103.夜襲
103話目です。
よろしくお願い申し上げます。
夜襲のタイミングを、夜明けの直前に選んだヴェルナーは、草むらの中で目を覚まし、真っ暗闇に身体を起こして、遠くに見える篝火を確認し、目を擦った。
「ふあ、あ……」
灯り一つないヴェルナーの周囲では、騎士たちが鎧を着たままでゴロゴロと転がって眠っているはずだが、小さな寝息が聞こえる以外は、夜闇にまぎれて輪郭すらわからない。
月の位置を見る。あと一時間ほどで夜明けになるだろう。とすれば、今は一番気が緩んでいる時間帯のはずだ。
見張りは当然いるだろうが、大部分が眠っている。
「起きろ。静かにな」
一人の騎士を起こし、他の者たちを起こす様に指示すると、ヴェルナーは手元にプラスティック爆薬を大量に作り始めた。
「鎧は脱げ。音がうるさい」
言いながら、作りだした爆薬を千切り分け、それぞれの騎士たちに渡していく。
「俺の魔法は知っているな?」
「恐ろしい爆発を起こすものだと聞いております。ロータル隊長の特務隊に入った時、ファラデー殿からも説明を受けました」
よろしい、とヴェルナーは頷いたが、その動きが見えるはずもない。前世のころなら暗視スコープなり使ったんだろうが、と苦笑して、作戦の概要を小声で説明し始めた。
騎士たちも緊張した面持ちで、手の中にあるプラスティック爆薬をおっかなびっくり抱えていたが、お互いに見えないのを良いことに、落ち着いて余裕があるように声を潜めている。
「では、作戦を開始する」
●○●
ラウレンツは早い段階で就寝していたせいか、夜明けを待たずに目を覚ましていた。斥候からの報告では特に変わったことは無く、密かに調べさせた日中の戦場にも誰もいなかったということだ。
「追っては来ていない、か」
あの襲撃の目的はなんだったのか、ラウレンツは考えている。
「救国教の残党が、何かを狙っているのか?」
帝国の部隊をいたずらに敵に回そうとはオトマイアーも考えまい。もしラウレンツらを殲滅しようと考えるならば、補給線の短い旧国境近くではなく旧王都あたりまで引き込んでから攻撃するだろう。
撃退を狙うなら早い段階で攻撃を仕掛けるのは当然だが、国境側を塞ぐように動いたのが解せない。
「……救国教が、帝国と旧聖国を分断しようとしているのか?」
そう考えるとすんなり納得できる。
だが、だとすればオトマイアー大将は救国教に嵌められた可能性も高い。オトマイアーが自分の手に収まった権力に狂ったのではないとしたら。
ラウレンツは背筋が寒くなる思いだった。
「オトマイアーが何かの策に乗せられているとしたら、今の我々は……」
迷いに迷ったが、ここで撤退は選べない。栄達の手段が目と鼻の先にあるというのにみすみす見逃してしまうには、ラウレンツには余裕がなかった。
ここで機会を逃せば、グリマルディを削り取り、聖国を滅ぼした帝国軍に在って戦果を得る機会はいつ訪れるかわからない。
「次に帝国が戦うとしたら、ラングミュア王国だが……うん、ラングミュア?」
引っかかるものを感じた。
ラングミュア王国。王族内の抗争を経て、若き王ヴェルナーが治める地であり、現在の大陸で帝国に対抗できうる唯一の国家だ。国境を接するスド砂漠国との関係は良好であり、逆に帝国とは対立を深めている。
帝国から現皇帝の妹であるエリザベートを妻として迎えているが、そのエリザベートは内政に助力するのみであり、前皇帝の葬儀依頼、外交の部隊には出てきていない。
「聖国を打倒した時に、かのラングミュア王の助力が大きかったとオトマイアー大将の報告書にはあった。しかし、帝国が聖国を支配する前にラングミュア王国は素早く手を引いている」
何故だろうか。痩せた大地と貧民の国であるとはいえ、聖国が使っていた武器や薬の知識は有用であるはずだ。帝国と対立することを避けたとは考えにくい。
「エリザベート皇女とオトマイアーは姉妹のように仲が良かったのは有名だ。……本当はラングミュア王国が聖国から手を引いていないとしたら……」
ラウレンツはいつの間にか汗をびっしょりとかいていた。濡れて冷たくなった服を着替えたいが、予備の服を出すには明るくなるまで待たねば、小さなランプの灯りでは探すのも苦労する。
不快感を味わいながら、震える息を吐く。
「帝国のアルゲンホフ大将が死に、オトマイアーが帝国と反目する形になり、多くの帝国兵が聖国内で内乱に巻き込まれたうえに救国教残党と戦いになる……」
誰が得をするか、考えてみれば一目瞭然ではないか、とラウレンツは歯噛みした。
