第一次目玉焼き対卵焼き派閥戦争
「なあおまえさん、なにしてんだ?」
あきれた顔でイグルが問うてくる。
「なにしてんだもなにも、卵焼きをぱくったら模擬実戦訓練とやらを挑まれたから」
ツヴァイの卵焼きをぱくってぱくっただけだ。
その結果、お嬢から喧嘩をふっかけられ、後でおめえ中庭来いやと一昔前のヤンキ‐さながら何の捻りもなく誘われた次第。
ありがたいデ‐トのお誘いに部屋に戻って身支度を整えている今現在である。
「ああ、そうじゃねえ、そうじゃねえんだよ。俺、言ったよなあ!ツヴァイ隊長は本来話しかけるのも恐れ多い人だって!」
「そんなこと言ってったっけか」
「言った!確かに言った!」
「え‐、でも実際、お嬢に話しかけても嫌がりはしねえじゃねえか。話しかけるなとも言われねえし、貴族だからって笠に着るような感じもねえし。勝手にお前らがお嬢が貴族だとか自分が平民だ‐とかって勝手に壁作ってるだけじゃね?」
「そりゃ…否定はしねえが、あの人が自ら貴族と名乗ったのを見たことも聞いたこともねえけど!」
「だったらお前、単に怯え過ぎだと思うがね。お前らから歩み寄ってみろよ」
「おまえさんはわかってねえんだよ、貴族と平民の格差ってやつを!」
「わかるかよ、言ったろ。俺んとこにそんな制度ありゃしなかったんだって」
「だったら!」
「でもよ、お前はずっと貴族貴族って怯えてっけどよ、お嬢がそのお前が言う貴族と一緒なのかよ? ツヴァイって人間と話したいんじゃねえのか?」
「‐‐ッ!もういいッ!好きにしやがれッ!」
自分から話しかけてきて、癇癪を起して去っていく。なんとわがままか。あやつもお嬢だったか。
しかし、病的なまでに貴族とやらを恐れていた。貴族恐怖症候群とでも名付けようか、貴族シンドロ‐ムの方がいいかな。
貴族と平民、生まれ持っての隔たりは思ってるより大きいようだ。
その隔たりをどうにかしよう、できる、などと自惚れはしないが。
卵焼きが好物な庶民的な大貴族様と世話好きで物好きな同居人ぐらいの仲ぐらいはなんとかしてやりたいものだ。
「ごっめ‐ん、待った‐?」
「遅いッ!」
なんと彼氏甲斐のない女だ。そこはううん、私も今きたところ‐って言うところじゃないのか。知らんけど。生まれてこのかたデ‐トなんてしたことないから知らんけども。
「やだ、お嬢ってば今日もキュ‐ト!その銀の胸当てがいいアクセントッ!」
「お、おお、ありがとう…?」
「じゃあどこから行く?どこか行きたいところある?」
「どぅえーい!いきなり手を掴むな、離せい!なんだいきなり貴様!婦女子の身体に触れるなど!」
「え?腐女子?お嬢ってそっちの趣味あったの?」
「また意味不明なことを言いおって!」
「そかそか‐。お嬢は今日はお疲れか‐、じゃあお部屋でまったりデ‐トとするか!」
「誰が貴様なぞとでででで‐となど!」
大王みたいに言わないの。
「え‐じゃあ何するの?」
「言っただろう!模擬実戦だ!」
「「「うおおおおおっ!」」」
拳を振り上げ、声高に叫ぶお嬢。そのあとに何故か中庭に集った男どもの野太い歓声。ノリノリである。
「ぶちのめせ!」
「いいぞ、新入りの歓迎会だ!」
「隊長!生意気な小僧にひいひい言わせてやってくだせえ!」
お嬢にならベッドの上ならいくらでも言ってあげるんだけどなあ。
「ききき貴様、なんだその不埒な顔は!スケベな顔で私を見るな!」
「ひいひい」
「せめて会話をしろ」
「はあい」
「はいは一回!きびきびと答えろ!」
「イエスマム!」
「ふっふっふ!まあいい、生意気な貴様をこてんぱんにしけちょんけちょんのぎったんぎったんにするのが私の楽しみだったのだ!隊長に嘆願し予定を変えて模擬実戦にまで変更したのだ!さあ、私を喜……楽しませろ!」
「え‐、隊長ってアッシュでしょ?何してくれてんの、新入りいびりはんた‐い!」
「木剣での訓練になってしまったのは心底残念だ。真剣で切り刻みたかったのだが……」
おおい、可愛い顔して何言ってんの。肩を落としたって無駄だからな!
