158.お嬢様
158話目です。
よろしくお願いします。
ラングミュア王国へ帰国するロータルの部隊から離れ、数名の供回りのみを連れてグリマルディ王国内に残ったアーデル。
彼女の仕事は単純に言って情報収集だった。
「……こんな格好、久しぶりね」
今のアーデルは鎧を着ておらず、ドレス姿で馬車にちょこんと座っていた。
貴族令嬢が着るような華美なドレスではなく、上質だが飾り気は少ない、豪商の娘といった様子の上品な服装だった。
それでも赤を基調としたデザインであるのは、彼女の好みが強く反映されているのだろう。
「それにしても、これは些か過剰ではないかしら」
アーデルは頬に手を当てて小さく息を吐いた。
彼女が乗っている馬車は非常に仕立てが良いもので、ラングミュア王国勢がグリマルディへ入った時点ですぐに発注して秘密裏に作らせたものだった。
乗り心地も当然ながら、広い馬車内では紅茶を淹れられる程度のキッチンが付き、小さな火を起こしても問題ないように加工されている。
椅子や壁面には毛皮が貼り付けられ、暖房がなくともしっかりと断熱された暖かい。馬車というよりはちょっとした小部屋という雰囲気だ。
これを、アーデルは一人で利用している。
「お嬢様。そろそろ町へ到着します」
正規兵ではなく私設の護衛に扮した一人の兵士が、馬車の扉をノックして声をかけた。
「……まだ、芝居は不要ではなくて?」
「申し訳ありませんが、念には念を入れよ、と命じられておりますので」
「誰から?」
「……エリザベート王妃殿下です」
兵士の答えに苦笑して、了解と返したアーデルは小さな手鏡を取り出して化粧を確認する。通常よりもやや幼く見えるようなメイクをしていた。
アーデルの目的はグリマルディ王国の動きを監視することと、グリマルディを通じて帝国の動きを可能な限り知ることにある。
帝国から父親に無理を言ってグリマルディに入国し、父親の資金を使って一旗揚げようともくろむ豪商の令嬢、という設定が今回アーデルが演じる役回りだった。
そのための資金もたっぷりと用意されており、馬車を始めとした準備には惜しまず金がつぎ込まれている。
アーデルが持っている手鏡も、この世界ではかなり貴重で高価な品だ。これはエリザベートから借り受けているものだった。
馬車の片隅に置かれた木箱には、彼女が商うための『商品』が入っている。
量は少ないが、エリザベートやマーガレットが提供した帝国産の美しい刺繍が施された布や精緻な細工を施したアクセサリーなどが入っている。
「んっ、チェックか」
馬車の動きが止まったことを感じ、アーデルはグリマルディ王都へ到着したことを知る。
素早く笑顔に切り替え、馬車の扉が開くのを待つ。商売人の娘らしいスマイルも、ここまでの道中に何度も町へ立ち寄ってきた間にうまくなじんできた。
というのは本人の感覚であり、他人から見るとまだ引きつり気味ではあったが。
「失礼。中を確認させていただく」
「ええ。よろしくてよ」
「……?」
芝居がかった話し方に、馬車内へ入ろうとする兵士は小首をかしげた。
しかし、疑念を抱く前に馬車の中の豪奢な作りに目を奪われてしまったらしい。
「これは、一体……」
「わたくしが帝国から出てグリマルディ王国で商売を始めると聞いたお父様が仕立ててくださったものですわ」
「て、帝国から……!」
グリマルディ王国は帝国に対して降伏してのち、恭順の態度を続けている。当然、帝国人相手に揉め事は絶対に避けろと兵士も言われている。
しかし、兵士としても何も確認せずに通過させるわけにはいかない。
ただでさえラングミュア王国からの刺激もあって仮設された城内はぴりぴりとした空気が漂っており、それは王都全体に広がっているのだ。
「荷物を確認させていただいても?」
「もちろん、構いませんわ」
余裕の態度を見せるアーデルに一礼し、兵士は木箱を壊さないように注意しながら丁寧に杭を引き抜いて、中を検めた。
「う、これは……。失礼しました。これほどの貴重品を商いされるほどの大店とは」
「お父様が上手くやっているだけですわ。わたくしの腕が試されるのは、これからですもの」
商品が高価であることは一兵士である彼にもすぐにわかった。彼の生涯賃金を掻き集めても一つ買えるかどうかだ。
思わず喉を鳴らしている兵士に、アーデルは話しかけた。
「そういえば、お城はどちらの方ですの?」
「へっ? あ、し、城はですね……」
仮説ですが、という兵士はさらにアーデルに問われ、城が破壊されてしまっていることを渋々伝えた。国の恥であることもあって、あまり伝えたくないようだ」
「あら、帝国の兵隊さんたちとはそんなに激しく戦ったのですね」
「いえ、これは帝国の軍勢によるものではありません。なんというか、その、別の戦闘によるものでして」
「そうなの。困ったわね。偉い貴族の方にお会いするには、お城に行けば良いと考えていたのだけれど」
頬に手を当てて首をかしげるアーデルは、自分で自分の演技が恥ずかしくて死にたくなってきたが、今さらやめるわけにはいかない。
「では、よろしければご紹介いたしますが?」
兵士が乗ってきたのを見て、アーデルは内心でうまく行ったと呟いた。
「あら、ありがとう。貴族様とお知り合いなんて、すごいのね」
両手を合わせて声を弾ませるアーデルは、自分が今とても痛々しい状況であることからは目を逸らす。
「ええ。王都で門番をしておりますと、そういう繋がりは多少ありますので」
アーデルは何もわからないという顔をしながらも、視線だけは若干軽蔑の色を見せていた。子飼いの商人や自分が直接取引する“表ざたにしたくない”商品を素通りさせるために、小遣いでもやっているのだろう。
グリマルディの貴族たちは自分たちの保身のために帝国との繋がりを欲している。この兵士は仲介役を務めることでおこぼれにあずかろうというのだろう。
「じゃあ、ありがたくお願いするわね。ほら、この方の案内に従って頂戴」
「かしこまりました、お嬢様」
「お嬢様……」
外にいた護衛が返答すると、兵士は小さな声で呟いた。
「年齢的に無理があるのは重々承知よ!」
と、叫びたい気持ちを押し殺して、先ほどよりもよりこわばった笑顔を浮かべた。
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