145.天を衝く巨人
145話目です。
よろしくお願いします。
戦闘は早朝に帝国側から動き出したことで始まった。
「敵は全軍ではありません。半数は未集結です」
と、斥候が伝えて来たのをミリカンは難しい顔で受け止めた。
「喜んで良いかは微妙なところだな。半数でも五千。こちらの倍以上ではないか」
そう言いながらも、ミリカンとしては今になってどうこう言う必要は無かった。すでに迎撃のための作戦は始まっている。
「ルートはどうだ?」
「想定通りです。恐らくはこのまま進んでこの野営地を通るかと」
「ならば良い。最前線に合図を。それと野営地の者たちにも作戦開始の合図を出せ」
ミリカンの命令を伝えるために兵士たちが出ていくと、ミリカン自身も鎧を着こみ、大剣を背負って司令部として設置した天幕の外へと出た。
外では騎士の指示を受けて兵士たちが右へ左へと作戦の用意を行っている。というより、撤退を始めていた。
敵がここに来るのがほぼ確定となったところで、野営地は放棄することになるからだ。
「天幕は全て残しておけ!」
「ですが……」
作業を止められた騎士がミリカンに反論しかけるのを、時間がないとミリカンは止めた。
「あくまで敗走に見せかけるためだ。ここで多少なり“餌”をやって足止めすることで、作戦の成功率はかなり上がる」
「わかりました」
「兵士たちを休ませるのは問題ない。近くの砦なり町で宿営すれば良いのだ。敵国内へ入るわけでもないのだからな」
騎士が心配していることに気づいたミリカンがそう付け加えると、騎士は「なるほど」と大きく頷いた。
「では、食料なども多少は残しておきますか?」
「ふむ。保存食ではなくなるべく腐りやすいものを残しておけ。長時間の戦闘になる可能性もあるからな。それで腹でも壊してくれるなら、万々歳だ」
ミリカンが豪快に笑うと、騎士も笑顔を見せた。
「では、作業を続けます」
「任せた」
ミリカンはこの場での作業を任せると、直属の部隊二百名ほどを率いて移動を開始する。
すでに両王妃はそれぞれの配置に移動済みであり、ミリカンの役割が達成されるのを待っていることだろう。
「接敵まで、あと数分というところです」
「撤退は?」
「間に合います。問題ありません」
緊張気味に部下が伝えてくるのに対し、ミリカンは力強く肩を叩いた。
「落ち着け。わしらの仕事は最初に少し頑張って走る……いや、馬を走らせるだけに過ぎん。それよりも、兵士たちに緊張が伝わる」
「も、申し訳ありません」
「緊張するのは仕方がない。わしも初陣の時は、たまらず小便を漏らしながら走ったもんだ」
恥ずかしそうに指先で頬を掻くミリカンに、部下たちは笑ってよいかどうか迷いながら口を歪めた。
「命のやり取りをするのだ。身体がこわばるのは仕方がない。死にたくないと思うのは人間が当然考えることだ。だから」
ミリカンは騎士の背中を叩く。
「お前は指揮官として、死なずに済むような作戦を立てられるようになれ。戦果を挙げられることも重要だが、何よりも部下と共に生きて帰れるのが良い指揮官だぞ」
それはミリカンが騎士訓練校の校長となってから常々言い続けていることであり、アシュリンやイレーヌなどミリカンが教育者であった世代なら誰もが耳にしている言葉だった。
「そろそろ来るな……では、各員騎乗!」
ミリカンの命令を受けて、二百名全員がそれぞれの馬に飛び乗った。
彼らは突撃してきた敵を目的の場所まで引き込む役割を担う。総指揮官のミリカンがここに加わるのは反対も多かったが、敵の近くで状況を見なくては指揮も出せぬ、と強引にこの役を引き受けたのだ。
ミリカンの両脇には目立つ旗が高々と掲げられ、そこにはミリカンの生家フリードリヒ家の紋章が翻る。
シナリオとしては、敵の奇襲を受けたラングミュア軍は野営地の物資を放棄して逃げ出す。責任者のミリカンも護衛に固められて逃亡。しかし準備が間に合わず帝国に捕捉された状態での逃亡となった、という形だ。
当然これは“釣り餌”でしかない。
本隊はミリカンが逃亡するルート上に伏せられており、今の時点で次々と配置が完了しつつある。
そして、肝となるのがマーガレットが“乗っている”新兵器だ。
「王妃頼りとは、なんとも……」
軍人としての矜持もあるが、それ以上に確実に帝国を止めるという目的を前にして、ミリカンは極々現実的な選択としてマーガレットの“魔法”を頼らざるを得なかった。
「しかし、これで我が国は王と王妃が自ら軍政も完全に掌握する形となるか」
この戦いが終われば、ミリカンは引退も考えていた。
もはや、自分のような古い人間は必要ないのかも知れない、と。
遠くから、大勢の声と足音が聞こえてくる。帝国の軍勢だ。
「敵が来ます! 国境を越えたようです!」
「わかっている。ギリギリまで敵を引きつけ、矢が届かぬ距離を保って敵を引き付ける! 全員、防御態勢はできたか?」
ミリカン以外の騎士や兵士は、それぞれ背に大きな荷物を背負っている。馬の後部にも布袋がかかっているほどの大荷物だ。
