105.路地裏での戦い
105話目です。
よろしくお願いします。
「どこだ! どこにいる!」
最初は密かにブラッケを捕縛する予定だったアーデルだが、執務室は彼の部下を含めてもぬけの殻であり、城内の侍女たちも彼の姿を朝の出仕以降見ていないという。
「仕方ない……封鎖された城門の見張りを増やせ。城内全てを探し、ブラッケを捕らえろ!」
「はっ!」
もはや内々で済ませられることではなくなった、とアーデルは判断し、城にいる騎士と兵士全てを動員して城内の調査を始めた。
しかし、二時間ほどの作業でもブラッケを発見することができず、城内を出入りしたところを目撃したという話すら得られなかった。
調査の続行を命じたアーデルは一度自分の執務室へと戻り、怒りに任せて机を殴りつけた。
砕けた破片が周囲に散らばり、アーデルの拳にも小さな傷をいくつも作ったが、血を拭うことすらしない。
怒りの矛先は自分に向けてだった。先日から何もかもが後手になっている苛立ちは、結局はアーデル自身の判断の遅さに起因するものだ。
戦場であればこんな無様は見せないものだが、と言い訳が浮かぶのを押さえられない。
開け放たれたままの扉。その向こうから城の前で完成を上げる民衆の声が聞こえる。
ヴェルナーとの会談後、民衆代表との話をしたが大した情報は得られなかった。ただ単に、アーデルトラウト・オトマイアーという存在に身勝手な期待をかけているということがひしひしと伝わってきて、吐き気を覚えただけだった。
ブラッケが行方不明になったことを含めて状況を整理したアーデルは、現状の危険度を改めて感じた。
「このまま、ここに私がいること自体が帝国に対する旧聖国の脅威度を上げることになっているというのか……!」
誰が絵図を書いたものかはわからないが、アーデルは自身が帝国から見てそれなりに上位に位置する戦力であるという自覚はある。
それが敵対した可能性があり、被害が発生し、真意が確認できていない状況は危険すぎる。
「私が帝国本土にいても、そのように判断する。もし私であれば……」
ラウレンツが戻らぬことで、もはや疑いはないと判断して最大の戦力を旧聖国へ向けるだろう。もちろん、アーデルを救うためではない。討伐のためだ。
ブラッケを拷問にかけてでも自白させて疑いを晴らすことができぬ以上、アーデルは政治的な感覚を振り切って、軍人としてシンプルに考えた。
「旧国境近くでラウレンツを攻撃したという連中を追い立てる。おおよそブラッケとつながりがあるだろうが、少なくとも実行犯どもを捕まえるなり殲滅するなりして、私の無実を証明する材料にするしかあるまい……!」
上手く噛み合えば、帝国本土から来る部隊と息を合わせた挟撃を展開することも可能だ。
「誰か!」
アーデルの呼び声に応じた騎士が入室すると、すぐに指示が出された。
「全軍を以て帝国本国へ向かう。途中、街道を中心に索敵を行い、帝国軍を騙り味方を攻撃しているとみられる戦力を発見。これを叩く」
「は。出発時期は……」
「今、すぐだ」
何を言われたのかわからずに困惑する騎士に、アーデルは彼女にできる最大の力が籠った睨みを向けて言葉を重ねた。
「準備ができ次第すぐに出発する。全軍に一時間以内で用意をさせろ。城の備蓄全てを掻き集めて移動中の食料とし、不足分は途中の村や町で買い入れる。急げ!」
飛び出すようにして駆けだしていった騎士を見送り、アーデルは自らの鎧を着るために私室へと向かった。
「これが、最後になるかもしれない……」
もし、本国からの部隊がアーデルたちを攻撃してきた場合、彼女が文字通り矢面に立って部下たちの無実を訴えねばならぬ。
その時点で死ぬ可能性も高いが、何があっても部下たちに裏切り者としての死を押し付けるわけにはいかないのだ。
手早く鎧を付けたアーデルは、自室にある小さなデスクの上に置かれた羊皮紙をちらりと見て、何か書き残そうかと思ったが、やめた。
今何か書けば、軍人らしくない言い訳だらけの遺書になりそうだった。
●○●
ブラッケは登城した直後には城を出ていた。
