84.忙殺と不満
お待たせいたしました。
第四章を開始いたします。
よろしくお願い申し上げます。
ラングミュア王国国王ヴェルナー・ラングミュアは疲れ果てていた。
玉座の間を出て自らの執務室に戻った彼は、まだ十八歳の身体を弛緩させてソファへと倒れ込む。
「行儀が悪いですよ、陛下」
「頼むから、少しの間は見逃してくれ……」
オットーが注意してもヴェルナーは手を軽く振って小さな声で応え、すぐに寝息を立て始めた。
仕方ない、とオットーは謁見を求める文官たちに一度部署へ戻って出直すように伝えると、国王とは思えぬほど披露し、目に隈を浮かべた主にそっと薄いブランケットをかけた。
「異能は能力者を振り回す、ということですか」
部屋の中で警備に立っていたアシュリンに目くばせをしたオットーは、書類を抱えて自らの執務室へ戻る。
そこに、マーガレットとエリザベートの二人が訪ねてきた。
「おや。お二人で私の執務室にお越しとは。珍しいですね」
一気に緊張した面持ちになったオットーの部下たちが急いで紅茶を用意しはじめる中、二人の王妃はオットーに促されるままにソファへと腰かけた。
「それでは、御用向きをお聞かせください」
「ヴェルナー様の仕事内容の調整についてお願いしたいのです」
先に口を開いたのはマーガレットの方だった。豊かな金髪を揺らしながら青い瞳を向ける彼女の表情は、困ったような、苦笑のようなものだ。
対して、その隣に座るエリザベート王妃は完全に怒りの表情だった。
「ここ一ヶ月、ヴェルナー様にちゃんとお相手していただけてませんわ。寝室に戻られても、使い古しのハンカチみたいにくちゃくちゃに疲れ果ててらっしゃって、二言三言の会話をする間に眠ってしまわれます」
「お相手……なるほど」
オットーは全てを聞かずとも、二人の不満について理解した。
要するに、ヴェルナーが王妃たちと夜の営みをする体力が残っていない、と不満を述べているのだ。
「しかし、なぜ私のところへ?」
「ヴェルナー様の予定は全てオットーさんが作成されていると聞きまして」
即答するマーガレットに、オットーはどう答えるべきか頭を抱えた。
確かにオットーが秘書官としてヴェルナーの予定を全て把握し、調整している。それも全てヴェルナーからの信頼の証であり、国王であるヴェルナーに対して強く言える人物が他にいないということもある。
しかし、それは『ヴェルナーの仕事を減らせる』ことにはつながらない。
唯でさえ国内での産業や技術開発が活発になってめまぐるしい変化が起きているうえに、その変化の潮流は大元がヴェルナーのアイデアや指揮にあるのだ。
港湾工事は各所で進み、鹵獲した船舶の研究と同時に独自艦の建造も進んでいる。
軍事面ではヴェルナーが作成した新たな戦闘メソッドを取り入れた訓練が進み、その指導を視察しないわけにもいかない。
技術面では製鉄技術の向上が重点目標とされ、さらには蒸気機関の基本形ができつつある状況だ。
国内の何もかもがヴェルナーから出て、彼しか知らない内容が多いことが問題だった。
そして、彼にしかできない事もある。
「陛下には、まだまだ港湾工事や開拓作業にご協力いただかねばならぬ状態でして、国内の移動が多いのは決して効率を無視しているわけではないのです」
ご理解ください、とオットーは頭を下げた。
ヴェルナーが使うプラスティック爆薬の利用に関して、一部は彼がいなくとも使えるようになった。
一人はイレーヌの存在がある。彼女の雷撃魔法はプラスティック爆薬を起爆できるうえ、遠距離からでも使用可能だ。
次に火薬の存在があった。聖国から持ち帰ったものだが、油を染みこませた導火線を使うことで離れた場所からプラスティック爆薬を起爆することに成功したのだ。
とはいえ、ヴェルナーで無ければ分量の調整や設置個所の指定が難しい面もあり、新たな港湾を作成する予定の岸壁や採掘現場などへは最低一度は視察に行き、手順をヴェルナー自らが指揮する必要があった。
「陛下に高い能力がおありであるゆえのことです。長くお側に仕えさせていただいている私ですら、陛下が考案される内容を理解できないことすらあるのですから」
「それは、わかりますけれど……」
流石のエリザベートも、オットーが淡々と並べたヴェルナーの仕事量については口の挟みようが無かった。
