39.報復戦へ向けて
39話目です。
よろしくお願いします。
「お話しなくて良かったの?」
「任務がしっかり終わるまでは」
馬車に戻ってきたエリザベートにそっと耳打ちされ、アシュリンは頷いて返した。
エリザベートも、アシュリンを預かった際に“あまりヴェルナーと近しい人物だと思われない方が良い”と言い含められていた。
今回の行軍中も馬車の中にエリザベートやアーデルとともに座っていたが、ほぼ無言で通した。
アシュリンは自分があまり機転の利くタイプでも無く、口が上手い方ではない事を自覚しているので、多くを話すとボロが出ると思ったのだ。
時折、エリザベートが話題を向けるのに、言葉少なに答えるだけだった。
ヴェルナーがアシュリンを守ろうとしての策だと二人とも理解していたが、エリザベートは寂しそうにうつむくアシュリンが不憫に見えた。
「ラングミュアに戻ったら、ヴェルナー様からしっかり相手をしてもらう予定なの。王都以外はほとんど見ていないから、他の土地も見たいし、新しく作る港も見せてもらうわ」
エリザベートがアシュリンの肩に手を置く。
「貴女も一緒に行きましょう。こんな大変な仕事をやらされているんだもの。たっぷりお休みをもらって、たくさん楽しまないと。それに、貴女が一緒に来てくれるとわたくしも嬉しいわ」
目を真ん丸に見開いていたアシュリンは、微笑みを浮かべて頷いた。
「はい。よろしくお願いします」
「エリザベート様。ラングミュアの王様と話がついたけど、いいかしら?」
戻ってきたアーデルは、アシュリンをちらりと見た。
「構わないわ。彼女はわたくしの友人です」
護衛と言わなかったのは、彼女なりの気遣いでもあり、本心でもある。生真面目で苦手なタイプだと思っていたが、ひと月以上共に過ごしている間に、アシュリンの性格は信用に値するものだと理解している。
「そう。良かったわ」
エリザベートは“わがまま皇女”のあだ名を付けられる程であり、皇帝の娘という立場もあり、アーデル以外に友人と呼べる人物がいなかった。
他国に嫁ぐのに、ある意味では良い事とアーデルは無理に納得していたのだが、どうやら逆に嫁ぎ先で友人を見つけてきたらしい。話では、あのヴェルナー国王の婚約者とも友人になったとか。
妹のように思っていた友人に新たな友がいる。寂しいような気もするが、喜ぶべきことだとアーデルは思う。
「ラングミュアの国王の依頼で、皇帝陛下に書簡を持っていくわ。グリマルディの兵を護送する必要もあるから、これから帝都へ戻ることになる」
「わかりました。では、ヴェルナー様にお別れのあいさつをしてきます」
アシュリンに目配せをしてから、エリザベートはヴェルナーが待つ場所へと向かった。
彼女を見送り、アーデルはアシュリンに近づいた。
「ラングミュア王国は今回の件でグリマルディとの対立を明確にしたわ。ラングミュアは戦う。ヴェルナー国王は今回同様自ら部隊を率いて戦場に赴くでしょうね」
衣擦れの音を立ててアシュリンが顔を上げた。
アーデルが笑みを浮かべたのを見て、アシュリンは自分のミスに気付いて俯く。
「深くは聞かないわ。でも、ひとつだけお願いしておくわね。貴女の友人であるエリザベート様は、私の大切な友人でもあるの」
アーデルの表情は、いつの間にか厳しいものへと変わっていた。
「貴女がどんな命令を受けているか知らないけれど、エリザベート様を傷つけるような真似だけは許さない」
「……ヴェルナー様は、そんなことを命じる方ではありません」
「ふふっ……あっは!」
堪らず口を開いたアシュリンに、アーデルは手を叩いて笑い声をあげた。
「試してごめんなさい。貴女を信用する。よろしくね」
固い握手を交わしたが、アシュリンはアーデルを理解できないという表情を浮かべていた。
●○●
ヴェルナーは一度王都へ戻った。
グリマルディ王国に対する攻撃の準備をするのと、船の状況を改めて確認する必要があった。それ次第で出方も変わる。
皇帝からの返答を受け取るための連絡要員を国境警備の詰所に残し、ヴェルナーの部隊が城へ入ったときには、簡易港からイレーヌがボー・バンニンクを連れて伝令として戻っていた。
