72.ラングミュアも動く
72話目です。
よろしくお願いします。
ヘルムホルツ帝国。その新たな皇帝の考えを知る者たちの予想では、グリマルディ王国との戦闘は何ら問題なく終わるものだった。
グリマルディ王国は先の戦闘で多くの戦力を失っており、内陸国である帝国に対してグリマルディの海軍力は何ら意味をなさない。
ラングミュアとの関係が良好であれば迂回路を使う方法がもう一度使えたかもしれないが、それも先の戦いで敵対関係となり、不可能となっている。
ラングミュアはどう出るか。
皇帝自身は何らの予測も口にすることは無かったが、アーデルトラウト・オトマイアーや、グリマルディ王国侵攻へ携わるアルゲンホフやギースベルトなど大将格の者たちは共通の認識を持っていた。
ラングミュアは自国防衛に専念する、と。
「そう思ってたんだけどねぇ」
ルッツ・ギースベルトはグリマルディ王国との戦闘にあたり、国境北部、ラングミュアとも近い方面を担当している。
南部を担当するアルゲンホフとも馬で数時間の距離に陣を敷いている彼は、国境全体に斥候を広げ、大胆にもグリマルディ王国内にまで踏み込ませている。
実情として、ラングミュアと近い北部の国境はほとんど変化が無く、国境中央部と南部の貴族領地が一部帝国領となったばかりになっていた。
アルゲンホフはまだ行政上の混乱が残る地域を広く担当する事になったので、本来であればもう一人政治的なセンスのある将が中央部に当たっていれば良かった、とギースベルトは考えていた。
何故か。
アルゲンホフは軍人として武人の気質が強く、決して政治的には評価されたことは無い。そんな彼の部下たちは似たような気質の騎士が多くなるのは当然であり、武威を前面に出した強圧的な手段を用いて占領地にあたる事は明白だった。
結果として元グリマルディ王国国民との衝突が頻発したのだ。
アーデルならばもう少しうまくやっただろうし、ギースベルトもアルゲンホフよりはマシな方法がとれる自信があった。だが、助力には行けない。
「全く以て見事なタイミングという他ないな。まるで最初からトラブルを知っていたかのようだ」
斥候に出ていた部隊の一部から、グリマルディの港町の一つが襲撃を受けたという報告が届いた。
しかも、それはラングミュアの兵力によるものだと思われる。
「ラングミュア王国は帝国と獲物の取り合いをするつもりか?」
ギースベルトはすぐに皇帝へと報告を送るべきだと考えたが、ふと立ち止まって考える。アルゲンホフの方へ手伝いを向かわせる必要もある。それについての意見も送るべきだろう。
「新たな皇帝陛下の性格について詳しくないからね。……アルゲンホフを呼びつけてやるか」
ギースベルトは副官を呼んで二つの事を命じた。
アルゲンホフへ使いを出して御足労願いたいと伝えること、そしてラングミュアの狙いを知るために、さらに斥候の人数を増やす事を。
「しかし、これ以上兵を斥候に割くと本陣の守りが薄くなりますが」
「構わないさ」
副官の不安を、ギースベルトは否定した。
「ここは帝国領だよ。今も昔も。ここに敵が来たならグリマルディ王国攻めなんて二の次の話になる。そうなればさっさとアルゲンホフ大将の軍に合流するだけだ」
翌朝、アルゲンホフと打ち合わせと情報交換を行ったギースベルトは会談後すぐに皇帝へ向けて書簡を発した。
ラングミュア王国の動きに注意すべきであること、そして占領地の統治責任者を大将とは別に用意して欲しいという要請である。
「これで皇帝がどう出るか、それ次第だな」
「……何がですか?」
副官はギースベルトの言葉に、若干の不安を覚えつつも聞かずにはいられなかった。
「皇帝が何を考えているかがわかると思う。今の時点で本来なら私とアルゲンホフの位置がまず逆だったと思うんだ。要請を受けて、これでも単に突撃を命じるような、ついて行けない感じなら軍を辞めて田舎に帰るよ」
ギースベルトの弁は副官にとって意外だった。
見た目は優男だが、ギースベルトはある意味で武人らしい性格のアルゲンホフよりも怖い部分があるサディストだった。戦闘を楽しむような部分があり、必要以上に敵を傷つけることも珍しくない。
「どんなに優れた将でも、トップが不要な戦いを命じれば失敗する。失敗する結末しかない戦いがある」
ギースベルトは舌打ちした。
「前皇帝は勝てない戦いはしなかったし、しっかり準備をする人だった。だから私も戦場を“楽しめた”んだよ」
