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処す?処す?

 あれから幾星霜。一体どれほどの年月が経っただろう。

 この冷たく暗い牢獄で過ごすことにももう慣れた。

 ロ‐シはおろか、シトリィ、年下であったギンさえもきっと生きてはいないだろう。

 それ程までに長い年月をこの牢屋で過ごした。


「おいお前」


 家族同然の仲間たちの死に目にすら現れないリ‐ダ‐を彼らは薄情だと思っただろうか。


「おい貴様」


 このように最早名前すら誰にも呼ばれもしなくなってしまった。


「おいってば!」

「あ‐もうお嬢うるさい。モノロ‐グに浸ってるんだからちょっと静かにしてくんない?」

「うるさいとはなんだっ!貴様がいつまで経っても起きずに朝食に間に合わないから親切に起こしにきてやったというのにっ」

「あれ、そうなの?あんがとさん。朝食の時間たあ知らなかった。俺ってば繊細だから見知らぬ部屋では寝れなくて寝坊しちゃったのよ。今度から起こすときは唇にちゅ‐ってお願いね」

「うそつけっ!相部屋の奴から早々に眠ってベッドの上でだいのじでお腹を掻きながら寝てましたって聞いたぞ!」


 無視は傷つくぞ。


「うっそ。やだ、お嬢のえっち!」

「誰が貴様のだらしない腹なぞ見るか!」

「失礼だな!見ろ!こっちにきてうっすら割れ始めた俺の腹筋を!」


 衣服をぺろんと捲り、お腹を晒す。

 お嬢はほうと唸りながら、身を乗り出して腹筋をまじまじ、やがて遠慮なくじっくりと見つめ始めた。


「ほぉ、これが男性の…。確かにうっすらと割れてきているな…。それに隊の者たちと比べると肌の色も白いし、筋肉もしなやかなだ…」


 なんだろう。見せたのは俺だが、変な気分になったきた。


「あ、あの‐、お嬢、あんまり見られるとさすがの俺っちもちょ‐っと恥ずかしいっていうか…いや、やっぱりだらしなくてすんません……」

「え?あ?やっ、ややっ、あのっ、ととととにかくっ、朝ごはんに遅れるなよおおっ」


 顔を真っ赤にし、部屋を慌てて飛び出して行った。だらしないは否定してくれなかった。ちょっと傷ついた。


 朝食に遅れまいといそいそと身支度を整えている最中、開いたままの扉をこんこんと叩く音がした。

 目を向ければ、男が立っていた。


「あんた、確か」

「昨日はどうも。無事に隊長達と会えたようで」

「ああ、やっぱり。森の入り口に立ってた」

「どうもどうも。改めましてイグルって言いますわ。今後ともよろしくお願いします」


 イグルと名乗った男は、先日森の入り口で案内をしてくれた片割れ。立派に申し訳程度の顎髭を生やした飄々とした雰囲気の男だった。


「こりゃご丁寧にどうも。しばらくお世話になるそうで、タツミって呼んでくれ。あと敬語はいらねえよ」

「あ、そ。堅苦しいのは苦手なんで助かるわ」


 適応早いなぁ。


「しかしおまえさん、肝っ玉座ってんなあ。昨日、無理やりこの部屋に押し込められるなり、挨拶しようとする俺を差し置いて寝るとだけいってあっさりぐ‐すか眠りこけて。呆気にとられちまったよ、身構えてた俺がアホらしくなっちまった」


 そう、昨日『剣鬼隊』らしき男達に捕まり、連れてこられた場所はどうやら彼らの隊舎らしく、二人一部屋の相部屋に押し込められた。隊に混じらせてお前を鍛える、とアッシュの雑な説明と素性がバレているシトリィと引き離してゴルド‐からの発見を遅らせるという意図らしい。


 あの夜、俺がシトリィと同行をしていたのを知るのは一緒にいたアッシュとギンのみで、バレることはないと思っているのだが、ゴルド‐の配下たちは女衒としての能力に加え、何故か人探しという点ではかなり優れているらしく、奴らはそう遅くないうちに確実に俺の素性を掴むとアッシュが断じたため、なくなくパ‐ティを離れ、強化合宿に挑む気持ちで臨んだ次第である。


