プロローグ
事実は小説より奇なり。
そんな言葉がある。
小説などで描かれる世界よりもおかしな事が、現実では起こり得る。
この言葉を残した人物は、一体どんな「奇」を目の当たりにしたのだろう。
それは分からない。
ただ。
一つ言える事がある。
決してその言葉は、間違いではないという事。
私だけではない。
この世界で。
皆が今、その「奇」の真っただ中にいる。
テーブルに座った私の前に、一つのカップがある。
向かい側にも、同じものが置かれている。
カップの中には、ミルクと混じったブラウンのコーヒーが満たされている。
そのカップが、ふいに目の前から消える。
私は消えたカップがあった位置を見つめる。
間もなくして、カップがまた同じ位置に出現する。
カップの中のコーヒーは、半分ほど減っていた。
これが今、世界で起きている「奇」。
だが、理解はしている。
今起きた事が何なのか。
簡単な話だ。
目の前で妻の恵理がコーヒーを飲んだ。
ただそれだけだ。
ただその姿が、見えないだけだ。
決して恵理は死んだわけではない。
幽霊になった恵理が、未練を残して目の前に姿なきものとして居座っているわけでもない。
「おいしい」
恵理の声が聞こえた。
全ては、突然に起きた。
私の世界から、恵理の姿は見えなくなった。