28.帝国の使者
28話目です。
よろしくお願いします。
ヘルムホルツ帝国からの使者は、ラングミュア王国に入った初日に一度ヴェルナーと顔を合わせている。
エクムント・テニッセン伯爵と名乗ったその人物は、ヴェルナーの若さに驚きの表情を見せたものの、渉外担当官として長いキャリアがあるという前情報通り落ち着いた口上でヴェルナーの戴冠についての祝辞と幾ばくかの祝いの品について述べた。
そしてエリザベートとも会談したようだが、そこにヴェルナーは立ちあっていない。後にエリザベートとの会話で「エリザベートの父であるヘルムホルツ帝国皇帝は、ヴェルナーの手腕に疑問を抱いている」ことを知らされる。
エリザベートは父親に対して憤慨していたが、当のヴェルナー自身はそれを真正面から受け止めて納得していた。
そして今、ヘルムホルツ帝国からの使者テニッセン伯爵と再度会談を行う用意が整えられた。
場所はサロンだった。謁見の間はヴェルナーが爆破した跡の修復が間に合っておらず、戴冠式に向けて急ピッチで工事が進められている最中で使えなかった。
先にテニッセン伯爵とエリザベートが入室し、ヴェルナーを待っている。
「エリザベート様におかれましては、此度は残念でございました……」
テニッセンは痩せぎすの神経質な印象を与える男で、年齢は四十を超えた頃だ。彼はサロンの中にはエリザベートの後ろに侍女と思しき少女が一人いるだけなのを確認してから話しかけた。
「ええ。一度とはいえ国に帰らなくてはならないのが残念ですわね」
「そういう意味ではございません」
テニッセンが困った顔を見せたが、エリザベートは目も合わせなかった。
ここでテニッセンが言った“残念な事”というのは、婚約者であるマックスがいわゆるお家騒動の犠牲になって死亡した事を指しているのだが、エリザベートはそれをわかったうえでそう発言した。
「お父様は一体何をお考えなのです? 新しい王が誕生するのであれば、その人となりを知るために誰かが近くにいるのは都合の良い事でしょうに」
「ですが、エリザベート様はあくまでマックス王太子とのご成婚前に交流を深めるためにラングミュアにおられたのです。そのマックス王太子が……」
「マックス王子は王太子になる前に亡くなりましたわ」
「……マックス様が無くなられた今、婚約は解除となります。それに、これは陛下の御命令でもあります」
エリザベートは不機嫌であるという態度を崩さぬまま、テニッセンの言葉を無視した。
テニッセンは数日前の顔合わせの時からまるで変わっていないエリザベートの態度にいよいよ匙を投げたらしく、それ以上は言わなかった。彼女がどう思うかとは無関係に、皇帝の命令は執行されるのだ。
それに対し、護衛の騎士たちも逆らう事は出来ない。騎士たちはエリザベートの部下である以前に、皇帝の臣下なのだから。
「新たな王は、遅いですな」
テニッセンは一度だけ顔を合わせたヴェルナーに対して、明確な評価は下していないが、その年齢から尊敬も畏怖も抱いていない。他国も同様の例があるように、誰か有力な貴族あたりが宰相として実権を握るのだろうと考えていた。
「少し喉が渇いた。君、紅茶をいれてくれたまえ」
エリザベートの後ろに控えていた少女にテニッセンが声をかけると、少女は首を傾げた。
「自分が、ですか?」
「そうとも、それが君の仕事であろう。早くしたまえ」
「まあ、構いませんが」
これかな、と茶葉が入っていると思われる壺を適当に開けて確認し、覚束ない手つきで紅茶を用意し始めた。
「湯をもらって来ますが、よろしいですか?」
「ええ。城内だしちゃんと護衛もいるから大丈夫よ」
なぜか少女はエリザベートに許可を取ってサロンを出ていく。それを不思議そうに見ていたテニッセンを、エリザベートはつまらないものを見るように一瞥する。
「あの子はわたくしがさる人物から預かった子です。あまり雑用に使うような真似は止めていただきたいのですけれど?」
「うあっ……そ、それは失礼いたしました。城の侍女かと思いましたもので……」
知らず失敗をした事に気付いたテニッセンが慌てて腰を浮かしたが、エリザベートから落ち着くように言われて座りなおした。
「あの子もヘルムホルツへ連れて行きます。でなければ、此度の帰国は承服できません」
彼女を放り出しては、自分を信じて彼女を預けた方に申し訳が立たない、とエリザベートは言う。
