109.散開
190話目です。
よろしくお願いいたします。
「お急ぎください!」
「私は良い! それよりも味方が敵に追いつかれぬよう、隊列など気にせず散開しながら進むように連絡をしろ!」
アーデル率いる旧聖国駐在軍は救国教残党に率いられた聖国民たちに追い回される形で進軍速度を上げていた。
悠々と脱出できるはずだったのが、何者かによる王城の爆破があり、さらには救国教残党の勢力が突如として王都へ現れたことで全く余裕が無くなった。
今や聖国民はアーデルを裏切り者として見ている。身勝手に味方だと祭り上げていただけなのだが、熱狂している民衆にはそういう理屈は通じない。ただただ期待を裏切られたという考えしかないのだ。
「説得すべきでは……」
「馬鹿を言うな。ああいう連中は集合愚の熱狂に染まった状態で、しかも代表者も扇動者もはっきりしない。話をする前に殴り殺されて終わりだ」
「しかし、それでは彼らは何を狙っているというのですか?」
副官の進言を押さえ、アーデルは首を振った。
「何も狙っていない。あの連中はただ私たちを攻撃したいだけだ。その先に自分の国を守ると言う目的は一応あるだろうが、達成までのプロセスなど誰も考えていないだろう。私たちが害されたとき、帝国との戦いが再び始まるということに考えは至っていないだろう」
例え裏切り者とされているとしても、副官以下の帝国兵たちに罪は無い。彼らを害したとすれば帝国との対決姿勢を明確にしたことになる。
「それでは……」
「とにかく逃げる。国境にいけば帝国の勢力がいるはずだ。なんとしても合流して連中を押し返す体勢を構築する必要がある」
その時、アーデルは指揮権を奪われてしまうだろうが、今反転して戦うのは危険な大きい。旧国境の勢力は組織上アーデルの配下という形になる。そこに希望もあった。
両勢力が無我夢中で追いかけっこを続けていたとき、アーデルの下に国境方面からの伝令が戻ってきた。
「閣下! 帝国の軍勢がこちらに向かっています! 数はおよそ三百!」
「どこの軍だ?」
「一部の部隊がギースベルト大将の旗を掲げているのを確認しました!」
その名を聞いて、アーデルは自分の額に大粒の汗が浮かぶのを感じた。
「ギースベルト大将……」
冷静な人物ではある、とアーデルは彼を評している。だが、敵に対して苛烈であり過度に攻撃的な行為を選択することも知っている。
もしギースベルトが完全にアーデルを裏切り者として見ていたら、数の少ない三百名とはいえ、どんな攻撃を仕掛けてくるかわかったものではない。
「全員、街道から外れて国境の関所を迂回するように……」
アーデルはギースベルトの軍とぶつかることはとにかく避けるべきだと判断した。そのまま直進して救国教残党の勢力とぶつかって戦闘になってくれれば御の字だが、ギースベルトが戦況の変化に反応できない無能だとは考えにくい。
しかし、他に手はなかった。立ち止まるなど以ての外だ。
突然の爆発は、その瞬間だった。
「なっ……!」
爆心地はアーデルが向いている進行方向である。報告があったギースベルトの軍がいたはずの場所であり、三百の軍がいると方向があった場所だ。
「なんという、なんという……!」
もはや絶句に近い状態で呆然としているアーデルの後方からは、さらに勢いを増したらしい救国教残党の声が響いてくる。
途端に腹の底から恐怖がせり上がってくる感触を覚えたアーデルは、全軍に向かって叫んだ。
「もはや隊列など気にするな! 街道を出て散り散りに逃げよ!」
アーデルは副官らにも散開を命じ、可能な限り兵士たちが無事に旧国境を越えられるように見守ることを命じた。
「閣下はどうされるのです?」
「私は良い。自力でどうにかする」
「それは……」
死ぬつもりか、と副官は喉元まで出かけた言葉を抑え込んだ。アーデルトラウト・オトマイアーは近接戦闘では敵無しの魔法持ちだ。そう簡単には死なないだろう。
副官はそう考えることにした。そうでなければ、命令を受け入れられなかった。
「……ご無事で」
「ああ。兵たちを頼む」
兵士たちを追い立てるようにして、多少なり整備された街道から荒れた大地へと馬を進めた副官がふと振り返ると、アーデルが馬を降りて愛馬を逃がしている姿が見えた。
それが、副官がアーデルトラウト・オトマイアーという帝国唯一の女性大将を見た最後だった。
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