椅子取りゲ‐ム
さて、俺が何者か。
不二巽。享年十七歳。
線路に落っこちそうになった見ず知らずの可愛い女の子を助けようとしたらドンっ。
あとは摩訶不思議、真っ白い空間で全身真っ白の生意気そうなガキにゲ‐ムの世界と称されたこの世界へさようなら。不死身の肉体でこんにちは。以上。
「なんて説明で納得できるわけ、ねぇよなぁ」
だが、俺にはこれ以上の説明なぞできやしないのだ。
身分証明書などないこの世界で、俺という人間を説明する術はこの名、この記憶、この体のみ。
不二巽という名を語り、歴史を語り、体で証明するしかないのだ。
この名もこの記憶も、ここではない世界で築かれたもの。しかし、この体だけはこの世界で築かれたもの。生前の、この世界に来る前の俺の体は当然不死身の体ではない。
この不死身の肉体だけはこの世界で築かれたものだ。
そこに俺の、不二巽という人間の記憶が‐‐。
‐‐待て。
俺という、不二巽という他所の世界の記憶がこの身体にあるならば、もし仮に
この不死身の肉体に不二巽という人間の記憶が宿ったとするならば‐‐。
この不死身の肉体の記憶は。人格は。一体、どこへいった。どうしているのか。
もし、不死身の肉体に不二巽という人間の記憶が宿ったとするなら‐‐俺は一体何者なんだ?
「おい、タツミ。一体いつまで、ってどうした、顔が真っ青だぞ」
思考の海へと耽っていた俺に痺れを切らしたリ‐ドが声をかける。先ほどまで射殺さんばかりの視線を向けていたくせに、次には俺の身を案じて心配している。
どこまでもお人好しな奴だと、真剣に考えていた自分が馬鹿馬鹿しくなってくる。
「なんでもねぇよ、お人好し。ちょっと考え事してただけだ、まるで胡蝶の夢だなってよ」
「胡蝶の夢?なんだ、それ」
「気にすんなよ、それより俺が何者かって問われたってフジタツミです、って自己紹介しかできねぇよ。この身体だって、ぶっちゃけ俺自身わかんねぇ、死なない体っつって神様みたいなやつにもらったもんだしな。それだって、四肢がなくなった状態で復活すりゃあどんな風に甦るかわかったもんじゃねぇ。四肢が欠けたまま復活すんのか、それとも全部元通りなのか。それさえも検証してみねえとわからねえが自分の身体で検証しようってほどイカれてもねえからよ。知りたきゃ俺を見てろとしか言えねえ」
「神様からもらったって……はぁ」
リ‐ドは矢継ぎ早に語った俺の言葉に一瞬呆け、すぐに溜息をつく。
「やめだ、やめ。何度か問いただせばボロが出るかと思いきや、以前と変わらぬままか」
「俺自身フジタツミって名前ぐらいしか俺のことを証明する術はねぇんだって」
「そのようだ、な。もし仮にタツミ、お前が本当に不死身であり、仮に『夜の王』だったとしても、一介の冒険者である俺にはお前を殺すことも、止めることもできん。結局、できることなんぞ見てるだけだ」
「だったらなおのこと、見てるがいいさ。俺が何者で、何をしようとし、どうすれば殺せるのか。
それを特等席で見る権利がお前にはあるんだからな」
「不死者と謳われるものが一体、あるいは二体、か。願わくば不死者同士で一生やりやりあってくれてれば平和にでもなるのかねぇ」
「さあな。一生死なないもん同士でやりあって一生時間の浪費を繰り返すか、あるいは結託して一生をかけて人間を滅ぼす、なんてことにならねえことだけ願っててくれや。
まあ、そもそも俺がそのもう一人の死なねえバケモンと出会うことがあるかはわからんがな」
「確かに、出会ってもらって後者になんてなれば地獄でしかないから、そもそも出会わないことを願ってるよ。結局のところ、やっぱりまたしてもお前が明確に何者で何が目当てかはわからんまま、か」
「ただいま‐っ!」
