急転直下
早朝、陽が昇り始めた頃、人気のない隊舎の廊下を自室へと向かって歩く。
時刻は早く、静かなものだ。おそらく隊員の殆どは未だ寝ている頃だろう。
何故こんな時間に俺が起きているかというと、先程まで医務室のベッドを借りて寝ていたのだが、まさか昼前に寝て日を跨ぐまで寝るとは。
オウルの爺さんに「いい加減に起きやがれ」とベッドから蹴落とされたから起きたので、放っておけばさらに眠っていたのだろう。我ながらびっくりだ。
こんな時間に起きてるオウルの爺さんにもびっくりし、「さすが爺さん、朝が早い」と言ったらまた蹴られた。ケツが痛え。
寝すぎたのはここ最近のアッシュの特訓のせいだろう。疲労の蓄積がえげつない。代償に爆発的に力を増した‐‐気はする。そうでも思わないとやっていけない。
まだ寝ているであろう同室のイグルに気を使いゆっくりとドアを開けると、部屋の中から視線を感じる。見れば俺のベッドの上で誰かが座っていた。
「うおっ」
「どこに行っていたんだ」
「なんだ、お嬢か。びっくりした」
「なんだとはなんだっ」
お嬢の声には怒気が含まれており、些細な言葉ですら感情の昂ぶりが見える。寝不足で気が立っているのだろう。寝不足は美容の大敵だ。
「……すまない。大きな声を出した、どこに行っていたんだ」
かと思え、すぐに自省をしている様子。どうやら感情の起伏が激しくなっており、本当に寝不足のようだ。
「いやあ、ちょっとね」
「浮気か?」
この隊には少ないが、お嬢以外にも女性はいる。
「まさか」
「昨日は休みだったはずだ。私も昨日は早く終わったので部屋に来たらお前がいなかったんだ」
「イグルの奴は?」
「居たが、私が来るなり出て行った」
気を利かせてくれたのだろう。あるいはうきうきで部屋に来たお嬢の落胆する様を見て、ご機嫌取りを面倒くさがって逃げたか。前者であってほしい。
「私のことはいい。それよりどこに行っていたんだ? やっぱり浮気なのか?」
「だから違うって」
「私よりビルの方がいいのか?」
「やめろお!なんでそこで他の女とかより先にビルが出てくるんだ!違うの!医務室で寝てたの!一晩中!」
「医務室?」
口に出して、ハッとする。おそらく俺の頬に張られた湿布に今気づいたのだろう。
「すまない、今更気づくなんて」
「良いって。そんだけお嬢も夢中だったんだろ。お嬢が俺に夢中になってくれてるって思うと男冥利に尽きる」
「今は二人だけだ」
「ツヴァイ」
名を呼ぶと立ち上がり歩み寄ってくる。
「痛みは?」
「もうないよ。疑わしかったら、オウルの爺さんに聞いてくれ。一晩中ぐうすか寝てたって証言してくれるから」
「すまない。面倒な女になってる自覚はあるんだ」
ツヴァイはそう言いながら、俺の頬に手を添え、湿布を指でなぞる。痛みはなく、こそばゆい感覚があるのみだ。
近づいてわかったのだが、彼女の目の下にはうっすらとクマができていた。色白だが、健康的な彼女には珍しい変化だ。
おそらく一晩中寝ずに待ってくれていたのだろう。それだけ心配をさせてしまったのだ。
「日に日にお前の事を考えると、面倒な女だなと、気持ちが不安定になるのもわかってはいるんだが、どうしようもないんだ」
「わかってる。俺はツヴァイのものだし、ツヴァイは俺のものだ」
そう囁きながら、抱きしめる。お嬢の身体がぶるりと震え、彼女の白い耳が赤く染まる。
「……いいな、今の」
蕩けたような震えた声を出す。
「俺はツヴァイのものだ。ツヴァイは、俺のものだ」
更に力を込め、耳元で再度囁く。ツヴァイの体が一際大きく震えた。
ツヴァイの耳が一層赤くなっている。どんな顔をしているか見てみたいが、きっと俺の顔も真っ赤なのだろう。柄でもないことを自覚している。恥ずかしい。
ツヴァイの体が脱力し、だらりと俺にもたれかかってきた。二人で抱き合いながらベッドへと倒れこむ。
「すまない、体に力が……」
