「そうすると、聖国の生き残り……というより、救国教の残党と考えるのが自然か?」
「救国教残党の活動は激しいようですね。旧聖国王都に入った諜報からの報告では、各地で武装反乱が起きているようです」
「そうか。それは大変だな」
「陛下であれば、今の旧聖国を治めるのにどのような手を使いますか?」
他人事のように呟いたヴェルナーに、オットーは尋ねた。
「そうだな……俺なら、規模は大きくとも単純な手を使うな」
「単純ですか」
「そうだ。もしアーデル殿が助力を求めてきたら教えてやる気でいたが、まあ帝国の人材がいれば、どうとでもできるだろう」
広い領地を得たのだから皇帝にも多少の苦労はしてもらいたい、とヴェルナーは口を尖らせていた。帝国首都からの情報で皇帝は無駄な公務を全て廃止して、ほとんど居城から出ずに暮らしていると聞いて、食亭は楽をしていると拗ねているのだ。
大人げない、とオットーが嘆いていると、執務室に軍トップのミリカンが入ってきた。
「陛下。準備が完了いたしました」
「わかった。では早速始めよう」
「陛下も行かれるのですか?」
立ち上がったヴェルナーにオットーが声をかける。
「当然だ」
サーベルを腰に手挟んだヴェルナーは、ミリカンを連れて執務室を後にする。
「俺は腹が立っている。アシュリンとイレーヌを傷つけた連中を許すわけにはいかん。……そのために、今の今まで我慢して諜報からの連絡を待っていたんだ」
「畏まりました。お気をつけて」
「全ての監視体制は整っております。今の時点で、動きはありません」
「上々だな。部隊編成は?」
「全て、調査によって判明した各地の人数に対して四倍を充てるように手配を」
小さく息を吐き、ヴェルナーは拳を握る。
「主犯は」
「絞り込んでおります。城からもほど近い場所です。……どうやら、陛下が出てきた所を狙うようですが……」
「そうか。ならそこを対応する部隊は俺が率いる」
「それは危険です!」
反対するミリカンに対し、ヴェルナーは手を出して制した。
「餌がいた方が敵も出てきやすいだろう。それとも、簡単に敵を逃がす程お前の教え子たちは未熟なのか?」
「いえ……」
左の拳を握りしめ、ミリカンは自分を戒めるように右の手で頭を叩いた。つるりとした頭に赤い跡が付く。
「ですが、その部隊にわしも参加することをお許しください」
「良いだろう」
会話が終わる頃、ヴェルナーは城内のホールに集まった騎士と兵士達の前に姿を見せた。
「陛下! ヴェルナー様!」
口々に声が上がるホールの中で、ミリカンが声を抑える様に言うと一気に静まり返る。
「説明は聞いている筈だ。お前たちの仲間を殺し、騎士アシュリン・ウーレンベックが未だ毒に苦しんでいる」
騎士達はもちろん、その後ろに並んでいる兵士達も悔しさをにじませる表情を見せていた。ここに集まっている理由も全員が把握しており、事件の経緯も知らされているのだ。
「だが、新たに作られた諜報部の力で、敵の本拠地は知れた。分散して潜伏している連中も分かった」
諜報部の有能さを示したヴェルナーに、騎士達はざわめく。
「さあ。ここからは反撃の時間だ。これより、救国教の捕縛作戦を開始する」
ホールの中に、押し殺した声が響いた。
●○●
作戦は偽装から始まる。
夜の町を視察するという国王ヴェルナーは、信頼する少数の護衛のみをつれて住民たちの迷惑にならぬように配慮する。
それは半ばお忍びのようなものであり、自分の城の周辺は特にしっかりと確認しておきたいという希望もあって、馬も使われない。
そういった噂を流したのも諜報部の仕事だった。
スラム出身の彼らは町の中に浸透し、その噂を流しながら町の者たちの反応を探り、必要があれば接触もする。
