165.不意の来訪者
長く間が開いて申し訳ありません。
165話目です。
よろしくお願いします。
帝国とラングミュア王国での対峙が始まる前に、グリマルディ王国からの動きが進んでいた。
そしてそれはグリマルディに潜入していたアーデルがいち早く察知している。それも当然のことで、彼女と同時にグリマルディ王都へ潜入したラングミュア兵が周囲の情報を掻き集めてくるからだ。
「ずいぶんと怯えているわね」
「無理も無いかと。今のグリマルディは帝国の意志一つで滅亡すらありうるのですから」
護衛に扮したラングミュア兵の返答に、向かい合って馬車に乗っているアーデルは小さく頷いた。
馬車はカーテンで閉ざされ、ほの暗い車内でアーデルはマントを羽織っている。
「結局は皇帝の一存、ということでしょうね」
「現場の指揮官次第である、とも言えます」
「どういうこと?」
「貴女の以前の配下がどうだったかはわかりませんが、一定の権力を持った人間が、本国より遠く離れた状態に置かれた場合、何を考えるか、ということです」
「……なるほどね」
アーデルはもちろん、死んだアルゲンホフなどは軍人然とした人物であり、腐敗とは無縁に近いところにいた。
被占領者からの多少の歓待は受けることはあるが、それは占領者としての立場を確認し、占領地域の住民に状況を知らせるためであり、同時に“持て成しを受け取った”という事実が被占領者にとって一つの安心要素になるからだ。
占領地では商人や貴族などが我先に賄賂を渡して保身を狙ったり、あわよくば利益を得ようと動くものだが、余計なトラブルを避ける為にアーデルは基本的に断っていた。
「ギースベルトは、どうだったかしら」
アーデルはこの時、ギースベルトが死亡したとされる情報は知らなかった。アルゲンホフが死に、自分が出奔した以上はギースベルトが軍を率いていて当然だと考えている。
「彼は癖のある人物ではあるけれど、そういう面倒ごとは嫌う……はず」
「では、その下にいる人物はどうでしょうか。大将格であれば大局を見て動くでしょうが、百人隊長であれば、そこまでの知見はないのでは?」
馬車に同乗している彼は、アーデルにちらりと目を向けてそう言ってから、すぐに周囲の警戒に戻った。見かけや身分を偽るためだけでなく、彼はアーデルの護衛であり監視でもある。
「……ラングミュアの兵士とは、誰もがそこまで考えているものなの?」
「質問の意図がわかりかねます」
「あら、それは失礼。そうね……」
アーデルの言葉に対し、兵士はあからさまに不機嫌そうな態度を取った。彼は兵としては上位にいるが、貴族階級ではない、単なる平民だった。それが組織の腐敗について意見を述べた。
そのことにアーデルは驚いているのであって、兵たちが必ずしも支配者から離れると暴走し、腐敗すると言っているわけでは無い。
アーデルがそう説明すると、兵士は頷く。
「確かに、ヴェルナー陛下が王権を握られるまでの私たちは、そこまで考えることはありませんでした」
ヴェルナーが王となってから、ラングミュアの軍事体制は激変した。実績の無い、家柄だけで指揮官となった者を排除し、実力がある平民でも騎士に成れる制度を整えた。
「私共一兵卒でも、今のラングミュアでは訓練の他に座学の時間があります。聞きかじりでしかありませんが、兵を連れて戦う方法を学ぶ必要がある指揮官たちにはそのための教育を。個人で生き残る方法を学ぶ必要がある兵卒にはそのための知識を、とのことです」
アーデルはこの話を聞いて絶句した。
彼女はラングミュアに属してからこの方、騎士達と共に訓練は受けていたが、兵士達については何も知らされていなかったのだ。
というより、知ろうとすら考えなかった。
帝国において、兵士は言うなれば消耗品として扱われる。職業軍人もいるが、割合としては徴発された一般人が多く、訓練もそこそこに粗末な剣と安価な防具を与えられて戦場へ駆り出される。
