60.訃報が届いて
60話目です。
よろしくお願いします。
アーデルの手紙は、エリザベート個人あてでは無くラングミュア王国へ宛てて送られた。エリザベートへの気遣いであり、皇帝の死去に対してラングミュアにも国として対応して欲しいというアーデルの希望からの事でもある。
また、ラングミュア王国を良く思わない者が介入するのを防ぐため、アーデルの手紙を帝国からの正式な訃報であるとして、他の文官らからの連絡は止めた。
その内容を最初に確認したのはオットーだった。
皇帝はまだ中年といえる年齢であり、健康面でも不安は無い事をヴェルナーからも聞かされていた彼は何かの見間違いかと思ったが、手紙には正式文書である事を示す帝国の公印が押されている上に、アーデルトラウト・オトマイアーのサインもあった。
「私がお伝えするべきでしょう」
オットーはデスクから立ち上がり、部下たちにすぐに戻ると伝えて部屋を出た。
廊下を進み、オットーが目指したのはエリザベートに私室とは別に用意された彼女のための執務室だ。
特にこれと言った役職が無い彼女ではあるが、同じくヴェルナーの妻であるマーガレットの手伝いをしたり、学校の建築などの行事に王城からの代表として顔を出すなど精力的に王妃としての仕事をこなしている。
「オットーです。ヘルムホルツ帝国のアーデルトラウト・オトマイアー様より連絡があり、お伝えに窺いました」
「どうぞ」
ノックをして用件を伝えたオットーに、室内からエリザベートの返事が聞こえた。
「失礼します」
踏み込んだ室内は丁寧に掃除がなされている事がわかる清潔な空間になっており、ヴェルナーやオットーの執務室とは違い、金銀のカップやソーサー、珍しい陶器の椀などが飾られている。
絵画や小物で飾られているマーガレットの執務室と比べても、些か眩しく見える物が多い。
「……珍しいわね、オットー。貴方がそんなふうに深刻そうな顔をするなんて」
「実際、深刻な事でございますれば。私の言葉でお伝えするよりも、お手紙を直接見て頂いた方が良いかと思いまして」
「見せてもらうわね」
オットーが差し出した手紙を受け取った時、エリザベートはアーデルからの手紙だと嬉しそうに微笑んだ。
だが、文面を追っていた彼女の顔はみるみるうちに蒼白になり、力が抜けた手もとからは手紙が滑り落ちた。
「お、オットー。この内容は本当かしら……?」
「オトマイアー様のサインも入っておりますので、おそらくは」
オットーの返事を聞き、エリザベートは両手で顔を覆った。
「お父様……」
震える声を絞り出したエリザベートに一礼し、オットーは室内にいた手伝いの女性たちを促して執務室を後にした。
その後、エリザベートの声が入室を促したのは、十五分ほど経ってからの事だった。
瞼を腫らした彼女の顔をあまり見ないようにして立っているオットーに、エリザベートは手紙を差し出した。
「恰好の悪い所を見せてしまったわね」
「私は何も存じません。ただ、肉親の死を悲しむ事も出来ないよりは、涙で送ってもらえる人物は幸せで、そうされるだけ立派な方だったと思います」
オットーと亡きホイヘンス侯爵についてはエリザベートも知っている。彼は民衆に死を期待されたホイヘンス侯爵に比べて、皇帝は幸せだと評したのだ。
「ありがとう。それで、これからわたくしはどうするべきかしら」
葬儀に参加する為に帝国へ帰りたい、とは言わなかった。あくまでラングミュア王国の王妃として、国の方針に従う。
「友好国であり、大陸随一の大国である帝国の皇帝が崩御されたのです。弔問の使者を送るべきでしょう」
ヴェルナーがいれば王命ですぐに決まるのだが、不在の今はオットーやミリカン、そしてマーガレットやエリザベートで相談せねばならない。宰相エックハルトは留守であり、デニスも外出している。
「合議を行いたいと思うのですが、よろしいでしょうか?」
「もちろん。お気遣いはありがたいけれど、わたくしは一人前のレディで王妃なのですから、こういう時こそしっかりしなければ」
すぐに集まった者たちは、満場一致でエリザベートの帝国訪問を決定した。だが、彼女だけではラングミュア王国からの弔問と見なさない者もいるだろう。
「私も行きます。王であるヴェルナー様の名代として、エリザベートさん以外では私しかおりません」
王妃二人が揃って帝国に向かうのも問題では無いか、とミリカンなどは消極的に危険性を指摘したが、エリザベートと共に行動するのであれば問題無いだろうとなる。
護衛としてデニスが率いる騎士隊が付き、イレーヌも騎士としてそこに参加する。
「今回編成する弔問団については、ヴェルナー様にも連絡は入れます。ただ、船で追いかけるわけにもいきませんので、簡易港へ報告の兵を向かわせて待たせる形となりますが」
「たしか、帝国には陛下からランジュバン聖国への対応について手紙をお送りされておったな」
オットーが大まかな計画を立てていると、ミリカンが思い出したように話した。ヴェルナーから、聖国と事を構える可能性を示唆されていたのだ。
「返答は未だ……というより、皇帝の下へ届く前に身罷られたと思われます」
「兄のフロリアンが皇帝として跡を継ぐのは間違いありませんわ。そうなれば判断は兄がする事になります。その返答まで確認して参りましょう」
エリザベートが自らその役を引き受け、翌日には出発する事となった。
「折角だから、王妃同士で沢山お話をして絆を深めるとしましょう」
「エリザベートさん……」
