93.秘薬
93話目です。
よろしくお願いします。
アルゲンホフは副官たちから報告を聞いた翌日、アーデルのところへは行かずに救国教の本部を訪れていた。
「あ、アルゲンホフ大将……!?」
「おれを知っているのか。通して貰おう」
「しかし……」
教会には数名の信徒が残っており、細々とした活動を続けていた。しかし、残っているのは教会中枢とは無縁な者たちだけだ。
アーデルは数名の帝国兵を警備に立てて出入りする者を調べさせていたのだが、そこへアルゲンホフが現れたことで兵士達は驚いていた。
「重要な案件に関しての調査だ」
数名の部下を連れたアルゲンホフは兵士を睨みつけて黙らせると、のしのしと歩いて教会の敷地へと踏み込んで行った。
門での騒動を聞いたのか、建物の玄関には一人の男性がアルゲンホフを待つように立っている。彼は、アルゲンホフが近づいていくと一礼した。
「聞こえておりました。アルゲンホフ様。何かご用でしょうか?」
「少し話を聞きたい」
「私でわかることでしたら」
と、中へと促そうとする初老の男性に、アルゲンホフはより低い声で話しかけた。
「随分と素直だな」
「この状況で、帝国の方に逆らう者なのおりますまい」
苦笑する男性について建物の中へと入る。
教会内は荒れ果てており、金になりそうな調度品は根こそぎ失われていた。
「これは酷いな……」
部下の一人が思わず声を洩らしたのを聞いて、アルゲンホフは心中同意しつつも視線を向けて黙らせる。
「城が落ちたと言う情報が入った時、上層部の者たちがほとんど持ち出してしましましてね……。今では職員に支払う給金も出せませんので、ごく一部のものだけでどうにか運営している次第です」
とはいえ、信徒たちを纏めるようなこともできないので、王都に住む信徒が礼拝に訪れるのを迎えるための最低限の維持のみを行っているという。
「粗茶ですが」
と、男性信徒が手ずから淹れた茶を出されたアルゲンホフは、同じものを向かいに座った男性が飲んだことを確認してから口を付けた。
「それで、御用件はなんでしょうか」
「アーデルトラウト・オトマイアーの政策に不満は無いか?」
帝国兵同士の戦闘についてではなく、アルゲンホフはまず現状についての考えを聞くことにした。
「不満などありません。聖国は滅びました。信徒も減りましたが、私たちのように信仰を続けることを決意した者も少なくありません。その自由をお許しくださったオトマイアー大将には感謝しております」
「しかし、旧聖国内ではお前たち救国教に与する者が帝国に抵抗して戦っている」
「あの者たちは現状を理解していないのです。本来、救国教は国家を良くすることで民が良く生きることを目指すものです。敗北した戦いにしがみ付き、民を危険に曝すなどという真似は本来の教義に反します」
胸元から引き出した二重の十字を握りしめ、男性は祈る様に目を閉じた。
「では、お前たちはその連中とは無関係だと?」
「当然です。今の私共は信仰を守ることを第一に考えております。何かの問題が起きて完全に信仰を禁じられてしまっては本末転倒です」
事実として、彼はオトマイアー大将に国内全ての教会支部がある場所を提出したと話しており、確認すればわかるはずだと主張した。
「そうか」
目を閉じて話を聞いていたアルゲンホフは、短く答えるとしばらく沈黙していた。
「……ところで、閣下はオトマイアー大将についての噂をご存じでしょうか?」
薄く目を開けて睨みつけるように見据えたアルゲンホフは「知らぬ」と嘘を吐いた。
「そうですか……まさかオトマイアー大将当人に言うのも要らぬ誤解を受けそうでしたので、お伝えするのは憚られておりましたので、よろしければ聞いていただきたいのですが」
話すようにアルゲンホフが促し、言葉を続けた男性が語ったのはやはり“オトマイアーが大公位を狙っている”という例の噂だった。
「つまらん噂だな」
「私もそう思います。ですが、これが信徒の間でも広まっておりまして……」
言い難そうにしている男に続きを話すようにアルゲンホフが視線で圧力をかけると、オトマイアーには内密に、と口を開いた。
「城の中には教会と、教主でもあった聖国王の秘密があると言われています。それについて知ったオトマイアー大将が、秘密は兵器であり、それを使って帝国内で確たる地位を得ようとしている、と信徒の中にはまことしやかに噂するものもおりまして……」
