隊舎での日々
「さあタツミ!卵焼きを食べるぞ!」
食堂の列、背後で卵焼きジャンキ‐がご機嫌な様子で騒いでいる。卵焼き卵焼き、と鼻歌交じりで待つ様子はさながら子供だ。
「おばちゃん、いつもの」
「あいよ!」
出されたのはぷるぷるの黄身が燦然と輝く目玉焼きとかりっかりに焼かれたベ‐コン。きつね色のト‐スト。
俺ぐらいになれば二日目で常連同然なのよ。単純に先日の喧騒が食堂のおばちゃん達に知れ渡って、仲良くなっただけなんだけどね。
「なんでだ‐!」
またしても後ろで卵焼きジャンキ‐が喚く。
なんでもなにも、食堂での卵料理は目玉焼きか卵焼きの選択式だ。どちらかしか食べられないなら俺は目玉焼きを選ぶ。食い物ぐらいは好きに選ばせてほしい。
食堂には一卓四人掛けの机が整然と並んでいる。席は自由であり、各々が気心の知れた者と座り、談笑している姿が多く目につく。
新参者の俺にはそんな相手もおらず、また完成したコミュニティに新たに入り込む度胸もない。
自然と未だ誰も座っていない無人の席を探し、腰かける。
すると、お嬢も淀みなく着いてきて俺の正面に座った。
「お嬢、指定席空いてるぞ」
見れば食堂の真中、先日お嬢が一人仏頂面で座っていた机がまるっと空いている。てっきりそっちに座るものかとばかり。
「む。なんだ、私がここに座っちゃいけないのか」
「そうじゃねえけど」
「だったら私がどこに座ろうと自由だろう」
「ちげえねえ」
「ならばよし」
お嬢はうんうんと鷹揚に頷いている。
思わぬ同席に面を食らうも、ここで自らの思うように事が進んだ試しがない。観念して食事を始めた。
「いただきます」
「いただきます」
食べ辛い。思っていた以上にずっと食べ辛い。
一挙手一投足をお嬢がジッと見つめてくるのだ。怒らせるようなことをしたのかと思えば、急ににこにこと笑みを浮かべ、笑っているのかと思えば急に唇を引き締めて真顔になる。
お嬢百面相。
「お嬢、そんなに見つめないで、照れちゃう」
「な、睨んでいるのだ、馬鹿者っ。なぜ卵焼きを食べないっ」
「頼んでないからね、ないものは食べられないよ」
「ふむ…実にもったいない」
そう言いながら、お嬢は箸で卵焼きを掴み、自らの口へと運ぶ。
本日初めての食事だ。
「ん‐っ、おいしいっ!」
頬に手を当て、とろけた顔で破願する。可愛い。
常日頃からそのような顔をすればいいのに。
からんからんと辺りから箸を落としたような音がした。
「む。なんだ、お前こそそんなにじろじろと見るなっ」
「あ、わりぃ」
「なんだなんだ、そんなに卵焼きが欲しいのか、仕方のない奴めっ」
俺は何も言っていない。
「まったく、仕方のない奴めっ」
また言った。俺ってそんなに仕方ないのか。
ともかく、お嬢はそう言いながら俺の皿へと卵焼きを移す。
そういうのは仕方ないなあって言いながらはい、あ‐んってチャンスじゃないのか。
「ほらお嬢、仕方のない俺に仕方ないなあって言いながら卵焼きをはい、あ‐んってするチャンスだから」
俺は待っている。なんだかんだであ‐んしてくれるお嬢を。
「馬鹿者め」
お嬢は文句を言いながらも頬をうっすらと赤くし、席を立つ。
言ってみるもんである。
「なんだなんだ、タツミと隊長ってそんな仲だったのか」
イグル、お前もか。食事ぐらいゆっくり一人でとらせてくれ。
「席取りご苦労」
「残念ながら満席です、お引き取りください」
俺の言葉をガン無視してイグルが横に座った。そこはお前の席じゃない。
すると、お嬢も名残惜しそうにゆっくりと座った。
あ‐んはお預けらしい。ちくしょう。
「相変わらず目玉焼きか」
「かくいうお前は卵焼きか、裏切り者め」
「ここの卵焼きはうまいぞ」
「卵焼きを否定するつもりはねえよ、ただ朝は目玉焼きを食うって決めてるだけ。どちらかしか選べないなら目玉焼きだな、俺は」
「だったら俺は卵焼き、そんだけの話だな」
実際、先日お嬢の卵焼きをいただいた時は美味かった。
喋ってる横でお嬢がまたしても卵焼きを食べ、舌鼓を打つ。
その姿に思わず、息を呑む。
「なんだ、欲しくなったのか。本当に仕方のないやつだなあ、ほら」
お嬢はくすくすと笑いながら、俺の皿に卵焼きを一つ乗せる。最後の一つだ。
アッシュの話によれば、彼女は齢二十になるかどうかだったか。その微笑みは見た目や実年齢より若く、幼く見える。まるで少女だ。
その年の頃には彼女は同年代の少年少女とパ‐ティを組んでいたという。
ということは、その少年少女らは彼女のこの微笑みを日頃から見ていたのだろうか。
そのことを少し羨ましく思った。
「なんだか隊長、雰囲気少し柔らかくなりました?」
「む。そんなつもりはないのだが」
「いやいや。絶対変わったって。昨日まではこ‐んな目を吊り上げてたのに」
「ななな、何を言うか、無礼者めっ。そんなにきつい目はしてないわっ」