たとえ予定を圧縮して前倒しで片付けたとしても、時間が出来た分ヴェルナーの消耗は激しくなる。それは彼女たちの本意では無い。
すっかり気落ちしてしまった二人の王妃を前にして、オットーは目を閉じて考えた。彼にしても、主ヴェルナーが妻を寂しがらせている状況を良いこととは思っていない。
「……両王妃殿下のお考え次第ではありますが、ヴェルナー陛下とのお時間を、それも昼夜共にお過ごしいただける案はございます」
「教えてください」
それは二人の声が重なった即答だった。
「陛下が港湾等の現地へ向かわれる際にご同行されるのです。当然ながら道中でも陛下は事務処理をなさっておいでですが、お二人のご協力があれば多少は早く済ませることができるでしょう」
オットーは知っていた。ヴェルナーが男性ばかりの気楽な現場巡りを楽しんでいることを。王妃や侍女に囲まれた環境を嫌いではないが、気疲れせずに済むある種のリラックスタイムであることを。
良い提案だ、とはしゃいでいる二人の王妃を前に、そんな事実を口にする勇気をオットーは持っていなかった。
というより、王妃を放置していると城内の者たちや国民に勘ぐられるよりも、堂々と仲睦まじい姿を衆目に晒して貰った方が好都合であるという計算の方が先に立った。
申し訳ない、と内心で呟いたオットーは、手帳を取り出してヴェルナーの予定を確認し始めた。
●○●
「一種の反逆罪だと思わないか? デニスよぅ」
「はは……」
ヴェルナーと同じ箱馬車にて向かい合っている近衛騎士デニス・ジルヒャーは、国王の愚痴にぎこちない笑みを浮かべるしかなかった。
数台の馬車が並び、ガラガラと石畳の街道を走る。その向かう先は新たに工事開始予定の海岸だ。
マーガレットとエリザベートは後ろの馬車に乗っており、護衛としてアシュリンが付いている。
工事予定の現地にはイレーヌが兵士を率いて先行しており、近隣の町でヴェルナー達が宿泊する手配をする予定だ。
王だけでなく王妃たちまでが宿泊すると聞けば、その町を治める貴族や責任者は大慌てになるだろうが、そこまで気を回してもしかたがない。
「オットー様から、今回は道中でも極力ご夫婦の時間を作る様に言われております」
「そう思うなら、決裁書類は減らしてもいいんじゃないか? いくら乗り物に強くても酔うぞ、これは!」
そう叫ぶヴェルナーは、ベンチシートの左右と、目の前に特別に設置されたデスクの上に積み上げられた決裁書類を叩いた。
「オットー様が言われるには、最低限の量に減らしたそうなのですが」
「以前の帝国領行きの時より、増えているようにしか見えないんだが……」
オットーがそう言うなら本当なのだろう、とヴェルナーとしては納得するしかなかった。ヴェルナーが無駄に苦労するようなことはしないという信頼はある。
しかし、今回は王妃たちのためにヴェルナーが疲労することについては無視された節があった。
「今回の旅に出る前も“王妃との時間を作るため”と称してあんなにギチギチのスケジュールをこなしたのになぁ……」
慣れた手つきで書類を捌いては無いように目を通し、ザクザクとサインを書き入れていく。デニスも書類の整理を手伝い、時折ヴェルナーから意見を求められると、戸惑いながらも答えた。
時折、真後ろの馬車から女性陣の笑い声が聞こえてくる。小さくではあるが、ペンと紙の音だけが響く静かな馬車内にはしっかりと届いた。
「楽しそうだな」
「今回の旅を、お二方ともとても楽しみにされておられましたので。戦いが続いておりましたから、気が休まる暇も無かったかと」
「そうか。そうだな」
ヴェルナーは、思い返せば十三歳の頃から戦いの絶えない人生を送っており、その度に妻たちへ苦労や負担をかけてきたのだ、と改めて感慨にふけった。
すると、その沈黙に何を考えたのか、デニスが慌てた様子で言葉を並べる。
「その……陛下がそうなされたことについて非難しているわけではありません。それに、両王妃殿下とも、陛下と離れている時間を寂しくは感じられていても、陛下のお心について疑念を持たれたわけではないかと……」
「わかっているから、落ち着け」
苦笑したヴェルナーに窘められ、デニスは視線を落として座りなおした。
