64.新たな皇帝
64話目です。
少し短くなってしまいました。
フロリアンは正式な戴冠が終わるまでは玉座に座れない。そのため、エリザベートとマーガレットは別の部屋へと案内された。
そこはちょっとしたホールのような場所であり、会議場のようでもある。
「久しぶりだな、エリザベート。それとも、王妃と呼んだ方が良いか?」
「以前の通り、エリザベートとお呼びください、お兄様。わたくしの主人はその程度のことにこだわる人ではありませんもの」
久しぶりに顔を合わせた兄妹の会話はそうして始まった。
「こちらは、わたくしと同じくラングミュア王国王妃でマーガレットさん」
「お初にお目にかかります」
恭しく一礼するマーガレットを一瞥し、ヘルムホルツ帝国次期皇帝であるフロリアンは軽く頷いたのみに済ませた。
「お兄様……!」
「良いのです、エリザベートさん」
一国の王妃に対する非礼を咎めようとエリザベートが声を上げたが、マーガレットがそっと諌めた。
「エリザベート。皇帝が崩御したのだ。分国の者が弔問に来るのは当然のことであって、俺が頼んでそうしたわけではない。その者はよくわきまえているではないか。降嫁したお前も、その事を肝に銘じよ」
「分国とは、どういうことですか? ラングミュア王国が帝国から分離したのはもう何百年も前の話です。一国の代表を相手にして無礼な真似をすれば、それは皇帝という名をお兄様が汚すことになりましょう?」
マーガレットは止めたが、それでも身内の非礼を看過できなかったエリザベートは声を上げた。
「帝国の勝利にわずかな貢献をしたからと言って、ヘルムホルツ帝国とラングミュア王国が同格になるはずもないだろう。冷静に考えろ、エリザベート。それでも帝国皇帝の一族か」
兄であるフロリアンの言葉に、エリザベートは眩暈すら覚えた。この男は帝国とラングミュアの間に築かれた友好を、わずか一年足らずでふいにしようとしているのだ。
「……わたくしは、もう皇帝の一族ではありません。ラングミュア王家の女です」
「ふん。どうやらヴェルナーという男は、ずいぶんと女の扱いが上手いと見える。だが、交誼を結んだ皇帝の死に際して妻だけを送りつけてくるようなら、たかが知れているな」
「ヴェルナー様は遠征の最中にあります。まだお父様の……ヘルムホルツ皇帝陛下崩御の知らせを受けておりません」
「体の良い断り文句だな。まあ、どうでも良い」
「次期陛下は、亡くなられた皇帝陛下が作り上げられた、今の友好関係をあまり良くお思いでない様子ですね」
マーガレットは努めて冷静に話しているようだが、その声はわずかに震えている。
「友好? 友好というのは、対等な関係があってこそだ。先にも言ったが、わがヘルムホルツ帝国からラングミュアやグリマルディ王国は別れたのだ。グリマルディと違い、ラングミュアは大人しい。だから見逃しているに過ぎん」
「……では、お兄様はラングミュアと帝国の利害がぶつかるときは……」
「当然、排除する。そうする権利が帝国にはあるのだ。帰ったら不義理なラングミュア王に伝えておくが良い」
冷笑を添えたフロリアンは、父譲りの黒い短髪をかきあげて言った。赤みを帯びた瞳は、マーガレットは無視してエリザベートのみを見ている。
「お兄様は、ラングミュアと戦って勝てるとお思いですか?」
「下手な脅し文句だな、エリザベート。強力な魔法が使えるのは、なにもラングミュア王だけではない。それを忘れて調子に乗れば、いずれ痛い目を見るだろう」
もはや話すこともない、と退室を命じるフロリアンに、マーガレットは口を開いた。
「権力も力です。力ではありますが、それを無視できる者にとっては何らの役にも立ちません」
マーガレットは、権力はあっても実力と観察力を持たぬがために死んでいったラングミュアの支配者たちのことを指して言った。だが、フロリアンはそこに思い至ろうはずもない。
「分国の王妃殿は、ずいぶんとはねっかえりのようだな。権力には力が集まるものだ。至高の権力には至高の力が集まる。ゆえに支配者でいられるのだ」
フロリアンの言葉に、マーガレットは答えることなく背を向けた。それは礼を失した行為であったが、エリザベートも注意することなく、同様にして退室する。
背後から無礼を咎めるフロリアンの声が聞こえたが、二人は一瞥すらせずに歩を進め、扉の前にいた騎士たちを睨み付けて扉を開けさせた。
廊下に出ると、まんじりともせずに待っていたらしいアーデルとイレーヌの姿があった。
「アーデル。貴女の屋敷に行きましょう。少しお話があります」
怒り心頭という雰囲気の二人に、アーデルはすぐに了解を返した。
二人の王妃が退室した後、フロリアンは舌打ちを返した。
「エリザベートは、父上の影響を受けすぎだ。あれではラングミュアからの情報を寄越させるのも難しいな」
「フロリアン様」
一人ごちているフロリアンの背後から、一人の男がするりと現れた。
「何者だ!」
周囲にいた護衛の騎士たちがあわてて槍を向けるが、その人物の顔を見たフロリアンは右手を挙げて制した。
「良い。彼は怪しい者だが、敵ではない」
「これは手厳しい」
男は、スド砂漠国でチェニェクをそそのかしたラウクだった。同じ家計ではなく、全くの同一人物だ。
「どうやら、ラングミュア国王はスドで活動している様子。何を狙っているのかは不明ですが、今しばらくは大きな邪魔は入りますまい」
「なるほど……では、グリマルディを叩き、その地を手にする好機か。だが、戴冠まで待て」
フロリアンはそう言うと、驚いた顔を見せている騎士たちを一瞥した。
「今の話は他言無用である。すぐに退室せよ。呼ぶまでは来るな」
「はっ」
騎士たちは皇帝と怪しい男の会話が気になる様子ではあったが、命じられては従わざるを得ない。
騎士たちとともに侍女も姿を消すと、ラウクは深いため息をついた。
「情けない。この程度の事で同様しおって」
「前皇帝はあまり争いを好まないお方でしたから、騎士の皆様も同様にお考えなのでしょう」
「それでは困るのだ」
フロリアンはかけていた椅子に背を預けて足を組むと、頬杖をついた。
「父上のような手温い帝国から、俺が率いる強い帝国へと生まれ変わらねばならぬ。帝国は強大な力を持っている。軍事も経済も、だ。だというのに、父上は何度言ってもグリマルディに対して強力な手を打ってこなかった」
フロリアンにとっては、先の戦闘もグリマルディ王国を叩き潰す好機であると感じていたが、皇帝は王国を併呑することを望まなかった。
「ラングミュアなどは、所詮成り上がりの王一人が持っている魔法の才能で立っているに過ぎない。グリマルディを完全に潰し、国力が上がれば次はラングミュアを標的としよう」
「良いお考えかと。そのために、聖国は全面的に協力させていただきます」
「そういう生き残り方もある、というわけだな」
フロリアンの野望は、当人が知らぬうちに肥大化させられていた。皇帝の早過ぎる死は、彼を矯正する時間を与えなかった。
いや、与える余地は奪われたのだ。
「ラウク。牢から放免するように命じておくゆえ、例の給仕たちの始末は任せた」
「ははぁ、助かります。何とも将軍たちが用意した見張りは強固で、袖の下にも応じませんもので、ほとほと困っておりました」
「優秀だな。だが、父上はその使い方を間違えていたのだ」
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