57.祝勝会にて
57話目です。
よろしくお願いします。
「余はまだ怪我が完全に癒えたわけではないのだが……」
ブツブツ愚痴をこぼしているミルカを、ラングミュアの騎士たちはベッドごと馬車の中へと運び込んでいく。
「うるさい。聖国の件について裏を取るためにも、お前の存在があった方が何かと便利なんだよ」
これでは誘拐と変わらん、と呟くミルカに、付添としてレオナも馬車へと乗り込んでいく。護衛として、新たに騎士へと取り立てられたファラデーたち五人が緊張の面持ちで馬に乗って馬車の周囲についた。
騎士になっての初任務であり、スド砂漠国への事実上の侵攻でもある。
他にも、ミルカは知らず彼らとヴェルナーだけが知っていることだが、馬車の車体底部にたっぷりとプラスティック爆薬が仕込まれているのだ。
気持ち馬車から距離を取っているのを、後ろから見ていたヴェルナーは苦笑しながら見ていた。ミルカについては彼の動き次第だが、ファラデーたちを巻き込んで爆破するつもりは毛頭ない。それは分かっているのだろうが、何度も爆破を見た彼らはそれでも怖いのだろう。
「あなた。お気をつけて」
見送りに出てきたマーガレットが不安そうな表情を浮かべるのを、黙って抱きしめたヴェルナーは「できるだけ急いで戻る」と約束した。
「後のことはわたくしたちにお任せください」
「ああ。頼んだよ」
同じく見送りに出てきたエリザベートも抱きしめてから、ヴェルナーは馬へと飛び乗った。
「では、出発する!」
ヴェルナーの号令で、ミルカが乗る馬車を追って馬を進めるヴェルナーに、三十名ほどの兵士が徒歩で後に続く。
彼らはまず西へと向かっていた。修理が完了したガレー船に乗って、ラングミュア王国の沿岸を進みながらスド砂漠国を目指す。
その際、ヴェルナーはついでに海に面した西部及び北部を調査し、港を建設する場所を探すことにした。国土の外延部で補給基地を各所に作り、さらにスドを抑えて大陸北部一帯に渡航可能な場所を広げていく。
「外洋に出られるようになったら、新大陸発見とかできるかもな」
航海の苦労についてはとりあえず脇に置いて、ヴェルナーは船に感じる浪漫に思いを馳せた。
「新大陸? というと、ラングミュアや帝国があるこの大地のような場所が他にもあるのですか?」
質問を口にしたのはアシュリンだった。
ヴェルナーの専属護衛として、今回は城に残したデニスの代わりに隣で騎乗している。
「あるかも知れない。無いかも知れない。船が沖に出ても問題無いくらいに技術が向上してから……」
具体的に考え始めると、造船技術だけでなく操船も水や食料の保管についても考えねばならず、ヴェルナーはかなり遠い話のような気がしてきた。
ただでさえ危険な外洋航海を海図も無しに帆船でやるのは自殺行為に等しい。
「……爺になって、子供に王位を譲ったら自分でやるか」
利益にもならない冒険行為を部下にやらせる理由が特に見当たらず、ヴェルナーはさしあたっての目標は船を使った輸送ルートの確立と近海の調査に留めることにした。
「そういえば、アシュリンはガレー船に乗ったんだったな。どうだった?」
「潮風が心地よくて、初めてみる光景はとても楽しいものでした」
結局、今世でヴェルナーはまだ船に乗っていない。グリマルディ侵攻の際、当初の予定であれば彼もガレー船に乗って帰国予定だったのだが、結局は帝国に再入国して最後まで陸路を使う事になった。
アシュリンは船が気に入ったようで、今回の同行命令にも喜んで参加している。
「一度櫂を握らせてもらいましたけれど、中々難しいものです。機会があれば訓練したいと思います」
「そうか、それなら……」
ふと、ヴェルナーは帝国からの帰国直後に見たオスカーからの報告を思い出した。報告には帰国航海中に不慣れな船員が一度櫂を折ってしまったが航行に支障はなかった、と書かれていたのだ。
「……アシュリン。櫂を使ったと言ったが……」
