66.新皇帝の命令
66話目です。
よろしくお願いします。
三つの集落を、爆薬の力で完全に掌握したヴェルナーは、その場で集落の長を処刑した。
処刑方法をラングミュアと同じ絞首刑にしたのは、ある種のミルカに対する“占領”宣言でもあったのだが、住民たちにとっては自分たちの長が一本の縄に吊るされて力なくぶら下がっている光景は、敗北を示すのに充分な効果があった。
「あああ……」
急ごしらえの処刑台にすがりつき、頽れて泣いているのは長の妻らしい。
他のスド兵たちは彼女も殺すつもりでいたようだが、ヴェルナーは止めた。襲撃した兵たちをレオナが率いていた事もあってヴェルナーの指示は遂行されたが、彼女を含め全員が不満気だ。
「スドを裏切った者たちですが」
口を尖らせて反論するレオナに、ヴェルナーは内心大きなため息を吐いた。彼女は未だラングミュアに籍があり、ヴェルナーの部下であるのだが自覚は無いようだ。
「利益を天秤に乗せて失敗しただけだ。ミルカも王族。チェニェクも王族。今回はミルカが勝った。そこに家族は関係無い」
「ですが……」
「いい加減にしろ」
尚も食い下がるレオナに、ヴェルナーは言葉を被せて押えた。
「もういい。お前は俺の国に必要ない。ミルカの所へ帰れ」
「うっ……」
「なんだ? 今さら自分が何者なのか思い出したか?」
両手を握り、悔しそうな顔をしているレオナを、ヴェルナーは冷ややかな目で見遣った。
「そんな顔をする資格はお前には無い」
ミルカに使者を送り全ての集落を掌握するように伝えろ、と言うと、ヴェルナーは背を向けてアシュリンを連れて集落を離れた。
硫黄の調査なども行いたかったが、ヴェルナーは砂まみれの生活に二日目で飽きてしまった。
「あとはミルカに任せて帰ろう。帰ってやることがまだ沢山ある」
「わかりました。では、戻ったら他の護衛たちにも声をかけておきます。出発はいつにしますか?」
アシュリンが問うと、ヴェルナーは少しひげが伸びた顎を擦った。水が大量に使えるラングミュアに帰ったら、早々に剃ってしまいたい。
「明日の朝に出る。悪いが、また馬車を牽いてくれるか?」
「もちろんです!」
そうして首都に戻ったヴェルナーがレオナの返還を伝えると、ミルカは居住まいを正して「ありがとう」と言った。
どうやら護衛を失ったミルカに対する気遣いだと受け取ったらしいが、ヴェルナーはハッキリと否定する。
「あれは命令よりも私情を優先する。俺の所で使える人材じゃない。それだけだ」
「なるほどな……。先ほど、ヴェルナー殿が来る直前に報告に来ていたが、妙な表情をしていたのはそのせいか」
「言っておくが、俺は使用者がやった責任を下の者にまで問うつもりは無いが、もし部下が何かやったなら、その上司には責任があると考えているタイプだからな」
レオナを使ってヴェルナーに何か影響を及ぼそうとすれば、ミルカにその責を問う。ヴェルナーは迂遠な言い方で釘を刺した。
「わかっている。あれはもう余の側から放さぬよ。……それよりも、何か新しい情報はあったのか?」
「ああ、敵がはっきりしたよ」
ヴェルナーは絞首刑にする前に集落の長をきっちりと尋問していた。
その中で、チェニェクの周囲に聖国から来た人物がおり、聖国との商業的な契約がチェニェクの指導の下勧められていた事が分かった。
「聖国がなぜスドの政治まで影響を及ぼすつもりだったのかはわからん。単に権力者と繋がりを作るのにチェニェクが便利だったという理由かもしれない」
「余にはそんな話は無かったが?」
「お前は、聖国から“分け前をやるから国内の流通で特権を寄越せ”と言われて頷くか?」
「無いな。ありえない」
だからだ、とヴェルナーは言う。ミルカは何も欲しておらず、対してチェニェクは王として立つための実績と協力者を欲していた。
「付け込まれた、か」
「そこで、だ。一つ依頼がある」
ミルカが改めてチェニェクの“軽さ”に目を閉じて考えていると、ヴェルナーが立場上は命令と取って良いだろう提案をする。
「聖国と繋がりを作って、連中の狙いを探ってくれ。今の時点ではチェニェクと聖国のどちらがラングミュア内での殺害工作を考えたかがわからん」
ヴェルナーは、聖国がスドと繋がりを深めようとした狙いが読めない事を気味が悪い事だと語った。
「国は利益の為に動く。商人も同じだ。だが、聖国は宗教国家だからな。あるいは別の目的もあるかもしれない」
「別の目的、とは何だ?」
「例えば、スドの国内に連中の聖地があるとか、何か重要な宗教的な道具が隠されているとか、だな」
それはヴェルナーが傭兵だった頃に目にした宗教戦争における戦いの理由でもあった。神を信じた彼らの行動原理は物質的な利益では無い。故に、死を“損失”とは考えず、命を投げ捨てて戦う。