勝手知ったる旧聖国城である。使用人たちの目を盗んで裏から出ていくなど決して難しいことではない。
特に今は城の前に民衆が押しかけて警備が前面に集中している。ブラッケの行動を気にするような者はいない。
だが、城の外は別だった。
五名ほどの部下を連れ、裏道を辿って教会へと向かっていたブラッケの前に、一人の男が立ちはだかった。
「……何者だ? 俺を帝国軍技術武官と知ってのことか?」
死にたくなければそこをどけ、とブラッケが居丈高に語ると、男は肩をすくめた。
「知ってるよ」
薄汚れた服を着た軽薄そうな見た目の男だが、露出した腕や大きく開かれた胸元から見える身体は、がっしりと鍛えられていた。
「元は聖国の大将。ここ王都での戦いでオトマイアー大将に右腕を焼き切られ、逃走。帝国へ密入国したが皇帝に取り入って帝国軍に入り、技術武官として聖国へ戻ってきた」
事情を良く知っているらしい男に、ブラッケと部下たちは剣を抜いて構えた。音を立てないために鎧はつけておらず、それぞれが絹擦れの音だけを小さく響かせる。
「……帝国の間者か」
「だとしたら、剣を向けるのは不味くないか?」
「はっ、ここで見られたことが問題なのだ。お前が帝国に情報を渡すのであれば、ここで消すのは当然のことよ」
ブラッケの言葉に、男はため息をついて首を振る。
「やはり、最初っから帝国を裏切るつもりだったのか。こういう連中が部下にいたんじゃ、オトマイアー大将殿も大変だっただろうな」
「オトマイアーは皇帝に忠実だったからな。戦えば負けるが操るのは難しくなかった。だが、お前らのような雑兵は殺した方が早い」
ブラッケを中心に広がった部下たちは、男を囲む。殺気立った表情で暗い目を向けるその様子は軍人というよりも裏の人間が持つ雰囲気だ。
「やれやれ……」
男は再び嘆息すると、腰の後ろに括り付けていたナイフを取り出した。
「お前ら、運が悪かったなぁ」
ナイフを構えた男に警戒を見せた直後、ブラッケらの頭上に一抱えはある大きな石が降ってきた。
「おごっ!?」
「ぐぶぇっ!」
それぞれに悲鳴を上げた男たちは、兜を付けていない頭部を叩き割られて即座に絶命した。ブラッケのみは魔法によりマントが自動的にかばい、石は弾かれて足元へ落ちたが、それでも一度に部下を殺された衝撃は大きい。
「貴様、貴様らは……!」
「悪いが、こういうやり方が一番楽で確実なんでね」
ブラッケが周囲を見回すと、路地を囲む建物の屋上や屋根の上にちらりと人影が見えた。しかし、姿は現さない。
「俺を始末するつもりか! だが、お前ら程度の腕では俺は殺せない」
剣を構えなおしたブラッケは不敵に笑う。
「俺の魔法は確実に攻撃を防ぐ。どんな攻撃であろうとな」
「嘘だな。その右腕が証拠だ」
男が指差すと、ブラッケはその腕を狙って剣を振るう。
ひらりと飛び下がった男は、ブラッケと同じように笑った。
「お前の相手は俺じゃない」
「なんだと?」
「もっと怖い人だよ」
男がそっと後ろへ下がると、入れ替わるように進み出て、一人の青年が姿を見せた。
「き、貴様……」
ここにいるはずのない存在、ラングミュア国王ヴェルナー・ラングミュア。ブラッケはその顔をしっかりと覚えていた。
「周囲の住民には金を掴ませて避難させた。存分にやってくれ」
「よくやった、グンナー。助かる」
グンナーの言葉に頷いたヴェルナーはナイフを右手に持ち、左手を後ろにした半身の構えでブラッケの前へと進み出た。
「わかったぞ……!」
「何がだ?」
ブラッケは怒りに震える指先をヴェルナーへと向ける。
「国境で小細工をしたのは、お前の部下だな? お前のせいで、俺までもが帝国の敵扱いだ」
「帝国の敵なのは間違っていないだろうが」
踏み込みと共にヴェルナーが突き出したナイフがブラッケのマントに弾かれ、反撃の剣は身を反らしたヴェルナーの鼻先を通り過ぎた。
「オトマイアーさえいなければ、帝国の将兵は俺の敵ではない。そして最低限の人数と聖国の武器があれば、俺は戦争でも負けはしない!」
自信に満ち溢れたブラッケの心情を現す様に、圧倒するかのような力強い剣撃がヴェルナーを襲う。
「貴様の魔法もだ! 爆破が魔法だけの力だと思うな!」