「俺は繊細なんでね、まずはベッドの寝心地を確かめてるうちに疲れてたのかうっかり寝ちまったってわけよ。すまんすまん。ってえと、反対側にあるベッドはあんたのかい」

「そゆこと。よろしく頼むぜ、繊細なおまえさんがぐうすかでけえいびきをかかねえことを祈ってるよ」


 部屋の反対側にあるベッドを指さす。どうやら相部屋の相手は彼らしい。森の入り口に立っていたもう一人の気難しそうな男でなかったことに胸をそっとなでおろした。どうやら思っていたより快適に過ごせそうだ。


「そりゃそうと、やっぱりおまえさん肝が据わってるねえ。それとも単なる無謀かい?」

「あん? そりゃどういう意味だよ」

「よくもまあ隊長‐‐ああ、この場合はツヴァイ隊長のことだがね。隊のことはおいおい話すとしてだ。そう、よくもまあツヴァイ隊長にああも気安く話しかけれるなって。こりゃあ悪い意味じゃないぜ、もちろん」


 彼の言葉から察するに、俺達のツヴァイ隊長に気安く話しかけるんじゃねえよこの新参者が!なんてどこぞの学園物のような嫉妬だとかそういった意味合いではないらしいが、それでもよくわからない。

 確かにツヴァイの印象は怜悧な顔立ちと険を帯びた雰囲気でまさに氷のような女だったが、話せばチョロい、愉快、すぐに顔を赤くするなど思ったよりも遥かに表情豊かであった。

 とっつきにくさ、という点ではおおよそ無縁であると言える。


「わかんねえな。気安く話しかけちゃいけない、なんて規律でもあるのかよ」

「こりゃたまげた。無謀ではなく単なる無知だったってのかい。知らねえのか、ツヴァイ・レイセン。まさしくレイセン家のご令嬢、人呼んで『冷泉の令嬢』」

「いやすまん、さっぱりわからん」


 レイセン家とレイセン‐‐冷泉か。掛詞、という奴だろうか。

 どちらにしろレイセン家も冷泉も聞き馴染みがない。この隊舎の中に図書室や図書館はあるだろうか。あとで調べてみよう。今は我らが便利な知恵袋‐‐ロ‐シがいないことが悔やまれる。


「くぁ‐、たまげた」


 イグルはぺしりと自らの額をぺしんと叩く。

 口調といい仕草といい、どこか江戸っ子って奴を想起させる。なかなか愉快な男である。


「今や没落したとはいえあの大貴族、レイセン家のご令嬢、それがツヴァイ隊長だぞ。

 女が剣なぞ取るなと現当主、隊長の父君から半ば勘当されているにしても、腐っても貴族。下手に機嫌を損ねりゃ自分の首どころか家族の首すらとびかねないんだぞ」

「ふ‐ん、つってもなあ。領主とか騎士とかに加えて貴族とか言われても俺、よくそういう身分だとか階級とかよくしらねえし」

「おいおいおい、領主すらろくにいないってお前さんはどんな辺鄙な土地に住んでたんだよ」

「小さい小さい島国さ、こっからは遠すぎていけやしねえ」

「かあ!羨ましいね!俺もそんな自由な国に住みてえ!」

「そんな楽なもんでもねえさ。ここよりちいと安全でましかもしれねえが、俺には楽しみがなかったしな」

「贅沢な奴だなあ。安全に勝るもんなんてありゃあしないだろ。だからか、皆怖がってツヴァイ隊長に気安くなんて話かけられやしねえよ」

「ほ‐ん。でもまあ、勇気を出して話しかけてみりゃあいいと思うぜ。お嬢だって年若い女なんだし、恋だってするだろうよ。そのために異性と話す経験だって必要だろうし。なんせ話してみりゃあわかるぜ、ありゃあ深窓の令嬢だとか貴族様だとかお高く留まった女じゃねえ、根っからのじゃじゃ馬、お転婆娘よ」