「はい。少し脆かったようで十五分ほどで折れてしましまして。オスカー殿が作戦で疲れているだろうから、と気を使ってくださったので、櫂を扱ったのはその一度だけでした」
実際はもっと船を漕いでみたかったのだろう。複雑な顔で微笑むアシュリンに、ヴェルナーは「そうか」としか返せなかった。
どうやらオスカーがこれ以上船を壊されまいとアシュリンを宥めて操船のメンバーから外したらしい。
船酔いで完全にダウンしていたイレーヌと合わせて、この二人はどうやら船と相性が悪いらしい。
「楽しみですね」
「あのな、アシュリン。お前は俺の護衛だから、櫂を扱って疲れるのも良くない。残念だが今回は我慢してくれ」
「はい。わかりました」
元気良く答えてはいるものの、わずかに落胆の見える表情に罪悪感を感じたヴェルナーは視線を逸らし、正面を見据えた。
「蒸気船でもできれば、船団を作って預ける役職の候補にもできるんだがなあ」
蒸気機関について、ヴェルナーはすでにオットーやヘルマンには話をしている。だが、今の製鉄技術では充分な強度を持った蒸気機関を作成するのは難しく、また燃料も安定的に確保するのは難しい。
「何十年先になるやらわからんな」
●○●
ヴェルナーたちが港へ向かって出発した頃、ヘルムホルツ帝国ではようやくグリマルディ王国との交渉に終わりが見え始め、今回の勝利による利益が確定されつつあった。
戦闘が終わった時点で武官たちは戦勝の高揚感に包まれていたが、ここでようやく文官の方にも安堵の雰囲気が出てきた。これでようやく国庫の負担が軽減され、グリマルディとの交渉にやたらと同行したがる武官たちを躱す苦労も無くなる。
戦場での出来事も取りまとめが終わり、皇帝は一連の戦闘について改めて確認することができた。
皇帝の確認を終えての論功行賞が行われ、最前線で活躍した将軍たちの他にアーデルトラウト・オトマイアーも皇帝より褒章を受け取った。
彼女の活躍はそれまで、ラングミュアとの共同作戦での補佐的な戦功のみと伝えられていたが、グリマルディの奇襲作戦についても個人で功績を上げたと発表された。
「ふん。女ごときが大したご活躍だな。しかし、戦功を立てたと言っても、その詳細は発表されず、か。内容もたかが知れたものであろうよ」
顔に大きな傷を持つ中年の男が、褒章を受けた列の中であまり小声とは言えない声量で呟いた。その視線の先では、檀上にいる皇帝から感状を受け取っている。
「陛下のお耳に届いたらどうなさるのです。少し控えた方がよろしいのでは?」
隣にいた若い将が注意すると、傷持ちの男は鼻を鳴らした。
「将たるもの、軍勢を率いて戦果を上げずして功を誇るなどおかしいと思わんか」
中年の男はアウレール・アルゲンホフと言い、侯爵家当主であり苛烈な集団突撃を得意とする帝国屈指の猛将として名高い。
「後方勤務を得意とする将もおりますよ」
宥めるように話に付き合っているのは、ルッツ・ギースベルトという二十代後半の将軍であり、アーデルが大将格になるまでは最年少の将軍だった。
当人は子爵家の当主であり、部隊を小さく分けて柔軟に作戦を遂行する冷静さを高く評価されているが、敵に対する行き過ぎた虐殺も散見されており、ある意味でアウレールよりも恐れられている。
揃って今回のグリマルディ王国戦で華々しい戦果を上げてここに立っているのだが、彼らはアーデルの動きについては良く知らなかった。謁見の前で自分たちの隣に並んでいるのを見て、立ち位置を間違えているのではないかと思ったほどだ。
だが、蓋を開けてみれば皇帝はアーデルの功績を大として評価し、感状も恩賞も彼らと同様に手渡されている。
皇帝が、アーデルが仲介役としてラングミュア王国との関係が強まった事にも言及すると、アウレールは左目の上を走る傷を歪めた。
「なんのことはない。隣国の若造をたぶらかしただけではないか」
「お言葉を控えましょう、アルゲンホフ卿。今日は戦勝を祝う目出度い日です」
アーデルが感状を受け取ると、謁見の間に並ぶ文官や武官たちが拍手を送る。彼らはラングミュア王ヴェルナーと皇帝の橋渡しをアーデルが行ったのを目の前で見ているのだ。