「実際。忙し過ぎることの犠牲になっているのはわかっているからな。このままだと、王国史上初めて嫁に逃げられた王になるかも知れないな……よし!」
ばっさばっさと乱暴に書類をまとめたヴェルナーは、走行中の馬車の扉を開いて並走する護衛騎士に手招きする。
「ご用でしょうか、陛下……うわっ!?」
馬を寄せて用件を聞こうとした騎士は、ヴェルナーが突然後ろに飛び乗って来たことで思わず声を上げた。
上手く飛び移ったことで、馬の方は迷惑そうにちらりと目を向けただけだった。
「後ろの馬車に行くから、送ってくれ」
「陛下! 今日の分がまだ終わっておりません!」
「町に着いたら片付けるから安心しろ。オットーには内緒だぞ!」
馬車から身を乗り出したデニスに、ヴェルナーは軽く手を振って応える。
飛び乗られた騎士はデニスと顔を合わせて諦めたように首を横に振ると、馬の速度を落として後ろの馬車へと向かった。
●○●
「木材が足りません。鉄の採掘ももっと急ぎませんと供給が間に合いません。あちこちの部署から色々と話をまとめましたが、大きくまとめればその二点です」
顔を合わせるなり、イレーヌは海軍及び技術部からの連絡を取りまとめた書類をヴェルナーへ手渡した。
「デニス。木材の消費を抑えるためにも書類を減らすというのはどうだろうか?」
真面目な顔で隣りのデニスに話しかけたヴェルナーだったが、「王国内の事務書類用紙は全て木材ではなく特殊な草を鞣して作られている」と言われてしまった。
「ちっ。第一、足りないからと言ってホイホイ増やせるようなもんじゃないだろうに」
「そこで余が良い提案を持って来た」
「なんでここにいる……」
「それが、急に訪ねてこられまして……」
困り顔のイレーヌに気にしないようにと伝えながら、ヴェルナーは突然現れたスド砂漠国国王ミルカへと目を向けた。以前みた時と同じようなゆったりと布を巻きつけた衣装に身を包み、レオナを従えて悠然と立っている。
「王がホイホイ国を出て良いのか?」
「ヴェルナー殿もあちこちへ出かけているそうじゃないか。対して変わらん。なぁに、今回は王妃を連れての旅行も兼ねているということは知っているからな。そう長居はしないとも」
今回の旅行に関して、とりたてて情報を隠したわけではないが、ミルカが知っているというのは驚愕だ。それだけスドの諜報能力が高いと言うべきか、ラングミュアの情報保持がザルというべきか。
「ならさっさと話せ。生憎こっちは忙しいんだ」
「ふむ。余としてもご婦人方の不興を買うつもりもないのでな。そうしよう……ん、ぐふっ……」
ヴェルナーの後ろにいたマーガレットとエリザベートへと視線を向けたミルカは、微笑みを向けると口元を押えて咳き込んだ。
「どうした?」
「いや、失礼。少しむせてしまった」
苦笑しながら話を続けるミルカに、マーガレットが水を持ってこさせて手渡す。
「これは、ありがたい」
木のカップにたっぷりと満たされた水を半分ほど飲むと、ミルカは話を続けた。
「例の聖国が狙っていた黄色い石だが、聖国の商人がぱったりと姿を消したわけだが」
「当然だな。国が無くなった以上、連中はあれを手に入れる理由もなくなった。それ以上に自分たちの身の安全を計るのに必死だろう」
「その通りだ。実際、幾人かは亡命を希望して来たからな。使えそうな者は受け入れてやった。いずれ期を見て聖国の情報なり聞き出すつもりでな。で、重要なのはここから先だ」
ミルカはそこまでいうと、軽く咳き込んで残りの水を飲んだ。
「何者かがここ数ヶ月の間に例の山から無許可で石を運び出しているという話を掴んだ。運び出された先は、おそらく帝国だ」
それともう一つ、とミルカは続ける。
「聖国の生き残り、それも王の側近だった男が皇帝に飼われているらしい。これが何を意味するのか、ヴェルナー殿なら想像がつくと思うのだが」
ヴェルナーは大きく首を横に振った。
「残念だが……わかる。また戦いが起きるぞ、これは」
「ヴェルナー様……」
不安げに声をかけるマーガレットの頬を撫で、ヴェルナーはエリザベートへと目を向けた。
引き結ばれた彼女の唇は、わずかに震えている。
お読みいただきましてありがとうございます。
今回より、拙作『よみがえる殺戮者』と同様に21時更新とさせて頂きます。
今後ともよろしくお願い申し上げます。