68.帰途の襲撃
68話目です。
よろしくお願いします。
「忙しないことだな……」
呟くミルカの目の前には、聖国からの使者だというラウク家の男を名乗る人物が立っていた。
笑みを浮かべ、丁寧な礼を見せているこの男は、チェニェクと共にいた人物とはまた別の男だ。
「どうやら前任者が勝手な真似をいたしまして。今回はそのお詫びのために参りました」
まだヴェルナーがスドを出てから十日と経っていない。その早さの裏には、転移ができると思しき人物がいるのだろう。
それが悟られても良い状況になっても、聖国はミルカとの接触を急いだ。その裏にはどんな目的があるのか。
ラウク家の男は名をデズンと名乗り、ミルカに対して運び込んできた物資の目録を渡した。
内容はかなり豪勢な物で、先日の戦闘で受けた被害と比べてもかなり高価なものだった。特に食料は備蓄が可能な穀物が多い。
「これだけの物をどうやって運んで来たかは、聞かれたら困るのだろうな」
「いえいえ。陛下はその目でご覧になられたかと思いますが、我がランジュバン聖国には離れた場所へと瞬時に移動する魔法を使える者がおりますので、その者にやらせました。私が移動してきたのもその方法です」
「これは驚いた。そのように手の内を明かして良いのか? それとも、余の口を封じる予定でもあるのか」
言葉ではそう言いながらも、ミルカは少しも驚いた様子を見せていない。不穏な言動に、デズンではなくミルカの背後にいたレオナの方が反応した。
ナイフを抜こうとするレオナを、ミルカが手を振って制する。
「とんでもございません。全てはスド砂漠国との友好関係を壊さぬための事です。私どもにとって重要な交流のある国ですから、ここで関係を崩したくはありません」
「そうか。なるほどな」
納得した、と大仰に頷きながら、ミルカはデズンの言葉が持つ妙な軽さを感じていた。思ってもいない事、という雰囲気が伝わってくる。
ニコニコとスマイルを浮かべてはいるが、デズンはミルカどころかスド砂漠国そのものに対しては欠片も敬意を抱いていないだろう。
「では、単刀直入に聞こう。チェニェクを抱き込んでの策に失敗してからすぐに余の前に姿を見せた、その狙いはなんだ」
「はい。実は我が国が欲している物がございまして……スドにある山の中には、酷い悪臭を放つものがあると思いますが、そこにある石が欲しいのです」
ヴェルナーから“聖国の狙いは一般的に高価とされるものでは無い宗教的なものかもしれない”と聞かされていたミルカは、デズンの言葉に思わずにやりと笑った。
その笑みを見たデズンは、ミルカが聖国の狙いが砂漠国にとって無価値なものであった事に対する嘲笑だととったらしく、苦笑いを浮かべた。
「およそ売れるような物ではありませんが、我々にとっては有益な物なのです」
「ほう、有益とは? いや待て。聞くばかりではつまらぬ。そうだな……何かの薬に使えるのではないか?」
ミルカの言葉にデズンの目がわずかに歪んだ。
「流石はミルカ様。おそらくは正解かと。ですが、詳しくは私も知らされておらぬのです」
デズンが言うには、一部の秘薬とされる強力な治療薬などは聖国の王家にしか伝わっておらず、一般の国民が知る事は無いと言う。
「所詮私などは使い走りに過ぎません。我が国王が命じた素材を集めるのみで、その効用などは知る事もないのです」
「そうか。なかなかに苦労をしているのだな」
そう返しながら、ミルカはデズンの言葉に嘘は無いように感じていた。聖国がいくつかの特殊な“秘薬”を伝えているのは知っていたが、その内容については砂漠の兵でも掴むことはできていない。
「良かろう、余にとっては山の石ころに過ぎぬ。採取を許可する」
