48.待ち伏せ
48話目です。
よろしくお願いします。
「おかしいわね。先触れに出した兵が戻ってこないわ」
数名の護衛に囲まれた馬車のなかで、アーデルが一人ごちた。
慣習では、到着予定を伝えた兵士や騎士はすぐに引き返して本体と合流し、問題があればその場で伝えることになっている。
「何か問題でもおきましたか?」
デニスが尋ねると、アーデルは大きな問題ではないと答えた。
「伝令が途中で怪我をしたり、到着後の体調不良でそのまま待機することも珍しくありませんから、そこまで重大な問題ではありません」
伝令を抱える貴族から目の敵にされるため殆ど無いのだが、時に盗賊などから襲われてしまうこともある。
「何かの理由で先触れが到着していない場合でも、私が話せば問題はありません」
アーデルの客人として遇する事もできる。およそヴェルナーに不自由させることも無いし、皇帝としても会わぬ理由も無いだろう。
「ボルネマンは来なかったな」
「陛下を無実の罪で投獄したオーラフを処罰すると言って残りましたが……皇帝から直接叱責されるのを避けたのでしょう」
顔を合わせて説明する義務はアーデルにある。ボルネマンとしては何かしらのペナルティは仕方ないとして、皇帝と顔を合わせる勇気はなかったようだ。
「それほどに皇帝は恐ろしい人物なのか?」
「失礼ながら、陛下のように戦いに長けた方ではございません。ですが、理路整然とした物言いで失敗を確認するようなところがありますので……」
なるほど、とヴェルナーは苦笑した。理詰めでちくちくと小言を言われるのは、大声でどやされるよりも精神的に追い詰められた気持ちになるというタイプの人物も多い。
ボルネマンは今回の件で他国との摩擦を生みかねない失敗をしたうえ、部下の監督責任について言及されるだろう。逃げたくなるのもわかる、とヴェルナーは頷いた。
「で、この贅沢な旅行は慰謝料代わり、か」
ボルネマンはヴェルナーとアーデルが移動するために、普段は自らが使っている最高級の馬車を貸し出した。
護衛十名の他に侍女を二名同行させ、ヴェルナーおよびアーデルの身の回りを世話させている。
ヴェルナーとしては、慣れない女性にあれこれ傅かれるのは聊か落ち着かないものを感じていたが、好意として受け取っておくことにした。別にボルネマン伯爵をいじめたいわけではなのだ。
「しかし、まさか性接待も込みとはね……」
最初に宿泊した町での夜、そろそろ眠ろうかとしていたヴェルナーの部屋を侍女の一人が訪ねてきたのだ。身体のラインが薄く透けるような服を一枚羽織っただけの姿で。
子供相手にやることじゃないだろう、と呆れながら、侍女が自分の仕事を果たせなかったと自責の念を感じないように話し相手だけを頼み、デニスに見つからないように部屋に帰した。
翌日からは、デニスに悪いとは思いつつも同室に泊まるようにしてもらい、侍女には日暮れまでに自室へ戻らせるようにしていた。
「こっちが気を遣うな、これは」
アーデルにはこの件を伝え、同行している二人の侍女については帝都にある彼女の家で引き取ってもらう事になった。
「ボルネマンのところに戻れば、彼女たちはまた同じような仕事をさせられるでしょう。家族もいないようですから、私が話して引き取ります。留守がちなので、屋敷の手入れをする者を増やしたいと考えていましたから……」
貴族間の接待として珍しい事ではないとはいえ、女性としてアーデルは面白くないのは当然だろう。にっこりとして引き受けてはいたが、目は笑っていなかった。
小さな問題は起きたものの、伝令が行方不明である以上の事は何も無く、帝都まで二時間程で到着するというところまでたどり着いた。多少の不便には何も言わないヴェルナーの性格は護衛たちにも好印象であったらしく、ヴェルナーも自ら馬に乗り、楽しく話をしながらの旅になっている。
馬車の中ではデニスがボルネマンから借り受けた正装に着替え、カーテンで仕切られた隣でアーデルは報告書を見直していた。
「それじゃあ、やっぱりあの魔法についてはあまり多くの人が知らない事なのね」
「はい。私が知る限りでは今回のグリマルディ王国侵入に関わった者たちと、マーガレット様やエリザベート様くらいでしょうか」