ヴェルナーとしては国政に関わらなければ宗教を否定するつもりは無いが、悪影響があるのであれば叩き潰す事に躊躇いは無い。
「わかった。元より断れる立場でも無いからな。表向きは聖国と仲良くするとしよう」
逃げた連中が聖国の者だとすれば、警戒はされるだろう。だが、ミルカはあくまで表向きスド砂漠国は独立国のままであるとして付き合いを作るつもりでいるようだ。
こうして、ヴェルナーのスド出向は一応の決着を見た。
彼はまだ、ヘルムホルツ皇帝崩御を知らない。
●○●
皇帝の座を継ぐフロリアンは、自分が凡才である事は百も承知していた。帝国を作り上げた始祖どころか、自分の父親が保っていた各国のバランスを自分も維持できるとは少しも思わなかったのだ。
若い頃から英才教育は受けていたが、学友などがいるはずもなく、常に一人で自分の出来不出来を比較する相手もいなかった。
学問で疑問が生まれても、教育係が伝える答えのみがただ有り、誰かと議論をする事も無い。ただ正解か不正解かだけがあった。
若い頃、世の中で自分の位置がどこにあるのか思い悩んだ事もあった。人に聞いても“次期皇帝たる第一皇子”だという肩書のみが返ってくるだけで、彼自身が何者かの答えは見つからなかった。
気が付けば、何もわからぬままに皇子として成長していた。才能も何も見いだせないまま、つめこみの知識だけを得て。
「だから聖国のような連中が近づいて来るわけだ。俺を利用して何を狙っているかはわからないが……」
誰もいない執務室。以前は父親が主であったこの部屋を、フロリアンは調度品一つ変更する事無く使っている。
ゆったりとした背もたれがある椅子から立ち上がり、一つの棚から高価な蒸留酒を取り出す。
グラスに注いだ琥珀色の液体を二口ほど一気に飲みこむと、火傷するような熱い息を吐いた。
「望んだ物が必ずしも得られるとは思わない事だ」
妹であるエリザベートがラングミュアへと出て行った事は、彼にとって幸運と言って良かった。国外での見識を得ている妹の方が、広い視野を持っているのでは無いかという不安があったのだ。
フロリアンは、恐らくヘルムホルツ帝国の歴史の中で最も自信の無い人物であったろう。だが、それは決して消極的な方向へ向くことは無かった。
「俺そのものが帝国なのだ。俺という“人間”は必要無い」
彼は国同士のやりとりを自分がこなせると思っていなかった。しかし、自分が最も強大な国を継いだという事は理化していた。
「俺自身が何かを成す事はできずとも、帝国そのものは臣民の才能の集合に拠って立っている。俺は方向を指し示すだけで良い」
その方向を、彼は他国の併呑という強硬策へと決めた。言い出したのは聖国の者たちだが、グリマルディを平らげた後はラングミュアでは無く聖国を先に叩き潰すつもりでいる。
「国が帝国だけであれば、国家のバランスなど考える必要も無い」
単純で乱暴な方法だが、彼は実の所怖くて仕方が無かったのだ。
自分との違いが分からない他の国の王と競争する事が。誰かに比較される事が。
翌日の戴冠式にて、ヘルムホルツ帝国の新たな皇帝であるフロリアン・ヘルムホルツは、居並ぶ重鎮たちに向けて号令を発した。
「帝国は帝国たる本来の姿を取り戻す。手始めにグリマルディ王国を、元来の国主である私の手に戻すのだ」
一部の軍人を除き、多くが困惑と共に迎えた新皇帝について、誰もが賢愚の判断に困った。
武人としての気質が強い皇帝は過去に幾人もおり、勝てば名君、敗ければ暗愚とされるだけである。
その戦いに赴く理由が領土欲である事も、この世界において珍しい事でも無い。事実、グリマルディは結果としては領地を減らしたが、大元の狙いは領土拡大にあった。
代替わりで国政の方向が変わる事は誰もが覚悟していたが、正反対に転換された事には誰もが戸惑いを覚えた。
だが、皇帝の命令である。
アルゲンホフとギースベルトに将として軍を率い、グリマルディ王国との戦端を開くように命令が下ると、彼らは遂行に向けて動き始める。
女将軍アーデルトラウト・オトマイアーはグリマルディとは反対の、聖国側国境の守備責任者とされた。体よく帝都や戦場から離された格好になる。
大きな戦いが再び始まろうとしている動きが活発化したその裏で、ひっそりと前皇帝の死因に関する調査が打ち切られたのだが、アーデルが調査から離れざるを得なくなり帝都を出て任地へ向かった後、拘束されていた給仕と検食役は密かに“処分”された。
こうして、前皇帝カスパールは急速に過去の人物とされてしまったのだ。
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