ミルカの許可を得て、明るい表情を見せたデズンはどこか安堵の雰囲気すらあった。それは成功に対してというよりも、失敗しなかった事に対するものだ。
「だが、条件はある」
「何でしょう?」
「採取した石の一部は余に渡してもらおう。どのような物を持って行ったのかを把握しておきたい。それと、金はとるぞ」
「勿論、お支払いたします。ですが、現物も必要ですか?」
少しでも多く持ち替えりたいのか、デズンがここで初めてミルカの言葉に質問を返した。
「畏れながら、そのままでは薬どころか何の役にも立たぬと私は聞いておりますが……」
「なに、余も王座についてからはふらふらと外遊に出るわけにもいかぬからな。気晴らしに研究でもしてみようかと思ってな」
児戯と変わらない、知識も無く興味だけであれこれしてみるだけの趣味にする、というミルカの言葉を受け、デズンは半信半疑ながらも了承した。秘薬の再現でも考えているかとも思われたが、製法どころか他に必要な材料すらわからぬ状態ではどうしようも無い。
「ひとつ、言っておこう。その山までは案内を付けるが、採取はお前たちでやるのだな。毒が漂う山とも言われる。精々犠牲者を出さぬように意を付ける事だ」
ミルカは、最初に届いた石をヴェルナーへ贈るつもりだった。彼もまた、その山の話に反応していたからだ。
「余が役に立つところを見せておかねばな。……ふふ、怖い上位者がいるというのは、なかなか身が引き締まるものだ」
●○●
エリザベートとマーガレットの帰路にはイレーヌを含めた複数の騎士による護衛の他、アーデルトラウトが用意した帝国兵が道案内を兼ねて同行していた。
アーデルは新皇帝がグリマルディとの戦闘に対して本格的な準備を始めた事をエリザベートへ伝えており、念の為にと頼み込んで護衛をつけたのだ。
「万一、グリマルディ王国が感づいて侵攻して来ないとも限らないというお話でしたが……」
馬車に揺られながら呟いたマーガレットの言葉に、エリザベートは首を横に振った。
「グリマルディにそんな余裕があるかしら。きっと、兄を含めて国内に不穏な動きがあるとアーデルは感じているのだわ」
「それは……」
マーガレットは言葉を続けられなかった。エリザベートの心中では、父親である前皇帝を弑した可能性がある人物として兄の存在があるのだろう。
同じ馬車の中で、イレーヌは緊張した面持ちで押し黙っていた。
単なる弔問のはずだったのが、正式な騎士として初めての仕事が想定外に緊張を強いられる物だったことで体力も精神力も削られていたが、ここで油断して失敗などできない。
「失礼。イレーヌ殿、ちょっといいか?」
馬車の外で並走している同僚のラングミュア騎士が、小さな窓をノックしてイレーヌを呼ぶ。
「どうかしましたか?」
「まだ距離は遠いが、後ろから付いてくる集団がいる」
「えっ?」
マーガレットたちを不安にさせないため、耳打ちで小さく告げられた言葉にイレーヌは思わず声を上げた。
「どうしました?」
「いえ、少し確認したい事があるだけです。外に出ますので、失礼します」
マーガレットからの質問を誤魔化したイレーヌは、走っている馬車の外側を回り、馬車の背後にある小さな荷台に移った。
「身軽な奴だな」
同僚騎士が苦笑いで馬を寄せて来ると、イレーヌは集団がいる方向を聞いて背のびしながら視線を向ける。
真後ろでは無い。街道からわずかに外れた所で、数百メートル離れて十名程の人物が馬に乗って付いてくるのが確かに見える。
「デニス隊長は……」
護衛として付いていたデニスは、帝都を出る前に先行部隊として数名を連れて数百メートル先を走っている。ここからは姿が見えない。
「定期の連絡がくるまでまだ時間がある。誰かを連絡に向かわせて合流した方が良さそうだな」
「わかりました。あたしはこのままここで敵の動きを確認しています」
