36.王は先頭に立つ
36話目です。
よろしくお願いします。
※前話にて「五十名」としたグリマルディ王国軍ですが、「五百名」の間違いでした。申し訳ありませんでした。
イレーヌによって船首部分に固定されたロープが、オスカーによって回収されると、すぐに兵士達がヘルマンの指示で集まって綱引きが始まった。
重いロープを引っ張る兵士たちは必死の形相で歯を食いしばり、鍛えた身体をフルに活かして船を引く。
二十メートル強の長さがある船体は、ゆっくりと沈みながらも浜に向かって引き寄せられている。
「砂浜に乗せれば良い。もう少しだ!」
造船技師タイバーは、桟橋の上で船の状況を見ている。もう一人のグリマルディ人であるボー・バンニンクは、兵士に混じって綱引きに参加していた。
ロープの端にさらにロープを結び付け、引っ張る人員を増やした結果、重い船は何とか砂浜に船首部分を引っ掛ける事に成功した。さらには丸太を噛ませて船体の大部分を砂浜へと引き上げた。
「もう大丈夫だ」
縄を何かに結びつけて固定するように指示を出したヘルマンは、タイバーの言葉を聞いてヘナヘナと座り込んだ。
「一隻は何とかなったか……だが、他は……」
力なく見ている前で、九隻もの船がずぶずぶと沈んでいく。
海から上がって、ずぶ濡れのまま綱引きに参加したオスカーがヘルマンの肩を叩いた。
「グリューニング子爵。先ほどは狼狽えてしまって申し訳なかった」
騎士として恥ずべき事だった、と悔しそうな表情を見せたオスカーに、ヘルマンは立ち上がって同じように肩を叩いて返す。
「いや、君の気持ちもわかる。というより、今の時点で私もこの後の事を考えると泣きわめきたいところだが、王国貴族として我慢しておく」
それよりも、とヘルマンは船のへさきを指差した。そこには疲れ果てて倒れているイレーヌがいる。
「彼女の勇気と行動力を称えよう。それから、船が沈んだ原因を調べるんだ」
「それには吾輩も立ち会わせてくれんか」
バンニンクを連れて近づいて来たタイバーに、オスカーは前に出てまっすぐに見据えた。
「タイバー技師。この状況を事故だと言われるつもりではないでしょうな」
「……何かが起きた。吾輩にはそれしか言えぬよ。調べて見なくては」
「何かを起こした、と正直に言っていただきたい」
「待って下さい。私たちはこんな状況など想定していません!」
タイバーを庇うようにバンニンクが前に出ると、睨み合いは彼女とオスカーの間で交わされることになる。
「はいはい。先に中を調べましょう」
船から飛び降りてきたらしいイレーヌが、ローブの裾に着いた砂を払いながら近づいて来る。
「しかし、これは重大な裏切り行為だ!」
「裏切ったのはグリマルディ王国で、この人たちじゃないんじゃないかしら?」
そう言って、イレーヌはバンニンクの手首を掴み、手のひらをオスカーに向けた。
決して滑らかとは言えないロープを必死で掴んだのだろう。皮膚はボロボロに擦り切れ、血がにじんでいる。
驚いたオスカーは、自分の手も同じ状況である事を見て、すぐに頭を下げた。
「も、申し訳ない!」
「鈍感ね。じゃあ、オスカーさんとバンニンクさんは二人で船の外側。ヘルマンさんとタイバーさんはあたしと一緒に船内調査ってことで」
いいでしょ、と聞いてくるイレーヌに、オスカーは苦笑した。
「流石は陛下のお気に入りだな。敵わない」
バンニンクに改めて向き直ったオスカーは、再度頭を下げて協力を要請した。
「もちろんです」
バンニンクは、内心で仕掛けた人物がエトムント・アンデであると考えており、湧き上がる怒りを抑えて了承した。
船が不審な沈み方をすれば、この場に残されたグリマルディ王国人である彼女とタイバーが疑いの目を向けられるのは間違いないのだ。