「秘密とは何だ?」
「何かの“毒薬”ではないかとは噂に聞きましたが、私にも詳しくは分かりません」
ゆっくりと頭を振った男性は、教会内で地位が高いわけでも無い自分にはわからないと答えた。
「教会上層部が何らかの秘密を王と共有していたのは間違いないとは思います。そうでなければ、こうもあっさりと本部を捨てて逃げ出すとは思えません」
上層部からの説明が無いことが信徒たちの噂話に信憑性を与えている、と男性は話した。
その件については自分が確かめる、としたうえでアルゲンホフは噂が広まらないようにと釘を刺した。
「そうでなければ、お前たち救国教はさらなる制限を受けると思え」
「はい。信徒たちには良く言い聞かせますので、どうかよろしくお願いいたします」
深々と頭を下げた男性を置いて、アルゲンホフは部下たちを連れて教会を後にした。
迎えた時と同様に建物前まで見送った男性は、奥の部屋へと戻る。
「お帰りになられました」
「わかっている。こちらも監視は付けた。宿が割れればあれも仕込める」
部屋の中には、片腕の男が立っていた。帝国の技術武官ブラッケだ。
「しかし、良かったのですか? 硝石畑の存在が知られてしまう格好になりますよ?」
信徒の男性は懐から出した瓶の液体を飲みこんだ。
「……ふぅ」
「そう慌てて中和薬を飲む事も無いだろう」
「実際に飲むと不安なものですよ。それよりも、貴方がここにいることが外の帝国兵に露見するのはあまり良くないでしょう。お仕事に戻られたら如何です」
「言われずともそうする……茶を飲んだのは?」
「アルゲンホフ大将と部下が一人、ですね」
「では、準備は整ったということだ」
ブラッケは一つのソファを抱えて移動させると、床板を引き上げて隠し通路へと入り込んだ。
「では、俺も一芝居うつ準備を始めるとしよう」
●○●
「その件ならば技術武官のブラッケから皇帝への報告が送られています。内容は私も把握していますが、特に問題は無いはずです」
オトマイアーは連日で訪問してきたアルゲンホフを鬱陶しく思いながらも、話が城の地下にある硝石畑へと向いたことで、真剣な顔つきで話をしていた。
「事は重大なものであり、ブラッケは帝国の為に利用すると言っていますが、私は皇帝陛下へさらに技師を呼んで極秘裏に進めるよう進言しています。今は陛下の御判断をお待ち申し上げているのです」
「では、隠す意図は無いということだな?」
「内容が問題ですのから一般の部下以外には隠しますが、皇帝陛下に対して密かに動くような真似はしません」
技術的にはブラッケ以外にはわからない部分が多く、硝石畑の利用やそれによる火薬の製法についてはアーデル自身も見ても分からないことが多い。
ゆえに書類そのものはブラッケが書いているが、アーデルはしっかり目は通して写しも取っていた。
「そのブラッケという男、信用できるのか?」
「信用はしていません。ですが、皇帝陛下の人事に口を挟むような真似はできませんし、他に聖国の秘密を知っている者がおりませんので、不本意であっても注意しながら使わざるを得ません」
「……ブラッケは救国教の信徒か?」
アルゲンホフの問いに、アーデルは違うと答えた。
「しばらく部下に観察させていましたが、その時期に教会に立ち寄った様子はありません。また、持ち物も検査しましたが信徒であることを示すような物もありませんでした」
「そうか……わかった。この件についてはおれからも皇帝陛下にお話をすることにする。救国教の連中はどうにも胡散臭い。早く始末してしまうに限る」
「あまり手荒な真似は止めて頂きたい」
抑制しようとするアーデルを見据えて、アルゲンホフはじっと真顔のまま十秒ほど沈黙していた。
「……今は、私が旧聖国領の総督です。この地は今、救国教過激派の残党で不安定な状況にあります。今はそうでなくても、余計な圧力をかければ過激派に流れる者も出てくる」
それを考えて欲しい、というアーデルに、アルゲンホフは無言で頷いた。
「わかった……だが、おれたちは征服者だ。あまり現地の者に感情移入するのも良くない」
「感情で言っているのではありません。あくまで帝国の利益の為に考えていることです」
「帝国の利益か……わかった。今日のことは皇帝陛下へお伝えしておく」
