紅は紅く
もしこの世界に神がいるとするならば、そいつは性格が悪い。
『夜哭街』へと入り、ゴルド‐の経営する店『真紅』へと突入することとなった俺の部隊。
俺、お嬢、ビル。そしてダストという男、あとおまけの人材が五名。計九名となった。
アッシュの話では五名という話だったが、実際は六名だった。
なんでも誤差の範囲だとか五名程だとかうだうだ言っていたが、人数が増える分にはいい。
だが問題なのはそのメンツである。
ダスト、他五名。見事に先日、俺を虐め倒してくれたあの六人なのである。
どういうことかと抗議の目をビルに向ければ、ウインクで返される。悪意しかない。この世に救いの神などいない。
この世の不条理を嘆きながら、『夜哭街』へと足を運ぶ。
街と『夜哭街』を繋ぐのは一本の路地だが、そこには常に門番のように二人の女性が立っている。
ふくよかで魚類じみた顔の女性アンと病的な身体の細さでカマキリを彷彿とさせる女性のキリィ。
「あらあ」
「見覚えのある坊やね」
前を行くアッシュ、アインらの部隊を彼女らは黙って見送り、後を付く俺を舐めまわすかのような視線と共に彼女らは声を掛けてきた。
「……どもっす」
「あなた、シトリィちゃんと一緒にいた子じゃなくて?」
「え‐、まあ、はい」
シトリィと聞くと少し嫌な思い出が蘇る。
彼女を嫌っているわけではないのだが、複雑な思いがあるのもまた事実。あれ以来苦手意識が芽生えてしまった。
実際、アッシュからは『夜行』のメンバ‐の力を借りたいという申し出があったのだが、顔を合わせにくいという理由で渋ってしまった。
「あの娘、元気にしてる? お店どころかこっちにすら顔を出さないんだから」
「お店?」
「そ。あの娘と私達、同じ『ナインテイル』ってお店に勤めてるの。よかったらボクちゃんも遊びに来なさいな」
「は、ははは、ぜひ……」
相当癖のあるお店っぽいなあ、とは口には出せない。
背後のお嬢からの圧が凄い。後ろを見るのが怖い。
事情を知るビルのくすくすと忍び笑いが聞こえる。
「ほら、アン。あまり引き止めちゃダメよ」
「わかってるわよお。じゃあね、ボクちゃん。シトリィちゃんによろしくね。ビルちゃんもまたね。今日で終わるといいわね」
「あざっす、失礼します」
「……はい。さようなら。アン姉さん、キリィ姉さん。お元気で」
二人と別れを告げ、『夜哭街』へと侵入する。
ここからはアッシュらと別れ、それぞれでゴルド‐の経営する『白銀』『真紅』へと向かう。
アッシュ達が『白銀』、俺達が『真紅』へと。
「あの二人と面識あったんだな」
後ろを歩くビルへと声を掛ける。
「……ええ。『夜哭街』にいてあの二人を知らない人はいないでしょうね。色々とお世話になったわ、色々と、ね」
ビルは何やら含みを持たせた返事をするが、言葉が続く様子がない。
きっと緊張してるのだろう。
無理もない。この作戦は長い年月を掛けた大掛かりな作戦らしいし、失敗は許されない。
後ろに続く男達の顔にも緊張が色濃く出ている。目が合うと即座に舌打ちされ目を逸らされたが。
一応俺、部隊長なんだけど。部下が反抗的過ぎて辛い。
閑散とした昼の『夜哭街』を黙々と歩く。
昼の『夜哭街』は夜と打って変わり、静寂に包まれておおよそ生物の気配を感じない。さながらゴ‐ストタウンのようだ。
そんな中を歩き続け、すぐさまビルの案内でくたびれた洋館へと辿り着く。
窓の一切は閉まり切り、至る所に植物の蔓が絡みつき、不気味な様相の館だ。
昔、誰かがプレイしていたとあるホラ‐ゲ‐ムに出てきた館にそっくりだ。俺はそんなおどろおどろしい雰囲気のゲ‐ムを怯えながらも強がって見ていたっけ。
あのゲ‐ムは誰がプレイしていたんだったか。
プレイをしていた状況は鮮明に思い出せるのに、当のプレイヤ‐の姿だけは靄がかかったように思い出せない。不思議な感覚だった。
「ほら、坊や。ボ‐ッとしてないで行くわよ」
前を向けば、ビルが扉を開き、ダスト達がぞろぞろと中へと入っていく。敵陣の只中にも関わらず、無警戒にも程がある。