テニッセンは、つつがなく帰国の手順が進むのであれば一人や二人随行が増える事は問題無いと判断し、内心は喜びつつも慎重な顔をして頷く。しかし、まだ十二歳のエリザベートに同年代の女性の保護者役を依頼するその人物に、多少なり疑問を抱いたのは当然の事だろう。
「一体、どのような経緯であの子を?」
「先の内戦で、子爵家の当主であった彼女の父親は王都内の騒動に加担し、さらには捕縛を逃れてマックスの方に味方しました。それ以前にも問題を起こしていたようですが、家は取り潰しとなり、父親と疎遠であった彼女は独りになってしまいましたから」
「では、ラングミュアの貴族令嬢なのですか」
テニッセンの反応は、先ほどの手付きを見てもそうは見えないという意味だ。
「少し小柄ですけれど、わたくしと同い年なのです。素直で可愛い子ですから、話し相手にも丁度良いのですわ」
「それでは、彼女もどこかに嫁がせるおつもりですか?」
エリザベートは“も”という言い方から、自身もどこか別の貴族や国に嫁がせるつもりなのだろうと推測した。
「いいえ」
考えを隠したまま、エリザベートは否定する。
「彼女はあれでも騎士訓練校でも才女で有名でしたの。今はわたくしの護衛騎士と共に訓練していますから、今後は騎士になるでしょう」
「女性の騎士ですか。なるほど、ラングミュア王国には少ないながらもそういった女性がおられましたな」
大仰に頷くテニッセンは、エリザベートに少女の名を問うた。
「アシュリンですわ。アシュリン・ウーレンベック……いずれ、この名前も有名になるでしょう」
コロコロとエリザベートが笑っていると、お湯の入ったポットを乗せた盆を慎重に運ぶアシュリンが、ヴェルナーが開いたドアを通って入ってきた。
「ありがとうございます、ヴェルナー様」
「気にしなくて良い。俺にも一杯頼む」
畏まりました、と言ってお茶の用意をするアシュリンとヴェルナーのやり取りを見ていたテニッセンは、エリザベートが少し寂しそうな表情を浮かべたのを見た。
帝国にとってはあまり良くない予感を覚えながらも、立ち上がったテニッセンはヴェルナーを迎えるべく深々と頭を下げた。
「陛下。この度はお忙しい中、複数回に及ぶ会見に快く応じていただきまして誠にありがとうございます」
「良い。エリザベート様には以前から良くして頂いているから、当然のことだ。堅苦しい挨拶は結構。それよりも本題を聞かせてもらおう」
テニッセンと向かい合うようにどっかりと座ったヴェルナーは足を組み、相手をしっかりと見据えた。
そこに子供が持つような大人に対する怯えや遠慮の色は一切無く、ただゆったりと相手の動きを見ているかのようだった。
「先日も打診させていただきました件でございます。エリザベート様のお相手が亡くなられましたので、ヘルムホルツ帝国皇帝はエリザベート様に一度帰国するようにと命じております」
「それはそちらの都合だな」
「ですが、エリザベート様がお戻りになられませんと……」
「落ち着け、テニッセン伯爵。そちらの都合で決める事だと言っているのだ。王座を実力で奪取した男の近くに置いていては、皇帝も気が気では無いというわけだろう?」
皇帝を軽く見るような発言に、テニッセンは鼻白む。
力に溺れた小僧。テニッセンはヴェルナーをそう評価することにした。
「畏れながら、ラングミュア王はまだ十二歳のお若さ。子を持たれれば、皇帝の気持ちもご理解いただけるかと……」
「そうか。だが本人はどうかな?」
ヴェルナーが水を向けると、エリザベートは微笑む。
アシュリンが紅茶を配って行き、ヴェルナーが最初に口を付けた。
「わたくしは、一度郷里へ戻ります。お父様のお考えを確認しておく必要もございますし、騎士たちも国へ帰りたいでしょう。……些か、長く居過ぎました」
「当然だろう。貴女の婚約者を殺した人間の所で暮らすのも、疲れるだろうからな」
「いえ……復讐の機会は、いずれありましょう」
テニッセンはエリザベートの言葉に内心で驚いていた。
エリザベートはマックスを嫌っているような評判を聞いていたが、そのマックスを殺したヴェルナーにハッキリと敵意を向けたのだ。そこには複雑な感情があるのかも知れないが、帝国にとっては好都合だった。
「という事だ、テニッセン伯爵。父上と兄上の合同葬儀を三日後に行うから、それに参列してからにしてくれ」