「よろしくお願いいたします。陛下の忠実なる臣は援軍を欲しているとも改めてお伝えいただければ幸いです」
宿へと戻ったアルゲンホフは、この二日間でこの旧聖国首都に流れている不穏な空気を嫌と言う程感じていた。
「歯がゆいことだな」
自分がこの地の総督であれば、まず救国教の信徒を隔離する措置を取るだろうし、怪しい人員であれば皇帝の命で来た人物であっても軟禁くらいはするだろう。
「その間に、一軍を以て片端から抵抗勢力を潰して行けばよいのだ。どうせ聖国の残党には帝国と本格的に事を構えるような余力など無い」
「ですが、オトマイアー大将の性格からして、それを選ばれることは無いでしょう」
「そこがあいつの弱点だ。選択して切り捨てることを避ける」
アルゲンホフは宿の一室に用意された食事を前にして語っていた。その間に、副官以下の部下数名が先に料理に口を付けている。
「そこまでする必要は無い」
とアルゲンホフは言ったが、副官は教会本部で話が出た“秘密”が噂通り毒であれば、調査に来たアルゲンホフを邪魔に思った何者かがアルゲンホフを毒殺する可能性があると主張して譲らなかった。
「オトマイアーがおれを毒殺する、とでも言いたいのか?」
「その部下が暴走する可能性もあります」
アルゲンホフはオトマイアーが嘘をついているとは考えられなかったし、城にある秘密も毒では無く町を破壊した際に使われた兵器の為の道具であるという説明にも、報告書を見せられたことで納得していた。
「部下。例えば、ブラッケとかいう技術武官のことか」
毒見が終わり、アルゲンホフはまるで皇帝の扱いだと思いながら料理に手を付けた。
その時、一人の人物がアルゲンホフを訪ねてきた。
「お初にお目にかかります、アルゲンホフ閣下。こちらへお越しと伺いましたので、挨拶だけさせていただければ、と」
「まず名を名乗るのが礼儀では無いか?」
ワインがたっぷり入った陶器のボトルを抱えてきた人物は「これは失礼」と敬礼をして見せた。
「帝国技術武官のブラッケと申します」
「お前がブラッケか」
アルゲンホフは食事を続けながら、ブラッケを上から下まで観察する。
黒づくめの服に黒のマントというなんとも陰気な格好で、肘から先を失った右腕はマントの中に隠し、左手で持っていた酒瓶をテーブルへ置いた。
「手土産です。この国の土地は痩せていますが、葡萄は良いものが育つのです。それで作ったワインは絶品ですよ」
「では、お前も座って飲んでいけ」
アルゲンホフは杯を用意するように部下に言うと、命じられた一人は自分で厨房の棚から念入りに選んで杯を二つ持って来た。
「帝国式だ。お前の方が先に飲め」
「そのような決まりがありましたか。ご教授感謝いたします。では……」
アルゲンホフの部下が注いだワインを掲げ、一気に空にしたブラッケは杯を掲げながら笑った。
「美味い。今年は特に出来が良いようです」
ブラッケの様子をしばらく見ていたアルゲンホフは、その様子に変化が無いことを確認してから、ワインの香りを確かめた。
特に違和感を感じなかったアルゲンホフは、陶器の杯の中で揺れる赤い液体を見てから、ぐっと一口飲みこんだ。
すぐには何も無い。
杞憂かと考え食事を進めながら、目の前にいるブラッケからも話を聞く良い機会だと考え、まず何から問うかを考えていたその時だ。
「……ぐっ……!?」
胸に鋭い痛みを感じたアルゲンホフは素早く視線を落とした。まるで刺されたかのように感じたが、見た目には変化が無い。
しかし、見下ろした膝の上に赤い液体が落ちる。
「ぐふっ!」
咳き込むたびに口からこぼれる血が飛び散り、慌てて立ち上がった部下たちと一緒に、驚いているようすのブラッケが駆け寄りながら叫んでいるのが聞こえた。
「医者を呼べ! それとこの宿にいる者を全て取り押さえろ! 食事中に閣下がお倒れになられた!」
根拠は無いが、アルゲンホフはその言葉が空虚なものに聞こえていた。
なるほど方法は分からないが、これはブラッケが仕込んだ何らかの毒が原因かと直感し、同時に同じ症状を見せていた前皇帝もまた、同じものを飲まされたのだと察した。
しかし、アルゲンホフの思考はそこまでで途絶え、二度と目覚めることはなかった。
お読みいただきましてありがとうございます。
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