「いやあ、目はタツミの冗談だとしても、実際もっとつんけんしてましたって。話しかけるなオ‐ラが凄かったのに」
「そんなつもりはなかったのだが……。しかし、そこまで言われると、少し傷つくぞ」
お嬢は目を涙ぐませ、慌てて席を立ち、そのまま立ち去った。
「お‐い、イグル。言い過ぎたんじゃね」
「俺のせいなのかっ」
「実際雰囲気とかは軟化してる気がするけどなあ。なんというか女らしくなったっつうか、女々しくなったっつうか」
イグルと責任のなすりつけ合いを行っていると、ばたばたと周りの席の男達が駆け寄ってきた。
「おおいっ、お前ら隊長を泣かせてんじゃねえぞ!」
「そうだそうだ!ただでさえ隊長に近寄りやがって許されねえのにっ」
「よくも隊長を泣かせたやがったなっ」
「俺は隊長に泣かされたいのにっ」
「なにおうっ」
「なんだこのやろ‐」
なんか厄介オタクが解釈違いみたいなので勝手に揉め始めたんだが。
「「こいつが全部悪いんです」」
俺とイグルがお互いを指差し、責任を擦り付け合う。気が合うじゃねえか、相棒。
食堂でお嬢過激派達にお嬢の素晴らしさ、可愛さ、愛らしさを長々と語られてしばらく。
お嬢はいつも顔より先に歯を洗うって情報なんだよ、どうやって仕入れたんだよ、怖いわ。
結局お嬢に謝る機会も恵まれなかった。
ようやっと訓練開始とやらで解放されたと思いきや、俺の場合は拘束相手がアッシュに変わっただけだ。しかも訓練とは名ばかりの虐待だと思うんだ。
お互い防具もなしで対面する。
しかし対面するアッシュと俺とは決定的に違うことがある。武器の有無だ。
俺は武器を持たず、アッシュは木剣を持っていた。
受けることも反撃することも許されず、ただひたすら身体能力向上という名目で避けることだけに専念する。
大上段からの振り下ろしを半身をずらし、脇腹辺りまで振り下ろされた剣が返す刀で肩口まで目掛けたて切り付けられる。反対方向へ転がる。剣が追ってくる。慌てて体勢を立て直すも次は足元を目掛けて突きが放たれる。後ろに飛び退く。そんな応酬を繰り返す。
この攻防が数分だったのか、あるいは数時間だったのか。
何度か繰り返す頃には汗も止まらず、ろくに立ち上がることすらできやしない。
「いやあ、いいぞいいぞ。考えるより先に回避している、動きに無駄がなくなってきている。己を削り落とせ。最後に一刀、己が一刀で相手を仕留めることだけを考えろ。自分は一振りの剣、一刀は相手の命を斬り捨てるためにあると思え」
反面、額にいい汗をかいたと拭いながらアッシュがにこにこと微笑みながら恐ろしいことを言っている。奴の笑顔、出会って一番の笑顔だ。
「‐なぁっ、これっ、意味、あんのかっ」
体も起こせず寝転がりながら息も絶え絶えでなんとか訓練の意味を問う。
「安心しろ。努力は必ず結ぶ。成功する……などとは言わんが、何かしろの身にはなる、力になるから安心しろ。たぶん。おそらく。あるいは。きっと」
なんで言い出しっぺがそんな自信ないんだよ。
「まさか、お前の、ストレス発散のためじゃねえだろうな」
「まさか。そんなわけないだろう」
信じることができず、奴の顔を見ることができなかった。
「一体いつになったら俺はあいつらの元に帰れるんだ……」
「なんだ。もう仲間が恋しくなったのか」
「ギンのもふもふが恋しい…ハクに甘えたい…シトリィとイチャイチャしたい…」
「外出申請さえ提出すればいつでも仲間に会いに行けるぞ」
先に言えよ。
「で、俺はいつまでこの隊舎に居りゃいいんだよ」
「ゴルド‐の件が片付くまでだな」
「その片ってのは」
「ゴルド‐が弟を見限って、ゴルド‐の部下が引き払ったあとだな」
「受け身かよ。こっちからどうこうするってのはなしか」
「ゴルド‐が『夜哭街』から出てきたらいいが、こちらからは仕掛けられん」
「……なるほど」
俺は一生この隊舎暮らしかよ。
ちなみに翌日の外出申請をアッシュに提出したら、怒ったお嬢に却下された。
なんでやねん。
「タ‐ツミ‐!卵焼きを食べるぞ!」
朝食な。
卵焼きジャンキ‐、まさか毎日来る気なのか。
アッシュとの訓練、ひたすらしごかれた。奴は生き生きしていた。
「タ‐ツミ‐!卵焼き!」
俺は卵焼きじゃない。
今日は体調が悪いからとアッシュとの訓練はなし。隊長の体調が悪いとふざけてたらお嬢に木剣でぼこぼこにされた。どこかお嬢の機嫌も悪かった。汗で額に張り付いた髪が色っぽかった。
そのことを伝えたらご機嫌でぼこぼこにされた。お嬢が生き生きしてた。
このサディストめ。
「卵焼き!」
そっちを残すんじゃない。ガチで卵焼きジャンキ‐じゃん。
今日は朝からお嬢が生き生きしていた。アッシュから今日は真剣でやるぞと言われた。マジだった。
武器が髪を掠め、何本か切れた。頬を掠めた。切れた。痛かった。あいつ許さない。
いつか絶対ここから逃げ出してやる。
俺のプリズンブレイクはここから始まる。
翌日の外出申請、無事に通った。




