とある女の過去
「入るぞ」
木製の重たそうな扉を押し開けて、アッシュのいる執務室へと押し入る。
「ノックぐらいしろ」
部屋に入るなり、アッシュは日差しを背に書類仕事を進めていた。癪に障るが絵にはなる。
「えらくおもしろいことをしていたらしいじゃないか」
「知ってたんなら止めろよ」
「そんなもったいないことするわけないだろう。なんでえらくおもしろい体勢でいるんだ」
俺の股間を抑えるガニ股姿勢の事を言っているのだろう。
「ほっとけ、見慣れろよ。まだ痛むんだ」
「努力しよう。あと、実は俺も目玉焼き派だ。ソ‐スはかかせない」
「おまっ!お前えっ!お前があの場にいたら戦いの趨勢は変わっていたのに!」
惜しい。実に惜しい。この男があの戦争の場にいれば、もしかしたら戦いの結末は違っていたかもしれない。
「すまなかった。俺の力が微力なせいで」
「構わなェよ、同志。次こそ卵焼き派の奴らに一泡吹かせてやろうぜ」
「とまあ、茶番はさておき」
「俺の努力を茶番で済ませんな」
こっちは結構本気だったぞ。
「ツヴァイの事を話しておこうか。
三年ほど前になるか。ツヴァイがレイセン公に勘当される前、彼女は三か月程家出をしていてな。
その際には自らの身分を偽って冒険者紛いの活動をし、名前もない小さなパ‐ティを組んでいた。
年は皆十五歳、当時の彼女と同じ年齢の少年少女達だ。
全員が同郷で笑顔の絶えず、また実力のある将来有望な一団だった。
ある日、凶暴なモンスタ‐が森に出没し、彼女らは調査に赴いた。そこにいたのは本来であればそこに生息しうるはずのない凶悪なモンスタ‐。いち早く気づいた彼女らは逃走を図るも、敗走。一人一人と順番に死に絶えていく中、残った数人が決死の覚悟で立ち向かった。
ツヴァイだけを残して。
全員で散り散りに逃げる算段だったが、嘘だった。逃げたのは彼女だけ。残る全員は一斉にモンスタ‐に立ち向かっていった。
打ち合わせと違う、なぜ、どうしてと戸惑う彼女の背に、仲間たちの逃げろと叱咤する声を背に、ツヴァイだけは逃げおおせた。
無事に逃げ延びたツヴァイは近隣の村へと駆け込み、その村から応援要請を受けた俺達が討伐に向かった。
精鋭と呼べる部隊を率いてなお、少なくない犠牲が出た。モンスタ‐を討伐したあとに残ったのは無残に食い散らかされたツヴァイの仲間の亡骸。そして一振りの剣。
『贈り物』と称される武器だった。モンスタ‐は正真正銘、『迷宮』より生まれ落ちた『怪物』だった」
「もしかしてその剣って、腰のあれか」
「そうだ。彼女にとってきっとあの剣はかたきであると同時に、かたみでもあるのだろう。だが、俺は彼女があの剣を抜いたところを見たことはない、一度もな」
「いいのかよ、あれが『贈り物』だってんなら、普通の武器じゃねえんだろ」
「いいも何も、その『怪物』に止めを刺したのは彼女だ。ならば打ち取った者こそが持つべきだろう?」
「なるほど。お嬢はすでに仲間の仇は取ったのか」
「ああ。だが、それでもまだ彼女の中で燻っているのだろうな。もしあの時、自分も逃げずに立ち向かっていたら仲間達と共に『怪物』を倒せたのではないか、とな」
「お前の見積もりでは、どうよ」
「……正直、無理だっただろうな。骸が増えるだけだっただろう。だが、人間なんてそんな物分かりのいい生き物ではないだろう。あの時ああしていれば、こうしていればなどと無駄な足掻きとわかっていても、足掻かずにはいられない」
「お父様に勘当されてやっとレイセンじゃなくなったと思ったのに!貴族っていう理由で生かされるんじゃなく!やっと私も皆と肩を並べて、皆と共に死ねると思ったのに!」
お嬢の悲鳴じみた慟哭。その言葉が腑に落ちた。
彼女は死にたくてああ言ったのではない、皆と生きたかったのだ。
生きるために足掻きたかった。皆と一緒に最後まで戦いたかった。
最期の時を共にすると思っていた仲間たちに裏切られた彼女の孤独はどれほど寂しかっただろう、悲しかっただろう。きっと、だからこそ彼女は孤独を恐れるのだ。
「彼らがどんな思いでツヴァイを逃したのか今となってはわからん。
彼らが我が身を惜しんで、たった一人、己だけ逃げても誰も責めはしない。当然だ、誰だって我が身が惜しい。だが彼らはそうせず、ただ一人、ツヴァイを逃すと決めていた。そしてツヴァイは逃げおおせ、近隣の村に逃げ込み、応援を出して俺達が出向いた。彼女がいなければもっと犠牲者は増えていた。