使い捨てにされた、という不満がバンニンクの脳裏に強烈に残った。
「私としてもこの状況は不服です。出来得る限りの協力は致します」
「ありがとう。だが、その前にやっておくべきことがある」
オスカーは腕を伸ばして一つの天幕を指した。そこには救護の為の道具と人員が待機している。
「女性の美しい手をそのままにしておくのは、ラングミュアの紳士として見逃せない。先に治療を」
「気障ったらしい男だの」
タイバーの呟きに、イレーヌは笑みを漏らした。
「ラングミュアの若い貴族は、まともな人ほど敵じゃない女性には甘いものよ」
「ほほう……とすると、かの若き国王陛下もそうなのか」
イレーヌは少し考えたが、答えはすぐに出たらしい。
「そうね。優しい御方よ」
「なるほどな」
タイバーはイレーヌの言葉よりも、その表情に頷いているようだった。
「そんじゃ嬢ちゃん。協力をお願いするよ」
ヘルマンにも声をかけ、タイバーは船へと向かった。
隠し部屋の気密性は意外と高かったようで、隠し扉の上部は水に浸かっていたが、中には腰辺りまでしか入ってこなかったらしい。
酸欠になりかけの状態ではあったが、引き上げられた船に潜んでいた二人の工作員は、救助された。その後の彼らの証言により、エトムントの所業は白日のものとなる。
自沈した残りの九隻にも同様に工作員が潜んでいたと分かると、誰もが怒りと共に船と共に沈んだ者たちの事を考えて恐怖した。
「ああっ……!」
声を上げて泣き出したバンニンクを抱き寄せたオスカーは、かける声が見つからなかった。
「何と言う事をするのか……。国に尽くして船を作ってきたが、これほど非道な所業は初めて聞く」
タイバーも歯を食いしばり、怒りに震えている。
「……イレーヌ君。頼みがある」
同じように怒りに燃えているヘルマンが言う。
「すぐに陛下へ宛てて報告書を作るから、数名の護衛を連れて急ぎ王都へ向かってくれないだろうか」
ヘルマンとオスカーはここへ残り、船の調査を進めると言う。
「なんとしてでも船を修復する。そして我が国でも船を作る技術を得る」
「私からもお願いしたい。これは国として以上に、人として許されざる行為だ」
ヴェルナーは国境方面へ向かったが、正確な場所までは分からない。多少時間はかかるが一度王都に行って馬を換えてミリカンと会って正確な場所を聞くべきだとオスカーは言う。
「わかりました。あたしに任せてください」
イレーヌは快諾した。
彼女も、怒りに燃えているのだ。
●○●
エトムントの命令を受け、彼らグリマルディ王国軍から離れた見送りの兵たちを尾行していた二人の兵士は、見つからないように距離を取って徒歩で追いかけていく。
目標である見送りの兵たちが低木が生い茂る森の近くに陣取り、火を起こして休憩を始めたことで追跡する二人の兵も、離れて様子を見ている。
「方向的には、国境とは逆だな」
「俺は無駄な追跡だと思うけどな。でも、前線に行かなくて済むだけマシじゃないか?」
それが、彼らの最後の言葉となった。
風を切って飛来した二本の矢は、的確にグリマルディ王国兵の首筋を貫いた。
驚いた表情で倒れた二人は、それぞに突き刺さった矢を見ながらしばらくもがいていたが、地面に血が広がると共に動きは小さくなり、ほどなく息絶えた。
彼らの死を待っていたかのように、百メートル程離れた場所で生い茂った低木の一部が盛り上がり、短弓を握った二人が姿を見せた。
「上手く行ったな」
「ああ」
二人はヴェルナーと共にやってきたラングミュアの兵士だった。特に弓の扱いが上手いということで選抜され、グリマルディ王国兵の尾行を斥候が確認した事で、急ぎ配置されたのだ。
「これって意味があったのか?」