「いいよ、気にすんな。どうせまだ時間はあるし、このままもうひと眠りしよう」
「そうだな、そうしよう……」
賛同するなり、すぐさま声が萎れていく。限界を迎えそのまま眠りについたようだ。
紅くなり、熱を持ったツヴァイの体が心地良い。抱き枕にしてしまおう。
しかし、彼女に被虐趣味があるのは薄々察していたが、どうやら支配されたい欲もあるらしい。
悪い男に引っかからないように願うのみだが、俺としては彼女を手放す気は一切ない。その心配も大丈夫だろう。
彼女を抱きしめ、心地良さと幸せを噛み締めながら、もうひと眠りつく。
まだ眠れるのかと驚いたが、彼女と抱き合いながら眠る。それどんなベッドで眠るよりも心地良い事のように思えた。
お嬢ともう一眠りし揃って朝食を摂ったあと、中庭で全員集合の朝礼があるとのことだった。
俺がこの隊に来てから初めてであり、朝礼という制度がこの隊にあったことも初めて知った。
『剣鬼隊』や『名無し』などと呼ばれるこの部隊は、アッシュを総隊長とし、その下にオウル、アイン、ツヴァイの三人を部隊長、その他全員が三人の誰かの部隊に所属するという形らしい。
余談だが、アイン、ツヴァイは隊長呼びされることからわかっていたが、オウルの爺さんも隊長というのは驚きだ。医者じゃなかったのか、あの爺さん。
部隊は街の警邏や訓練等の仕事を持ち回りし、その日の隊の業務内容等は直属の上司から知らされるらしい。どの部隊にも属さない外様の俺は仕事が振られず、アッシュやお嬢との訓練に明け暮れていたというわけだ。
そして今回も危うく朝礼の事を上司から知らされることなく、ハブられる寸前だったところをお嬢が知らせてくれた。もしお嬢が知らせてくれなければ、いつもの訓練場でいつまでも来ないアッシュを待つ羽目になるところだった。
中庭に総員が集合し、人がみっしりと集っている。ざっと三、四十人というところか。
思っていたよりも少ないと思ったが、この部隊は急造の新設部隊らしく、全員が総隊長のアッシュ、あるいは部隊長であるオウル、アイン、ツヴァイのいずれかから声のかかった優秀な人材なのだそうだ。中でもアッシュが声を掛けたのは各部隊長、そして久しぶりに声を掛けた四人目が俺、というらしい。そのことがパイセンらの不興を買った原因だろう。いい迷惑だ。
とりあえず形だけでも朝礼に参加しようと集まりから少し外れた端にでも立っていよう。数少ない友人であるイグルもきっとそうするだろうと思い、辺りを見渡すがなかなか見つからない。
「どうしたタツミ、お前はこっちだ」
きょろきょろと挙動不審な俺を見かねてか、お嬢が声をかける。
言われるがままに付き従うと、集団と向き合うアッシュの後ろ、お嬢ら各部隊長と共に横並びにされた。
五十名近い視線が一斉にこちらへ向く。なんでお前がそこにいるんだ。そう問われた。知らん。
「なあお嬢、俺がいる場所絶対こっちじゃないよね。あっち側だよね」
有象無象いっぱいのモブの集まり。どう考えてもそっちだろ。
「こっちでいいんだ」
お嬢は胸を張って言う。なんでそんな自信満々なの。
「よかったな小僧。針のむしろだ、ざまあみろ」
この爺絶対許さない。
「あはは‐」
なんか言えよ。
アインの奴は笑うだけだった。
落ち着かない。視線を泳がせると案の定、人ごみの後ろの方にイグルを見つける。目が合う。
助けてくれと口パクで告げる。イグルは目を逸らした。
あんな奴は友人じゃない。薄情者め。
「さて、全員揃ったようだし、始めようか」
アッシュが全員の前に立ち、喋り始める。背筋を伸ばしアッシュの言葉に耳を傾ける。
「諸君、おはよう」
「「「おはようございます!」」」
アッシュが挨拶するなり、大勢が挨拶を返す。大の大人が寄って集って挨拶を交わす様はどこか滑稽だなと思いつつも、野太い声が多く、迫力も凄まじい。
「今更かしこまる必要もないだろう、簡潔に話を進めよう」
