食卓会議
健全な精神は健全な身体に宿るという。
心が弱いと自覚した俺は改めて体を鍛えることにした。
身体を鍛えれば、色々とできることが増える。自信に繋がる。心もきっと強くなる。そう思ったからだ。
そして、お嬢の言うように家族と呼べるまでには言わないにしろ、信用できる人物を得ようと積極的に隊の人間に話しかけるように心がけた。
声を掛けたのは四人掛けの卓に座っている二人。
一人は以前、『賢狼の森』でイグルと共に立っていた男、もう一人はあまり見慣れない……男?
さらさらの金髪が眩い貴公子然とした華奢な人物。
線も細く、パッと見では男か女か判別がつかない。
「おはようさん。ここ、いいか」
「あら。いいケツの少年」
「ふん」
今日はこの卓にお邪魔しようと思ったが、すでに後悔した。
お尻の評価をされることなど、一件しか心当たりがない。
ごん、お前だったのか。
交流を深めるために声を掛けたが、早くも誤ったかもしれないと深く後悔した。
今ならまだ間に合う。そう思って立ち去ろうとしたが、遅かった。
「もちろんいいわよ。座りなさいな」
男の声は、見た目通り、爽やかな声で男にしては高く、心地良い。その声からケツというあまり上品ではない言葉を聞くと一層違和感が際立つ。
がっしりと肩を掴まれた。ひいっ、揉まれるっ、助けてお嬢。
朝食を持ってきたお嬢が後から現れる。
「おや、ビルじゃないか。変な奴だが、悪い奴ではない、と思うぞ、多分」
「変態な奴の間違いではなくて?」
「本人を前にしていってくれるじゃないの、隊長。私は普通よ」
「普通の人は人のお尻を撫でまわさないと思います」
肩を掴まれた後、引き寄せられて尻をがっつりと掴まれたり、揉まれたりした。セクハラで訴えたら勝てるレベルで。
「あら失礼。私のおててちゃんってば暴れん坊さんだから、めっ」
尻を揉む手を止め、空いた方の手でしっぺをし、しかりつけていた。
ビルという男は整った容姿の反面、下品な物言いやオネエ口調といい中々癖のある人物である。
片や相も変わらずシケた面を隠そうともせず、まずそうに飯を食う男。
華のあるビルと比較するとモブっぽさ全開のつまらない男である。
「なあなあ兄さん、俺はタツミってんだけど、兄さんはなんて名前なんだ」
「あ?」
席に着き、男に問いかける。男は匙を止め視線だけを俺に向けて威圧的な声を出す。
「名前、わっちゅあーねいむ」
再度問う。
視線を戻し、食事を再開する男。わかりやすい無視である。
「なあ兄さん、俺の何がそんなに気にくわないんだ?」
「おい、タツミ」
見かねたお嬢が制止するが気にしない。こちらは和睦の意思を示したが、無碍にしたのはあちらさんだ。だったら徹底抗戦である。意地でも仲良くしてやんよ。
「お互いガキじゃねえんだ。不機嫌です‐ってアピ‐ルしたところでママは慰めてくんねえ。だったらてめえでどうにかしようぜ。っつうわけで、何に怒ってるのか詳しく、じゃなきゃあ改善のしようもねえ」
「黙って聞いてりゃあ言ってくれるじゃねえか、ガキ」
男は顔に一層の不快感を示し、立ち上がって寄ってくる。
なだめるどころか怒りを買ったらしい。
「あとで隊舎の裏に来い」
男はトレ‐を持って、立ち去っていく。
去り際に俺にだけ聞こえる声量で熱烈なアプロ‐チを受けてしまった。
どうしよう、俺のお尻の貞操が危ないのかもしれない。
行くべきか行かざるべきか悩んでいるところ、お嬢とビルが熱烈な視線を向けてくる。
やめて、俺のお尻のために三つ巴で争わないで。
「タツミ、お前というやつは」
「坊や、さすがに今のは私でもどうかと思うわ」
撤回。熱烈どころか冷め切った視線で呆れられていた。
「なんでだ、俺はあいつと仲良くしようとしただけなのに」
「どこかだ。私には喧嘩を売ってるようにしか見えなかったぞ」
「すごいわね、この子。ねえ隊長、この子ってずっとこんな感じなの?」
「おおむねこんな感じ。馬鹿なやつなんだ」
お嬢の奴は俺を見て笑っている。チョロ可愛いの権化にそういわれるのは誠に不本意だが、笑顔が可愛いので許す。
「ふ‐ん。そう、隊長ってばこの子にぞっこんなのねえ」
「にゃにゃにゃ、にゃにをばかなっ」
顔を真っ赤にした猫がいる。にゃにものにゃんだ。
「やだ、お嬢に愛されちゃって俺ってばつらい」
