170.海軍大将の選択
170話目です。
よろしくお願いします。
「兄上……」
軍港に到着したリーンハルトは、真っ黒に日焼けしてすっかり海の男になっていた兄の姿を見て、最初は騎士らしくないと思った。
だが、すぐにその考えを改めることになる。
「すぐに荷物をまとめて移動しろ! 速度が重要だぞ!」
訓練をしているのだろう。砂浜で大きな荷物を走っている兵士たちに対し、オスカー・ルーデンが檄を飛ばしている。
「動きを合わせろ!」
オスカー自身も走り回っていた。
決して命令を出すだけでなく、自分が先頭を走り回っていると言って良いほど、誰よりも汗をかいていた。
そんな彼がふと振り向いて、弟のリーンハルトを見つけた時、一瞬あっけにとられた顔を見せる。
リーンハルトはその表情に懐かしさを感じる。実家にいるときの兄は、どちらかと言えばそんな風にぼんやりしたタイプだったからだ。
しかし、風貌は随分変わっていた。真っ黒に日焼けし、身体つきも一回り大きくなっている。
「リーン? リーンハルトか! 久しぶりだな!」
砂を散らしながら駆け寄ってきたオスカーは、リーンハルトより少しだけ背が高い。以前はもっと差があったのだが、リーンハルトが成長して追いついたのだ。
「でかくなったなぁ! いつ以来だ?」
「海軍の創設前に一度、騎士訓練校によってくださった時以来ですよ、兄上」
「そうか! 今じゃお前も立派な騎士だな!」
熱い気持ちが胸にこみあげ、涙腺が緩むのを押さえながらリーンハルトは微笑む。
「まだまだ未熟です。ですが、今回城からの使者を仰せつかりましたので、誇りをもってやり遂げることで、多少は立派な騎士に近づけるのではないかと」
「それは凄いな! まだ騎士になって日も浅いだろうに。それなら、ここで従兵たちを休ませていけ。それで、誰への使者になったんだ?」
「兄上ですよ」
微笑みから、真剣な表情へ変わったリーンハルトは、懐からオットーが用意した手紙を取り出した。
「む、そうか」
受け取った書簡が蝋で封されているのを見たオスカーはリーンハルトを家に招待する、と言った。
「封蝋を融かす必要があるし、妻にも挨拶をしてくれないか。完成した兵舎があるから、従兵はそちらで食事をとって休ませれば良いだろう」
「良いのですか?」
「もちろん。家族だからな」
こうしてリーンハルトは久しぶりに家族との食事を楽しんだ。
騎士になる前は訓練校の寮に住んでいて、騎士として奉職している今は、主に城内の独身寮で生活している。
遠方の任地に行った際にはそこにある砦や兵舎に住むのが一般的なのだ。
結婚して町に家を借りる者もいるが、まだほとんどの騎士が貴族であり、結婚を機に騎士を辞めて地元へ戻る者が多い。
「あら、お早いお帰りですね。何かありました?」
そう言って出迎えたのは、ボー・バンニンク・ルーデンと名乗るようになったオスカーの妻だ。
「弟のリーンハルトが、オットー様の使者として来たんでな。挨拶に連れてきた」
「ご無沙汰しております」
新米騎士として多忙だったリーンハルトは、兄夫妻が両親に挨拶をするためにルーデン子爵領を訪問して以来の邂逅だった。
正直にいって、兄とは女性の好みが違うな、とリーンハルトは思っていた。
ボー・バンニンクは確かに見目の良い女性ではあるが、些かスリムに過ぎる。彼の好みはイレーヌのような豊満な女性だ。
「早速だけれど、手紙を確認しておきたい。封蝋を融かすのに火はあるかな」
「お湯を沸かしている途中ですから、すぐに使えますよ」
妻に任せるでもなく、自ら台所へ行って封蝋を融かして来た兄を見て、リーンハルトは兄が見た目だけでなく中身も変わったと知った。
以前の兄であれば、侍従に任せてしまっていただろう。
「グリマルディが……」
オスカーは手紙の内容を確認し、苦い顔をして呟いた。
それを聞いて、ボーも表情を曇らせる。彼女の両親が無事でいることはわかっているのだが、新たな戦乱が起きればまた危険に曝されるかも知れない。
「安心して良い。今度はグリマルディ本土が戦場になることはなさそうだ」
「ですが、被害を最小限にするためには打って出なければならないのではありませんか?」
ホッとした表情を見せたボーに申し訳ないとは思いつつも、リーンハルトはそう言わざるを得なかった。
兄が妻を気遣っているのはわかっているが、そのために軍に影響を与えるのも間違っている。
ボーが暗い顔を見せたことでリーンハルトの胸はいたんだが、オスカーは笑っていた。
「被害を最小限にするなら、私たちは尚更敵地に乗り込む真似をするべきじゃない」
そう言って、オスカーはその考えを正直に語る。
「敵地ということは、相手は兵や武器、食糧の補充ができてこちらはできない状況になる。これだけでもずいぶんと不利になるとは思わないか?」
騎士訓練校で兵站の重要性を散々叩きこまれたリーンハルトは素直に頷いた。
「ですが、拙速は巧遅に勝ると……」
「そうだな。急ぐのは重要だが、今回の場合は“もう間に合わない”と考えるべきだ。いくら情報が早く来たとしても、グリマルディから王都、そこからさらにここに来るまでに、向こうも動いているはずだ」
今から戦闘の準備をしても、移動距離が長くなるだけで下手をすると行き違いになってしまう、とオスカーが説明すると、リーンハルトも納得した。
「リーン。自分たちが何かやっている間に、相手が動いていないと考えるのは危険なことだ。相手が自分以上に賢くて、先手を打って来ると考えるくらいで丁度良い」
「ふふふ……」
それがまるで兄弟というより親子のように見えて、ボーは思わず笑ってしまい、その理由を知った兄弟は照れ臭そうに笑った。
「こほん、では、どうされるのですか?」
動きをオットーへ報告せねばならない、と咳払いをして表情を引き締めたリーンハルトが問うと、オスカーはニヤリと笑う。
「造船についてはラングミュアの方が後発だが、船上での戦闘についてはこちらが上手なのは間違いない。なにしろ陛下が考案された方法を、私たちは延々と訓練してきたのだからな」
「あら。相手の方が先手を打っている可能性を考えるべきなのではないのですか?」
茶化すようにボーが言うと、オスカーは頭を掻いた。
「自信を持つのは良いことさ」
今度は、そのやりとりを見てリーンハルトが笑った。
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