懸念が晴れぬまま、リ‐ドが重苦しい溜息をつき、肩を落としているのをよそに酒場『女帝』の門扉が大きく開かれると同時に明朗快活な声が響く。
どうやら買い出しに出かけていたギンとクレア、荷物持ちのラットとアルフが返ってきたらしい。
ギンとクレアはカウンタ‐奥の女将さんの所へ行き、アルフはドカリと大きな音を立てて椅子へと腰かける。
「オウオウオウ、どうしたぁ、そんな道端歩いてたら犬の糞踏んですっころんでドブに落ちたみてえな辛気臭えツラしてよう」
なんだその不幸真っ盛り。
「馬鹿言え、アルフ。三年前のお前みたいなドジは踏んでないし、そんな顔はしてない。
そもそもお前はそのうえに金をドブに落としてこの世の終わりみたいな顔してただろ」
すげえな、更に不幸盛り合わせたのかよ。つうか体験談なのか。
「ちょっ、うるせえぞリ‐ド!事細かにそんなこと覚えてんじゃねえ!」
リ‐ドも先ほどの雰囲気はどこへやら、相方のアルフと笑顔で談笑している。
幼馴染であり、二人のみでパ‐ティとして徒党を組んでいただけあって二人の仲はかなりよく見える。なんというか特別な信頼が築かれているというか、特別な関係だとみていてわかる。変な意味ではないが。
ぼっち行動を取る事が多かった俺には集団行動、ましてやその舵を取るなんて至難の業だ。
今のうちに秘訣でも聞いておこう。
「なぁ、リ‐ド。パ‐ティを組むにあたって方針だとか心がけとかあったりすんのか」
「ん? そうだなぁ、心がけと呼べるような大層なものはないが依頼を受けるに当たって気をつけていたことがひとつだけ。人間が討伐相手や敵対関係になる依頼だけは絶対に引き受けない。これだけは俺達二人の絶対の制約だ」
「なんでまた。人間は殺さない、なんて博愛主義でもあんのか」
「いいや。単純な話、面倒だからだ」
思いのほか雑把な理由だが、それは人間との戦闘が面倒ということだろうか。
「例えば、盗賊を壊滅してくれ、という依頼があったとし、その盗賊団を壊滅させたとしよう。
その盗賊団の所持していた金品の何割かを得ることができ、実入りが大きいのは確かだが、その分多くの人間への影響がある。
盗賊団の家族はもちろん、贔屓にしている商人がいるかもしれない。取引を行う組織があるかもしれない。そんな奴らの恨みを買うかもしれない。敵を討ったとしても新たな敵を増やすかもしれない」
なるほど。盗賊団を討ち滅ぼして金品を得て、多くの人間から信頼を得るかもしれないが、同時に多くの敵を作る可能性もあるということか。
「人は大なり小なり、誰かしらと繋がって生きている生物ですからね。
誰かと関われば意図せずともその波紋は必ずどこかに影響を及ぼすものです」
ロ‐シも成程と鷹揚にうなずき、口ずさむ。
「なるほどなぁ、そう聞くと極力対人になりそうな依頼は避けるべきだって肝に銘じとくわ。
そうなると、しばらくは連携力を高めるため、見回りなんぞを込みで『賢狼の森』関連の依頼を受けるようにするか」
「申し訳ありません、タツミ様。森の主人である私の監督不届き故……」
今まで静かに同席していたハクが口を開いたと思えば、謝罪。
別に彼女を責めるつもりもないし、当然謝罪が欲しかったわけでもない。
会話にもあまり参加する素振りも見れなかったし、未だに彼女は俺達から一歩退いたかのように遠慮している節がある。
ハクは粛々とした美人といった様子だが、どうせならもっと違った一面、気兼ねなく笑っていて欲しいと思うのは俺のわがままだ。
「気にすんなって。むしろ俺としてはゴブリンやでっけえ蜂なんて生物がある程度湧いてくれてるあの森なら足りない実戦経験が得られてむしろありがたいって思ってる。それにそいつらが湧くのはあんたのせいじゃないだろ? だったら、ごめんなさいよりもっと違う言葉が欲しいとこだ」
