90.特命
90話目です。
よろしくお願いします。
「では、オトマイアー大将とお会いになるために、ここまで?」
「その通りだ。オトマイアーはどこだ?」
旧聖国領の王都跡。現在はアーデルトラウト・オトマイアーが率いる帝国の軍が本拠地としている町にやってきたアルゲンホフは、町の警備をしていた兵士が驚くほど少ない人員のみ連れていた。
「旧聖国領といえど、今は帝国内だ。何を恐れる必要がある」
盗賊などが帝国の軍隊に手を出すことはほとんど無いのであながち間違った話でもないのだが、大将格としては十人程度の集団というのは異例と言って良い。
「オトマイアー大将は、旧王城におられるはずです。ご案内させていただきます。こちらへ」
警備の一人が先導し、アーデルのところへ案内する。
その間に、一人の兵士がアルゲンホフの到着をアーデルへ知らせるため、鎧を脱いで駆け足で城へと向かった。
町の人々はゆっくりと馬を進めるアルゲンホフ一行を見て、また新たな帝国の軍人が来たと思って遠巻きに見ていたが、その表情は恐れに満ちた顔だった。
これは決してアーデルが住民たちを弾圧していたからでは無い。その逆で彼らの生活に干渉することが無かったからだ。
もし、新たに責任者が着任してアーデルが去るとなれば、後任の者は一転して民衆に対する弾圧を強めるかも知れない。
それは彼ら旧聖国の民にとって旧国時代の再来であり、忘れたくともそうはいかない悪夢の記憶だった。
「オトマイアー大将が新たな王ならば……」
それは旧王都内で誰ともなく言い出した言葉であったのか。あるいは誰かが本心から願って広めようとしたのか、それは分からない。
だが、多少の破壊の後で訪れた安寧に希望を見出していた民衆の間で、その話は瞬く間に広がっていった。
「む?」
馬を進めながら、怯えた顔をする民衆を観察していたアルゲンホフは始め、自らが総督職を勤める旧グリマルディ王国の人々と比べて、どこも反応は変わらないと思っていた。
しかし、人々の言葉に「王」という言葉が聞こえたことに気づき、近くにいた副官を呼び、馬を寄せてきたところで耳打ちをする。
「なんと。……畏まりました。一人、連れていきます」
密かに命令案内の兵士の目を盗み、副官は一人に手招きをしてそっと列から外れていく。そして、近くにあった宿に馬を預けると、すぐに服を着替えて町の噂を収集するために繁華街へと向かった。
アーデルとの話し合いが終わり、それでも疑いが晴れない時の為に用意していたものだが、町の会話が気になったアルゲンホフがすぐに調査するよう命じたのだ。
彼らには別の随行員が接触し、後の行動を決定することになっている。
「単なる民衆の与太話であれば良いが。まさかな……」
「どうかされましたか、アルゲンホフ閣下」
案内役の兵士が振り向くと、アルゲンホフは頭を振った。
「周囲を見ていただけだ。オトマイアー大将は城に籠っているのか?」
アルゲンホフの質問に、案内の兵は「籠っていると言うより、出る余裕が無いと言った方が良いかと」と苦笑しながら答えた。
「各所で救国教が裏にいると思われる暴動や事件が起きておりまして。オトマイアー大将は兵の配置や帝都への増員依頼などで忙殺されております」
「救国教か。確か聖国が国教としていた宗教であったな」
「連中は一般の民衆に混じって兵士を襲ううえ、巧妙に集団のリーダーを隠すように行動するので非常に厄介なのです」
さらにはある程度戦闘が続けば、あっという間に逃げ散ってしまう。土地勘の無い帝国兵たちでは追うことも難しく、後手後手に回っているのが現状であるという。
「とても国土全てを索敵するほどの人数はおりませんからある程度の調査で予測は立てているのですが、芳しくない状況です」
旧王都だけは綺麗に調査をし終えたので安心して欲しいと語る兵士に、アルゲンホフは大きく鼻から息を吐いた。
「ぬるいな、オトマイアーは」