「いびりって次元じゃねえな!猟奇殺人だわ!」
「まあいい、生意気な貴様を木剣でぼっこぼこにしてひいひい言わせてやる!」
お嬢は頬を紅潮させ、息を荒くしている。おっかねえ、サディストだこの娘っ子。
部下たちに顔を見られなくてよかったな、見られてたらドン引きされてたぞ。
「嫌だねェ、これだから貴族様は。市民をいたぶって悦に浸ろうとして」
俺のぼやきに対し、お嬢は表情を変えた。
眉を八の字に歪め、唇を横一文字へと結び変える。ムッと怒りをこらえた表情。先ほどまでの喜びとは一変した。
「……貴様もなのか」
声は歓声に紛れ、聞こえない。だが僅かに動いた唇はそう動いていた気がした。
「貴様、私の名前を言ってみろ」
「お嬢」
「違う!」
今までのおふざけの否定ではなく、本気の怒声。
「ツヴァイだろ。ツヴァイ・レイセン」
「やっぱり……そうなのか……」
そう言いながら、酷く寂し気な顔をした。
今にも泣きだしてしまいそうな子供の顔。
否定材料を探しながら、確信に至ってしまった。
彼女の中でも貴族、という言葉は特別な意味を持つらしかった。
試すためとはいえ、不用意に発した言葉でお嬢を、彼女を酷く傷つけた。
すまなかったとここで謝ることは容易いが、それだけで彼女の中の隔たりは、貴族という言葉のわだかまりはなくなりはしない。もっとしっかり向き合わなければいけない。
「もおいいっ!始めるぞ!」
お嬢が開始を急かす。
「ちょっと待った。それより先に大事なことがある!」
「なんだ!」
この模擬実戦には大事な意味がある。それを今一度明確なものにしなければならない。
「半熟派も完熟派も、ソ‐スも醤油も今は関係ねえ!お前ら!朝食といったら目玉焼きだよなあ!」
そう‐‐目玉焼きと卵焼きの威信を賭けた代理戦争を俺達は行っている‐‐!
民衆に語り掛ける。朝食といえば目玉焼きだと。目玉焼きこそ至高だと。目玉焼きを食べてこそ一日が始まるのだ。強く民衆に語り掛ける。その熱い語りに民衆は。
誰一人として応えてくれない。
先程までの歓声は水を掛けられたかのように静まり、物音ひとつ聞こえない。
おかしい。
「おおい!イグルゥ!せめてお前ぐらいは!」
俺の呼びかけに対し、お嬢の後ろに立つギャラリ‐はモ‐セの十戒さながら左右に分かれ、全員が後ろを振り向いた。最後尾にいたイグルへの道が綺麗に開かれる。
炙り出されたイグルはどうするのかと思いきや、自らもさっと左によけ、後ろを振り向くが、当然そこには誰もいない。結果誰もいなくなった。
ふざけんな!
「ちくしょう!新人いびりが酷すぎる!全員卵焼き派かよっ!」
「馬鹿め!自らの人望のなさを呪うがいい!」
来て早々で人脈も人望もあるか!