「皇帝陛下は、この状況を分かっておいでだろうか?」
報告を、いや注意喚起の形で進言をするべきだろう、とラウレンツが考えて誰かを読んで伝令の準備をさせようとした時だった。
大きな振動がラウレンツを襲った。
「なにごとだ!」
と叫びながらも、倒れたラウレンツはわかっていた。敵襲だ。
急いで天幕から飛び出した時、周囲は混乱の極みだった。
爆発音と振動でたたき起こされた兵士たちは右往左往するばかりで、篝火は半数が倒れており、暗くなった野営地では荷物をかき集める者や武器を探す者、とにかく逃げようと走り出す者など、あちこちでぶつかりあっては罵り声と悲鳴が上がっている。
「狼狽えるな! 敵の思うツボだ!」
ラウレンツの叫び声を聞いて、副官が走り寄ってきた。
「敵襲です!」
「それはわかる。どこからだ!」
「わかりません。野営地を挟むように爆発が……」
と、報告を離す間にも派手な爆発が起きた。
「つぅ……」
悲鳴を上げる鼓膜に顔をしかめながら、ラウレンツは大声で指示を出した。
「とにかく旧王都方面へ兵を向かわせろ! 隊列は考えなくて良い!」
「わかりました!」
副官は命令に頷き、近くにつないでいた馬へと飛び乗った。ランプを片手に掴み、手を振るって笛を吹き、指示を出すのだ。
だが、笛の音は響かなかった。
小さな爆発音がしたかと思うと、副官の胸のあたりがはじけ飛び、血が周囲に飛び散っていく。
ラウレンツの顔に血しぶきがかかり、呆然とする彼の前で副官の身体は力なく馬から落下した。
「な、な……」
銃火器を知らないラウレンツには、何が起きたかは理解できない。ただ、これも敵の攻撃だということだけが直感できた。
副官が謎の攻撃に倒れたことは、兵士たちにも動揺を与えた。
爆発は南北で立て続けに咆哮を上げており、兵士たちは暗闇の中を東西へと逃げ出し始めた。
しかし、帝国側である西方向へ向かった兵の前には、馬を並べた数人の敵が立ちふさがる。全員が剣や槍ではなく、太く長い筒を抱えていた。
「て、敵だ!」
「反応が遅い。一斉射!」
馬上の一人が叫び声を上げると、全員が手に持っていた筒に火縄を放り込んだ。
腹に響くような重低音と共に筒の先から飛び出した無数の鉄球は、帝国兵たちを文字通り削り取って行った。
大量の穴を穿たれて、ぼろ雑巾のようになって倒れた味方を前にして、兵士たちは恐慌状態に陥る。
十名以上が一度の斉射で殺害されたショックは大きく、もはや軍という集団として機能していない兵士たち。
唯一の逃げ道である東側へと全員が向かう。
倒れた者を助け起こすような余裕はない。躓いたものは仲間たちに踏みつけられて死に、動けない負傷兵は打ち捨てられた。
そして、彼らは最後の地へ踏み込んでいく。
暗がりの中、地面のあちこちにプラスティック爆薬が振りまかれた場所へ。
その光景を、ラウレンツは倒れたままで見ていた。副官を落とした馬が棒立ちになったところでその前足に殴りつけられ、倒れたところを部下たちに踏みつけられて虫の息だった。
「なんという……」
耳をつんざく轟音。
炎ではなく爆轟というべき熱風がラウレンツにも届いた。
悲鳴はほとんど聞こえない。それ以上の勢いで巻き上げられた土と石が奏でる、激しい雨のような音と感触が背中に降り注ぐのを感じながら、ラウレンツは部下たちが千切れ飛びながら死にゆく様を見ていた。
おそらく、打ち捨てられた負傷兵たちも同じ光景を見ているだろう。
ふと、自分たちを見捨てた仲間が死ぬ光景は、ある種痛快なものかもしれないという考えが浮かんだが、どうでも良いことだった。
「ヴェルナー・ラングミュア……!」
ラングミュア王国の王の名を呟く。
部下たちを殺した。いや、人としての死と言うには無残なまでに破壊しつくした爆発に、火を使った形跡は見えなかった。
火を点けて爆発させる火薬と違い、火の気がなくともこのような攻撃ができる者は、ラウレンツが知る限り一人しかいない。
「やはり、あの国が……」
気付いたが、ラウレンツにはもう何もできなかった。
全身が痛みに支配されるほどに踏みつけられて、骨折している個所は数え切れない。口から血が溢れているあたり、内臓も傷ついているだろう。
「無念……」
視界が暗くなっていくうちに若い男が目の前に立ったような気がしたが、最早ラウレンツは反応もできず、そのまま絶命した。
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