159.商売の素人
159話目です。
よろしくお願いします。
「なるほど。それは立派なことです」
番兵に案内された屋敷で豪華なソファが置かれた応接室へ案内されたアーデルは、一人の老紳士といった雰囲気の貴族と顔を合わせていた。
彼はアッヘンバッハ子爵と名乗った。
「それほどでもありません。男子であれば当然ですが、女子でも夫となるものが実質的な跡継ぎになると言っても、商売について無知ではいけません」
「ふむ。そういった点は男子が継承することが前提である我々貴族の考え方とは若干異なりますな」
白髪を丁寧に撫でつけた頭を揺らして笑ったアッヘンバッハは、紅茶を用意するように侍女へ命じると、自分には自ら酒を注いだ。
「ここへ案内した者から聞きました。グリマルディで商売をなさるのに、まずは王城に話を通したい、と」
そこらにいる商人の娘であれば、「何を馬鹿な」と言って追いかけすところであるが、帝国から来たというのであれば、どこで帝国中枢や軍とつながっているかわからない。
迂闊な対応はできない、と緊張しながらも、アッヘンバッハは大きな儲けの機会に内心舌なめずりをしていた。
商売に関してまるで無知な状態でグリマルディ王国へ来たらしい目の前の女性は、彼にとっては都合の良い鴨にしか見えない。
帝国からの物品を扱うのに間に入って利ザヤを稼ぐのも大きいが、帝国との繋がりを強くしておくことは、今後グリマルディ王家が本格的な危機に陥った際、アッヘンバッハ家を存続させる重要な命綱になり得る。
アーデルはアッヘンバッハのその考えをも見透かした上で、わざとらしく両手を組み合わせて祈るようなポーズをとった。
「商品だけはあるのですが、何分、何も知らぬままにここへきてしまいましたので、寄る辺も無くて困っていたのです。兎にも角にも王都へ行き、お城へ向かえばどうにかなると思ったのですが……」
まさか城ごと無くなっているとは、と暢気なことを言っているアーデルに、アッヘンバッハはわずかに不快感を覚えた。グリマルディでは亡国の危機だが、帝国臣民にとってはその程度の話題なのだろうか、と。
逆に言えば、それだけ情報に疎いという証拠だ。商売人としては致命的なまでに周囲の状況変化に疎い。
アッヘンバッハが割り込むのに丁度良い相手だ。
「では、私が僭越ながら一手御指南させていただきましょう」
「何から何まで、本当に助かりますわ」
あっさりと乗ってきたアーデルに、アッヘンバッハは咳ばらいをして話し始めた。
「まず、国王陛下に直接商人が拝謁できる機会はまずありません。城への納入は全て担当の貴族が行っておりますから、王へ直接会おうとするのではなく、他の御用商人と同じように納入担当の者と繋がりを作るべきでしょうな」
「そうだったのですね。なるほど、確かに帝国でも皇帝陛下にお会いしたという商人は聞いたことがありません」
では、城に行けばその貴族に会えるのだろうか、と呟くアーデルに、アッヘンバッハは喉を鳴らして笑いながら頭を振る。
「担当と言っても、その部門の責任者というだけで実務は部下たちや他の家臣たち、あるいは下級の貴族が行っているものです。本人は出仕することもありますが、基本は私邸におりますよ」
本来は、危険な物品が城に持ち込まれないための措置であり、城の内部に身分が不明な者を入れないようにするための措置としてのことだ。
ところが、これが腐敗の温床となった。
制度の理念である『陛下の身辺に危険を持ち込まぬために、家臣の屋敷や用意された場所で物品を精査する』を後ろ盾に、私邸で賄賂を受け取ったり、本来の金額よりもはるかに高価な価格を付けて差額を懐に入れるということが横行していた。
腐敗は予想されたものではあったが、王家の信頼が厚い者がその任にあたるという前提があり、任命も王が直接行うという方法であったために、意見具申はそのまま王への批判と見做される危険もあり、特権的な地位となっている。
現在は侯爵位にある人物がその任に就いていた。
「ですが、かの御仁もお忙しいので、行ってすぐにお会いできるかといえば、難しいでしょうな」
「そうですか……」
ふぅ、とため息交じりに言うアッヘンバッハに、アーデルはあからさまに落胆した様子で顔を伏せた。
「まあ、ご安心ください。私と侯爵は交誼を結んでいる間柄。アーデルさんのご紹介くらいは問題なくできるでしょう。もちろん、そこから先はアーデルさんご自身がお持ちの商品の魅力次第ですな」
「そうなのですね、ぜひお願いいたします! 商品はお父様が用意したものですから、間違いありませんわ」
「なるほど、なるほど。では、ここでもう一つお教えしましょう。まずはどのような商品があるか、全部は必要ありませんがサンプルを持っていく必要があります。それに……」
にやり、と笑ったアッヘンバッハが人差し指を立てる。
「ご挨拶の時には付け届けというものが必要です」
「それは何でしょう?」
「簡単なことです。侯爵閣下に手土産を送るのです。ご挨拶の際にお近づきのしるしとして贈り物をすれば、侯爵閣下とて人の子。貴女に対して厳しい態度は採りにくくなるでしょう」
「そういうものなのですね。では……」
アーデルは手を叩いて部屋の外で待機させていた護衛を呼び、荷物の一部を持って来させた。
そして、運びこまれた木箱の一つを開けさせる。
中に入っていた見事な刺繍が施された布を見て、アッヘンバッハは思わず「うっ」と声を上げた。
これほどの逸品を持ち込んでいるとは聞いていなかったのだ。
「それと、これはお父様から『売る時まで必ず身に着けておけ』と言われたので、サンプルにはなりませんが……」
アーデルが恐る恐るという手つきで手荷物から取り出したのは、一振りの小さなナイフだった。
それ自体は武器というより装飾品といった雰囲気であり、お世辞にも使いやすいとは言えない形状ではある。
だが、そこに施された紋章はアッヘンバッハにも見覚えがあった。
「こ、皇帝の紋章……!?」
ナイフの柄に施された金彫刻の紋章は、間違いなく帝国皇帝とその一族のみが使用できるものだった。
「お父様はこういうものも商うことができますから、当然、わたくしも手に入れることができます。入手方法はわたくしにもわかりませんが……貴重なものなのでしょう?」
なにしろ皇帝陛下のしるしがあるのですから、とアーデルはとぼけた顔をしていたが、対するアッヘンバッハは冷や汗をかきながら、転がり込んできた幸運にどれだけの高値を付けて侯爵へ持ち込むかを考えていた。
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