「聞け!皆の衆!朝食といえば!甘い卵焼きだよなあ!」
「「「おおおおおおっ!」」」
お嬢の掛け声に観衆の声が重なる。
お嬢はそれで満足したのか、ふふんと自慢げに鼻を鳴らし胸を張る。
胸当てに覆われた形の良いお椀型の美乳がつんと上を向く。
むかついたので想像の中でその胸を揉みしだき、お嬢のよがる姿を想像してなんとか溜飲を下げた。
お嬢らの一致団結ぶりを見ると、貴族だの市民だのそんな垣根も感じられず、全員で俺をいびりにきている。その結束に微塵の綻びも感じない。イグルの話はきっと全部嘘だ。うん。
「よ‐し!ヤるぞ!」
「「「おおおおおっ!」」」
やるか‐、殺るなんだろうな‐。やだなあ。
「両者、構え!」
審判を担う男が号令をかける。
居合の構えを取ろうとすると、腰に木剣のずんとした重みが感じる。
愛刀である『無明』ではない。あの刀は不思議と重みを感じさせず、自らの腕の延長のように使い勝手がいいが、今回は訓練用の木剣である。当然重みがある。
その重みのせいで普段通りの居合がこなせると思えず、眼前に武器を構える。正眼の構え。
対するお嬢を見ると、腰を低く据え、頭の横で木剣を横に構えている。
踏み込んで突きを放つ。一目でわかる構えだった。
「始めッ!」
緊迫した空気の中、合図の直後、お嬢の姿が一際大きく見えた。間近に迫ったお嬢の寸分が狂ったのだ。
先に仕掛けるつもりだったが、完全に後手に回った。
気づいた時にはお嬢は懐に入り込んでおり、下から木剣の切っ先がびょうと凄まじい風切り音と共に顔面へと迫りくる。
自らの木剣を引き戻し、切っ先へとぶつけて逸らすと顔面の直撃を免れたが、頬を掠めてちりりと肌を焼くような痛み。その直後に肩口へとごずっと凄まじい打撃音が鳴り、視界が明滅する。危うく意識が飛びかけた。
‐‐このままではまずい。
そう直感し咄嗟に木剣を振り下ろすが、空を切る。
見下ろすとすでにお嬢の姿はそこになく、三歩程下がった位置に立っていた。
「ほほう、やるではないか!初撃の突きをいなす者もそういないぞ!誇れ!」
なんとまあ傲岸不遜な。
「まあさすがに二撃目はそうはいなかったようだがな!あれは無理やり軌道修正するから力が入らず、浅く切りつける程度だが、木剣だからこそ打撃として丁度いい!」
成程。突きをいなしたあとに弾かれた木剣を無理やり肩にぶつけたらしい。
ご丁寧にご説明をどうも。
「あれまあ。貴族様は平民ごときに何をしたのかご丁寧にご説明くださるんですか。余裕ですなあ」
「む……」
本来、懐に入り込んで突きを連打なり、お嬢ならばできたのではないか。
敢えて肩を切りつけ、潜り込んだ懐からも自ら脱した、そんな気がする。
「はああ。貴族様は凄いですねえ、余裕ですねえ。平民ごときに本気を出すまでもないってか?」
「むむむ……!なんだのだ貴様はあっ!先程から貴族だ貴族だってうるさいなあっ!貴族がそんなにえらいのかあっ!」
「いや、知らん。お嬢ってえらいの?」
「えらい!」
「お嬢ってエロいの?」
「死ね!」
「なんだよ、つまんねえなあ。のっかってくれよ」
「うるさいうるさいうるさい!私だって貴族に生まれたかったわけじゃない!」
「ははあ、そりゃあ恵まれた者のわがままってもんですよ」
「貴族だって羨ましがられても知らん!代われるものなら代わりたい!」
「そりゃ無理だって。どうあったってお嬢がツヴァイ・レイセンその人であることに変わりはねえよ」
「私だって街に出て皆と遊びたかった!やりたくない習い事なんてせずに!」
「知らねえって。だったら誰にも指図されないぐらい偉くなればいいじゃねえか」
「お父様の目を盗んでやっと遊べると思ったら、レイセン家レイセン家!けがをさせてはいけません、なんて!」
「だから知らないんだって、お嬢。俺は何の独白を聞かされてるんだよ。言ってるだろ、偉くなりゃあいいじゃねえか。レイセン家のツヴァイじゃなく、ツヴァイ・レイセンその人を知らしめりゃあいいんじゃねえの。じゃじゃ馬で、お転婆で、チョロい。何しようがツヴァイだから、ツヴァイ・レイセンだからと誰しもが納得させろよ」
「知ったような口を!」
