163.死出
163話目です。
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「これさえ成功すれば、俺は……」
ヴェットリヒは真っ黒な隈が浮かび、落ちくぼんだ目を何度も瞬かせた。
「筆頭大将として、その地位は盤石になろうさ。先日の敗走も無かったことにできよう。わしもそうだが、他の者たちも全員が君に期待している」
そうヴェットリヒを説得したのは、先日の議会でヴェットリヒを犠牲にする案を出した退役軍人だった。
「グリマルディ王国からの協力も取り付けている。相手は二正面作戦を強いられるうえ、海からの強襲に備えてかなり広大な範囲を守る必要に晒されるだろう」
状況的にヴェルナー・ラングミュアの周囲から軍勢は削られ、ヴェットリヒが行う作戦も成功確率が高くなる、と老人は語る。
「一つの馬車に積み込んだ火薬をラングミュア王の近くへ運ぶだけだ。起爆は中にいる者が行うから、道を作って逃げ出せば安全だ」
家族の養育を条件として死刑囚を説得した、と説明され、ヴェットリヒは納得した。
「なるほど。で、その者は何をしたのです?」
「平民を殺した平民の死刑囚だ。たまたま処刑の日を待っていた者がいたので使うことにした。それだけよ」
平民か、とヴェットリヒは火付け役への興味を無くした。不名誉なことをした貴族であれば慰労でもしようかと思っていたのだが。
それだけ、ヴェットリヒは説得を受けている間に心理的にリラックスし始めていたようだ。先ほどまではギラギラとしていた目つきも、今はやや落ち着いている。
笑みさえも浮かべるほどに。
「汚名返上の機会をいただいたこと、感謝します」
「なに。これも帝国を想ってのこと。気になさるな」
そして、三日後にはヴェットリヒの軍は編成が終わっていた。
八百名ほど、と兵員は以前よりも少ないが、それ以上に敵は数を減らしているはずだという計算によるものだ、とヴェットリヒは説明を受けたが、実際は先の敗戦で負傷した者が存外に多かったことが響いている。
勝てばそうでもないが、破れて逃げ帰って来た兵たちは精神的にも消耗していた。
「この馬車か」
火薬を詰め込んだという馬車を前にしたヴェットリヒは、副官に命じて幌で隠された中を検めるように命じた。
少量の火気でも爆発するという説明を聞いていたヴェットリヒは自分で開けようとは思わなかったようだ。近くにいるだけでも危険だが、まだ火薬に対する知識が浅い彼は、火気が少なければ爆発も小さいと思っている。
そわそわと待っているヴェットリヒに、中から出て来た副官は首を横に振った。
「どうやら喉を潰されて足を折られているようです」
さらには両足に鎖を繋がれて馬車の床板に固定されているという。
「……執拗なことだな」
ヴェットリヒは念入りに馬車と一体化された死刑囚に同情したわけではなく、そこまでやる政府首脳部に対して恐ろしさを感じていた。
安全である、と副官に言われてヴェットリヒは出入り口の布をわずかに上げて中を見た。
そこには、暗い荷台の中で布を被っている人物が、ぴくりとも動かずにただ座っていた。周囲には木箱が積み上がり、火つけのための道具が無造作に転がっている。
そして、異様な臭いがした。
「臭いな」
と言ってヴェットリヒはすぐに馬車の入口を塞いでしまった。
「まあ良い。やるべきことは単純だ。手薄になった敵に突撃し、馬車を押し込んで合図をくれてやるだけのことだ」
先端に石を付けた矢を馬車に当てると、その合図を受けた馬車内の死刑囚が火薬に着火する手はずになっている。
「では、出発する」
意気揚々と声を上げたヴェットリヒに応じて、副官が出発の合図を出した。
その副官がヴェットリヒに対して余所余所しい雰囲気であったことにもっと早く気付いていれば、或いはもっとしっかりと死刑囚の姿を確認していれば、ヴェットリヒも何かおかしいと気付いたかも知れない。
この時点で、馬車内の男は死んでいたのだから。
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