ヴェルナーは殊更冷静な視線をエリザベートへ向ける。
「バラバラに砕けてしまって死体も無いが、せめて元婚約者に花を手向けてやってくれ」
「言われなくとも、当然そうさせていただきますわ」
話は終わった、とサロンを出ていくエリザベートを、護衛の騎士達と共にアシュリンも追いかけていった。
「……さて、テニッセン伯爵」
ヴェルナーも立ち上がると、テニッセンに見せたい物がある、と話した。
「何でしょうか?」
「先日の内戦で、愚かにも俺に敵対した貴族たちの末路を見せておこうと思ってな」
処刑でも見せるつもりか、とテニッセンはヴェルナーの趣味の悪さを心の中で呪いながらも、本国へ報告する為に同意した。
●○●
テニッセンが連れてこられたのは、王城のバルコニーだ。
以前にヴェルナーがホイヘンス侯爵とマルコーニ子爵の倉庫を爆破した際、それをマーガレットと共に見た場所だ。
物騒ではあるが、ヴェルナーにとっては恋人との思い出の場所でもある。
「用意、整いました」
ヴェルナーとテニッセンがバルコニーに到着してすぐ、一人の兵士が近づいて報告した。
「ファラデーか。ご苦労。では、すぐに始めよう。お前も見ておけ」
「はっ! ありがとうございます!」
やや距離をとったファラデーは、直立不動で王都の街並みへと視線を向けた。
緊張しすぎだ、と笑いながら、ヴェルナーはテニッセンを伴って王都の貴族街が良く見える手すりの所まで進んだ。
「何をなさるのですか?」
訳がわからぬままバルコニーを見回しているテニッセンに、ヴェルナーは笑みを浮かべたままで口を開いた。
「兄と対決するにあたって、俺は貴族たちに三つの道を与えた。味方か敵か傍観者か」
「傍観者、ですか?」
ヴェルナーは頷いた。
「そう。傍観者だ。敵は全て失い、味方は重用する。では傍観者はどうなると思う?」
テニッセンは答えられなかった。敵味方に分かれるのは理解できるが、日和見を決め込んだ者がどうなるか、想像がつかなかった。
「どうなるのですか?」
「さあ?」
ヴェルナーは肩をすくめて、おどけて見せた。
「戦うべき時に戦わなかった、と断じて処罰しても良し。敵に回らなかったと褒めても良い。いやいや……貴族たちの生殺与奪の権限を握るというのは、悪くない気分だな」
急にヴェルナーを恐ろしく感じたテニッセンは、自然と後ろに下がろうとする身体を止めるに精一杯だった。
最初から味方をしていた者たちは優遇されるだろう。特に高位貴族が多く敵に回ったため、役職はポストが大量に空く。
では、傍観者だった者たちはどうか。
彼らは“これから競争”が始まるのだ。戦闘という最も分かり易いヴェルナーへの忠誠を示す機会を逃した者たちは、それ以外で忠誠を表さなければならない。
傍観者だった貴族たちは、最初から味方をした者たちよりも余計にヴェルナーの命令に忠実であろうと努力するだろう。
「なんという……」
「ご理解いただけたようで助かるね。では、俺の敵になった連中はどうなるかも、見ておいていただこうか」
ヴェルナーは町を見ているように言うと、右手を上げて指を弾いた。
途端に、貴族街のあちこちで大きな音が響き、次々と火の手が上がる。
黒々とした煙が舞いあがり、良く見える近くの屋敷は、最早原型を止めておらず単なる瓦礫の山と化している。
人的被害は無いようで、民衆が近寄らないように兵士達がそれぞれの家だった場所をしっかりと封鎖していた。
「父上も兄上も、こうやって粉微塵になった。しばらくは瓦礫をそのままにしておくつもりだ。色々と見せしめになるからな」
ヴェルナーが言う通りの見せしめなのだ、とテニッセンは痛感していた。それは敵となった貴族だけでは無く、テニッセンを通じてヘルムホルツ帝国に対するアピールでもある。
正体の掴めぬ王と見た事も無い爆発を前に、テニッセンはヴェルナーが立ち去った後もしばらくバルコニーから動けなかった。
お読みいただきましてありがとうございます。
次回もよろしくお願いします。
※今回は出番ありませんでしたが、前話で登場した「カミラ」ですが、
「ミルカ」との混同が激しいというご意見を戴き、
尚且つ私も間違えまくったので、「レオナ」と
訂正させていただいております。
ご迷惑をおかけいたしますが、何卒よろしくお願い申し上げます。