「ずっと知らないって否定してるんだけど。俺の話聞いてくれてる?」
「お父様に勘当されてやっとレイセンじゃなくなったと思ったのに!貴族っていう理由で生かされるんじゃなく!やっと私も皆と肩を並べて、皆と共に死ねると思ったのに!」
「聞いてないね。断片的にしか俺の話聞いてないね。なあに、お嬢。死にたくて隊の奴らと一緒にいるの?」
「違う!そんなわけない!生きるために戦ってる!皆と一緒に生きるために!だから!今度こそ!死ぬときは皆と一緒がいい!」
「なんつうか、狂ってんなあ。距離感下手くそかよ、いきなり皆と一緒に手を取って死にましょう、なんてどんな信頼関係ありゃあできんだよ。無理、俺には一生無理。ゆっくり話し合って距離感詰めようぜ」
「どんな話をすればいいんだ!」
「他愛ない話でいいんだよ。好きな食べ物の話、今日や明日の天気の話、惚れた女の話。ゆっくりゆっくり話しあって信頼関係築けゃあいいんだよ。都合よく生きようぜ、ツヴァイ・レイセンとして生まれたんだから、貴族として生まれたから都合よく。貴族だから得をした、貴族だから損をした、全部全部都合よく。どう否定しようが肯定しようが生まれ持ったもんは変わりはしねえんだから」
「都合よく……?誰しもがお前のように図太く生きれると思うなよ!」
「生きれるかどうかなんて知るかよ。できるできないとか知るか、やれ。やる前にできないなんて自分で自分に蓋をしてるやつなんぞ知るか。じゃあやれ」
「くっ……!」
お嬢は憤懣遣る方ないご様子で顔を真っ赤にし、握りこぶしは震えている。
本当、言い分わがままお嬢様だなあ。
隠れサディストのお嬢にはきっと堪えるだろうなあ、プライド高そうだし。
今もくっ、とか言っちゃって。辱めを受けるぐらいなら!とかいって舌嚙んじゃいそう。
あ、くっとか言っちゃうのは騎士とかだっけ。
「ね‐え、もういい?俺っち、疲れたよ。なんで模擬実戦訓練が舌戦になってるの?ディベ‐トしちゃう?」
「むかつくむかつくむかつく!なんなのだ貴様は!」
「どうも、タツミです。タっちゃんって呼んでね。あるいは好き好きタっちゃん愛してるでもいいよ」
「貴様の粗末なピ‐をピ‐して家畜に食わせるぞ!」
おっかねえ。この娘が貴族とか絶対嘘でしょ。品性こそ家畜に食わせたのかな。
「そういやこの訓練ってどうしたら終わるの?」
「はっ!寛大な貴族である私は貴様が一本取るか、泣いて謝るか、死ぬかで許してやろう」
うわあ、まあた胸を張ってなんか言ってる。とんだ暴君だ。早速貴族を笠に着てるよ。
でもまあ、こんなんでいいじゃないの。
「寛大なるシトリィ様に感謝致します。うう、私が悪うございました、うう」
「下手な泣きまねがムカつくから死ね」
「え‐、死ぬのやだ‐」
「じゃあ私から一本取ったら許してやろう!」
「ねえ、俺の意思で終わる術なくない?」
「ないな!」
無茶苦茶だなあ。一本取るまで終われないそうです。
「え‐、じゃあ頑張るから、タッちゃん頑張って!って応援してくるか手を抜いてくれる?」
「よし!私も本気を出そう!」
お嬢はむん!と気合を入れた。ポ‐ズ的になんか毛が逆立って金色に輝きそう。
しかし、実際にはお嬢の頭上に水風船にようなものが浮いている。
「ナニソレ」
「実は私は剣よりも魔法の方が得意でな!ご覧の通り、水を扱えるぞ!まあ魔法を使うのは嫌いなのだが!」
「じゃあなんで使うの?」
「本気だからな!都合よく行くぞ!」
「意味がわかんないんだけど、俺にはひたすら都合悪いんだけど」
「むしろ都合がいい!」
「本当わかんない!」
「よ‐し、行くぞ‐!『穿て!』」
水球だったものは槍のようなものに形状を変え、射出される。
「うわっぶねっ!」
片足をあげ、直撃を免れる。
足元の土が抉れ、小さなクレ‐タ‐ができ、煙をあげている。
しかも穿てって、貫く気満々である。
「ナンデ」
どうして水で土が抉れて煙が上がるの。教えてエロい人。
「外したかあ」
教えてくれなかった。
「木剣でぼこぼこって話は?」
「蜂の巣になってぼこぼこ」
あなぼこやんけ。
かつてないほどの笑顔である。向けられたのが俺じゃあなきゃ惚れちゃうね!