着替えながら質問に答えるデニスは、ヴェルナーの不利になるような情報を話さないように慎重になりながらも、淀みなく話した。
あらかじめヴェルナーからは話して良い範囲は聞かされている。というより、デニス自身も知らされていない事が多かった。実際にはオットーやミリカンなど、ヴェルナーの能力を知る者はまだまだ多い。
「でも、先日こちらで捕縛したグリマルディ王国のエトムントたちには知られたわね」
「そうですね。ですが、陛下としては特に気にしてはおられないようです」
その意図するところはわからないまでも、デニスはヴェルナーが外国に対してもあまり自身の情報を隠す気が無くなってきているのは明らかだと感じていた。
「陛下にお考えあっての事でしょう。私ごときが心配するような事はありません」
それは言外に、他国の人物から言われるような事ではないという意味も含んでいて、しっかりと伝わった。
「無粋だったわね。忘れてもらえるとありがたいわ」
「いえ。過ぎたことを申しました」
着替え終わったデニスは天井のフックからカーテンを外して丁寧に畳み、侍女へ手渡した。
「戦争が落ち着いたら、ラングミュアと帝国で騎士同士の合同訓練なんてどうかしら。お互いの友好のために」
突然の提案にデニスは目を丸くしたが、すぐに頷いた。
「勉強させていただく良い機会だと思います。陛下にはその旨……」
「止まれ!」
言いかけたところで、静止を命じる声が外から響いた。
急に止まった馬車内で、バランスを崩した侍女をデニスが片手で支える。
「何事か!」
「と、突然兵士に囲まれました!」
「敵襲だと!?」
「いえ、帝国の兵です!」
馬車に並走していた兵士からの報告に首をかしげたアーデルは、剣を掴んで馬車を飛び出したところで、目の前の光景に青ざめた。
護衛たちとともに馬で走っていたヴェルナーに対して、帝国の兵が槍を突き付けていたからだ。
「一体、何が起こっている?」
周囲を見回し、周りを囲む兵士の中に剣を構えたオーラフの姿を確認して目を細めたアーデルに、一人の騎士が馬を下りて侍従へ手綱を渡して近づいてきた。
「お手柄でしたな、オトマイアー将軍。しかし、こんな子供が国王を騙るとは、世も末ですね」
柔らかな金髪をかきあげながら話しているのは、アーデルと同じ帝国軍所属の男だ。階級は彼女よりも下だが、帝都を警備する部隊の一つを指揮するエリートではあるが、子爵家長男の家柄を鼻にかけた所があり、あまり部下から好かれる人物ではない。
「ツェラー子爵家のベルンハルトね。帝都警備の貴方がなぜここに?」
「オトマイアー将軍をお迎えにあがったのですよ」
「報告は明確に。正確にしなさい」
恭しく一礼して見せたベルンハルトに、アーデルは吐き捨てるように言った。
「そして、すぐにあの方に槍を向けるのを止めさせなさい」
「いやいや、オトマイアー将軍。もうお芝居は結構です。あとは我々が処理いたしますので」
「何の話を……」
ベルンハルトが言う内容がわからずに問い詰めようとしたアーデルは、三十名いる兵士の中に紛れているオーラフが、誰かに目配せを送るのを見た。
直後、アーデルの後ろから降りてきたデニスの前にいた兵士が、腕を抑えて倒れこんだ。
「ぐあっ!」
「貴様、抵抗するか!」
「私は何もしていない!」
デニスは弁明していたが、槍と剣を持って殺到する兵士の他、弓を向けている者もいる。
「よくも仲間を!」
と、白々しいことを叫んで剣を握ったオーラフが馬車に向かって突進すると、その前にアーデルが立ちはだかった。
「なんという真似をしてくれたのかしら……!」
その目は怒りに燃えているが、周囲の兵士たちは突然仲間が攻撃されたとして、デニスへと攻撃を集中する。
ヴェルナーの周囲で槍を構えていた者たちも、殺気立って槍先をヴェルナーに触れんばかりに近づけていた。
「ベルンハルト、止めさせなさい!」
「どうやら将軍は完全に騙されているようだ! ここで止めないと皇帝陛下に危険が及ぶぞ!」
「えっ? はっ……?」
アーデルとオーラフが口々に叫ぶ内容と、実際に相手から攻撃されたらしい事でベルンハルトは混乱していた。