「おっ!?」
ブラッケが剣を縦に振り下ろし、そのまま地面に立てたかと思うと柄から離した手を懐に差し入れた。
直後、取り出した小さな球を服の一部にこすりつけ、ヴェルナーへと放る。
「ちっ」
服の一部をわざとやすりのようにざらついたものにしていたらしく、擦り付けた球からは火が上がっていた。
ヴェルナーにはブラッケの言葉からそれが手榴弾と同様の物だと察し、素早く飛びのいたと同時に地面へと伏せる。
考えは間違いではなく、小さな球は爆炎を上げる。
「流石に、対応は心得ているか。だが!」
爆発の間に再び剣を掴んだブラッケが、土埃の中を潜り抜けてヴェルナーへと迫った。
「死ねぃ!」
振り下ろされた剣を紙一重で避けたヴェルナーは、起き上がりながらナイフを構える。
ブラッケが剣を持ち上げる前にナイフを立て続けに突きいれるが、全てマントに弾かれ、その間にブラッケは悠々と剣を振りかぶる。
「無駄だ」
「ああ。普通の攻撃は無駄なようだな」
ヴェルナーは小さな爆薬を周囲に振りまき、ブラッケの足元にも放り込む。
「これはどうかな?」
「くっ!」
ヴェルナーが指を弾いた瞬間から立て続けに小爆発が起きると、ブラッケのマントは彼をぐるりと包むように動いた。
どうやら魔力による障壁も発生しているらしく、マントは多少煤けた程度で破れることもない。ブラッケ自身は爆風でよろめいたものの、傷は負っていないようだ。
「頑丈だな」
「ふふ、肝を冷やしたが、どうやら魔法の相性は俺に有利なようだな」
「まだわからないぞ?」
「強がりを。お前の魔法はその爆発物を生み出すだけだ。そしてその攻撃は全て俺の魔法で防げる! 俺を殺すことは不可能だ!」
乱暴なまでに振り回される剣を、ヴェルナーはナイフ一本で凌ぐ。
「大した腕前だが、いつまで持つかな?」
「すぐに終わるさ」
ヴェルナーのナイフを持つ右手。ではなく、反対の手から何かが投げられた。
「うぬっ?」
それは軽く放る程度の速度でしかなく、ブラッケのマントも攻撃とは判断しなかったようだが、念のため身体を捻って避けた。
「やはりな。爆発は攻撃とみなしても、俺が作った爆薬そのものは無害だと判断するらしい」
放り捨てられ、ブラッケの背後に落ちたのはプラスティック爆薬だ。
マントの動きを注視していたヴェルナーがにやりと笑うと、ブラッケは奥歯を噛みしめてギリギリと音を立てた。
「だからどうした。爆発しなければ攻撃になるまい」
しかし、ブラッケは気付いている。ヴェルナーが何を狙っているかを。
「あれを爆破するならやってみるが良い。全て俺の魔法が防いでくれるわ!」
「では、そうしよう」
ブラッケの背後で爆発が発生すると、マントは素早く壁を作ってその爆風を防いだ。
だが、致命的な熱は防いでも、風を完全に止めることはできない。ブラッケの身体は背中を押されるように前へと進み出た。
「このっ!」
勢いを利用して剣を突き出すブラッケに対し、ヴェルナーも前に出た。
伸びてくる剣が肩口をかすめていくのを感じながら、身を低くしてブラッケの身体へと飛び込む。
その両手にはナイフはもう無い。生み出したプラスティック爆薬が、しっかりと握られて変形していた。
「おおおおっ!」
ブラッケは眼下に見えるヴェルナーの背中へ向けて剣を突き刺すために左手を操って逆手に持ち替えたが、その間にもヴェルナーの両手は彼のブーツへと爆薬をねじ込み、身体は飛び込むように地面を滑って股下を抜けていく。
「これで終わりだ!」
ブラッケの足元を滑りぬけたヴェルナーは、素早く立ち上がり、相手の背中へと新たな爆薬をべったりと押し付けた。攻撃と判断されないように、叩きつけることなく。
「ぐおお……」
慌てて剣を捨て、左手を背中へと伸ばすが、マントが邪魔をして全てをはがすことはできない。
無様に背中や両足を掻き毟るブラッケを見ながら、ヴェルナーは右手を掲げた。中指と親指が、触れている。
「や、やめろ!」
「嫌だね」
ヴェルナーが指を弾いた瞬間、ブラッケは気絶した。
お読みいただきましてありがとうございます。
次回もよろしくお願いします。