35.グリマルディの罠
35話目です。
よろしくお願いします。
※閉所恐怖症の方はご注意ください。
※3/3修正 グリマルディ軍五十名→五百余名
ヴェルナーが考案して作らせた“銃”は、完全に彼専用の武器だった。
普通の銃にあるはずの引き金が無く、椎の実型の弾丸の底部に直接張り付けた小さなプラスティック爆薬を起爆して発射する。ヴェルナー以外にはどうしようも無い。
護身や軍事力の強化のために銃の開発を考えたヴェルナーは、硫黄を探して黒色火薬を作ろうとしたが、それは自分の周囲がもう少し落ち着いてからにすることにした。
周囲をある程度理解ある閣僚で固めたつもりだが、まだ国内では逃げ回っている元貴族もおり、周辺国は戦争状態に入りつつある。何かの拍子に情報が洩れて利用される可能性を考えると、時期が早すぎると判断したのだ。
「しかし、あんなに苦労するとは思わなかったな……」
ヴェルナーの指示で内務省技術部門のヘルマンから部下を一人寄越してもらったヴェルナーは、まず銃身の製作を指示した。
そこでいきなり問題ができた。
ライフルの銃身は単なる鉄の筒ではない。内部で発生する衝撃に耐えられる剛性を持ち、弾道の正確さを保つために真っ直ぐに成形する必要がある。さらには、ライフリングと呼ばれる螺旋状の溝を内部に掘り込むことで弾丸を回転させて弾道を安定させる。
はっきり言って、今のラングミュア王国では不可能だった。
「というより、どこの鍛冶屋にも不可能です。筒の中に溝を切るなんて」
ヴェルナーの期待に応えようと必死で鍛冶屋に交渉していた担当者から泣きが入り、ライフリングが入った銃身は諦めざるを得なかった。
溝を入れた鉄板を丸める方式も試したが、熱して形成している間に溝が潰れる。おまけに耐久性も下がるのだ。
「それでこんな弾丸にしたんだが、高級品になっちまった」
デニスが見せられた弾丸は、長さ五センチほどの大きさで、先端が尖った鉄の塊だった。その先端から底部に向かって斜めに溝が掘られており、全体的に捩じれたように見える。
「弾丸そのものに溝を切って、風を受けると回転するように作った」
射程を犠牲にしたが、命中率は上昇した。
しかし、弾丸一発に職人芸が光る細工をする必要があり、一発の弾丸を作るのに熟練の鍛冶師でも半日かかるという。もちろん、発射すれば底部は潰れるので使い捨てだ。
「おかげで二十発しか用意できなかった。……昼に発射したから十九発か。護身用だから充分だけどな」
苦労して作られた銃身は適量の爆薬を探る実験で実に十三本が破損。ようやく適量を発見してそれからストックを作り、完成したのだ。
一発撃つごとに一般的な平民の家族が五日生活できる金額がかかる、贅沢過ぎるライフルの完成である。
ヴェルナーは担当職員と鍛冶師たちに感謝し、自らの個人的な予算から特別ボーナスを支給した。
「過去を懐かしんで趣味のつもりで作ったが、迷惑をかけたな」
多くの人員が苦労をした結果であるだけに、ヴェルナーもライフルを部隊の騎士や兵士に見せびらかす機会ができて上機嫌だった。
「完全に陛下のための武装ですね」
「そうだな。今はそれで良いんだ」
今は、という言葉にデニスは疑問を持ったが、ヴェルナーがそれ以上何も言わなかったので深く聞くことはしなかった。
ヴェルナーが仕留めた猪がふるまわれたり、良いところを見せたがった弓が得意な騎士たちが野鳥をとらえたりと、行軍中の食事は妙に豪勢なものだった。
変に緊張しているよりは良い、とヴェルナーは移動中には特に厳しいことは言わず、ただ緊急時にすぐ戦闘に入れるようにさえしておけば良いとした。
そうして、予定通りの日数で一団は国境直前までたどり着く。
「このあたりが予定地となります」
「わかった。全員に交代で休息を取らせろ。野営の用意と斥候を出して周囲の索敵もだ」
デニスを通じて指示が回ると、兵士たちは手際よく動き出す。この数日で慣れた行動だ。
「ルーデンとヘルマンはうまくやっているかな?」
グリマルディ王国の迎えに出た者たちを気にかけながら、ヴェルナーは馬を下りて腰を伸ばした。
「若い身体って素晴らしい」
長時間の乗馬にも関節の違和感が少ないことに一人しみじみと感動しながら背伸びをする。
「さあて、あとは機を待つばかりだ」