彼らの故郷の村人がツヴァイの無事を喜んだ。自らの子らを亡くした親さえも、ツヴァイが無事であるならば、きっともっと多くの人間を救えると。
彼女は英雄たりえる傑物なのだと。
俺もその現場にいたが、眩しすぎた。異常と思えるほどに皆が優しく、眩しかった。
誰しもが掛け値なしにツヴァイの無事を喜んでいた。それほどまでにレイセン公は民から慕われ、その娘であるツヴァイもまた愛されていたのだ。
だがな、のちにわかったのだが、ツヴァイの仲間たちはツヴァイが貴族の娘であることはわかってはいたが、レイセン公の娘だとはわかっていなかったらしい。
つまり、彼らはツヴァイだからこそ彼女を生かしたのだ。だが、ツヴァイはあくまで貴族だから生かされたと思っている」
そのことが彼女の中で貴族というコンプレックスを肥大化させたのか。
自分は貴族である、その血筋のみで生かされたのだと。
「そのことは話したのか」
「ああ。だが無駄だったようだ。
この事件のあと、彼女はしばらく塞ぎこんでいたが、しばらくすると日常を徐々に取り戻し始めた。
だがやはり、彼女の中で己が貴族であるということが相当苦になっているらしく、レイセン公も苦肉の策で勘当という形を取られた」
「形を取られた?」
妙な言い回しだな。
「ああ。レイセン公も優しいが不器用な方でな。苦しんでる娘を見放すような真似だが、形だけでもツヴァイをレイセン家から引き離すことで少しでも彼女の貴族であるという負担を減らす考えなのだろう。実際、彼女が望めばいつでもレイセン家には戻れる」
そういわれると理解はするが、なんというかもっと何か手があるんじゃないだろうかとも思えるが……。
「わかるぞ、お前の言わんとするところ。だが本当にあの方は不器用でな。苦肉の策といえど、もっと何かあるんじゃないかと俺も思うが……」
アッシュは何とも苦々しい表情。
レイセン公の事も知っている上に、ツヴァイに対してもっといい働きかけ方があったのではないか、そう思うも浮かばない事がもどかしい。そんなところだろう。
「とにもかくにも、変な親父だな。そのレイセン公ってのは」
「……言ってくれるな。ただ本当に不器用な方なのだ、一人娘の愛し方もわからぬぐらい」
ごほんとわざとらしく、とにかくと場を仕切り直そうと言葉を紡ぎ始めた。
「今回の事で彼女の中のわだかまりを溶かす一助となればいいが」
「……お前、中庭にいなかったよな?」
「いなかったぞ」
アッシュは白々しく、目を逸らす。
彼の背後の窓に歩み寄り、外を見下ろす。中庭がすぐ下にあった。
中庭で談笑する隊士の声が丸聞こえだった。
「なんてこったい。筒抜けじゃねえか」
そら子細承知だろうな。
「それでどうだ。ツヴァイと戦った感想は」
何事もなかったかのようにしゃべり始めやがった。
「お嬢ってば、ふざけてる割に強いんだよなあ」
「主にふざけてるのはお前だと思うぞ」
「でもまあ剣速もお前程じゃないし、魔法だってタネが割れりゃあなんとかなりそう。勝てなくはないかな」
「言うじゃないか。剣の腕なら隊の中で、三、四番手、魔法込みの乱戦なら俺と同等ぐらいだぞ」
「お前と同等‐?」
不可視の一撃を放つお前と?
どう見繕ってもお嬢はまだその域に至ってないだろ。
「ハハッ!信じてないな、その目は!」
「いやあ、誇大評価しすぎでしょ」
「まあ、将来性を買っての評価だがな」
「そらそうだ」
「その点、お前だって負けてないぞ」
「そらどうも」
「やはりお前はいいな。ちゃんと物を見ている。考えている。目がいい。反応速度も上々」
「お、おお……」
なんだろう、ムズ痒い。あまり褒められ慣れてないからか。
「だが、まだ齟齬がある。目視してから思考を挟む。それが悪いとは言わんが、反射で済むものはそうしろ。考える前に避けろ」
考えるんじゃない!感じるんだ!
要は取捨選択をしろと。無駄な思考をかなぐり捨てろと。
まあ常に無駄な思考は多いなと自分でも思う。スイッチのオンオフの切り替えを必要としなければならないと。
「善処します……」
「そうなるとやはり視認してから回避するまでの若干のズレが気になるな。これはおそらく思考を挟んでいるからではない、単に身体が追い付いていないんだろう。
ふむ、特訓するか?」
「するとなるとどんな訓練よ?」
「お前が視認できるギリギリの速度の攻撃で回避を続ける。そうすれば目に身体が追い付いてくるだろ」
スパルタすぎる。要は常にギリギリの斬撃を浴びせられるってことだろ!
