51.グリマルディ始末
51話目です。
よろしくお願いします。
ラングミュア王とヘルムホルツ皇帝との会談から数日後、グリマルディ王国の敗北で終わった戦争は粛々と処理が進み始めていた。
敗北したグリマルディ王国は数名の将と多くの兵を失い、領土拡大の夢は逆に領土を少しばかり失う結果となった。
帝国も多くの兵を失ったが、グリマルディに比べれば数分の一だった。
結果だけを見れば帝国の一方的な勝利であったが、一部の者たちはラングミュア王国の介入が大きかった事を知っていた。知っていたが、語られることは無かった。
「国民が王や軍に過大な期待を持つ事は避けるべきだ。能力は使うために在るもので誇示するためのものじゃない」
皇帝との会談の際に、ラングミュア国王はそう言って大げさな公表は避けたいと語った。
ラングミュア王国の戦力は、王を始めとしたまだ若い才能に頼ったものだと王自身が良く知っていたからこその発言だったが、皇帝はこれを好意的に受け止めた。
ヘルムホルツ帝国からラングミュア王国へは感謝状を添えたそれなりの金と物品が贈られ、同時に友好国とのつながりを強化するためとして、皇帝の三女エリザベートが若き王ヴェルナー・ラングミュアへと嫁ぐ事となった。
帝都では意図的にエリザベートの嫁入りだけが大きく宣伝され、戦勝の興奮と共に民衆は好意的に受け止めた。
公表を聞いた民衆の中から、グリマルディに対する報復を叫ぶ声も少なくないのを聞いて、皇帝はヴェルナーの言う“国民の過度な期待”について改めて思い至り苦笑したという。
帝都が戦勝の活気に満たされていた頃、帝国とグリマルディ王国の国境では一台の小さな馬車に乗った男が、帝国の兵に見送られて帝国を出て行こうとしていた。
「何度も聞くが、これでおれは無罪放免になるんだな?」
「お前に課せられた使命は、封印された手紙をグリマルディの王へ渡す事だけだ。後は好きにせよ」
帝都からの道中、何度も聞いた答えが帝国兵から発されると、エトムントは鼻で笑った。
「へっ、帝国も随分と甘いな」
「さっさと行け」
「……皇帝とあのガキに伝えておけ。復讐は必ずする。首を洗って待っていろとな」
「……さっさと行け」
不愉快そうな表情を浮かべながらも、兵士は国境の向こう側を指差した。
街道の途中には、戦勝国側である帝国が一方的に設定した境界があり、帝国兵とグリマルディ兵がその両側に天幕を作って待機している。
仮の関所となっているが、他に通過しようとする馬車などは見えない。
「グリマルディ王国軍のエトムント・アンデだ。我が国の国王陛下にご報告に上がるため、帝国から帰った」
皇帝が発行した許可証を忌々しげに見せたエトムントを、国境警備の帝国兵は特に検閲をせずに通した。同僚が連れてきたのを見ていたらしく、捕虜が返還されたのだろうと判断したらしい。
解放された捕虜は、素直に捕虜だった事を話す者は少ない。貴族階級が多く、プライドに障るのだろう。概ねエトムントのように適当な“使命”を騙る。
「ご帰還をお喜びします。馬車の荷物を検めさせていただきますが、よろしいですね?」
「食料と水、それと毛布くらいのものだ」
グリマルディの兵は通り一遍の確認だけを行い、エトムントの言う通りの荷物が載っているのをさらりと見たに過ぎなかった。
「ありがとうございます。では、お気をつけて」
「……敵国から帰還したのに、労をねぎらう事もせぬとは!」
怒りに震えながらの帰国ではあったが、エトムントは皇帝と王の橋渡しという大役を与えられた事を思い返し、気持ち速めに馬を走らせる。
「それにしても仰々しい容れ物だな」
懐に入れていた書簡は、精緻な金細工が施された黒塗りのケースであり、ずっしりとした重みがあった。これだけでも結構な価値がありそうだ。
十字に巻かれた帯には封蝋が押されており、ヘルムホルツ帝国の紋章が押されている。
「どうやら俺は指揮官級では数少ない生き残りのようだからな。ラングミュアにも痛手を与えたんだ。昇進は間違いないだろう」
うまくすれば准将あたりも狙える、とほくそ笑むエトムントは帝国から渡された潤沢な路銀を使いながら王都へと戻った。
エトムントは王都へ戻った足でそのまま王城へと向かい、訝しむ城詰めの騎士に書簡と皇帝からの書状を見せた事で、すぐに謁見となった。
謁見の間にて、王を前にして平伏しながらもエトムントは然程緊張を覚えていない。ラングミュアでの輸送船沈没工作を命じられた時は、他に誰もいない執務室であったが、それを成し遂げた事を評価されると思っていたのだ。
だが、最初にかけられた言葉は彼にとって予想外のものだった。
「……エトムント・アンデ。作戦に失敗して、良くも顔を見せられたものだな。私がお前の立場であれば、国に帰ることすら躊躇ったであろう」
「失敗ですと? ……た、確かに帝国の軍を側面から攻撃する事はできませんでしたが、陛下からご命令いただいた工作は……」
老いて細くなった手を振ってエトムントの言葉を遮ったグリマルディ国王は、側付きの若者に説明させた。
「ラングミュア王国より書状が届いております。“幸運にも一隻は沈没せず、さらには内情を知らせる連絡要員まで送っていただいて感謝する”と」
「なんだと!?」
王の前である事を忘れ思わず立ち上がったエトムントは、側付きの男から注意され跪いた。
「随分な皮肉よな。工作に失敗したうえにラングミュアに色々と情報を与える結果となった。書状には“事故”で沈んでしまった九隻の補充を求める内容もある」