位置的にはグリマルディ王国軍が国境を越える予定コースからは見つからない。監視役を交代で出しておき、越境を開始したあたりで国境ギリギリに布陣するのだ。
「数日は暇になるだろうな。さて……」
昼寝でも、と思ったヴェルナーが振り向くと、同行していた文官たちが大きな天幕の中に組立て式のデスクを運び込むのが見えた。
そして、一人の文官が恭しく礼をする。
「陛下。オットー様より急ぎの決裁書類をお預かりしております。待機の体制が整い次第お願いするように仰せつかっております」
丁寧かつ有無を言わさぬ雰囲気で語る文官の向こうには、大量の書類と思しき荷物を抱えた人物が天幕に入っていくのが見えた。
支配者に休日は無い。
●○●
グリマルディ王国軍は予定通りのコースを進んでいる。
数名のラングミュア王国兵が案内のためについているが、国境に近づいたところで離脱する予定だ。
「帝国に対しては、グリマルディ王国の動きを積極的に手伝ったとは思われたくない」
というラングミュア王国の立場からすれば仕方の無いことでもある。
だが、グリマルディ王国軍五百余名を率いてラングミュア領内を進む部隊長エトムントは気に入らない、と呟いた。
「たったこれだけのために、十隻もの新造船を引き渡す必要があるのか?」
作戦の内容を聞いてから、彼はそのことをずっと気にしている。単に領内を通過するだけの話に、異常なまでに金がかかっている。
「エトホーフトやバンニンクが、ラングミュアの王にうまく丸め込まれてしまったのだろうが、相手はまだ子供だというではないか」
副官は適当に相槌を打つしかない。船に乗る前からたびたびこの愚痴を聞かされているのだ。無反応ではエトムントが怒るので、返事だけはしておかなくてはならない。
「ラングミュアの連中にあの大きさの船が動かせるわけもない。無駄な玩具をくれてやったものだ」
そのラングミュアの人物が同行しているというのに遠慮なく話し続けるものだから、副官以下兵士たちはチラチラと申し訳ないという視線を送り続けていたが、ラングミュアの兵たちは気にするなという風に首を横に振って応えた。
エトムントの愚痴を聞きながら、全員がうんざりしながら行軍を続けて数日。ようやく目的地の直前までたどり着く。
「このペースであと三時間も進めば国境です。我々はここで離れます。ご武運を」
「そうか。ご苦労」
短く答えたエトムントに一礼し、自分たちの食料を載せた駄馬を引いてラングミュア兵は離れていく。彼らはこのまま、途中の町で補給と休息をしながら王都を目指すのだ。
彼らの姿が遠くへ離れたところで、エトムントは口を開いた。
「誰か二人、あの連中を追跡しろ」
意味が分からず、戸惑っている副官を睨み付け、エトムントは低い声で再度命じた。
「追跡しろ。あの連中が本当に王都に戻るかわからん。本当に王都方面へ戻ったならそのまま適当に帰って来い」
もし帝国方面なり何かの軍隊なりに接触するようなら知らせに戻れ、と指示する。
「……わかりました」
「何か不満か?」
「いえ、そういうわけではありませんが……」
副官は否定したが、口を曲げて不機嫌な顔をしたエクムントは言葉尻にかぶせて口を開く。
「ラングミュア王国は基本的に帝国と友好関係にある。いくら契約を結んだからといって、そう簡単に信用するのがおかしいのだ」
副官は、もしそうならラングミュアはグリマルディ王国を敵に回す事になるのだから、そんな危険な真似をするだろうか、と考えていた。
この作戦で帝国は大きなダメージを受ける。うまくいけばグリマルディとラングミュアは陸地で国境を接する事になるのだ。裏切りはリスクが大きすぎる。
「それに、ラングミュア王国が船を使って何を狙っているのか知らんが、それも水泡に帰す。いや、もう終わっている頃だな」
副官はどういう事かと首を傾げていたが、エクムントは何も説明しなかった。
●○●
エクムントは、ラングミュア王国が用意した簡易桟橋に停泊させた兵員輸送船十隻全てに、工作員を潜ませていた。
一つの船につき二人ずつ。それぞれ船の最下部に作られた隠し部屋に潜み、船が停泊して半日ほど待ってから行動を起こす。
それは、エクムントがグリマルディ王国から秘密裏に受けた指令によるものだった。
工作員は隠し部屋の中に作られた仕掛けを動かし、船底から注水して船を自沈させた。