「タツミ様……」
敬称も省いて欲しいとは思うが、徐々にでいい。俺が彼女を知っていくように、彼女にもまた俺を知ってもらえばいい。幸い時間はある。
ゆっくりでいい。ちょっとずつでいい。俺は彼女を知りたいのだ。
「ありがとうございます、タツミ様」
俺の望みが通じたのか、ハクは初々しい笑みを浮かべる。
儚げな彼女が浮かべた笑みもまた弱弱しく、すぐにでも消えてしまいそうな笑みだった。
その笑みは一瞬でも、俺の胸に大きな熱を灯し、頭にはいつまでも消えない強みを与えてくれた。
守らねばならない。ハクの願いを。
消させてはいけない。ギンの事を。
だからこそ、俺は強くならねばならない。
彼女たちを守るために、やがて『賢狼の森』の中に迷宮が生まれたとしても、迷宮の主を打ち破るだけの力がいる。
強くなろう。何者からも俺が好きな人たちを守れるだけの強さを。
「さて、話疲れて喉も乾いたし水でも飲むか。お‐い、女将さん、水くれ‐」
「ふざけたこと言ってんじゃないよ、自分でいれな」
ケチだ。とてもケチだ。女将さんの目と鼻の先にグラスと水が‐‐って、そういやこの世界でも水は蛇口があり、捻れば当たり前のように水が出てくる。今まで気にしなかったが、この世界のインフラどうなって……いや、いいや、気にしないでおこう、などとどうでもいいことを考えながら椅子から立ち上がり、グラスへと水を注ぐ。
「ケチだなぁ、女将さん」
「そう言いながらも、自分の分のみならずなんだかんだいいながら全員分の水を用意してるあんたのそういうとこ、嫌いじゃないよ。まぁ欲を言うともっと早くに用意してると良かったんだけどね」
「褒められて喜ぶ間もなく貶されたんだけど。女将さんツンデレすぎない?」
「とっとと水持ってきな。ウチのホ‐ルスタッフの自覚をもっと強く持ちな。いつまでも新人じゃないんだから」
善意で用意してる水がいつの間にか客人をもてなす様な扱いになっているんだが……。
「おかしいなぁ、いつの間にか俺もここの従業員ってことになってるんだが」
「何言ってんだい、あんたらはクレアが拾ってきたウチの従業員なんだ、とっくにウチのもんさ」
なんだろう、なんだかんだ文句を言われながらもしっかりと受け入れてもらえていたのだと思うと胸中は複雑だが、やはり嬉しさはある。まったく、ジョディちゃんのツンデレちゃんめ。
「なんか失礼なこと考えてないかい?」
エスパ‐なの?
「気のせいだよ、女将ちゃん。俺が変なこと考えるわけないじゃないか」
慌てるから脳内の言葉と混じって言い間違えた。
「女将ちゃんってなんだい、女将さんって呼びな。あとニヤニヤしながら言ってんじゃないよ」
蹴られた。グラス拭いてて手がふさがってるからか足で尻を蹴られた。痛い。
細足で大した勢いもなかった割にいてえ。さすが元冒険者。でも怒ったらすぐに手が出るの反対。いや、今回は足だけども。暴力反対。
「ほら、とっとと行きな」
「へいへい」
さすがに全員分の水ともなると一度では運びきれず、用意できた水は人数分の半分、六杯。
ツンデレ女将ちゃんに急かされるように卓へと運ぶ。
先ほどまで思い思いに動いていたはずの各人がいつの間にか示し合わせたかのように卓を分けて座っている。
アルフ、リ‐ド、ゴリ、ラット、ロ‐シの男だらけの席。
シトリィ、ハク、ギン、クレアの女性だけの席。
一つの円卓に座れるのは六人まで。空きは男席に一席、女席に二席。
未だ席を取っていないのは俺と女将さんの二人。持ってきたグラスは六杯。
レディファ‐ストの精神でグラスを先に置くのはシトリィ達の卓。
こちらの卓に先にグラス六杯を置いておけば、俺が女性卓に違和感なく座れるって寸法よ。
男ならむさくるしい野郎だらけの卓よりも香しく美しい女性に囲まれてえよなぁ!