人数に頼り、突撃の勢いで押し切ることが多い帝国の戦法や、多数の国と国土を接している事情からそうなっているのだが、結果として帝国の一般兵は練度が低いままだ。
指揮官を含めた上層部も兵士達に訓練を課すことはあっても、教育するという感覚は皆無だった。
「……ラングミュアに戻った時に、貴方たちの訓練や座学の様子を見せてもらっても良いかしら?」
「自分は許可を出す立場にありません」
にべもなく断られたが、アーデルは「そういえば、そうか」と納得した。まるで副官かのように淀みなく会話に答えてくれるのだが、目の前の男性は単なる兵士なのだ。
「間もなく着きます。演技をお願いします」
「ええ、任せて」
アーデルは表情を変えた。先ほどまでの険しい表情から一転、柔和で毒の無い笑顔に変わる。
「ぷっ……」
「……仕事が終わったら話があります」
「申し訳ありませんでした」
あまりの変わり様に思わず吹き出してしまった兵士が慌てて頭を下げると、アーデルはこのまま許しの言葉を言わないままでいた方が、お嬢様と護衛らしい雰囲気も出るだろう、と悪戯心を抱えたまま、停止して扉が開かれた馬車から下りていく。
「ようこそ、お越しくださいました」
恭しく礼をして出迎えた老人は、良くのりが効いたシャツに黒々としたジャケットを着た、一見して上流の雰囲気が漂う人物だった。彼の背後には、王城の代わりに利用されているらしき館がある。
「侯爵閣下は中でお待ちです。さあ、こちらへどうぞ」
話は聞いている、と言って、老人は自分が侯爵の侍従であると自己紹介をし、アーデルを邸内へと導いた。
「外套をお預かりいたしましょう」
「ああ、少し薄着なものですので、中に入ってからでよろしいかしら?」
言いながら、アーデルはちらりと剥き出しの腕をマントから出して見せた。
貴人に会う際に大胆なドレスを着て取り入ろうとするのは珍しいことではない。老人は素直に納得して中へと促す。
「武器の確認もしないなんて」
粗雑な警備体制に、アーデルは小さく呟いたが、誰にも聞かれることは無かった。
「まあ、こちらにとっては好都合、ということね」
外套の中で、むき出しの腕に簡素な鎧を付ける。隠しやすい短めのサーベルの存在を左手で確認すると、アーデルは密かに笑った。
●○●
「へ、陛下!」
「どうした、慌ただしい」
帝国国境を侵犯して陣を築いていたヴェルナーの下に、慌てふためいた様子で報告にきたのはイレーヌだった。
「陛下にお会いしたい、と来訪された方が……」
「は? 俺に?」
最前線であるここに誰が来るというのか、とヴェルナーが問い返すと、イレーヌは息を整えて来訪者の名を告げる。
「こ、コルドゥラ・ホーホさんが……」
「あたくしのことはコルドゥラ、と呼び捨てで構いませんわ、騎士デュワー」
まだ呼んでない、と入って来たコルドゥラを見てイレーヌは悲痛な声を上げた。なんでも、少数の兵だけを連れて強行軍で国境を越えて来たうえ、打診も無いままにいきなり陣へと姿を現したらしい。
強引に陣へと押し入ってきた彼女を、誰も止められなかった。
「コルドゥラ嬢……」
絶句しているヴェルナーに、コルドゥラは恭しく一礼する。
「ごきげんよう、陛下。華々しい戦果を挙げられているようで、ご活躍は伝令を通じて王都にも届いておりますわ」
「……で、態々労いに来たというわけでもないだろう?」
締りやで有名なコルドゥラが、兵を動かすという“予算がかかること”をやってまでヴェルナーに会いに来たのだから。
「当然ですわ」
コルドゥラはヴェルナーに勧められて椅子に腰かけ、向かいにいる彼へと視線を直接向けないように配慮しつつも、力強い言葉で続けた。
「早々に戦闘を終わらせていただきたく、参上した次第です」
イレーヌを始め、周囲にいた護衛や侍従たちが慄く。それは国王に対する不敬な発言ともとれる内容だったからだ。
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