「敵とは限らない。帝国が領土から出るまでの監視をつけている可能性もあるから、あまり思い込みに縛られないことだ。思わぬ方向から奇襲を受ける可能性もあるからな」
そう言うと、騎士は馬を走らせてデニスの所へ向かった。
「なるほどね。あれが陽動の可能性もあるわけか」
一人納得しながらも、イレーヌの視線は思わず“今見えている相手”へと集まる。
「危ないですよ。中に入っていたらどうですか?」
「そうよ。わたくしたちも落ち着かないわ」
馬車の中から声をかけられるが、「デニスたちと連絡を付ける間だけ」だと断って、イレーヌは再び後ろへと向き直った。
「距離を詰めて来ないわね……」
やはり単なる監視なのか、とイレーヌがいつの間にか赤くなるほど力を入れて馬車の枠を掴んでいた自分の手に気付いて苦笑した。
白く細い手ではあるが、手の平は皮が厚くなり無数の豆もある。見た目には貴族令嬢然とした彼女だったが、他の誰よりも訓練には真剣なのだ。
「いけない、あまり目を離すと……」
イレーヌが顔を上げた直後だった。
後ろにいる集団ではなく、街道の側面から複数の矢が飛び出したのが見えた。
「矢が来る!」
叫んだイレーヌの声に反応できたのは約半数。
馬車に向かってくる矢をイレーヌが雷撃で叩き落としている間に、二人が身体に矢を受け、一人が馬を射られて全員が落馬した。
「何事ですか!?」
「敵襲です! 馭者さん! 速度を上げて!」
イレーヌの言葉を受けて、エリザベートたちが乗る馬車は鞭を受けた馬によって加速していく。
「ごめん……」
落馬した騎士たちのうち、二人はアーデルの部下で一人はラングミュアの騎士だった。マーガレットとエリザベートの安全を優先する以上、馬車を止めて回収するわけにはいかない。
事態が収まって余裕があれば回収もできるが、敵に掴まる可能性が高いだろう。
胸の奥にチリチリと感じる嫌な感情を押えながら、無礼を大声で詫びながら馬車の上によじ登ったイレーヌは、膝立ちになってサーベルを抜いた。
「背後からの攻撃はあたしが全部落とします! 前方の安全確保を!」
「りょ、了解した!」
イレーヌの言葉に、ラングミュア騎士だけでなくアーデルの部下たちも動揺しつつ従った。その様子から、この襲撃を彼らは知らされていない事がわかる。
何より、彼らの仲間も被害を受けているのだ。
気付けば、尾行していた集団も土煙を上げて迫って来ている。
「かかって来なさい。騎士イレーヌ・デュワーの功績になってもらうわよ……きゃっ!?」
突然急停止した屋根の上を転がり、どうにか落下はせずに済んだイレーヌが馭者に文句を言おうとすると、馭者が前方を指差していた。
「……なんてことなの、もう!」
進行方向、街道の上ではデニスたち先行部隊が倍ほどの人数を相手に立ち回りをしている所だった。
見ている間にも後ろからの集団が迫っており、明らかに武器を抜いてこちらへ殺到せんとしている様子が分かった。
「街道の外に出られない?」
「荒地では馬車が横転する可能性があります……!」
戦闘を目の前にしながらも、馭者はしっかりとイレーヌの質問に答えた。
「わかった。合図したらすぐに進めるように準備していて」
イレーヌは足に走る痛みをこらえながら、馬車の上に立ち上がる。
「この場で敵を殲滅しましょう!」
デニスたちの方へ応援は出せない。守るべき人々はイレーヌの所にいるのだ。
「仕切り直し!」
風を切る音が鳴り、右手のサーベルが十字を切る。
「ラングミュアの騎士イレーヌ・デュワー、参る!」
最初の雷撃が、激しい轟音と共に敵集団の中央を貫いた。
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