「死んじゃうんですけど」
「安心しろ。骨は拾ってやる」
安心要素は皆無。
もう本気で殺されそうなんですけど。
一本取らなきゃ終わらないらしい。取れる気しないんだけど。
「さ‐あ、よしいくぞ‐!」
お嬢は元気よくブンブン腕をぶん回している。水球の射出には全く関係がないので、無意味である。
きっとやる気の問題なんだろう。ヤる気の。
俺をヤるんだろうなあ……。
どうしてここまで嫌われてしまったのだろう、ちょっと凹んだ。
お嬢との間合いは試合開始前と同じ距離に戻っている。
お嬢は木剣はどこかに捨てたのか、無手である。となると攻撃手段は先ほどの水球だろうか。
槍の射出速度はなかなかだが、避けれないほどではない。
水球から槍に形状変化するプロセスは必要なのだろうか。
考えることにキリがない。
地味に重たい木剣を持ちっぱなしなのも疲れた。先手必勝。とにかく一本取ればいいのだ。
猪突猛進!勇往邁進!前進あるのみ!不意打ち万歳!
駆け出す。足がもつれた。お嬢を押し倒した。手が胸当てを掴む。柔いおっぱいの感触もなく、ただただ冷たく硬い。
お嬢の真っ赤な顔が目の前にある。まつげが長い。鼻筋が高い。色が白い。肌が綺麗。さすがお貴族様。
股間に激痛が走る。膝が直撃。俺悶絶。
ラッキ‐スケベの素質には俺にはなかった。
長い長い戦いに妙な決着がついた。閉まらない戦いの終息だった。争いは誰も救わないのだ。
「「「おおおおおっ!」」」
歓声が沸く。
横たわって悶える俺と顔を真っ赤にし立ち上がるお嬢。
この場合どちらが勝者なのだろうか。
「きしゃまあっ!立てっ!」
「待って、本当に今無理だから」
「またふざけおって!早く立たんか!」
お嬢はふんふんと鼻息荒く、俺の腕を掴み立ち上がらようとするが、痛みでそれどころではない。
死んだ。
俺のムスコが。
「ストップストップ、隊長、本当に勘弁してやってください。この痛みは男にしかわからないんで」
人ごみをかき分け、イグルが現れる。
今この時ばかりは彼が英雄に見えた。
「む……そうなのか」
お嬢が後ろを振り向き、ギャラリ‐に確認する。
「はい、そうです」
イグルを含めて全員がうんうんと頷いた。
「隊長の勝ちです。さあ、皆が待ってますよ、勝ちどきを」
イグルが促す。お嬢が観衆全員を見回す。全員がまだかまだかと待ちわびていた。
「勝ちどき、なんて言えばいいのか……」
「あるじゃないですか、都合よく。思い出してくださいよ、この訓練の発端」
お嬢はハッと気づく。得心を得たといった様子。
「お前たち!卵焼きは好きかあああっ!」
「「「おおおっ!」」」
「目玉焼きより好きかあっ!」
「「「おおおっ!」」」
「卵焼きの!大勝利だあああっ!」
「「「うおおおおおっ!」」」
なんとも閉まらない勝ちどきである。
「よお、相棒」
「浮気かよ、相棒って森の入り口にいた奴じゃねえのかよ」
「いいんだよ、気にいった奴はこう呼ぶって決めてんだ」
どうやら彼のお眼鏡には適ったらしい。
「肩、貸すぜ」
「助かる」
「男見せたなあ、相棒」
「俺のムスコが死んだ」
「惚れちまいそうだぜ」
「……俺のケツ揉んだの、お前じゃないよな」
「何の話だ?」
「……知らないならいい。ところで医務室ってどう行けばいいんだ」
「残念。医務室より先に隊長が執務室にお呼びだ。ああ、ちなみにアッシュ隊長な」
こうして第一次目玉焼き対卵焼き派閥戦争は終息をした。
もおやだ、帰りたい。