表彰が終わったあとの祝宴にて、軍人として参加しているアーデルはドレスでは無く軍服を着ていた。大将としてのマントをつけた姿は男装の麗人のようで、男性よりもむしろ貴族令嬢たちが集まって話をしている。
「失礼。互いの戦功を祝って、乾杯でもいかがかと思いましてね」
「ああ、ギースベルト殿ですか。もちろん、喜んで」
薄く透明度の高いグラスはこの世界でも限られた職人しか作れない。それを惜しげもなく並べたテーブルから二つのグラスを取り、一つをアーデルに手渡すとルッツ・ギースベルトは軽く杯を上げ、アーデルもそれに合わせた。
「それで、ラングミュアでのエリザベート様ご結婚の式典にも参加されたとか」
「素晴らしい式だったわ。ご親友とも言われたマーガレット様と並んでラングミュア国王もまだ若いが見目の良い人だから、とても絵になるお姿だった」
「噂の、ラングミュアの少年王ですな?」
「もう成人されたわ。それに此度の戦いでは帝国の勝利に大きく貢献されたし、皇帝陛下とも交誼を結ばれた。頼もしい味方をあまり軽んじるものではないわ」
釘を刺すようなアーデルの言い草にギースベルトはわずかに不快感をにじませたが、それでも口は止めない。
「それにしても、今回は王都でも騒ぎがあったとか?」
「正確には王都の目の前、よ。ツェラー子爵の所のベルンハルトが山師のような男にだまされて、ラングミュア王を襲ったのよ。幸いにも大きな被害は出なかったし、ラングミュア王も皇帝に対して賠償も求めない事を公言したわ」
「では、皇帝陛下への釈明は?」
アーデルはグラスに入った度数の低いワインを呷った。
「私も立ち会ったのだけれど、祝宴の前に終わったわ。当人も深く反省していたし、ラングミュア王が許したのを処刑するわけにもいかないから、しばらくは地方で警備任務をすることになるわね」
「では、今は城内にいるわけだ」
祝宴の裏で、ベルンハルト・ツェラーは正式な転属命令を受け取り、城の隅にある士官の為の事務室で荷物を纏めているだろう。ギースベルトはそう予測して、アーデルは頷いた。
「それにしても、ラングミュアの国王は多少情に厚すぎる気もするね」
「貴方のように嗜虐趣味を持っているよりは随分マシだわ」
ギースベルトは肩をすくめた。
「無能で行動力がある。おまけに貴族の肩書がある奴なんて厄介なだけだろう。本来なら処刑すべきだ。だがラングミュア王のせいでそれも不可能になった」
帝国はお荷物を抱えさせられた事になる、とギースベルトは断じた。
「……皇帝陛下の御決断に意見するつもり?」
「そうやって、上位者の名を出して議論を無理やり止めてしまうのはいただけないね」
ギースベルトは細い舌で下唇を軽く舐めた。
「私たちは陛下の臣。同じ臣下が汚名を返上するチャンスを得たと喜ぶべきではないかしら」
「お優しい事だ。そもそも、ラングミュアの王は何故ベルンハルトを許し……」
ギースベルトの言葉が終わる前に、ガラスが割れる音と共に絹を裂く様な悲鳴がホールに響いた。
「何事だ!」
酒が入っていると言っても、ギースベルトとアーデルの反応は早かった。
混乱している会場で人々の間をすり抜け、悲鳴が聞こえた場所へとすぐに辿りついたのだ。
「へ、陛下……!?」
そこには、腰を抜かして座り込んでいる令嬢の前で将軍アウレール・アルゲンホフに抱えられた皇帝がいた。
皇帝が落としたと思しきグラスは砕け、白ワインの澄んだ液体が赤い絨毯に染みをつくっている。口の端からは、ワインでは無い赤い液体がこぼれていた。
「何をしておるか! すぐに医師を呼べい!」
アルゲンホフの怒鳴り声にアーデルはホールを飛び出し、近くにある専属医の待機室に飛び込んだ。
「早くホールへ! 陛下がお倒れになられたわ! ……おそらくは、毒よ」
城内は騒然となり、皇帝は昏睡状態へと陥った。
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