勝てない戦いを必死で生き残る様な真似をさせられるなら、軍にいる意味は無い。ギースベルトははっきりと言った。
●○●
ギースベルトが掴んだ情報は正確なもので、実際ラングミュア王国軍は船を使ってグリマルディ王国への攻撃を開始していた。
しかし、目的はグリマルディ王国の土地を削り取ろうというものではなかった。
狙いは、船と港にある。
「しかしこれは、重労働だな」
船上にて溢したのは、船のうえで指揮を執っているオスカー・ルーデンだった。
一度王都にてヴェルナーから正式な海軍大将の任命を受けた彼は、その場でこの作戦を命じられた。
彼の乗る船は使い慣れたラングミュア第一号船である、グリマルディ王国から譲り受け、唯一残っている船だ。
その船に引っ張られ、約半数の人員が乗っている同型船が一隻。さらに並走するようにもう一隻がラングミュアへ向かって進んでいる。
王都にてヴェルナーが命じたのは、簡単に言えば強奪だった。
「なんというか……王族の考えることとは思えないが……んん!」
王批判にあたる、と自省したオスカーは自らの頬を両手で叩いた。いっそ景気よくすら感じる破裂音が甲板上に響く。
「とにかく、この作戦を成功させればボーの立場も良くなる。第一回作戦は上手くいったのだから、これで船も増えて乗員の訓練も飛躍的に進むはず。自分の軍隊を自分で作る等前代未聞な気もするが……陛下にはお考えあってのことだろう」
オスカーは今、グリマルディの港を襲って船を奪ってきた帰り道だった。最初に襲ったのはイレーヌたちがいくつかの船を爆破したあの港であり、奪ってきたのは別の港から寄稿していた船だ。
海側から襲われるという初めての体験をしたグリマルディ王国の港では、警備隊は大した役にも経たず、半舷上陸で乗員が少なかった停泊中の船は大した抵抗もできなかった。
海に落ちたり桟橋へ逃げたりした敵兵を見送り、オスカーと部下たちは港に会った二隻の船を悠々と奪うことに成功した。
ヴェルナーが作った作戦概要にそってのことだが、拍子抜けするほど上手くいっている。
王都にてヴェルナーがグリマルディ王国への攻撃を命じた時、オスカーは驚いた。彼が自分からグリマルディ王国を追い詰めるような真似をするのが意外だったからだ。
しかし、王の考えを聞いたオスカーは膝を打った。
ヴェルナーは船を狙ったのは“ついで”であり、必要なのは帝国に対する妨害だった。
「帝国が船を得るのは避けたい。完全に止めるのは不可能だろうが、運用開始は極力遅らせたい」
オスカーの他、オットーやミリカン、そしてオスカーは初めて見るボニファーツ・バーレという男を前にしてヴェルナーはそう言った。
「面倒なことだが、あまり信用が置けない人物が帝国のトップに立った。おまけにグリマルディ王国を攻撃しようとしている」
グリマルディ王国が帝国に併呑されることそのものをヴェルナーは問題としなかった。現時点で戦災を受けた地域を抱えているグリマルディを自国領地とするのは、負担が大きいだけで利は少ないからだ。
だが、操船と造船の技術については別だった。
「帝国は無駄に大きいからな。それが船という移動手段を手に入れたら、手の付けようが無くなる。帝国は強い。しかし海には出てこない。だからバランスがとれていたんだ」
そこで、ヴェルナーはオスカーに命じて可能な限りの船を奪ってくるように命じた。
「近い場所からで良い。帝国はグリマルディを治めるのにしばらくは手一杯だし、こっちも手が足りない」
「そして、船が揃ったら吾輩たちの出番ですな」
ずい、と派手な紫色の制服を着たボニファーツが前に出てきて、自己紹介と握手をオスカーと交わした。
第二段階として、ボニファーツ率いる兵士達がグリマルディ王国の港町にはいる予定になっているのだ。
船を失い、国も奪われそうになっている造船技師と操船技術のある兵士をスカウトするために。そのために、オスカーは最初の襲撃でグリマルディ兵を殺してはいない。
「取られる前に取ってこよう。残すのは、壊れた港だけで良い」
普通に戦うよりも気疲れしそうな内容だ、とオスカーは思っていたが、気分は悪くなかった。
「余計な死人が出なくてすむし、海軍も増強できる。……良し! 頑張ろう!」
早く帰ってバンニンクに会いたい、と愚痴りながらも、オスカーは楽しげに作戦を遂行していた。
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