「お、お水っスか、タッきゅん!ちょうど喉が渇いてたんスよ‐!ありがとうっス!」
シトリィの目の前にグラスを置くと、気前よくゴクゴクと水が喉を下る音。
飲む前にお礼を言う辺り、意外としっかりしてるなと好印象。
「おと様!ありがとう!ギンも手伝う!」
「いい、いい、気にすんな。買い物行って疲れたろうからゆっくり座ってな」
勢いよく立ち上がろうとするギンを言葉で制止する。
感謝の言葉を忘れていないどころか、甲斐甲斐しく手伝う気遣いも見せる。
立派に育って、ちちうれしい。誇らし過ぎて親の顔が見てみたい。自慢の俺の娘です。
血のつながりないし、父でもないが。
「すみません、タツミさん。気づかず申し訳ないです、私も手伝います」
お次はクレア。額に汗を滲ませ、張り付いた髪が色っぽい。
彼女もまた先ほど買い出しから帰ってきたばかりで、疲労の色を見せる彼女に手伝わせる気もない。
「気にすんなって。クレアも買い出しで疲れたろうから座ってろって」
「……すみません」
立ち上がりかけていた彼女を制止し、再び腰かけるように促す。
彼女は心底申し訳なさそうにしながらも、ゆっくりと座る。
思慮深く優しい彼女には俺の言葉だけでは傷つけてしまったか。
「クレアお姉ちゃん!お水、冷えてて美味しい!」
隣に座るギンが水を口にし、感想を漏らす。その言葉はとても自然で満面の笑みは見ているこちらさえ微笑ましい気持ちになる。
「そう? よかったね、ギンちゃん」
「ほら!お姉ちゃんも飲んで!飲んで!」
「うん、おいしいね」
「でしょ!」
ギンはクレアに水を飲むように促すと、クレアは戸惑いながらも水を口にし、顔を綻ばせる。
一連の流れは反省の色を見せ、クレアを悪い思考へと導かせないような配慮だったのかもしれない。
「……すげえな」
まだ幼いながらもその考えと気遣いに素直に感嘆の声を漏らす。
「すみません、タツミ様。それに、ギンのことも」
最後にハクの前に水を置くと、ハクもまた申し訳なさそうにしている。
光を失った瞳は閉ざされたまま、しかし顔だけはしっかりと俺へと向けられている。
彼女もまた、自らの目が見えぬこと、ギンが世話になってることと諸々を考えているのだろう。
「気にすんなって。俺としては美人の姉ちゃんが増えて喜んでるし、きっとハクにはこれから世話になることも増える。それにギンには今だって世話になってるからな」
俺の視線の先ではクレアとギンが顔を見合わせて談笑している。
そんな二人の仲を世話だの面倒だの考えて見たことはない。単なる友人との談笑だ。
ギンが居てくれなければ、先程のクレアはきっと落ち込んだし、粗野で粗暴な男所帯の中にクレアと女ながらも冒険者であるシトリィとでは気が合うかもわからない。
だからこそ、クレアと歳が近く同性であるギンの存在はこちらとしてもありがたいのだ。
「ギンはよく周りが見えてるから、こちらとしても助かってる。だから、こちらこそありがとう、だ。せっかくの家族なんだ、離れて暮らすより一緒に過ごして一緒に笑ってくれよ」
「タツミ様……」
「さっきも言ったろ? ごめんなさいより欲しい言葉があるんだ」
「ありがとうございます、タツミ様」
促すと彼女はまた笑みと共に感謝の言葉を述べる。
真っ先に謝罪の言葉が出るのではなく、感謝の言葉が出てくるように意識改革をせねば。
「オォイ、タツミぃ!俺の分の酒は‐?」
女性席に水を配り終えると、隣の卓から野次が飛ぶ。アルフの馬鹿だ。
「うるせぇ!酒じゃねぇ、水だ!なんで俺一人で運んでんだよ!手伝おうって気の奴ぁいないのかよ!」
野郎の卓を眺める。先ほどまで買い出しに出ていたラット、妙齢のロ‐シ、俺達のように店で給仕として働いているわけではないリ‐ド、あとゴリ。
そんな面々を見ていると買い出しで疲労した二人と老人、立場的には客である各々に労働を強いるのは些か違和感を覚える。ゴリはなんかいいや。
「いいや、やっぱいい!お前らはゆっくりしてろ!アルフ以外!」
「なんで俺以外!?」
ツッコミと同時にアルフが慌てて立ち上がる。
いいぞ、そのまま働け。アルフだけ例外なのはムカついたから。以上。
といいつつも、やろうと思っていたことは人数分の飲料水を運ぶだけ。もう一往復するだけだ。そう手間のかかることでもないので一人でやり遂げよう。
「で、タツミ、俺は何したらいいんだ?」
アルフの奴は立ち上がったまま働く意欲を見せる。
俺の言葉を素直に受け入れて手伝おうという意思があるのは素直でよろしい。が、もうすでに残る人数分の水は用意をしてある。
あとは俺が席に持っていくだけなので、アルフのすることはぶっちゃけ、もう、ないのだ。
「あ‐、ぶっちゃけやることねぇから、お前は大人しく席に座って皆を小粋なジョ‐クで笑わせてろ」
「なんだよぉ」
アルフは文句を言いながらもスタスタと歩みだす。
……は?
その瞬間、世界が緩やかに動いて見えた。
‐‐いやいや待て待て待て。
なぜお前がそちらの席に行く?
なぜ今までの席を離れて女性だらけの席へ向かう?
‐‐待て、その席は俺が座ろうと、俺のために用意された楽園だ、待て、座るな……!