怒り露わな声に驚く兵士を馬上から見下ろし、アルゲンホフは低く響く声で語る。
「そういう連中は民衆に聞けば概ねわかる。怪しげな連中は片っ端から捕えて尋問すれば良いのだ」
同じ話を、アルゲンホフはオトマイアーとの面会でも語り、その時に兵士が見せた困惑をアーデルも見せた。
「それは、流石に乱暴に過ぎるでしょう。私たちは人数が少ない。民衆から一定以上の信頼を得られなければ彼らを敵に回すことになります」
突然の訪問ではあったが、アーデルは書類とにらめっこしているよりは相手がアルゲンホフでも人と話すのは気が晴れるだろうと考えていた。
それを今、間違いだったと痛感している。
「宗教は聖国民に浸透しているのは間違いない。許可すべき活動範囲を設定して、そこから外れる過激な連中のみを捕縛している最中です。問題は人数にあります」
「ふん。宗教にどっぷりつかった者たちであれば、仲間が殺されたり捕まったりすれば、逆に死に物狂いで反撃に出るだろう」
「だからと言って、一方的な弾圧でどうなるものでも無いのです。今は大人しい者たちと反発する者たちを分けて考え、抵抗しなければ問題無く生きていけることを示す必要がある時期でしょう」
また、アーデルはアルゲンホフが持って来た“オトマイアー大将が大公位を狙っている”という噂については、軽く笑い飛ばした。
「言ってはなんですが、このようなトラブルだらけの領地を得たとしても、私の寿命が縮まるだけです。むしろ総督職を誰かに変わってほしいくらいです」
「……その言葉、信じよう」
おや、とアーデルは意外に思った。アルゲンホフという人物は女性であり若い将軍である自分をあまり好いていないと考えていたからだ。
「完全に信用しているわけではない」
用意された紅茶を飲み、熱さを気にも留めず一気に飲み干したアルゲンホフ。
「ただ、前皇帝陛下がお倒れになられた際に卿が見せた行動については一定の評価をしているつもりだ」
「……ありがとうございます」
アルゲンホフは立ち上がり、街中で宿を取ると言った。
「城内に部屋をご用意しますよ?」
「不要だ。参考のために街中でどのようなことをやっているか見せてもらう」
「……では、町の兵士達に伝えておきましょう。いつ訪問されても、ご質問に答えるように日中は各部署の責任者に待機させておきます」
助かる、と言い残してアルゲンホフは去った。
彼が見えなくなると、アーデルはどっかりとソファへと腰を下ろし、冷めかけた紅茶に口を付ける。
「私が大公……? どこの誰が言いだしたか知らないけれど、迷惑ね。そう、迷惑だわ」
カップを置いたアーデルは、すぐに副官の一人を呼んだ。
「へんな噂が出ているみたい。町中でどう言われているかを調査して、出所を調べて頂戴」
●○●
旧聖国王都は、一部がまだ破壊された状態から復旧しておらず、無惨な残骸を積み上げたままになっていることを除けば、活気が戻りつつあった。
とはいえ、高級店の上客であった王宮勤めの貴族たちは多くが戦死するか帝国兵に捕えられて処刑されているため、庶民たちのエリアに比べて貴族街は火が消えたように静かになっているのだが。
調査の為に謹慎として閉じこもっている中級以下の貴族たちやその家族は貴族街に残っているはずなのだが、まるで息をひそめているかのようだ。
救国教の上層部も戦闘の間に逃げてしまっており、それもあってアーデルは救国教の全貌を確認する事が出来ず、各地の狂信者とも言える者たちを押える情報を得ること難しくなっていた。
繁華街である程度の情報を集めたアルゲンホフの副官とその部下は、貴族街まで足を延ばしていた。
「人がいませんね……」
「いや、いる」
部下の言葉を否定して通りの端をゆっくりと歩いていく副官は、建物の窓から外を窺っている人物を幾人も見かけた。