アッシュはちらりと背後を見やる。目が合った。意図は読めないが、とりあえず黙って聞いていよう。
「長らく単身で『夜哭街』に潜っていたビルが帰還した」
横合いからビルが手を振りながら登場する。厳粛な空気のここにはふさわしくない振る舞いのようだが、諫めるような雰囲気はない。ひとえにビルの人柄のなせる業だろう。
「ビルには危険を承知で『鉄塊』のゴルド‐について調査をしてもらっていた。改めてビルの口から調査内容を報告してもらう」
アッシュは一歩下がり、代わりにビルが前進し舞台を譲った。
「はあい、ご紹介に預かったビルよ。ビルお兄さんでもビルお姉さんでも好きに呼んでね。はじめましての方ははじめまして、久しぶりの皆さんは元気だった?」
「ビル」
「なによう、相変わらず隊長はお堅いわねえ、はいはいっと」
ビルがいつもの要に軽口で話し始めると、アッシュが呆れながら諫める。
「じゃあ改めて。ゴルド‐は『夜哭街』で『白銀』と『真紅』という完全会員制の店を経営しているわ。……スタッフを除いて、戦闘員はゴルド‐を含めて十二人」
「思ったよりは少ないな」
「完全会員制、道理で顧客さえ捕まらないわけだ」
「店舗内装は必ずゴルド‐のデザインが重用され、改装の際には必ずゴルド‐が立ち会うと証言があったわ。そして近々店舗の改装が行われる。行われる店舗は『真紅』。行われる日程は……今日よ」
「今日!?」
「そんなすぐにかよ!」
「火急の作戦となったことは申し訳ない。奴らの耳がどこにあるかはわからなかったからな」
「時間も間もなく。改装業者とは話をつけてあるわ。今日、『白銀』にはゴルド‐のみ。それ以外の戦闘員は『真紅』に残留する筈よ」
「用心深くこれほどまでに情報を掴ませなかった男が護衛も付けずに一人で立ち会うのか?」
「ええ、奴ら御用達の改装業者の言葉よ。信用できるわ」
「……ふうん」
まだ疑問は尽きないようだが、オウルの爺さんは言葉を飲み込んだ。
「というわけだ。早速で申し訳ないが、隊を二分、といいたいところだが、動きを奴らに察せられては困る。幾人かは平常通り、隊舎に残し訓練、街の警邏を続行。残る人数で『真紅』に赴きゴルド‐を討つ。さらに別の人員で『白銀』の残留戦力とゴルド‐に囚われた女たちの保護を行う」
「詰まるところ四つに分けるわけか」
「『真紅』と『白銀』は分かるが、いいのかよ。そんなに分けちまって」
「構わん。どちらにしろゴルド‐を討てるほどの戦力は限られているし、全員で行ったところで悪戯に犠牲を増やすだけだ」
「なるほど。じゃあウチの部隊は予定通り、訓練だな。何なら警邏に分けてもいい。どうせろくに戦える奴なんざいねえ。案内役のビルだけ行きゃあいいだろ」
オウルの爺さんが言う。
「じゃあ僕の部隊は『真紅』ですね。久々の実戦腕が鳴るなあ」
アイン。
「では私の部隊……誰もいないんだった……」
お嬢……ぼっちだったのか……。
「先生とアインはその通り。戦力に乏しい先生の部隊は二分し、残留と警邏に当たってもらう。アインはゴルド‐討伐部隊、先生自身にもここに加わってもらいたいのだが……」
「パス。爺に身体張らせるんじゃねえよ」
「そういうと思いました。なら俺がアインの部隊に同行します」
「やった!隊長よろしくお願いします!」
アインが嬉しそうにはしゃぐ。どうやらこいつはアッシュが大好きらしい。
つうかオウルの爺さん、今朝は爺扱いすんなって俺を蹴ったくせに。
「さて、では残るはツヴァイと‐‐」
嫌な予感しかしない。
その予感を確かとするように、向かい合う集団からは嫉妬と羨望が入り混じったような視線を浴びる。
「タツミ。お前には数名を預けて『白銀』へと向かってもらう。残存勢力の殲滅、女性たちの救出の任だ」
はい来ました。どうしてこうも嫌な予感ってもんは当たるんですかね。
そうだよなあ!じゃないと俺が前に来る必要ないもんなあ!