「何を言ってるんだ、馬鹿者」
「あら、あらあらあらまあまあまあ」
照れるお嬢と俺を見比べるビル。何があらまあなんだ。
「お二人ってもしかしてもしかするとそういう関係?」
どこに感づく要素あったんだよ。エスパ‐か。
「にゃにを言ってるんだきしゃまはっ」
出たな、噛み噛みお嬢ねこ。いや、噛み噛みねこお嬢のが可愛いな。
「落ち着くんだねこお嬢。こういうときは毅然とした態度で落ち着いて否定するんにゃ」
噛んだ。
「い、一体にゃにを根拠にそんなことを!」
「勘よ。女の勘」
勘だ。
「ふむ、なるほど。勘か」
「ええ、勘よ。私の勘ってよく当たるのよね」
「ところでタツミ、ねこお嬢ってなんだ」
お嬢、突然我に返るな。
「お嬢、気にするにゃ」
「気ににゃる」
お嬢のこういうノリの良さ、好きだわあ。
「可愛い」
「にゃ、にゃにを言ってるんだ、馬鹿者め」
顔を真っ赤にして逸らした。照れ顔いただきました。
「ねえお二人さん、途端にイチャつくのやめてくれないかしら。独り身には毒よ、それ。猛毒すぎてイライラむかむかするのだけど」
「いや、多分もう否定しても無駄だろうなって。いっそ開き直っていちゃついてみた」
「あら。じゃあやっぱりそうなの?」
「一応、多分そういう関係?」
「なぜ貴様はそこで疑問形なのだ……」
「すみませんそうです!」
「あらまあ。意外と言ったら失礼だろうけど、やるわね、坊や。貴方のパ‐ティ、綺麗所多かったじゃない?さらには『女帝』の娘さんとも懇意にしてるようだし」
「本当によくまあご存じで。でも彼女らとはそういう関係じゃないし……」
脳裏に苦い記憶が蘇る。シトリィの好意に甘えて踏み出さなかった自分の臆病さが悪いのだ。
それをやれ寝取られたなどおこがましい。彼女の気持ちは彼女だけのものだ。俺のものではない。
男の愛は個別保存、女の愛は上書き保存、なんて言葉もある。
シトリィは一時的に俺を愛してくれたが、すぐにまた別の誰かを愛するようになる。
それが俺の離れた一週間ほどで起こっただけの話である。
本気で彼女を振り向かせたいのならば、諦めずに俺を再び愛してくれるように努力するしかないだろう。
「む、タツミ。何かよからぬことを考えてないか?」
「別に考えてないよ」
「はいはい、そこまでにしてちょうだい。イチャイチャするのは結構だけれど、あまり人目につかないようにね。隊長は人気なんだから、バレたら坊やが刺されるわよ」
「え、まじで?」
「まじよ」
「お嬢、人気だったのか」
「そっちなのね。そうよ、この容姿だもの。それに前までは近寄りがたい雰囲気だったけど、最近は砕けてきたおかげでマスコット的な可愛らしさが出てきたって評判よ。それもまあ賛否両論なんだけどね」
「なんだその厄介オタクの解釈違いみたいな抗争」
「言ってる意味がわからないけれど、色々揉めてるみたいよ。隊長は気高く孤高なのだ‐って人気と、最近の猫のようなきまぐれさが可愛らしいぞ‐って人気が分かれてるらしいわよ」
「へ‐。もしやお嬢が貴族ゆえに孤立してたって思ってたのって、遠巻きに見られてただけ?」
「その通りよ」
「や、やめろ!私が勘違いしてただけみたいな雰囲気を出すな!」
「実際その通りだったのだけど、私は今の隊長の方が好きよ、可愛いしおもしろいし」
「よくわかってんじゃん」
「ありがと。それに隊長をこんな風にした坊やにも興味あるわ。ねえ、今晩どうかしら?」
ビルは品を作り、俺の身体に寄りかかってくる。香水だろうか、いい香りがする。
「こらっ、ビルっ!タツミは私のだぞ、離れろ!」
お嬢が強引にグイッと引き離す。俺に男色のケはないものの、くらりと来るものがあった。これが魔性というものだろうか。
「冗談よ。まさか隊長と男を取り合う日が来るなんて思わなかったわ。なんだったら隊長でもいいわね、今夜どうかしら?」
「おおい待て待て待てい、恋人の前で浮気を誘うんじゃない!つうかさっきまで俺を誘ってなかったか!?」
「あら、いいじゃないの、ケチね。私には男女なんて性別、些細なものよ。気に入った人がいれば閨に誘う、それだけのことよ」
「両刀かよ!より性質が悪い!」
「あら、私の太刀に興味があるの?」
「下ネタやめろや!」
なんで刀は通じなかったのに太刀は通じんだよこの世界は!