商人として食料を用意したり、場合によっては非合法に武器を扱う者として近づいてみせた者もいた。
視察自体は不自然な物では無かったので、一般の民衆もすんなり受け入れていた。
王城周辺は高級貴族や官公庁が集まる場所なのだが、前王派の貴族が一掃されたことにより、このエリアには主を失った建物がかなり多いのだ。言うなれば再開発が必要な場所になっている。
その分、不審者が入り込みやすい環境になってしまっているのだが。
そうして、いくつかの情報を得た諜報部の報告書から偽装の城下散策での釣り出しだけでなく、同時に全支部の捕縛へ動くことができたのだ。
「王都に集中して二十か所。数十万の都市とはいえ、随分と入り込んでいたものだな」
さらに他領地にある十を越える隠れ家も確認済みになっている。それら全てを、今夜のうちに叩く予定だ。
ヴェルナーは偽装で振り撒いた情報通りに、ミリカンを始めとした数人だけを連れて表の門を出た。
残りの兵士達は、後から密かに裏口を出て各所の隠れ家へと向かう手筈になっている。
「俺たちが最も重要な任務を帯びていることを忘れるな」
「はっ」
ミリカンを始めとした騎士達は、若干の緊張を見せながらも頷いた。
アシュリンの毒を中和するための解毒剤を、逃げた男が持っている可能性が高い。それを入手することが第一目標だった。なので、迂闊に殺害はできない。
他の隠れ家については、捕縛が不可能であれば皆殺しにしても良いとしている。
作戦の内容に些か苛烈に過ぎる表現が使われていることで、城内の者たちはヴェルナーが激怒していることを改めて知った。
およそ一時間程、ゆっくりと公共施設の配置や道路の工事計画などを確認して町の中を見ていく。文官として一人の青年がヴェルナーに付き従い、大きなトランクから次々と書類を出してはランプの明かりの下で説明していく。
「……おい。これ本物の書類じゃねぇか」
「はい。オットー・ホイヘンス秘書官長より“折角だから視察も済ませるように”と渡されまして」
「あいつめ」
文句を言いつつも周囲を警戒しながら決裁のサインをしていく。城の周辺での道路工事や官公庁の建て替えなど、本当に必要な決裁書があったのだ。戦闘に巻き込まれて紛失する可能性など無い、とオットーは考えているのだろう。
それだけ、ヴェルナーはこの作戦に注力していた。
「間もなく、諜報部が掴んだ例の建物です」
書類を指差して何かを指摘するような動きをしながら、ミリカンが小声で伝える。
「わかった。では、俺が裏口を“潰し”たら攻撃開始だ」
「はっ」
目配せでミリカンが騎士たちに用意するよう伝え、ヴェルナーは文官に書類を返して片付けさせる。
ちらりと見上げると、かすかにしか判断できない程度だが三階建ての建物の屋上に人影があった。
「始まりだ。安眠妨害になるが、まあ仕方が無い」
このあたりに住んでいるのは一部の貴族くらいだろう。平民たちにはあまり迷惑にはならないはずだ。
ヴェルナーは一呼吸おいてゆっくりと息を吐き、左手をサーベルに添えて右手を目の前で弾いた。
くぐもったような爆発音が響いて、石造りになっている建物の裏側が崩れる音がガラガラと響く。予め諜報部が仕込んでおいたヴェルナーのプラスティック爆薬だ。
同時に、ミリカンが正面入り口の扉に向かって突進し、木をあちこちに巻き散らしながら中へと突入する。
その音が聞こえたのだろう。周囲からも別働隊の騎士たちがどこかの建物へと飛び込んでいく音が聞こえてくる。
「良し、続け!」
敵が逃げないように文官と騎士三人ほどを通りに残したまま、ヴェルナーは騎士達を連れてミリカンが開けた穴へと飛び込んだ。
お読みいただきましてありがとうございます。
次回もよろしくお願いします。