「一隻は引き上げた、か」
場所は謁見の間だった。
ミリカンやオットー、そしてエックハルトといった場内の重臣達が並び、デニス以下近衛の騎士たちも厳しい表情を浮かべている。
「イレーヌ。お前の口から状況を聞かせてくれ」
オスカーとヘルマンからの報告書に目を通したヴェルナーは、真新しい玉座に座ったまま目の前に跪くイレーヌを見下ろした。
「はい。グリマルディから来た造船技師タンバーは、修復そのものは難しくないと言っておりました。船を完全に浜へ引き上げることができれば、数日で修復できる、と」
「その言葉、信用できるのかね」
宰相エックハルトが疑念を口にすると、イレーヌはヴェルナーを見上げた。王は頷く。
「タンバーはグリマルディ王国が自国民を犠牲にするやり方を選んだ事に不満を言っておりました。それに……」
イレーヌが視線を送ったのは、隣で跪いているバンニンクだ。
彼女は血の気が引いた顔をして床を見ている。グリマルディから外交担当官としてラングミュアにいる彼女の立場は危うい。
「俺はグリマルディ王国軍のエトムント・アンデという男から直接この耳で聞いた。船を沈めたのは王の指示である、と。さて、同国人であるバンニンク殿はどう思う?」
直言を許す、とエックハルトが言葉を続けた。
「……今回の件はわたしも知らされていなかった事でありまして、ただただ、驚いているとしか申し上げようがございません」
ヴェルナーが一言命じるだけで、バンニンクは殺される。グリマルディ王国は彼女がラングミュアにいる事を知りながら裏切った。ラングミュアを敵に回した。
国同士の戦いで、国内にいる敵国の人間が見せしめや報復のために殺害される事は珍しくない。
むしろ、そうしない方が珍しいのだ。
「ミリカン。どう思う?」
「拘束すべきかと。少なくとも、自由にさせておく理由はありません」
この場にいる者の多くが頷いて同意し、バンニンクに厳しい視線を向けている。
「そう睨むな。可哀そうに、震えているじゃないか」
ヴェルナーがいさめると、視線は彼へと注がれた。
いじめすぎたか、と気を失いかねない程の緊張を見せるバンニンクを見たヴェルナーは、持っていた報告書にもう一度目を通し、無言のまま隣に立っているマーガレットへと手渡し、目配せした。
すぐに理解したらしいマーガレットは、視線で応えた。
「ボー・バンニンク。例えば俺が、君の祖国を攻撃するために協力を求めたらどうする?」
ハッとして顔を上げたバンニンクは慌てて視線を落としたが、自分を見て答えを出せとヴェルナーから言われて再び視線を上げた。
「協力いたします。ただ、わたしの家族がいる町にだけは、どうか寛大なる処置をお願いいたします……」
「条件を付けられる立場か?」
再びバンニンクが顔を伏せると、マーガレットが口を開いた。
「陛下。この報告によれば彼女は船の引き上げに際して怪我を負うのも厭わず協力した、とオスカー・ルーデンが記しております。彼女には功績もあるといえるのではありませんか?」
「イレーヌ。本当か?」
イレーヌは頷き、彼女とタンバーが率先して船の引き上げに協力したことを証言した。
「タンバーの指示が無ければ、船は一隻残らず海の底へ沈んでいたでしょう。彼女がそれに協力しましたことも、間違いありません」
「なるほど。手にまかれた包帯はそのためのものか」
決めた、とヴェルナーは立ち上がった。
「良いだろう。では、グリマルディ王国侵攻に協力をするならば、家族のいる町には手を出さない。希望するなら、護衛を付けてラングミュアに呼び寄せても良い」
バンニンクには選択肢が無かった。
彼女が条件を受け入れると、ヴェルナーはすぐさま、ミリカンに命じて部隊編成の準備を命じた。
「兵は四十人で良い。それに俺とデニスを含めて四十二名だ」
「ヴェルナー様。あたしも同行させてください」
しばらく考えたヴェルナーは、真剣な表情で見上げるイレーヌの進言を許可した。
「まあ、いいか」
彼女はヴェルナーの爆薬を起爆できる数少ない人材だ。同行させて損は無いだろう。