「というわけだから、オットー。陛下みたいに出先でまで書類処理をさせないでよ?」
「もちろんです」
気丈に振る舞うエリザベートを気遣うマーガレットだったが、オットーやミリカンらが努めていつも通りに振る舞うのを見て、気を取り直した。
「私もですよ、オットーさん。全部父に回してください」
マーガレットの言葉に、オットーは頷いた。
●○●
スド砂漠国へ到着し、夜間のうちに小舟に分乗して上陸したヴェルナー達は、多少苦労をして船から下ろした簡素な馬車の本体にミルカを放り込み、人力で牽かせながら乾燥した道を進む。
砂漠化はしていないが、地面は緑が豊かとは言えず、しばらく歩いていても草木はあるものの深い森などは見えない。
「人の住む土地としては、最低限の水と最低限の食物があるだけだ」
ミルカは、自分の故郷をそう評した。
「なるほどな」
話を聞きながら、ヴェルナーは商業的な部分と“星見”の技術以外にラングミュアに持ち帰って活かせる物が無いかと馬車に乗って周囲を見回している。
「じゃあ、スドの人は何を食べているのですか?」
「芋だな。それと家畜から採れるミルク。そして、その家畜そのものだ」
水の少ない土壌でもとれる芋類があり、一般的にどの集落でも同じような物を食べているはずだとミルカは言う。
川は無くはないが、決して水量が豊かとはいえない。
「見渡す限りの平地だな。ラングミュアも似たような物だが、山は無いのか?」
「ある」
ミルカは航海中に多少体力が戻っていたらしく、南を指差す腕はしっかりとしている。
「こことは反対側だが、砂漠を挟んだ南側にいくつかの低い山がある。だが、誰も近寄らないな。酷い臭いが立ち込めていると有名だからな」
「……うん?」
ミルカの言葉に、ヴェルナーは引っ掛かりを覚えた。
「酷い臭い?」
「ああ。なんでも酷い腐敗臭らしいぞ。良くはしらんが」
「で、誰も立ち入らないのか」
「近づいて、その臭いで卒倒したり、過去には死者も出ている。木も生えていないからわざわざ入る必要も無い」
行っても何の役にも立たないぞ、というミルカに返事もせず、ヴェルナーは考え込んでいた。
ミルカがいう腐った臭いは硫黄のことではないだろうか。どうやら火山としての活動は見られないか記録にないようだが、火山性ガスが発生しているとすれば、登山者が亡くなったのも説明が付く。
「どうした? 何か思い当たるものでもあるのか?」
「ん? いや、何でも無い。それよりも町まではどれくらいかかるんだ?」
ここでその価値を語る必要は無い。ヴェルナーはミルカに対して話題を変えた。
「……まあ良い。余が思うに、このペースで行けば二日とかかるまい」
「順調だな」
問題は町へ着いてからの事だ。
王がすんなり譲位するとはヴェルナーもミルカも考えていない。また、ミルカの弟であるチェニェク一党の妨害もあるだろう。
「ミルカ」
「どうした?」
「お前の弟の事だが」
「良い。あれは父を狙い、余を狙った。その時点で家族では無い。理由は色々とあるかも知れないが……余は、あれが死んだとしても何も思わぬ」
ミルカはキッパリと言った。それに対してレオナは気遣うようにミルカに触れていたが、彼女はミルカに何かを伝えることはできなかった。
「いずれにせよ、余はヴェルナー殿がやろうとする事を掣肘するつもりはない」
「嘘を吐くな。なら今までのはなんだったんだ」
「お前の栄達に役立ったではないか。王都の敵の炙りだしもできたし、帝国の危機を救ったのも余が伝えた情報あってのことだぞ」
やり方が問題なのだ、とヴェルナーは舌打ちする。
「余は余の良いように生きる。お前も好きに生きるのだろう? それが時折利害が共通したり相反したりするだけの事よ」
「今後は俺の利益を損なうような真似をするなよ」
「極力、気を付けておくとしよう」
どうにも信用度の低い雰囲気の返事を聞いて、ヴェルナーはあまり期待しない事にした。こういうタイプにはある程度自由度の高い仕事を与えて忙しくさせておく方が楽かもしれない。
ヴェルナーがミルカと話している間、アシュリンは馬車を牽いていた。作戦上梯子による上り下りが必要であり、揺れが激しい時もある船に馬を乗せられなかったために兵士が数名ずつ交代で牽いていたのだが、アシュリンは一人で楽々と牽いている。
人間扱いしていないような気がしてヴェルナーとしては気が引けたが、アシュリン本人はなんとも思っていないようだ。
「もし賊が現れましても、馬車ごと逃げる事ができます」
と、アシュリンは自信満々に語ったのだが、その時はベルトの無い暴走車にしがみ付く羽目になるのではないかとヴェルナーは気が気で無い。
「一応はお前も貴族なんだから、あまり無理をするなよ」
「平気です! それよりも自分を約束通り騎士として取り立てて下さった陛下のお役にたてるなら、何でもするつもりですから!」
「慕われているな」
クックッ、と声を殺して笑うミルカを睨みつけたヴェルナーは、アシュリンに向かって水筒を放り投げた。
「水分はしっかりとっておけ。いざと言う時に動きが鈍くなるからな」
「はい! ありがとうございます!」
片手で楽々と馬車を牽きながら、喉を鳴らして水を飲むアシュリンの逞しさと能力の高さに感心しながらも、ヴェルナーは帰国したら彼女に貴族令嬢らしい事を教え込むことを決めた。
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