「はあ、さすがアッシュ隊長に見初められる男は違うねえ。俺もぜひ参考にさせてもらうよ、気が向いたらな」


 イグルはそう言って背を向ける。これは絶対お嬢に話しかけはしないな。気が向いたらは、絶対に気が向くことがない。ソ‐スは俺。


「悪ィね、長話しちまった。早く行かねェと朝飯、くいっぱぐれるぜ」


 イグルはてのひらをヒラヒラと翻し、廊下を去っていく。食堂への道は聞いてはあるが、しまった。朝食のメニュ‐を聞いておけばよかった。

 俺は朝食は白飯よりパン派なのだ。目玉焼きは必須。ちなみにソ‐スより醤油派だ。




「きしゃっ、きしゃっ、きしゃまあああっ!」


 ざわつく食堂に一際大きく、大怪獣オジョ‐ゴンの鳴き声じみた怒声が響く。

 さて、俺はかの生物を怒らせるようなことをしてしまっただろうか。


「わたっ、私の卵焼きをよくもおっ!」


 え‐。


「いや悪かった。お嬢があんまり俺をシカトするもんでつい。卵焼きが嫌いなのかと」


 事の発端は、食堂に向かった俺が配給された食事を持ち席を探していると、人がごった返す食堂の真ん中で一人寂しくもっさもっさと怖い顔で食事しているお嬢を見つけ、同席を求めるも無視されたのが腹立って、更にぽつんと残された卵焼きを「あ、卵焼き嫌いなの?じゃあもらいっ」とぱくっとした次第である。寂しそうなお嬢の食事を彩ってあげた俺は悪くないと思うのだ。


「なんで五つある卵焼きの一つが最後まで残ってて嫌ってると思ったんだあっ!」

「いやあ、ほら、嫌いなものを最後に食べる人っているじゃん?」

「私は好きなものを最後に食べる派なんだあっ!」

「悪かったって。俺としては善意だったのっ。俺の卵焼きあげるから許してちょんまげっ」

「ほんとかっ!ならゆる……ってお前、目玉焼きじゃないかああっ!」

「そうだったわ。卵焼きは五個で卵一つか二つ、目玉焼きは一個で卵ひとつ。釣り合わねえな、悪ィ、やっぱあげらんねえわ」

「きしゃっ、きしゃまあっ、ふざけるなあっ!」


 お嬢は顔を真っ赤にし、ぷるぷると震えている。彼女の拳の中でぱきりと箸が折れた。

 こんな世界でも卵焼きはあり、食事は箸で取っていたりする。文化圏ちぐはぐ。

 しかし、卵焼き一つで激怒する大貴族様なんぞいてたまるか。やはりお嬢は令嬢などではなく、じゃじゃ馬である。


「悪かった悪かった、冗談だって。目玉焼きの白身あげるから許して」

「いらんっ!寄こすなら黄身を寄こせ!」

「え?君が欲しい?いやん、お嬢ったらこんな公衆の面前で……ふつつか者ですが、こんな私でもよろしければ」

「もっといらんわっ!ふじゃけるなっ!私が欲しいのは黄身だ!」

「私だ」


 怒り心頭で舌っ足らずになってるお嬢、可愛い。


「ち‐が‐う‐!黄身だ!」「私だ」「卵の黄身!」「卵の君って貴族、居そうだよな」「意味わからんちんなことをいうな!もお怒ったぞっ!」

「ずっと怒ってんじゃん」

「今日という今日は!」

「出会ってほぼ実質二日目だよね、俺達。記念日にでもする?」

「絶対に許さん!打ち首に処す!」


 おおっと、卵焼き一つで大貴族様から処刑宣告を受けた。どうしよう。

 助け船を求めて、辺りへと視線を向けるも、全員がお嬢の味方なのか、殺気立った視線が帰ってくるばかり。

 少し離れた場所に、呑気な顔で朝食を取っているイグルと目が合う。

 イグルはたは‐といった顔で額に手をぺしんと当てる。

 それだけすると、再び箸を取り、食事を再開して卵焼きを口へと運んでいる。

 なんとも頼りがいのない同室相手だ。

 お前だけは朝食は目玉焼き派だと信じていたのに。

 お嬢と同じく卵焼き派だったなんて。絶対に許さない!


私は甘い卵焼きも目玉焼きも好きです

どちらも卵に貴賎なし

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