願いも空しくドカリと大きな音を立ててアルフが席へと座る。
俺が願っていた、シトリィ、ハク、ギン、クレアの座る六人掛けの席。
そう、そうだ。六人掛けなのだ、まだ慌てる時間じゃない。俺は野郎共に水を配って、何食わぬ顔でハ‐レムへと向かえばいいのだ。
異物が混じりこもうが、気にしない、無視だ無視、そう奴は単なるお邪魔虫、だからお邪魔は無視するだけだ。
自らにそう言い聞かせ、野郎共へと水を配る。
「すみません、旦那。手伝いもせず……って、えらい手が震えてますけど、どうしたんです?」
「ななななんでもねえよ」
ロ‐シから詫びと心配の言葉がかけられるが、今はそれどころではないのだ。
俺は今それどころではないのだ。一刻も早く楽園へと向かわねばならんのだ。
「なぁ、シトリィ、なんでタツミのやつをタッきゅんなんて呼んでるんだ?」
「ん‐、なんとなくッスよ‐」
「ははは、そうかぁ、なんとなくかぁ。じゃあ俺のこともアッきゅんって呼んでいいぜ?」
「アハハ‐、丁重に遠慮しとくッス‐」
背後からアルフとシトリィの合コンさながらの談笑が聞こえる。
今の俺にはその楽しげな会話が毒だ。あまりにも猛毒すぎてアルフの口から出たタッきゅんの言葉に吐き気を催すレベルだ。
‐‐早く俺が座らねば!楽園を汚される前に!早く!
一分一秒が長く感じる。グラスを置く手が遅く感じる。
ゴリ。ロ‐シ。ラット。リ‐ド。そしてアルフの分になるはずだった五つ目のグラスを置き終え、身を翻し、楽園へと顔を向ける。
やっとだ、やっと俺も楽園へと行ける!そう期待に胸を膨らます最中、スタスタと軽快な足音が聞こえる。
女将さんだ。
いつもの所定位置から足を踏み出し、席へと向かっている。
あなたはそこでしか生きれないの?動けない呪いにでもかかっているの?と常日頃から疑問に思うほどカウンタ‐の位置から動こうとしない女将さんが何故か向かっている。俺の楽園へと。
残る一人、選ばれた一人しか立ち入ることのできない聖域へと迷いなく向かっている。
‐‐なんで、どうして。
疑問が体を鈍らせる。足を重くする。
俺がそこに座りたいのに!そう我がままを言えたらどれほど楽だろう。
だがプライドが邪魔をする。俺がそこに座れば、女将さんが一人、この野郎だらけのむさ苦しい席へと座ることになる。
女一人で野郎に囲まれることになる。オタサ‐の姫さながらに。
女将さんにそんな肩身の狭い思いをさせていいのか?
一瞬の逡巡が命取りだった。どうして!俺は!大事なときに!判断が遅いッのかッ!
気づけば、楽園は完成していた。
シトリィ、ハク、ギン、クレア、女将さんと絶世の美女、美少女に囲まれし、楽園、天国、聖域、パラダイス、ハ‐レム。
この世の言葉でいかようにも表せきれない、誰しもが羨むであろうそこに、俺の居場所はなかった。
選ばれたのは、アルフでした。
‐‐は?逆オタサ‐の姫なの?逆オタサ‐の逆姫なの?姫サ‐のオタなの?意味が分からない。タッきゅんわかんない。
「どぉ……じでッ!」
「どおしたっ!?」
気づけば、膝が折れていた。
万人の心を癒すような楽園を直視できず、気づけば目には水を溜め薄汚れた床を眺めていた。
一歩、あと一歩早ければ、踏み出していればきっとそこにいたのは俺だったはずなのに。
俺は判断を誤ったのだろうか。
だとしたら、どこから間違っていたのだろうか。
アルフを立たせたところから?
わからない。今の俺にはわからない。
「どぉしてっ!女将さんが!今日に限って!座ってるんだ!」
「なんだい、あたしが座っちゃなんないのかい」
「女将さん!あんたはいつも!空気を読まずに!あたしゃあいいよって!いう人間だろ!」
「なんだい、あたしの真似かい」
「なんで!今日に限って!座ってんだよ!」
「無視かい」
「いつも!人の気遣い無視して!我が道を行く!女帝だろ!」
「なんかムカつくね」
「言えよ!あたしゃあいいよって!言ってくれよぉ!」
「あたしゃあいいよ」
「意味ねぇんだよォッ!言うだけじゃあよォ!行動してくれよォッ!」
「なんだい、こいつ。いきなり」
「さ、さぁ……」
悔しくて悔しくて涙が止まらない。堰を切るように言葉が溢れ出す。
俺は、負けたのだ。
盛大な椅子取りゲ‐ムに。負けたのだ。




