16.余暇は短い
16話目です。
よろしくお願いします。
スド砂漠国は、名前が表す通りに広大な砂漠が広がる大地を抱えた国で、大陸北東部に突出するような形で存在する。
日中と夜間の気温差が激しく、ミルカが言う通り農地として利用できる砂漠の外側であっても、土地が痩せていて作物は限られた物しか育たない。
ラングミュア王国との間は砂漠が天然の国境となっており、その過酷な環境に耐えられないラングミュア人が密入国する事はほとんど無い。
「だが、余も含めてスドの民は砂漠と共に生きてきた。砂漠を越える事も、砂漠に生きる事も出来る。もちろん、どこかで水は調達せねばならんが」
笑みと共に肩を竦め、ミルカは酒杯を傾けた。
夕食が終わり、ヴェルナーはミルカに誘われてサロンへ移動し、館の主であるマルコーニすら外させて二人で話していた。
「ご苦労な事だ。ラクダでも使うのか?」
「良く知っているな。あいつらは水が無くとも数日は歩ける。だが、ラクダが居てもオアシスの位置を知らなければ、ラクダ共々干物になってしまうがな」
オアシスの位置はスドの民以外はまず知らない、とミルカは語る。
「砂漠はスドの民にとって天然の要害だ。スドの民を除いて、まず生きて通り抜ける事はできない」
「それは羨ましい事だ。だが、ありがたい事に我がラングミュア王国はミルカ殿の父上が治めるスド砂漠国とも、南に接するヘルムホルツ帝国とも友好的な関係だ。少なくとも、父上はそう言っている」
「ふむ……たしか、ヘルムホルツ皇帝の娘が、ヴェルナー殿の兄と婚約しているのだったな。政治的な理由で他国に行くのは可哀想だと思うが、仕方あるまい。ヴェルナー殿は婚約者はいるのか?」
「いる。国内の貴族令嬢がね。気立ての良いレディーだよ」
「なるほど、運の良い事だな。余の妻は気が強くてな、何か文句を言えば十倍の言葉が返ってくる。見目は良いがな」
そういえばミルカは既婚者だった、とヴェルナーは思い出していた。スドは砂漠があるせいで大きな軍事力をラングミュアに向ける事ができないので、ヴェルナーの中では然程目立つ存在では無かった。
「夕食の席にいた女性たちは?」
「あれは余の愛妾であり、護衛も兼ねておる。何かあれば余の盾となって死ぬ為におるのだよ」
いくら近くても、国が違えば考え方も変わるらしい。ラングミュアには女性騎士や兵士は存在しても、妾が護衛を兼ねるような文化は無い。
ヴェルナーは未成年なので、かなり薄めた酒を飲んでいる。香りだけを楽しむような格好で少しずつ舐めるように飲んでいたが、ミルカは結構なペースで飲み進めている。
「そうであった。夕食の席で余が話したことだが……」
手酌で杯を満たし、ミルカは口角を上げた。
「余はヴェルナー殿を気に入った。お前が次代のラングミュア王であれば良いのにな」
「あまり不穏な話をするものじゃない。俺としては余計な噂が立つのは好ましい事では無い」
とヴェルナーは言うが、実際のところマックスとの不仲は公然の事実となっている。現時点でマックスの立太子が確実視されているため、誰もがヴェルナー成人後に王からの左遷命令で事は収まると考えているらしく、それほど問題にはなっていない。
「そうだな。例えば……そう、例えば国内外の大きな問題を、ヴェルナー殿が中心となって解決できたとしたら、兄を押しのけて立太子できる可能性もあるのではないか?」
「そんな場合でも、まずは国軍が対応するだろう。それに、兄を差し置いて俺の方に声がかかる可能性は少ない」
「ミソマ村の件では、ヴェルナー殿に任されたではないか。そこでお前は功を上げた。では次も任されると言う事にはならぬか?」
ミルカの反論を、ヴェルナーは否定した。
「あれは農村の反乱としか認識されていなかった。それだけ小さな事件であったから俺が動く機会も作れたに過ぎない。戦功を誇れるような大きな戦いであれば、逆に出番はない」
立ち上がったヴェルナーは、盃に入った薄い酒を捨て、果汁を絞りいれた水を満たした。
「第二王子風情が、戦功をあげて目立つのは良くない。国を二分して得をする者がどこにいる」
「そうか。そうなればヴェルナー殿にとっても不利だな……いくら姻戚となる相手でも、ヘルムホルツに隙を見せるのも不味かろう」
「ご理解していただけると助かる」
「今回のように、ヴェルナー殿が出張った結果、大きな事件だったとう事であれば良いな。あるいは、先にマックスの方に何かあれば継承権は繰り上がる」
ヴェルナーは呆れた、と首を振った。
「そうなった場合、真っ先に俺が疑われるだろうな」
「ふむ。難しいものだな……」
「申し訳ないが、長旅の疲れが残っているので先に失礼させてもらう」