荷物を持って逃げ出したということを示すための大荷物だが、実際は後ろから飛んでくる矢を避けるための楯だ。
だが、ミリカンだけはそれを付けていない。
「閣下は、やはり使われないのですか?」
「要らぬ。将自らが荷物を持っているのは不自然だろう。わしはここにいる、と敵に見せつける必要もあるからな」
いよいよ敵の姿がうっすらと見えてくると、ミリカンは表情を引き締めた。
「良し! 行くぞ!」
逃走に見せかける作戦が始まった。
●○●
対して、想定外にあっさりと国境を突破できたヴェットリヒは狂喜していた。
「やはり、王のいないラングミュアなど雑兵の集まりに過ぎぬ!」
集団の最後尾にあって、馬上で手を叩いている彼の周囲では護衛の騎士たちが周囲に目を光らせながら、兵士たちに檄を飛ばしている。
「そうだ、もっと走らせろ。進めば進むだけ、帝国の領土が広がるぞ!」
上手く行きすぎたことで、ヴェットリヒの言葉は本来の目的から外れ始めていたが、興奮は周囲の騎士たちや兵士たちにも伝わっており、誰もが彼を咎めようとはしなかった。
「野営地を発見!」
「そのまま蹂躙し、破壊せよ!」
「はっ!」
ヴェットリヒは「壊せ」と命じたが、前線の兵士たちにとっては戦場での貴重な収入であり、軍からはギリギリの量しか与えられない食料を補うために、食べ物とあれば奪い合いが起きるほどだった。
前線に立たされる兵士ほど貧しい平民出身者が多く、帝国軍の前進はそこで一度止まる。
しかし、ヴェットリヒら上層部からはひたすら進めと急かされる。部隊中ほどにいる兵士たちは、野営地で足止めされている前線部隊を通り過ぎて、隊列を乱しながらとにかく前に出ていた。
そこで、ミリカン達が発見された。
「恐らくは敵の総大将かと」
紋章付の旗を掲げているなど、よほどの上位者でなければあり得ない。また、囲んでいる護衛の数も彼らが持っている荷物も相まって、前の部隊からの情報は明らかに「敵将だ」という内容に染まっている。
ヴェットリヒもまた、その情報を信用した。
「大荷物を抱えているだと?」
「はっ、騎乗はしておりますが、追いつけぬ速度ではないと思われます」
「負け戦を前にして欲をかいたか」
ニヤリと笑ったヴェットリヒは、とにかく前へ進めと命じた。
「その者たちを追え! 生死は問わぬから、捕らえてここまで連れてこさせろ!」
「生け捕りでなくてよろしいのですか?」
雑兵にそんな器用な真似ができるか、という言葉がヴェットリヒの喉元まで出かかったが、今の勢いを削ぎ、士気を落とすような真似はできない。
「良い。王都に到達するころには何人か捕虜にできるだろう。そ奴らに聞けば良い」
こうして、帝国軍は完全にミリカンの策に引っかかった。
帝国軍後部の遅れた部隊はまだ国境を越えておらず、国境を挟んで五千ずつの軍が完全に分かれた。
「後方が離れつつあります!」
側近が叫んだが、ヴェットリヒは一顧だにしない。
「後で追いつけば良いと言っただろう!」
ヴェットリヒは「のろまめ」と後方へと目を向けた。
「……ん?」
背後に見える国境。その手前あたりで地面が動いたような気がしたヴェットリヒだったが、そんなはずは無い、と草が動いたのを錯覚したのだろう、と自分を納得させた。
だが、錯覚ではない。
「な、なんだ?」
「う、うわあああああ!?」
部隊最後部のヴェットリヒ達。その背後で突然山が生まれたかのように地面が隆起する。
「敵の魔法か?」
ヴェットリヒの側近が口にした想像は、あながち外れているわけでもなかった。しかし、地面の形を変える魔法ではない。
「巨大な、騎士……?」
自分たちが踏みつけてきた地面から姿を現したのは、鈍色の全身鎧を着た騎士の様な姿だった。
その大きさは見上げるほどで、恐らく十数メートルはある。巨大な盾を支えにして立ち上がり、反対の腕には棍棒のような長い棒が固定されていた。そして、明らかに空洞になっている兜がヴェットリヒたちを見下ろしている。
「ま、前だ!」
ヴェットリヒが叫ぶ。
「前に進め! あれが何なのかはわからんが、予定通りに王都を叩けばあれも止まる!」
そうだ、と周囲の騎士も兵士たちに前進突撃の命令を繰り返し、自分たちも馬を走らせて背後の怪物から逃れようと拍車をかけた。
ヴェットリヒも同様で、むしろ優先して前に出ていく。
「王都だ、王都にさえ行けば……」
命令系統さえ屈服させることができれば、後ろの怪物も止まる。命令を出させて止めさせ、場合によっては自分のものにしてしまえば良い。
それが叶えば、ヴェットリヒの部隊は帝国だけでなく世界最強となるだろう。ギースベルト大将すら蹴落とすのは造作もないだろう。
「この程度で、諦めるものか……!」
まさかその怪物の中に今のラングミュア王国におけるナンバー2がいるとはつゆ知らず、ヴェットリヒは怪物へと目を向けないように意識しながら、ひたすら前を目指した。
敵将を捕らえても良い。それで止まる可能性もある。
とにかく後ろが恐ろしく、逃れるには前だ、とヴェットリヒは馬の腹を激しく蹴りつけた。
お読みいただきましてありがとうございます。
次回もよろしくお願いします。