「待って待って、ビルって名前だし、てっきり男だと思ったんだけど、男、でいいんだよな?」
「野暮なことを聞くのね、坊や。私はビルよ、性別なんて垣根を越えたビル。私の前では性別なんて粗末なことよ。男の気持ちも女の気持ちもわかるもの」
「煙に巻くなあ!ま‐じわっかんねえ!」
「男だぞ、男のはず、多分、男」
「お嬢、自信持って言い切って!」
「私にもわからん!」
「言い切っちゃったよ!」
「ふふ、女はミステリアスな方がモテる、これでいいじゃないの」
「あんた男だよなあ!?」
「ねえ、坊や? 強さってなんだと思う?」
「突然の話題!ついていけねえ!」
「鋼の如き屈強な肉体? 万物を斬り捨てる最速の剣? いいえ、私は優しさが強さだと思ってるの。どんな暴力も、どんな理不尽さえも笑って許せる、寛容さを持ち合わせた強く優しい心。それこそが私の思う強さ。私はそんな最強の人を知っているの。だから、私はその人にちょっとでも近づくために、憧れのあの人になるためにこんな口調を真似ているの。そしたらね」
「そしたら?」
「身も心も乙女になっちゃった」
「心は乙女かもしれんが、身は男だろ!真面目に聞いて損したわ!」
「珍しいな、ビルがそんな話をするなんて」
「ふふっ、変わった隊長を見てたら私も話したくなっちゃった。ねえ、隊長?」
「なんだ?」
「私が今ここにいる意味、わかってるんでしょう?」
「‐‐わかったんだな?」
「ええ、もちろん。アッシュ隊長にも伝えたわ。近々事態は大きく進むはず。今度こそ決着がつくわ。だからこそ、今だからこそ言うわね、隊長。今の貴方の幸せはきっと死地に赴かずともあるはず。坊やと二人で平穏に過ごす、そんな女らしい幸せを掴んだって誰も咎めはしない。除隊しなさいな。除隊せずとも、今回の作戦を辞退する、それぐらいは許されるはずよ」
「ありがとう、ビル。私の事を心から案じてくれていること、他ならぬ貴方だからこそ信じれる」
「だったら」
「でも、駄目なんだ。今ここで前線を退くことは、私が絶対に許さない。私があの日救えなかった仲間達、彼らが生きていればもっとたくさんの人たちを救えたはずなんだ。その彼らの分まで私は救わねばならない。私だけがのうのうと生き延びて幸せになることを、私は絶対に許せないんだ」
「……きっと、貴方の仲間たちの中には人を救うことより、何より貴方の幸せを願った人もいたはずよ。それでも貴方は行くの?」
「ああ。私は行くよ」
「危ないわよ」
「承知している」
「死んじゃだめよ」
「もちろん」
二人は見つめ合い、やがてビルがふうと諦めて嘆息をつく。
「やっぱり隊長の頑固さまでは変わらないのね」
「ああ。私は頑固なんだ」
「ねえ坊や、貴方黙って聞いていたってことは隊長の事、知ってるのね?」
お嬢の過去の事。かつて家出をし、パ‐ティを組んだ。その時の仲間を喪ったことだろう。
「多分な。アッシュからちらっとは聞いた」
「む、なんだ、隊長も人が悪いな。タツミにはいずれ私の口から話そうと思っていたのに……」
「ああ、聞くよ、聞かせてくれ。お嬢の事、その仲間の事。いつだっていい、お嬢から聞きたいんだ」
「‐‐ああ、ちゃんと話すからな!私の自慢の仲間達なんだ!」
お嬢は溌剌と笑う。彼女の仲間達のことは彼女の心に黒い影を落とすだけでなく、しっかりと今を生きる糧となっている。惜しむらくはその仲間たちが亡くなっていることだが、貴方達が守ってくれたおかげで今のお嬢がいる。感謝してもしきれない。
「じゃあお願いね、坊や。くれぐれも隊長をしっかりと守ってあげてね」
「任せろ」
「といっても、私の方が強いがな!」
ふんと鼻息を鳴らし、形のいい胸を張るお嬢。妙なところで子供っぽい。
「こんな感じで危なっかしいから、この子」
「重々承知」
「おいなんだその目は!」
ビルと二人で子供を見るような慈愛の眼差しでお嬢を見てるだけ。
「死なないでね、二人とも。私は貴方達二人の事、すごく気に入ったから。よかったら三人で一緒に寝ましょうね?」
「それは却下」
「台無しじゃねえか!」
今までの空気返せ!
「ところで、なんでこんな物騒な話になったの?」
「あら、ごめんなさいね。おそらく今日にでもアッシュ隊長から話はあると思うから。楽しみにね」
長い長い朝食を終えた。