王の指示は“事故に見せかけて沈める事”だったのだが、具体的な方法はエクムントに一任された。
十隻同時に事故で沈むなどあり得ないことだが、海底に沈んでしまえばグリマルディ王国ですら引き上げの能力がなく、調査などできない。
「船がラングミュア王国の領土に接舷している以上、責任はラングミュア王国にあると主張できる。追加を要求されても突っぱねる」
それが、グリマルディ王国の狙いだ。
エクムントは工作員たちに「仕掛けを稼働させたら隠し部屋を出て用意した小舟で逃げよ。迎えの船は近くにいる」と伝えていた。
だが、それは嘘だった。
仕掛けを稼働させた彼らが脱出するために隠し部屋の天井部分にある扉を開こうとしたが、外側から抑えられていた。
船内に水が入ってくる音が響く中、恐怖に顔をひきつらせながら扉や壁を叩いて脱出しようと試みるが、注水音に交じって打撃音が空しく響くのみ。
船は、次々と傾き、水面に大きな泡を立てながら沈んでいく。
簡易桟橋の強度に問題があり、設備がなかったこともあって投錨のみで係留されていなかったため、このままでは完全に沈没するだろう。
工作員と共に沈み、エクムントの狙い通りに証拠は何も残らないことになる。
「ど、どういう事だ? 何が起きている!」
狼狽えるオスカー・ルーデンに、グリマルディ王国人のバンニンクも訳が分からず何も話す事が出来なかった。
兵たちと共にやってきた造船技師タイバーは、長いひげを扱きながら眉をひそめた。
「……船底に穴が開いたようじゃな」
タイバーの言葉に、オスカーは勢いよく振り向いた。
「穴だと? どういう事か説明してもらおう!」
「吾輩にも理由はわからんが、船の底に穴が開いたのだろうな。水が入り込んでこのままでは沈んでいくだけだ」
「ではどうすれば良いのだ!」
オスカーの狼狽ぶりは酷いものだった。ヴェルナーから命じられた任務が果たせないという焦りが、彼の声を一層大きくする。
「落ち着け。ああなってはもうどうにもならん」
「なんという事だ……」
ゆっくりと傾いていく船を呆然と見ていたオスカーは、力なく膝をついた。
グリマルディ王国の兵員たちが全員下船したのは、オスカーも船内の検査に入って確認していた。
報告をするとすれば“事故”なのだが、十隻まとめて沈んだなど、どのような顔で伝えれば良いだろうか。
オスカーの脳裏に“自死”の文字がよぎったとき、ヘルマンの声が響いた。
「一隻でいい! ロープを掛けて浅瀬まで引き上げるんだ!」
ロープを持ってこい、と叫んだヘルマンはオスカーの頬を力いっぱい叩いた。痛みが、オスカーの意識を引き戻す。
「ぼうっとしている場合では無い!」
「しかし、ロープを掛けるといってもどうすれば……」
船は傾き、桟橋からかけていた板は落ちてしまっている。
なめらかな船体をよじ登るのは、鎧姿の兵士たちでは難しい。
「あたしが行くわ。少なくとも、ここにいる誰より軽いわよ」
いつの間にか天幕から出てきたイレーヌは、くるくると巻いたロープを両肩に担いでいた。
「だが……」
オスカーの言葉を待たず、イレーヌは走り出している。
「本来なら、こういうのはアシュリンの仕事よね」
愚痴りながら桟橋を駆け抜けたイレーヌはそのままの勢いで船に向かって飛び、サーベルを抜いて魔法を使って帯電させた切っ先を叩き込んだ。
「うぎぎ……これくらい、基礎訓練課程に比べれば……」
ロープの重さに歯を食いしばりながら、イレーヌは船の凹凸とサーベルを使って船体をよじ登る。
船上へとたどり着いたイレーヌに、桟橋に駆け付けたタイバーが叫んだ。
「舳先へ行け!」
「へさきってどこ!?」
「前の方が長く伸びておろう! そこに係留用のフックがある!」
船の背骨ともいえる竜骨の一部なので、船体で最も頑丈な部分だとタイバーは船首部分を指定した。
「……掛かった!」
イレーヌはロープをくくりつけることには成功したが、そのあとが問題だった。ロープの端を投げたが、桟橋に届くことなく海面に落ちたのだ。
「ああ、もう!」
泳げないイレーヌが自分の失敗に悪態をついていると、桟橋から飛び込む人物がいた。
「すまなかった。あとは任せろ」
それは、鎧を脱いだオスカーだった。
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