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112.将の終わり

112話目です。

よろしくお願いします。

 ギースベルトは部下の撤退を認めなかった。

 何者かによって追加の爆破はされたものの、その人物が離脱したとみられる報告があり、それからは新たな爆発は発生しなかったからだ。

 帝国の兵たちはギースベルトに逆らうことの恐怖に足を動かし、地面が爆ぜる恐怖からは目を反らしながら、一縷の望みをかけて駆け抜ける。


「なるほど火薬という武器はそれだけ強いらしい。だが、混戦になれば使えないのは間違いないな。指向性の無い、対象を選択できない攻撃は使い道が限定されるな」

 ギースベルトは火薬の利用方法や対応について思考を巡らせながらも、戦場を冷静に見ていた。

 部下たちは命令通りに敵の包囲を進めており、爆破攻撃はもう発生していない。


「火薬が尽きたか?」

 それ以前に、攻撃は果たして誰が起こしたものだろうか。

 ギースベルトはオトマイアー大将旗下の軍勢と、聖国の軍勢の二つの可能性を考えていた。どちらも火薬を利用する可能性はある。

「面倒なことになった」


 本隊後方で馬車から状況を確認していたギースベルトの下に、戦況が次々と報告される。

 その中でオトマイアー旗下にあった兵士たちが次々と投降していること、しかしその中に副官以上の者はいないことが報告された。

「逃げた、か」

 籠城を狙っている可能性は低い。それならばまず出てこないだろうし、兵士は多くが捕縛された。


「どうするつもりなのか知らないが、こんな場所で落ちのびることができるものかね」

 特にアーデルトラウト・オトマイアーは軍人である前に若い女性だ。疲れ果てたところでどのような目に遭うか、簡単に想像できる。

「軍人として死ぬより、生きることを選んだか。それとも……」

 何か逆転の“目”でもあるのだろうか。


 順調に捕縛を進め、さらには聖国の者たちを包囲殲滅し始めた部下たちを遠くに見ながら、ギースベルトは小さくため息を吐いた。

「随分と、帝国軍もやせ細ったな」

 アルゲンホフを失い、オトマイアーがいなくなり、ラウレンツも死んだらしい。

「あまり地位が上がると、現場に出られなくなるんだがな」


 ギースベルトは自分の中に、軍人としての栄達ではない道が思い浮かんだが、表情にすら出すことは無かった。

「帝国兵は無抵抗なら連れ帰る。聖国の連中は、殺せ」

 生かしておいても何の益も無い。ギースベルトはそう言って自分がいる後方部隊にも前に行くように命じた。


●○●


 実のところ、オトマイアーは何か計算があって散開を命じたわけではなかった。

 自分の政治的センスの無さと追いつめられた状態から部下たちを連れて無事に安全な場所まで行く方法が思いつかなかった。

 それ以前に、どこへ行けば安全なのかすら思い浮かぶことが無かった。

「私は……!」


 不甲斐なさに歯噛みしながらも、鎧の上からぼろ布を被ったアーデルは爆破が続く戦場から命からがら逃亡することには成功した。

 しかし、この脱出も部下たちがギースベルトの軍勢に追い立てられ、立て続けに発生した小さな爆発によって混戦に陥ったことで掴んだ機械だった。

 部下を犠牲に自分が生き延びたという結果に、愕然とする。


「ふぐぅ……」

 声は押し殺せても、涙は隠せなかった。

 戦場からとにかく離れ、気付けば喧騒が遠くに聞こえる茂みの中に入り込み、木々が周囲に見える林の中にいた。

 ぽろぽろと涙をこぼしながら、情けなさに膝の力が抜けそうになるのを耐えながら、音から離れるように歩き続ける。


 もはや軍人としての矜持など無い。ただ生き延びたいという重いが彼女の背中を押していた。

 その進む先に何があるか、何が待っているのかはわからないが、少なくとも戦場へ戻る気はなかった。戻ったところで、何のために戦うのか。

 彼女は帝国の兵に追われた今でも、皇帝に対して敵意は持っていなかった。全ての原因が自分にある以上、皇帝の命令で自分が狙われることも仕方がないと思っていた。


 だが、捕らえられて罪人として処罰されるのは耐えられなかった。

「帝国の軍人として、死にたかった……」

 願いはもう叶う可能性は無い。彼女は帝国の敵だと認定された。聖国の敵でもある。爆発は彼女の責任にされるだろう。弁明に出向いたところで、どれほどの人が信用するだろうか。