もちろん、工作によって沈めた責任をグリマルディ王国に問い、約束通りの船を寄越せと言っているのだ。
ラングミュアは帝国側についたこともあり、グリマルディ王国側としてはこれを蹴ったとしても問題は無いはずだった。ただ、こうしてグリマルディ側の出方を見る事で、ラングミュアは今後の付き合いについて決めるつもりだろう、と国王は予想する。
「かと言って、敗れたことで請求されるであろう賠償金や兵への給金などを考えれば、今船を減らす事も新たに建造する事も難しい」
王の言葉を聞きながら、エトムントは血の気の引いた顔をしていた。何もかも、自分がやった全てが失敗に終わった事を知って目の前がどんどん暗く塗りつぶされていくのを感じる。
「貴様の処分については、追って決める。それよりも、持って来たと言う書簡を見せてみよ」
王はエトムントから直接受け取ろうとはせず、側付きを行かせてエトムントが差し出した書簡を持ってこさせた。
「ふむ。さて、どのような無理難題を押し付けるつもりやら……」
と、封蝋のない部分を側付きが切り取った瞬間の事だ。
距離が離れているらしいがハッキリ聞こえる音と大きな振動が謁見の間を襲った。
「何が起きた!?」
「わ、わかりません!」
王の問いに答えられる者など存在せず、さらに二度、三度と続く揺れと遠くからの轟音が続くと、騎士の一人が飛び込んできた。
「失礼いたします! 謎の攻撃を受けておりますれば、すぐにご避難をお願いいたします!」
「攻撃だと!?」
「帝国の奴らか! 王都に入り込まれたのか!」
謁見の間にいた者たちが口々に帝国に対する怒りを含んだ言葉を吐くが、飛び込んできた騎士は「わかりません」と言った。
「敵の姿が確認できたわけではありません。ただ、城の一部が爆ぜて炎上しております。このままでは、城が崩落する可能性もあります!」
全員が半信半疑ではあったが、何か恐ろしい物を見たかのように切迫した騎士の表情と説得によって、王を始めとした城の全員が城外へ避難した。
多くの護衛に囲まれながら、城を出た王が見た者は、一階から三階部分までの一部をごっそりとえぐり取られるように失った無惨な居城の姿だった。
見れば、その周囲にあった兵舎や馬車の待機場は跡形もなくなっており、塀の一部も崩れている。
「な、なんという、なんという……」
うめき声をあげる王の隣で、共に避難してきた側付きがふと自分の抱えている物を思い出した。
封が外されたケースを開くと、通常は封筒が入っているはずなのだが、二つ折りの羊皮紙が一枚だけ入っている。
呆然としている王を見て、先に内容を確認しておこうと考えた側付きは、そっと紙を広げて中身に目を通して愕然とする。
『これは報復である。そして無念であっただろう九隻の船に潜んでいた者たちに対する哀悼の標でもある。 ヴェルナー・ラングミュア』
「ら、ラングミュア国王……」
それから二時間後、無人となった城は轟音と共に崩れた。建国よりグリマルディ王国の象徴としてそびえ立っていた石造りの建造物は、短時間で単なる瓦礫の山となったのである。
●○●
「おー、見事に崩れたな」
「バンニンク殿が通例だと言われていた通り、馬車は城の近くにある待機所へ置かれたようですね」
王都の外から、遠く見える城が崩れていくのを見届けたヴェルナーが嬉々とした声をあげると、隣にいたデニスが計画通りだと答えた。
「エトムントはどうなったかな?」
「運が良ければ生きているでしょう。馬車の近くにいたなら、死体も残らないかと」
「まあ、生きていても針のむしろだろう。船の件もそうだが、手紙が無事なら馬車に仕掛けがされていた事も想像できるだろうからな」
裏切り者として処分されるか、内通を疑われて拷問を受けることになるだろう。
「陛下の御配慮によって、船と共に沈んだ者たちも浮かばれるでしょう」
「言うな。あんなのは俺の自己満足に過ぎない」
厳しい顔をしたヴェルナーに、デニスは何も言わなかった。
「さて、あとはアーデル殿の仕事かな」
「はい。これから帝国の正式な使者として訪れる予定です」
連れてきたアーデルの部下たちの一部は、ヴェルナー達がラングミュアへ戻るまでの護衛となる。
「アーデル殿の仕事が順調に終わる事を祈っている。では、俺たちは帰るとしようか。マーガレットに会いたいし、エリザベートにも伝えなければならない事がある」
イレーヌたちに預けた土産は届いたかな、と暢気な事を言いながら背伸びをしたヴェルナーは、皇帝から贈られた豪奢な服を手で伸ばして整えると、馬車では無く馬の鞍へと飛び乗った。
「行くぞ、デニス」
「ははっ!」
デニスも馬へと飛び乗る。デニスが勇戦を評されて皇帝より譲られた立派な毛並みの白馬だ。馬が立派過ぎてデニスが恐縮してしまう程だったが、何とか乗りこなせている。
「いつでもエリザベートに会いに来てくれ。歓迎する」
「ありがとうございます。いつか必ずやお伺いさせていただきます」
「ああ。待っているよ」
数名の帝国兵を引き連れて走り出したヴェルナーを、アーデルは砂粒程の大きさになるまで見送っていた。
王城崩壊事件のあと、帝国への賠償に苦しむグリマルディ王国は貴族の離反が相次ぎ瓦解へと傾いていく事になる。
そしてラングミュア王国では、周辺事態が落ち着いた事で本格的に国内の整備が始まった。
この頃からようやく、平民たちの間にも国王ヴェルナーの名が広まり始めた。
お読みいただきましてありがとうございます。
今回で第二章終了となります。
章題は未定ですが、第三章は明日から掲載予定です。
次回もよろしくお願いいたします。