「あ、ああ……、わりぃ、考え事してた。しかし正面から堂々って大丈夫なのかよ」
「大丈夫よ。この街の人間なんて夜行性かってぐらい朝と昼は寝てるから、今頃はぐっすりよ。夜討ち朝駆けならぬ夜駆け朝討ちとでもいえばいいのかしら」
「なんだそら」
ビルは扉を開けたままおどけた口調で言う。言葉の意味はよくわからないが、全員の緊張を解そうという意図が見て取れた。俺もそれに乗っかるように、突っ込んだ。
屋敷に入れば、大きく開けたエントランス。正面には二階へと繋がる大きな階段、それと左右に分かれる道があった。
「すげえな……」
外観とは裏腹に、洋館の中は壮大で、豪華だった。
思わず息を呑むようなその光景に、男の一人が声を漏らす。
天井は高く、煌びやかなシャンデリアが朝にも関わらず燦々と輝き、人ひとりが収まりそうな壺にはたくさんの花が活けてある。昔にテレビで見た高級キャバクラそっくりだ。
「外観とのギャップが凄まじいわね。まあ完全会員制の高級娼館として使ってるんだから、こんなもんっちゃあこんなもんなんじゃないかしら」
ビルはさもありなんといった様子で気にも留めず言うが、これは相当だと思う。
決して小さくない入り口ですら掃除が行き届いているし、きっと高級どころか最高級だ。管理人の手腕が伺える。
「ではここからは事前に伝えた通り、三組に別れましょう。私とツヴァイ隊長は二階へと上がり、女性たちが囚われていると思われる部屋へと真っすぐに。
ゴルド‐の部下たちは一階の奥の部屋にそれぞれ個室が与えられているはずよ。そこを坊やとダスト達が左右へと別れ、各個撃破。部下たちが起き上がってくる前に仕留めないと厄介ね、これは時間との勝負よ」
ビルが声を潜めて、事前に打ち合わせていた作戦を再確認する。
玄関から入った屋敷は正面に二階へと上がる大きな階段。左右へと廊下があり、廊下の側面には各個室が存在する。
男を省き、女性であるお嬢と物腰穏やかで中性的なビルを救助に向かわせるのは囚われた女性たちを怖がらせない配慮であり、ビルの友人も囚われているというし、ビルがいる方が話も早いだろう。
あとは余った男七人を適当に分けて屋敷を虱潰しに探し、戦力を削っていくのみだ。
屋敷内は依然シンと静まり返り、人の動く気配どころか外の『夜哭街』同様、人の気配すらろくに感じられない。
このまま敵が起き上がってくる前に、長い眠りに就かせるだけならば作戦も楽だろう。
「……どういうことだ?」
ビル達と別れ、残った男衆をさらに二組に分けた。今や行動を共にするのは俺とダスト、男が二人、計四人。
左右に別れた通路で、何部屋かの扉を開け放ち、中の様子を伺う。
だが、どの部屋を空けても様子は一緒なのだ。
家財は置かれ、生活感はある。しかし、どの部屋にも一向に人の気配がしない。
ベッドの布団を捲ろうが、クロ‐ゼットの中を覗いても、どこにも人の気配なぞありやしない。
「おい、見ろよこの下着。スッケスケでエッロいの」
「馬鹿、そんな余裕ねえよ」
ダスト達の緊張はとうに弛緩し、呑気に部屋中を物色し始めている始末。男の一人はクロ‐ゼットの下着を摘まみだし、ジロジロと眺め始めている。
「‐‐なあ、あんたら。ビルの奴、この屋敷の奥の方は部下の部屋って言ってたよな」
「ああ?」
「知るかよ」
「あ、ああ」
気弱そうな男からやっとまともな返事を得る。
おかしいのはもうひとつ。
どの部屋も全て、女性の部屋なのだ。
あくまで、女性の部屋らしい、としか言えないのだが。
最初は手前の部屋は接客用の個室だと思っていたのだが、どうにもどの部屋にも生活感が強すぎる。
彩り豊かの室内には明るい色のカ‐テンや不釣り合いな三面鏡や化粧台、人ひとりが眠るようなベッド。
聞いていたような高級娼館とは到底思えぬ、庶民的な部屋ばかり。
「その割にどこまで行ってもどの部屋も女性が過ごしてるような部屋ばかり、何なら男が住んでる気配なんてもんがありやしねえ」
「だから知るかって。敵がいねえならこんな楽なことねえだろ。とっとと女らを見つけてずらかりゃあいいじゃねえか」
男の一人が苛立った様子で言うが、言うことはごもっともだ。