 帝国内での権勢は強い。侯爵家の令嬢であることもあるが、何より彼女の実績は大きい。だが、その分城内に敵が多いのだ。弱り目の彼女に味方するよりも、徹底的に糾弾して刑死させ、ポストを空けることに腐心するのは目に見えている。


 不思議と誰かを恨む気持ちも無かった。

 無かったはずだが、疲れ果て、膝をついた彼女の前に姿を見せた人物を見たとき、何故か嫌な感情が湧き上がる。

「ヴェルナー・ラングミュア国王……」

「ヴェルナーで良い。お疲れのようだな、アーデル殿」


「どうしてここに……」

「聖国で騒動が起きるのは織り込み済みだ。当然ながら調査の手も入れていた。……皇帝も軽率な真似をしたな。聖国の重臣をホームグラウンドに戻したうえ、アーデル殿を疑うとは」

 この人物はどこまで知っているのだろうか。アーデルはヴェルナーの言葉に驚愕を覚えながらも、それ以上に皇帝に対する非難の言葉に腹が立った。


「皇帝陛下に間違いはありません。私が全ての原因であり、ブラッケの扱いを間違えたのは私自身です」

「そうかも知れない。だが、皇帝は君を信用しなかった。そこに隙ができた。部下が何人も死んだし、聖国も勢力として復活してしまったぞ」

 ヴェルナーが指さした方向へアーデルが目を向けると、ギースベルトの軍勢が後退を始めているのが見えた。


「なぜ……?」

「あの軍勢の将は利に敏いようだな。このまま民衆の集まりに対して攻撃をしても意味は無い。相手が総崩れになったところで、退く。今は別に聖国王都を押さえる意味も無いからな」

 その準備もしてないだろう、とヴェルナーは評した。準備不足で王都を無理に押さえたとしても、暴発や潜伏した敵兵に無駄な損耗を受けるだけだ。


「……ヴェルナー陛下は、私はどうするべきだったと思われますか?」

 自分は間違えた、と敗北を認めた者の言葉だった。

「早々にブラッケを殺すか、もっと苛烈な支配をすべきだったな」

 それだけ、宗教というのは根が深い、とヴェルナーは話した。政治が宗教を利用することはあるが、政治が変わったからと言って宗教まで変わることはまず無い。


「それともう一つ」

 ヴェルナーは人差し指を立てた。

「帝国は今、聖国だけを敵に回しているわけではないことをよく考えておくべきだった」

 目を見開いたアーデルの前では、ヴェルナーは厳しい目を向けていた。

「……どこまで、関与しておいでだったのです」


「俺も万能じゃない。帝国の動きを見誤って部下が大怪我をしたし、聖国の群衆は思ったよりも抑圧を感じていた。救国教の残党は武器を得たらあっさりと暴走し……アーデル殿は想像以上に動きが遅かった」

 反省しなければ、とヴェルナーは腕を組んで首を横に振る。

「戦場だけではない。政治も民衆も、一から十まで誰かの思い通りになるなんてのは傲慢な考えだ。どう動かすかも考えながら、可能な限りイレギュラーも想定しておかないとな」