俺は別にアイドルになりたいわけではない!ギリギリで生きていたいわけではない!余裕をもって生きたい!
「ついでに言うと、生き物である以上、傷を負えばパフォ‐マンスが落ちる。傷を負えば庇おうと動く、無意識にな」
「と言いますと?」
「一撃でも当たれば容赦なく削ぎ落す」
「何をでしょうか」
「ナニだろうなあ、命だろうかなあ」
本当にギリギリの特訓らしい。
もおほんとうやだ。
「かつて『迷宮』に潜った冒険者が言った。知恵だけでは倒せない。力だけでは進めない。勇気だけでは何も為せない、とな。知、力、勇気。全てを兼ね備えろ、タツミ。強くなれ、お前はもっと強くなれる。そして俺はこうも思う。
いずれ来る厄災の時、『夜』の時代から世界を救うのは一騎当千の猛者や万夫不当の勇者ではなく、まさしく万の英雄たちこそが世界を救うのだと」
たった一人の勇者ではなく、万人の英雄。
「お前はそんなに英雄がいるって思ってんのかよ」
「思っている。弱かった俺が『剣鬼』などと呼ばれ、認められている。強くなったと思っている。だが、まだまだ高みへと行ける。俺でさえ強くなれたのだ。もっと多くの人間が俺同等に強くなれる、俺より強くなれる」
こいつは期待しているのだ、全ての人間に。
人間が強くなればきっといずれ来たる『夜』と称される『怪物』達が跋扈する時代を勝ち抜けると信じている。
‐‐眩しいな。
こいつはきっと性善説を信じているんだろうな、なんて考えていた。
いつか人間にとってつらいことが起こった時、きっと皆で手を取って助け合い、生き抜けると信じているんだろうな、なんて。
そんな風に考えてしまった自分が酷く矮小に見えて、惨めな気持ちになったことを俺は忘れない。
アッシュとのリアルでフェイスな特訓を始める初日。
「タ‐ツミ‐!食堂へ行くぞ!今日こそ卵焼きの素晴らしさを教えてやる!」
卵焼きジャンキ‐が部屋に押し寄せてくるようになった。
美女が起こしにきてくれるって幸福のはずなのに、理不尽が大挙をなして押し寄せてきたようなこの気持ち。
「きゃっ!お嬢のえっち!せめてノックぐらいしてよ!」
「む、すまなかった。部屋の外で待つことにする!」
えらく素直で拍子抜け。かえってなんだか怖くなってきた。
「よし、イグル。部屋の窓から脱出するぞ」
「おおい相棒、寝ぼけ眼の俺に何が起こってるか説明してくれ」
珍しく起きるのが遅かったイグルがベッドの上で目を擦っている。
起き抜けで呂律も頭も回っていないのだろう。
「卵焼き派の討ち入りだ!逃げるぞ!」
「なに‐、それは大変だ‐」
もぞもぞと姿勢を戻して布団をかぶりなおした。なんという頼もしき相棒か。
「馬鹿め!聞こえているぞ!」
開き戸をバンと勢いよく開けるお嬢。くっ、遮音性に難があるぞこの安物件め!
「くそう!俺の唯一の憩いの場の朝食を卵焼きに邪魔されてたまるか!」
「なあに、すぐに貴様も卵焼きのとりこにしてやる!覚悟しろ、タツミ!」
もうだめだ、奴はすでに脳みそが卵焼きに毒されている!手遅れだ!
「起きろイグル!隊長命令だ!起きてタツミを捕らえろ!さもなくば貴様の朝食も目玉焼きにするぞ!」
「イエスマム!」
バッと勢いよく布団が捲られ、イグルが起き上がる。
先程までの緩慢さはどこへやら。これが訓練された隊士の機敏さか。あるいは卵焼きゾンビの力なのか。まさかそこまで朝食が目玉焼きになるのが嫌なのか。目玉焼きを罰のように扱うんじゃない!
「くっ!離せ!卵焼きゾンビめ、なんという力だ!」
腰にしがみついてくるイグルが引きはがせない!
「よくやったぞイグル!褒美として朝食は卵焼きだ!」
「うわああいっ」
馬鹿な、それは既定路線だ!
「さあ行くぞタツミ!今日はお前も卵焼きを食べるのだ!」
がしっと首根っこを掴まれ、廊下を引き釣り回される。向かうは食堂。頭の中ではドナドナの歌が響いていた。
おうちにかえりたい。