俺はそれ以上喋ることをやめ、男達より先んでて部屋を出る。
きっと、この様子ならばどの部屋にも誰一人居ないだろう。
どうやら俺達はすでに敵の術中にいるらしい。
一階を散策する別の組と事前に打ち合わせた通り、エントランスで合流し、再び男七人で集まり結果を報告し合う。
結果は案の定というか、似たようなものだった。
どの部屋ももぬけの殻、人っ子一人見当たらず、と。だが確かにどの部屋にも物はあり、生活感はあるが、忽然と人だけが消えたようだった、と。
残るは二階に向かったお嬢とビルの二人だが、二階からは一切の物音もない。
一階とは違い、何かがあったのだろうと踏んでいる。
二組の散策の結果を報告し合い、さすがに何人かはおかしいと思ったのか、俺の話しにすんなりと耳を向けてくれた。
おそらく俺達の侵入はすでに敵にバレており、何らかの対策を設けられている、と。
最悪、屋敷ごと葬られる、なんて可能性も考えたが屋敷に残った物を見る限りそれはさすがになさそうだった。
「ま、あんま気負う必要ないっしょ。人間万事塞翁が馬っつってね。案外何事もなく合流してお屋敷からはいサヨナラってなるかもしれんし」
「あ?何言ってるかわかんねえよ」
「まあ、何がどう転んでいいことになるかもわからんし、悪くなるかもわからん。考えるだけ無駄ってことで」
「なら最初からそう言えやガキコラ」
「チッ」
男達からは苛立ちや舌打ちが聞こえる。不安や緊張感が戻ってきたようだ。
俺ならば、敵が油断したところ‐‐それこそ二組に別れ、部屋を物色し終えた辺りで人をけしかけるが、それもなかった。
おそらく、屋敷の中で襲撃される案は薄いだろう。
そうなれば一刻も早く二階にいるお嬢とビルと合流し、アッシュ達のいる『白銀』へと向かうべきだ。
「なあ、本当に行くのかよ。相手はあのゴルド‐だぞ。アッシュ隊長すら勝てなかった相手に万が一遭遇したら……」
気の弱そうな男が落ち着きなく辺りを見回しながら言う。
「馬鹿、あくまで可能性って話だろ」
別の男が自らに言い聞かせるように、これまた落ち着きなく言う。
二階へと訪れようとすると、意見が割れた。
一刻も早く二階へと赴きお嬢とビルと合流して屋敷を去るか、二階での襲撃を恐れてお嬢とビルを捨て置き、応援を要請するかの二択。
ちなみに前者の意見には俺とダストぐらい、後者の意見が多数。
不安で及び腰になっている多数派の意見に、彼らの中のリ‐ダ‐格であるダストの意見で何とか五分で対立できている。俺だけの意見ならばあっという間に無視されていただろうが、ダストの中にもお嬢とビルを見捨てることはできないという仲間意識はあったようで、少し見直した。
「でもよお、本当にゴルド‐がいたら……」
「ハハハ、そんときゃあそんときだろ。もしゴルド‐がいたら、逃げりゃあいいんだよ。ツヴァイだとかビルだとかほっといてな!もしいなけりゃあここの女共は全部俺らのもんにすりゃあいい!
見ただろ!この屋敷にあるもん!全部値打ちのあるもんばかり!これら全部ここの女たちの稼ぎだろ!?だったら相当の美人揃いに違いねえ!」
高々と笑うダストに、数人の男達がそれぞれ顔を見合わせ、ゴクリと生唾を飲み込んでいる。
撤回。こいつらは俺が思っていたよりもはるかに腐っていたらしい。発想が賊そのものだ。
こんな奴らを隊員にするなんてどうかしている。
「なああんたら、それを俺が見過ごすと思ってるのか」
ダストは黙り込み、再び全員で顔を見合わせる。すると、全員で一斉にプッと吹き出し、ゲラゲラと笑い始める。
ゲラゲラゲタゲタと不快でしかない。
「ハハハ、だったらなんだってんだよ、いい子ちゃん!」
「見過ごせなかったらどうちゅるんでちゅか、ボク‐?」
「お前、散々俺達にぼこぼこにやられたってんのに、また殴られたいのかよ、ドエムかよ!」
本当に邪悪で醜悪な奴らだ。もはや救いがない。
「まあ待てって、我らが部隊長様だってまだケツの青いガキなんだ。世間ってもんを知らねえだけさ。ここらで一発、女の味って奴をしりゃあちったあいろんな勉強になるだろ。な?