「ここの者たちは、自分たちがいつ帝国に捕縛されるかと考えて恐々としているんだろう。皇帝陛下は不必要に自国民を傷つけるような御方では無いが……彼らは、変化に付いて行けていないのだろう」
辻ごとに帝国兵が巡回をしている姿があり、平民たちの町に比べると格段に高い緊張感が漂っている。
「ランジュバン聖国は宗教国家であったはずだが、貴族たちはそれを単なる“道具”としか見ていなかったんだろう。繁華街や平民の住宅区でも見かけたような、祈りを捧げている者たちが見当たらない」
「本当ですね。ここの連中は、神様に祈ることに意味が無いとでも思っているんでしょうか?」
そうだろう、と副官は頷く。
「宗教なんてのは利用する側にとってみれば、信じて集まる者たちを利用するためであって、自分たちが縋るためのものじゃないんだ」
「副官殿は、宗教をお嫌いなのですね」
「嫌いさ。……いくら信心深くても、戦場で死ぬ奴は死ぬ」
苦虫を噛み潰したような顔をした副官が呟くと、近くから叫び声が聞こえた。
「何でしょう?」
「巡回の連中も向かっている。行ってみよう」
平民のふりをするために剣も持っていない状態だが、何か騒動が起きているらしいことがわかっている以上、確認しないわけにはいかない。
「走るぞ」
「はい!」
巡回の兵たちが走っているのを、少し距離を空けて追う。
二ブロック程走ったところで、戦闘が始まっている場所にたどり着いた。
そこは行き止まりになっている路地で、幅三メートル程ある通りの両脇を、石造りの建物で塞がれた薄暗い場所だった。
「何を考えている! 馬鹿どもめ!」
路地の奥側で戦っている数人のうち一人が叫ぶと、彼らを路地に閉じ込めるようにして戦うグループの一人が返した。
「黙れ。アーデル様を裏切っておいて、何を言う」
「アーデル様? オトマイアー大将のことか! 俺たちは裏切りなどしていない!」
驚くことに戦っている集団は来ている鎧から見て両方とも帝国兵だった。
「アーデル様は帝国の内部に救国教の手先がいると気疲れ、我々のような優秀な兵士に密かに調べるように命じられたのだ」
「ば、馬鹿な! 俺は救国教になど……」
弁解しようとする帝国兵を、アーデルの名を出した兵士達が容赦なく斬り殺していく。
人数差はわずかに封じ込め側が多かったに過ぎないが、心理的なものもあったのだろう。副官と部下が建物の蔭から見ている間に、路地に押し込まれた側の兵士達五人が、全て殺害されてしまった。
「あんなのって……!」
「待て。しばらく様子を見よう」
副官が見ている前で、彼の前を走って現場に到着した帝国兵達が困惑していた。来るなり味方同士の戦闘が始まり、司令官の名前を出して攻撃した側が圧勝したのだ。止める間も助ける間もなかった。
「これは、一体……」
「遅かったな。……これを見てみろ」
先ほどアーデルの名を出していた兵士が死体の首元を探ると、そこから首飾りが出てきた。十字架を二つ、斜めに重ねたようなデザインは救国教のシンボルだ。
「それは!?」
「帝国兵の中に裏切り者がいる、ということだな。ここはアーデル様より命令を受けた我々が処理する。持ち場へ戻っていい」
「わ、わかった。裏切り者か……」
「そうだ。充分に気を付けてくれ」
まさか帝国の中にまで、と顔を合わせて持ち場へ戻る帝国兵たちを見送り、命令を受けたと言う部隊は死体を引き摺って去っていく。
その際に、副官は中の一人と目が合ったような気がして、彼らを追うことを断念した。
「副官殿……」
呼びかけられながらも、副官は額に汗をにじませながら考えていた。先ほど見た光景の中に、妙な違和感を覚えたのだ。
「……とにかく、宿へ戻ろう。アルゲンホフ大将からの連絡が来ているかも知れない」
自分の中に生まれた疑問に頭を悩ませながら、彼らは人目を避けるように現場を離れた。
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