「喜べ、タツミ!大抜擢だぞ!」
ふふんとお嬢は胸を張り、誇らしげだ。なぜそんな嬉しそうなんだ。
「待った。なんで俺なんだ!」
「お前には一団を率いる実績と将来的に部隊を率いてもらう事を加味し、今回は特別に指揮を頼みたい。ツヴァイとの模擬実戦で実力も隊員は認めているしな。この配置に異議のある者はいるか!」
アッシュは背後の集団へと向き直り問うが、総隊長の意見に表立って反対できる奴がこの場にいるわけがない。それは不況や反感を買うに決まっている。空気が読めない奴とレッテルが貼られるだけだ。
「ほら、問題はないだろう」
アッシュがこちらへ向くと、集団全員が眼で射殺さんとばかりに睨みつけてくる。
頼れる相棒、イグルに異議を申し立ててもらおう。先程彼が立っていた場所を見る。誰もいなかった。
逃げやがったあいつ。
「それにこれはビルの意見でもある。では改めて各部隊長、それとタツミ、ビルは執務室へ。以上は解散、各自部隊長の指示を待て」
アッシュの号令にて各々が方々へと散る。
「おっと、どこ見て歩いてやがる」
誰かが肩にぶつかった。俺は立っているだけなのに。
「くぁ‐、ぺっ」
誰かがタンを吐き出した。俺の靴にかかった。
「……」
無言で超至近距離からメンチをきられる。しばらく耐えていたら解放された。
「ふむ。何事もなくてよかったな」
「お前の目は節穴なのか、脳みそ腐ってるのかどっちか」
さらりと言いのけるアッシュに心底腹が立った。こいつら全員、誰かしらの推薦でこの部隊にいるのだとしたら勧誘した奴の目は確実に腐っている。
「さて、正直改めて話すほどの事もないが、先程言った通り、俺とアインの部隊は『白銀』にてゴルド‐を討つ。先生の部隊はゴルド‐の目を欺くために部隊の特訓、街の警邏で残留。タツミには数名を率いて『真紅』に向かい、ゴルド‐一派の殲滅、人質の解放。ツヴァイにはタツミの補佐に当たってもらいたい」
「なあ、逆じゃないのかよ。お嬢が隊長で俺が補佐」
「いいや、ツヴァイには主に人質の救助に当たってもらいたい。人質の殆どは女性であるし、救助も女性の方が安心するだろう」
「女性なら他の隊員もいるだろ」
「却下だ、小僧。女は俺の部隊ばかりだし、前線に連れて行けるような奴はいねえ」
なんだと。オウルの爺さん、女侍らせてんのかよ、許せねえなこのスケベ爺。
「なんだ小僧、ろくなこと考えてねえな、その目」
「ソンナコトナイヨ」
「というわけだ、タツミ。最早決定事項であり、変更はない。いいな?」
黙って従え、というわけだ。
「『真紅』『白銀』両館の見取り図はビルの手にある。『白銀』には地下室もあり、そこも記されている。よくやった、ビル」
「ほんとよお、危ない橋渡りまくったんだから」
「ご苦労だった。ではビルには『白銀』内部の案内を頼みたい」
「そのことなんだけど、隊長。私も『真紅』の方に行っちゃダメかしら?」
「……何故だ?」
「私の友人もゴルド‐に捕まっているのよ。一刻も早く安全を確かめたいじゃない?」
「しかしだな」
「いいじゃねえか、アッシュ。見たところ『白銀』は大したデカさじゃねえ。そっちにゃあ人数もいる。ダチを心配するビルの気持ちも汲んでやれや」
「……わかりました、先生がそういうのならば」
「ありがとう、隊長。それに先生も。もし安全がわかったなら、私もそっちへ駆けつけるわ」
「では改めて、タツミの部隊には補佐のツヴァイ、そしてビル。それと五名ほどを見繕っておく」
確かビルはゴルド‐一派はゴルド‐を含め十二人と言っていた。
ゴルド‐が『白銀』にいるとすれば、『真紅』に滞在しているのは十一人。
こっちは俺を含め、お嬢とビル、他五名、計八名。人数はわずかに不利だが、この程度の数の不利ならばお嬢がいれば何とでもなるだろう。
「では作戦は以上だ。全員準備を行い、二時間後に作戦を開始する。解散」
電光石火の電撃作戦が始まる。