これ以上話を続けていたら、何を言い出すかわからないと考えたヴェルナーは、適当な理由を付けて席を立った。
「おっと。これは配慮が足りなかったな。……余は明日の朝にはここを発つ。面白い話も仕入れる事が出来たし、面白い人物と出会えた」
ミルカはまだサロンに残っているつもりのようで、再び盃を酒で満たしている。
「すまぬが、館の者に言って余の愛妾を呼んでくれまいか」
「わかった……。これは余計な事かと思うが、あまり若いうちから酒が過ぎると、身体を壊すぞ」
「ふふ……酔っていなければ、このような世界にいる苦痛には耐えられぬよ……」
冗談なのか本気で言っているのかわからなかったが、ヴェルナーはその表情を読み取る事ができなかった。
「今日の出会いは、余の憂いに満ちた世界を多少なり明るくするものであった。例の爆発魔法を見せてもらいたかったが……まあ良い。今度の機会としよう」
翌朝、ヴェルナーが目覚めるより早く、ミルカはマルコーニの屋敷を出立した。
「王族だというのに、忙しい男だな」
というヴェルナーも、ミルカの言葉を強く脳裏に残したまま、その日のうちに帰途へ就いた。
●○●
「疲れた」
城に帰ってきたヴェルナーは、湯浴みで旅の埃を落として着替えると、ソファにぐったりと身体を預けた。
「特に問題にはならなかったようですが」
飲み物を用意しながらオットーが話しかけると、ヴェルナーはスド砂漠国の王子ミルカの件を話した。
「大問題はミルカ王子自身だ。あいつは危ない。自分が楽しむために他人の命を軽く使える奴だ。一軍の将であれば、悪名と勇名を合わせて轟かせる人物になるかも知れないが、君主としては危険極まりない」
その危険性は国内だけでなく国外にも向く、とヴェルナーは考えていた。
「スドと国境を接しているのは我が国だけだ。ミルカには領土的な野心を感じなかったが、何かのきっかけでいきなり軍勢を差し向けてくる可能性もあるぞ」
いざそうなれば、スドの兵たちは誰にも知られる事無くラングミュア国内に入り込み、気が付けばのど元まで刃が迫っているという状況に置かれるだろう。
「王家の直轄地にまでまとめて兵を送れるんだ。気を付けるに越したことは無いだろう」
「しかし、友人となられたのでしょう?」
「政治に関わる奴が口にする“友情”なんてのは、状況次第でサファイアにも石ころにもなる。何の意味も無い」
友情云々以前に、ヴェルナーはミルカを知ってからずっと何か言いようの無い違和感や不快感を感じていた。
それはミルカが悪戯にヴェルナーを焚きつけたことだけでなく、もっと根源的に他の自分とは違う価値観を持つ存在としての拒否反応だったのかも知れない。
いずれにせよ、スド砂漠国という存在について知っておく必要があるとヴェルナーは感じていた。マックスを追い落とすのにミルカの手を借りたいとは思わなかった。
「では、友情では無く愛情のためにご行動ください」
「愛情?」
「殿下の為に二人の騎士候補生と侯爵家の御令嬢が何日も城内で生活されているのをお忘れですか?」
しまった、とヴェルナーは立ち上がった。
「参った。土産の類が何もないぞ」
「まずはお会いなさいませ。何よりも必要なのは、ヴェルナー様がマーガレット様に無事な姿をお見せする事です」
「すぐに行ってくる」
「今は中庭でお茶会をなさっておいでです」
オットーの情報にはいつも助けられる、とヴェルナーは礼を言い、髪を整えて扉を開いた。
すると、女性の華奢な拳がヴェルナーの胸を叩いた。
「あらっ? ご、ごめんなさい」
「いや、こちらこそ気付かなかった」
女性はマーガレットだった。ノックをしようとしたところで扉が開いたのだろう。
「お戻りになられたとききましたので……今、エリザベート様や騎士候補生の方たちとお茶会をしているのです。ヴェルナー様も如何ですか?」
皆会いたがっている、とマーガレットが浮かべる花が咲いたような朗らかな笑顔につられて、ヴェルナーも微笑む。
「では、お言葉に甘えて参加させていただくよ」
そう答えると、マーガレットはヴェルナーに腕を絡めてきた。
「それでは参りましょう。旅先でのお話を聞かせてくださいね」
中庭まで連れられて行くと、ヴェルナーはエリザベートたちの歓迎を受けた。その日は長く語り合い、マーガレットやアシュリン、イレーヌはもう一泊だけしてそれぞれの家や寮へと戻って行った。
そんな穏やかな時間を過ごした日から一ヶ月後、再びラングミュアは騒動に巻き込まれる事になる。
スド砂漠国が、突然ラングミュア王国へと攻め入ったのだ。
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