なんなら上にいる女たちでも襲っちまえばいい!他の奴らには黙ってやるからさ!」
「ヒハハハ!そりゃあいい!ダストの優しさに感謝しろよ、ガキ!」
「ああ、もちろん、俺達が満足したあとだけどな!」
「サイッテ‐じゃねえか!ギャハハハハ!」
「ああ、そうだ!この際、隊なんか辞めてゴルド‐に鞍替えするなんてのはどうだ!最高じゃねえか!」
興が乗ってきたのだろう。ゴルド‐がいるかもしれない二階のことも忘れ、ゲラゲラと笑いながら夢物語を饒舌に語り始める。
「ゴルド‐の野郎、綺麗処の女にゃあ目がねえって話だ!ツヴァイの奴なんかをハメて、ゴルド‐に差し出して、俺たちゃあ甘い蜜をチュ‐チュ‐吸わせてもらうって寸法よ!」
「それサイッコ‐!」
「俺は蜜より、乳のが吸いてえなあ!」
「てめえはサイテ‐じゃねえか!」
「オレはあのクソ生意気な女がよがってる姿、一度は見てみたいと思ってたんだ!」
我慢の限界だった。
気が付けば、視界は真っ赤に染まっていた。
手をかけた覚えもないまま、気づけば『無明』を振りぬき、刃を滑らせていた。
呑気に笑っていた男の一人の首が宙を飛び、視線が合う。
最期まで幸せそうに、醜悪な笑みを浮かべたまま果てていた。首はごとりと音を立て地面に落下した。
まず一人。
「……は?」
首のなくなった体はブシュウと血の雨を降らせ、雨を浴びた男達は何があったのかを気付かず自らの手を眺める。そんな男の一人の胸を刺し貫いた。声も発せず膝をつき力尽きていた。
二人。
ダメだ。こいつらはダメだ。
「てめえ!」
腰にある剣に手を伸ばそうとした男の手首を刎ねた。
ぎゃあぎゃあと喚くが、ほっといても死ぬだろう。
三人。
お嬢の家族にふさわしくない。人ではない。畜生だ。
斬りかかってくる男の喉を刺し貫いた。
かひゅかひゅと空気の抜ける音がした。
四人。
逃げるならよかった。女を襲う。許せなかった。
お嬢を差し出す。絶対に許せなかった。守るべくものを差し出す、唾棄すべき行いだ。
そうまでして生き延びた命に何の価値があるのか。
我が身可愛さで逃げるのみならず、他者を蹴落とすのだけはだめだ。
いずれこいつらは他人を不幸にする。
お嬢はかつての仲間たちの思いやりによって生かされた。その思いやりを踏みにじることはダメだ。あの優しい娘の心の片隅にもこんな畜生共はいて欲しくない。
「なんだってんだ……」
未だに事態を飲み込めず、呆然と俺を見つめ立ち尽くしていた気弱な男の正面に立つ。
腹の辺りを浅く横に凪ぐ。
男の腹からボトボトと血肉色の何かが零れ落ちた。
濃い血の臭いとは別の異臭が混じり始め、臭いなと思った。
「あ……、俺の、俺のが落ちちまった……」
男は虚ろな目で膝をつき、自分の何かを拾い集め、必死に腹に収めては零すを繰り返していた。
正気ではなかった。
五人。
六人目‐‐ダストの姿が見当たらなかった。
逃したと思った。血の付いた足跡は一階の奥へと続いていた。
未だに生きて騒ぐ男達を眺め、追うか迷ったが、男達をゆっくりじっくりと眺めていた。
やがて騒ぐ者がいなくなり、静かになった男達を見て、何か思うところがあるかを考えたが、特になかった。
一応は仲間として屋敷に入り、行動を共にした者たちを手にかけたのだ。
もっと後悔や惜しむものがあるかと思ったが、特になかった。
一時の感情、怒りに身を任せ彼らを手にかけたものの、彼らの遺体を見て、ただただ臭い、そう思った。
静かになったエントランスに、カツカツ、コツコツと異なる二つの足音が響いた。
ゆっくりと、誰かが降りてきている‐‐。