「……参りました」

 アーデルは膝をついたまま、前のめりになってヴェルナーへと頭を突き出した。

 彼女は今、ヴェルナーの手の上で踊らされていたことを、目の前で無様に右往左往した挙句、こうして敗走しているところを捕まったのだ。もはや、抵抗する気力も失せていた。

「どういうつもりだ?」


「陛下の手で殺されるなら、まだ私にも救いがあります」

「戦えば良いだろう。アーデル殿には強力な魔法がある」

「陛下にはさらに強力な魔法があります。……ただ、一つだけお願いがあります」

「なんだ?」

「一発だけ、殴らせていただきたい」


 アーデルの言葉に、近くに控えていたデニスが前に出ようとした。

 しかし、ヴェルナーはそれを止める。

「良いだろう」

「では……」

 右足から立ち上がり、左足を踏み込むと共にまっすぐな右ストレートがヴェルナーの頬を捉えた。


 吹き飛ぶほどではなかったが、ヴェルナーは数歩後ろに下がると、口の中にジワリと溜まった血を吐き捨てる。

「ぺっ、流石は帝国大将。良い腕をしている」

 ヴェルナーの言葉に答えず、アーデルは再び膝をついた。

「気分は晴れたか?」


「多少は。ですが、だからと言って私の失敗が消えてなくなるわけでもありません。空しいものです。どうか、ひと思いにお願いいたします」

「断る」

「……え?」

「あのなぁ。俺は別に人殺しが好きなわけじゃないんだ。ましてアーデル殿のように有能な人材を無碍に殺して“良かった”と思うような狂人じゃない」


「しかし、私は無能な指揮官としてここに……」

「居場所が悪かった。それだけだ。これがまともな戦場であり、敵がはっきりしているならばアーデル殿は負けることは無い。そうだろう?」

「それは……」

「だから、行く場所が無いなら俺に仕えないか? いや、もてあそばれた挙句にその相手に仕えるのも気分が良くないだろうな」


「その言い方は誤解を招きます」

 頬を染めて俯くアーデルに、左頬を腫らしたヴェルナーは笑いかけた。

「エリザベートを。俺の妻を守る騎士にならないか?」

 しばらくの間、アーデルはヴェルナーの言葉に返事を返せなかった。


●○●


 帝国は一旦聖国から退去することを選択し、聖国は主無き国となり、宗教勢力が一応の軍事力として居座るかたちになった。

 一度は破棄された国境は復活し、国交の回復しない国境沿いは緊張が続いている。

 火薬の製法について多少なり情報を得た帝国ではあったが、最終的な損害は筆舌にしがたいものがある。特に人材において。


「ラングミュアの王が?」

「はっ。皇帝陛下と会談を望んでいる、と使者が参っております。何でも、皇帝陛下に対し奉り、有益な情報を持っている、と」

「有益とは」

 皇帝の質問に、使者の来訪を伝えた騎士は答えを持っていなかった。


「良いだろう。ギースベルトもかの地より帰着した。ラングミュアの王が来ると言うのならば、ギースベルトも同席させよう。何かしら面白い話が聞けるかもしれん」

「危険ではありませんか?」

 ヴェルナーの魔法を知る一人の大臣が慎重論を唱えたが、皇帝は一蹴した。

「良い。城ごと破壊するというのならば、わざわざ会談を打診することもあるまい」


 夜中にでも侵入して仕掛ければそれで終わりだ、と皇帝が冷笑交じりに見回すと、大臣や護衛の騎士たちは青褪めた顔をみせる。

「精々頑張って城の警備に勤めよ。言うべきはそれだけだ」

 それにしても、と皇帝は視線を動かしてラングミュアがある北方を見た。

「義弟殿は何を伝えてくれるのだろうな」


 ギースベルトの報告でアルゲンホフの遺体は回収できたと分かった。だが、アーデルトラウト・オトマイアーはついに死体も見つかっていない。

 彼女の副官数名は捕縛されたり戦死したことが確認されたが、戦場ではぐれたという話だけしか得られなかったのだ。

 最終的に、オトマイアー大将は戦死扱いとなり、国葬が出された。裏切りの疑惑は疑惑のままとなり、その葬儀は密やかなものであった。ブラッケも同様である。


 二十日後、ヴェルナー・ラングミュアは二人の人物を連れて皇帝の前に姿を現すことになる。

 一人は旧聖国の重臣であり、帝国の技術武官となっていたブラッケ。そして、亡きアルゲンホフの副官であるヒルトだ。

「では、真相を説明しよう」


 ヴェルナーは通された談話室にてソファにゆったりと腰かけ、目の前で興味深げに見ている皇帝に対して、口を開いた。

「皇帝の優秀な部下たちの顛末を」

お読みいただきましてありがとうございます。

次回もよろしくお願いします。

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