「陛下。今回のグリマルディ王国に対する攻撃。目的はどこに設定なさいますか?」
「決まっている」
どっかりと座りなおしたヴェルナーはにやりと笑う。
「王都だ。俺とラングミュア王国を舐めたらどうなるか。しっかりとわからせる」
今の国内状況では、占領したところで各地をまともに運営などできない。変に領土欲を見せれば帝国も妙な疑念を持つだろう。
「今回は破壊が目的だ。中枢部に打撃を与えて、帝国の負担を減らしてやるとしよう」
バンニンクには念のためイレーヌが監視として付くことになり、ミリカンは部隊の編制を急ぐことになった。
エックハルトは、簡易港で待機しているヘルマンたちへ送る分も含めて、資材の準備を進める。
「ヴェルナー様……」
執務室へと移動したヴェルナーに、マーガレットが不安げな顔をして身体を寄せた。
「心配無い。ちょっと行っていくつかの建物を壊して帰ってくるだけだ」
「それもありますが、イレーヌさんの事です」
マーガレットの細い指が、ヴェルナーの脇腹を抓る。
「私だって理解はあるつもりですが、あまり無分別なのは困りますよ?」
「だ、大丈夫だ。俺もあいつ怖いし」
「それはそれで可哀そうです。まだ訓練生なのですから、ちゃんと優しく守ってあげてください」
これは思ったより難しい作戦になりそうだ、とヴェルナーは苦笑した。
●○●
ヴェルナーが王都にて戦いの準備を始めた頃、自らの部隊を副官に任せて先行したアーデルは、エリザベートやアシュリンとともに皇帝の前にいた。
「ヴェルナー・ラングミュアの魔法は、それほど強力であるか」
戦況を確認し、ヴェルナーからの親書に目を通した皇帝は呟くように言った。
「エリザベート。疑っていたわけではないが、お前から聞いた話よりもかの者は強いようだな」
「わたくしもまだ、彼の全容は見せてもらっておりませんわ」
まだ何か隠し玉があっても不思議ではない。エリザベートは改めてヴェルナーをそう評した。
「私も同じように感じました。そして、台頭して間もないながらも騎士や兵たちはヴェルナー国王を信頼しているようです。国境を越えた彼が少数の共のみを連れたことにも、敵の前に身をさらすことにも反対する者がおりません」
それだけ、部下が彼の能力に確実なものを感じているのだろう、とアーデルは語る。
「命じれば、そうするのが臣下ではないか」
「失礼ながら、例えば皇帝陛下が御身を敵前に晒されるような危険な真似をなさろうとするのであれば、私は陛下を縛り付けてでも阻止いたします」
どういう言い草だ、と皇帝は片眉を上げた。
ちらりと両脇にいる近衛を見ると、彼らはまじめな顔をして頷いている。
「信頼がないのう。もっとも、余は戦いの才が無い故、それも致し方ないがな」
そして、皇帝がラングミュア参戦についての話を始めると、臣下の意見は分かれた。
戦況は現在、帝国側有利で動いている。このままいけば、グリマルディ王国は敗北するだろう。
「グリマルディの国土を割譲せよ、などと言い出すのではありますまいか」
臣下の一人が疑念を口にすると、皇帝はそれを否定した。
「手の回らない飛び地など要らぬ、とはっきり書いてある」
皇帝はヴェルナーの協力をありがたく受けると断言する。
「どうやら、余は思っていたより楽しい時代に生まれることができたらしい。ヴェルナー・ラングミュアがどう動くか、じっくり見せてもらうとしよう」
皇帝は侍従を呼び、ヴェルナーへ向けた書簡をアーデルとエリザベートに託した。
「督戦役としてアーデルを送る。その目で、今度はもっと近くでヴェルナーの戦い方を見ておくのだ。それと、エリザベートには別の書簡を渡すゆえ、ヴェルナーが勝利を手中にしたときに手渡すと良い」
それは、ヴェルナーにエリザベートを婚約者として迎えるように依頼する文書であった。
お読みいただきましてありがとうございます。
次回ですが、数日お休みしてから再開させていただきます。
確定申告の方法がさっぱりわからないので、時間が……。
なるべく早く戻ります。
ご迷惑をおかけしますが、何卒ご了承のほど、よろしくお願い申し上げます。