106.放棄された都市
106話目です。
よろしくお願いします。
気絶したブラッケは捕縛され、ヴェルナーたちによって密かに旧王都から運び出された。
同時に、アーデルトラウト・オトマイアーは王都に駐在していた帝国軍の完全撤退を推し進めた。
「どけ! 道を開けろ!」
城の前に押し寄せていた民衆は、兵士たちの言うことを聞いて素直に左右へと避けた。その中央を隊列を組んだ部隊が進み、馬上でむっつりとした顔をしたアーデルもその中にいた。
「オトマイアー大将だ!」
誰かが叫ぶと、民衆は歓声を上げた。
しかし、アーデルは自分へ向けられた言葉に対して指一本動かそうとせず、ただ正面を向いたままで馬を進めていく。
「閣下……」
馬を寄せた副官が声をかけると、アーデルは目も向けずに「なんだ」と返した。不機嫌を露わにしているが、副官はもう慣れてしまった。退去を決めてからずっとこうなのだ。
「使用人たちも退去させて宜しかったのですか?」
「今さら何を言っている。仕える相手がいないのだから、雇っておく方がおかしいだろう」
「ですが、その使用人たちから我々の行動が知れてしまう可能性があります」
「知られて困ることは無い。むしろ、彼らには現実を知ってもらうべきだ」
女性として出せる最も低い声でアーデルは答える。
「彼らは誰かに頼って自分たちを守ってもらいたい、生活を支えてもらいたいと願っているが、それは間違いなのだ」
ある意味で、それは自分へ向けた言葉でもある。
「誰かのために行動することは尊い。だが、誰かにそれを期待することは、ある種の傲慢でしかない。口を開いて餌を待つだけで許されるのはヒナの時だけだ」
アーデルは自分がもっと早く、皇帝の部下としてではなく帝国の軍と領地を預かる責任者としてもっと自主的に判断して動けなかったかという悔恨の念が滲む。
「彼らは彼らの中から指導者を出さなくてはならない。……彼らのためにも」
「それが、ブラッケでもよろしいので?」
「彼らがそれを望むなら、だ。その結果は彼らに降りかかるだろうが、もはや知ったことではない」
自分が無責任な発言をしているのは重々承知しているが、とアーデルは小さく息を漏らした。
長い隊列の後方が騒がしくなってくる。
「バレたか」
「問題ありません。すでに王都の門は部下たちが押さえておりますので、封鎖は不可能です」
副官の返答にアーデルは頷いた。
暇を出された使用人たちには一時金を与えて口止めはしておいたが、早々隠せるものでも無い。あるいは隊列の人数で感付いた者がいたか、とアーデルは考え、首を振った。
「そのような勘の鋭い者がいるなら、王がいた時代にもう少しましな治世であっただろう」
オトマイアー大将を引き留めろ、という声が聞こえ始めたときには、もうアーデルは王都を出て街道上に出ていた。
「全軍、駆け足!」
アーデルの声が響き渡り、部隊は速度を上げて街道を進み始めた。
その直後だ。
全身を震わすような轟音が響き渡り、振り向いたアーデルの目の前で、城が崩れ始めた。
「な……な……」
巨大な建物の中央にそびえ立つ塔は直立したまま沈み込むように小さくなり、建物全体がまるで中央に吸い込まれるように、縮んでいくかのように崩れていく。
悲鳴が聞こえる。
民衆が逃げ惑い、中にはアーデルに対して悪口を放っている者もいる。
「閣下……」
「わ、私ではない!」
驚いている副官の言葉に、アーデルはすぐに否定した。放棄するつもりではあったが、破壊の命令など出していない。
「おのれ。この期に及んで……」
「急ぎましょう、閣下。このままでは住民が暴徒化する可能性があります」
危機感を訴える副官に、アーデルは舌打ちをして同意した。
「そうだな。急ぎ……うん?」
アーデルは気付いた。民衆たちとは別に、大勢が迫る音に。
●○●
「壮観だな」
王都の外で崩壊する旧聖国王城を見ていたヴェルナーは、笑みを浮かべて土埃が積乱雲のように立ち昇るのを愉快だと思っていた。
その背後で疲れ果てて座り込むグンナーとその部下たちに振り返る。
「お疲れさん」
「まったく、疲れたぜ」
グンナーは立ち上がり、ヴェルナーへ向けて敬礼して見せた。ヴェルナーが作り出したプラスティック爆薬を城に仕掛けてきたのだ。
「指示通りの場所に設置できたみたいだな。大した腕だ。侵入の手口もな」
「……俺たちは、まあ、スラムの住人は生きるためにそうすることもある」
「あった、と言え」
ヴェルナーに命令されて、グンナーは肩をすくめた。
「あった。……そう、もう二度とやらないし、やる必要も無い。仕事もある。食い物は手に入るし……」
まだ瓦礫が落ちる音が聞こえる城を顎で示した。
「刺激もある」
「陛下」
笑い合うヴェルナーとグンナーのところへ、デニスが駆け寄ってきた。
「おう。早かったな」
「ええ。思ったよりも早い段階で彼らを誘導できましたので」
デニスが言っているのは、ヴェルナーの指示で武器を与えられた救国教の信者たちのことだ。
デニスが指さした先。街道の海岸方面から大挙して人々が押し寄せてくるのが見える。それは軍隊というには不揃いに過ぎるし、決して屈強な若い男たちだけというわけではない。そこには女性もいれば老人もいる。
「総勢一千名はいます。全ての人員が救国教によって支配される聖国という体制を取り戻すために戦うつもりで、王都を目指しているのです」
「無血開城は目前というわけだ」
王都へ流入した彼らは、そのまま王都に居座って新たな戦力として滞在するのだろう。そして、最初のうちは王都の住民に受け要れられるかも知れない。
しかし、彼らは軍人ではない。権力によって統制された集団ではなく、自分たちの国を作るために権力者になろうとする一団だ。
「救国教指導者の一人だったブラッケはいなくなり、指導者……この場合は次期王だな。その座を争って宗教内で闘争が起こる。聖国はこれから混乱期に入るな」
「混乱を引き起こした張本人がぬけぬけと、よく言う」
グンナーが茶化すと、デニスは顔色を変えた。
「陛下に対して無礼な……!」
「落ち着け。こういう男だ」
ヴェルナーはデニスの肩を叩いてなだめると、グンナーを睨みつけた。
「混乱の種は元から聖国にあった。それを軽くつついたのは俺だが、隙を作ったのは帝国だ。それとブラッケもだな」
もし皇帝がもっと本腰を入れて聖国の征服に乗り出していれば、そんな隙はできなかったかも知れない。
「ブラッケを引き込んだことも失敗だが、アーデルの優秀さの方向を見間違えたことも失敗だな。もしくは、最初から聖国なんて放っておけば良かった」
ヴェルナーはその場にいた全員を見回した。
「さて、我々は失敗しないために、さっさとここから立ち去るとしよう」
その前に、後々楽をするための布石をする、とヴェルナーは言った。
部隊をまとめたヴェルナーは、聖国と帝国の国境であった場所へと向かう。
そこで待つロータルたちと合流し、アーデルらが無事に国境を越えるところを確認するために。
そして、帝国の動きを確認し、場合によっては戦うために。
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