助けてほしい、と詰所に飛び込んできた伝令の話を聞いて、手柄を上げようとするオトマイアーの手伝いをして自分も評価されると思っていた彼は、想定外の事態に状況を飲み込めていなかった。
実のところ、デニスは本当に手を出していない。倒れたのはオーラフの部下で、日常的に民衆に罪をなすりつけるためにやっていた演技を披露しただけだった。
隠し持った剃刀で腕を浅く斬りつける程の手の込みように、場の雰囲気も手伝って誰もがデニスに斬られたと思い込んだ。
デニスも混乱し、どうにか侍女たちを庇って馬車に戻して内側から鍵をかけるように指示できたが、剣を抜くべきか否か迷っていた。
「アーデル殿。悪いがひと暴れさせてもらう。デニス、王国近衛の実力を見せてやれ。ただし、殺すなよ」
突然ヴェルナーが声を上げると、一握りのプラスティック爆薬を放った。
街道から離れた場所に落ちた爆薬が瞬時に爆発すると、その音と衝撃に兵士たちの視線が集まる。
その隙に、ヴェルナーは馬の腹を滑るように下馬し、一人の槍兵の膝をナイフで斬りつけ、馬車へと走る。デニスが立つ場所と反対側を守るためだ。
彼の意図を読み取ったデニスは、剣を抜いて馬車の前に立ちはだかった。
「ラングミュア王国近衛騎士デニス・ジルヒャーだ。陛下のご命令に従い、貴様らの相手となる。かかってこい!」
デニスの啖呵から始まった乱闘の中で、アーデルは憎々しげにオーラフを睨み付けていた。
「あそこで殺しておくべきだったわ」
「はん、俺がそう簡単にやられるかよ。恥をかかされた恨み、ここで晴らしてやるぜ」
剣を手に近づいてくるオーラフに対し、アーデルも自らの武器を抜いた。
「お貴族の指揮官が、腕っぷしで俺に勝てるわけがねぇ!」
「なら試してみなさい。そこの馬鹿男と違って、私は戦場で戦果を上げてこの地位にいる女よ」
両手に剣を掴み、肩に担ぐように構える独特の姿勢をとったアーデルに対し、オーラフは唾を吐いた。
「所詮は女。せいぜいあがいて楽しませてみろや」
「下衆ね」
最初に剣を振るったのはアーデルの方だったが、オーラフは難なく剣の腹で受け止めると、蹴りを放ってアーデルの足を払う。
「ふっ」
息を吐きながら狙われた足を上げ、その踵でオーラフの脛を強かに蹴り飛ばす。だが、すね当てに阻まれて大したダメージは与えられない。
さらに剣をなんども打ち合わせているうちに、体力と膂力に勝るオーラフが押し気味になった。
「やはり女は、弱い!」
「それが男のうぬぼれよ……あっ!」
オーラフの思いきった一振りにアーデルの剣が弾き飛ばされると、そのまま頭を狙った打ち下ろしの一撃がアーデルを襲う。
「帝国の裏切り者として死ね!」
叫び声とともに迫る刃に対し、アーデルは右手を伸ばした。
まるで手のひらで剣を止めようとするような仕草に、オーラフはにやついた顔をこらえきれない。所詮は、命の奪い合いなど知らない女か、と。
だが、アーデルはそうでは無い。
「なんだとぉ!?」
刃が掌に触れると、その部分からあっという間に溶け出したのだ。
ぼとり、と音を立てて半ばから先を落とした剣を呆然と見ていたオーラフは、その残った刃にアーデルの手が触れるのを見た。
そして、見る見るうちに溶かされてものの数秒で無くなってしまった剣から手を放そうとしたが、離れない。両手は溶け出した柄で固定されて煙を上げている。
「いぎゃああああ!」
熱いというより痛みを感じる両手は、アーデルから手首を掴まれてさらに火傷をも通り過ぎて嫌な臭いを放つ煙を燻らせて燃え上がり始めた。
「他国の人の前であまり手の内を見せるのは好きじゃないけれど、さすがに我慢の限界よ」
「た、助け……うぶぇっ」
オーラフの喉を掴んだアーデルは、冷たい視線とは対照的な高温によって瞬時に手の中にある喉笛を単なる炭に変えると、無造作に千切り取った。
「貴方は帝国の恥よ。処刑台に上げる事すら許せないわ」
その細い指先から黒々とした粉を風に乗せて放り捨て、アーデルは倒れ伏したオーラフの死体を見下ろした。
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