「まったく気づかれなかったんだ。役に立ったんだろうよ」
そう言う兵士が掴んでいるのは、ヴェルナーが指示して作られたカモフラージュネットだ。
漁師が使う網に草や枝を括りつけただけの簡単な作りだが、ある程度深い草木に潜むときには非常に有効だった。
その有用性は、尾行されていた兵士達も気付かなかったと口を揃えて言った事で認められた。
合流した彼らは、休憩を中断してヴェルナーへの合流を目指す。
「首尾はどうだ?」
「予定通りだ」
兵士たちがそう会話していた頃、ヴェルナーは腕を組んで不満げに兵士達の合流を待っていた。
彼としては尾行の兵を相手に狙撃練習をしたかったのだが「音が大きく、グリマルディ軍本隊に気付かれる可能性がある」と自重したのだった。
「次に銃を撃てる機会はいつになるやら……」
前世ではずっと前線を渡り歩いた兵士だっただけに、戦果を待っているだけというのはヴェルナーにとっては想定外に苦痛だったようだ。
「なあ、デニス。ちょっと様子を見に行くというのは……」
「駄目です」
ばっさりと却下された。
「今は重要な作戦の直前。兵たちも緊張しておりますれば、陛下には堂々として兵たちに規範となる姿をお見せいただきたく存じます」
「うぅむ……」
尤もな事を言われてしまうと、ヴェルナーとしても自分が命じた待ち伏せ作戦であるだけに、部下が戦功を立てる機会を奪う訳にもいかない。
そんなふうにじりじりと待っている事三時間。ようやく兵たちが戻ってきた。
「陛下。二名の追跡者はいずれも始末いたしました」
「グリマルディ王国軍は予定ルートを進みました。おそらく今頃は国境へ差し掛かる頃かと」
待ち伏せの兵とグリマルディ王国軍を案内した兵たちそれぞれの報告を受け、ヴェルナーは立ち上がった。
「国境での監視を命じた斥候が戻って来ていない。恐らくは翌朝まで兵を休ませてから国境を越えるだろう」
長旅の疲労を考えれば、そのまま進軍するとは考えにくいというヴェルナーの予測に、デニスも同意した。
「長期間の監視、ご苦労だった。お前たちが無事に来たという事は、船もちゃんと届いたんだな?」
案内役を務めた兵が頷く。
「はい。グリマルディ王国兵を運んできた兵員輸送船十隻と、タイバーなる技師が到着したのを確認いたしました」
「良し。では翌朝より行動を開始する。それまでは休め。もうひと働き残っている」
「はっ」
交代で休息したヴェルナー率いるラングミュア王国軍本隊は、グリマルディ王国軍がヘルムホルツ帝国との国境を越えたと思われるタイミングで進軍を開始した。文官たちと若干の護衛を残し、総勢五百名の兵を連れている。
途中、合流した斥候から予測通りの動きが確認できたことを知り、ヴェルナーは兵たちに改めて言葉をかけた。
「これが俺にとって初めての対外戦闘になる。尤も、グリマルディの連中が弱すぎて、こちらに逃げ込んで来る事すら叶わなければ、そのままピクニックに切り替えるけどな」
兵士達に笑顔が広がる。
想定していたよりも緊張していない事を確認したヴェルナーは、今の時点で大きな問題は無い、と意気込む。
「今回の戦いは、帝国との友好を確認するためのものでもあるが、同時に俺という存在を帝国に知らしめ、またお前たちのような精強なる兵を有する事をわからせるための戦いだ。余人に笑われる様な戦いは許さん」
緊張感が広がると同時に、ヴェルナーは笑った。
「だが、それ以上に死ぬ事も許さん。怪我を負った仲間がいたなら二人掛りでもいいから担いで逃げろ。わかったな」
大勢が声を合わせて応えると、ヴェルナーは再び馬を正面へと向けた。
「では、行こうか」
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