私をここから連れ出して
「決めた。まず第一にハクさん、あんたをこの森から連れ出す」
「は。ですが、眷属が……」
「眷属が産まれ落ちたら俺達がどうにかする。
そんで賢狼をギンからハクさんに戻す。
正直、これに関しちゃあ問題の先延ばしにしかならねえ。だけど、そのあと絶対に俺達がなんとかする。信じてくれ」
ハクは目を伏せ、逡巡している様子。
なにせ妹であるギンの命を脅かす賢狼を今再び自らの身に戻し、次はハク自身の身が危ういのだ。
なんとかすると言っても解決策はない。根拠も自信もありはしない。
だけど、俺はこの人を死なせたくはない。だからこそ絶対になんとかしてみせる。
そして、この人も決めてくれる。すでに決まっていたことを口にする。
「わかりました。ギンの為、貴方様を信じ私の全てを、身命を賭しましょう。我が主、タツミ様」
「ありがとう。俺もまた俺のすべてを懸けて貴方達を救うことを誓おう」
見通しの甘い、叶うかもわからない願いだらけだが、誓約だけは確かに成された。
「ヒューッ、なんだかプロポーズみたいッスね!
いつかシトリィちゃんもこんな熱烈に口説かれたいもんッスよ!」
下手な口笛と共に、今まで静観していたシトリィが茶化してくる。
そのまま見守ってくれていればよかったのに。
場の空気に流されやすいんだ、俺は。
つい勢いに流されてこっ恥ずかしくなる。
「茶化すなよ」
「聞いてるこっちが恥ずかしくなるような真似するからッスよ。でも……」
シトリィがすっと俺の耳元に口を寄せる。
甘い臭いの混じったわずかな汗の香りが鼻腔をくすぐる。生々しい女の色香のようなものを感じ、ドキリとする。
「格好良かったわよ」
いつものふざけた口調ではなく、素の彼女の口調。
冗談ではなく、彼女なりに魅力的に思ってくれたらしく、その事実がより一層俺の鼓動を早めた。
「さあて、言ったからにはちゃんとしないといけないッスよ、タッきゅん?」
耳元から口を離した瞬間には、いつも通りの彼女。
あの一瞬だけで切り替える。大した役者だ。
「当たり前だ。言ったからにはやるし、やりたいことは口に出す、俺の信条だからな」
「わあお、かっくいー。でもタッきゅんはヘタレッスからねえ」
「うるせえ」
「茶番はそこまでにしておけ、お前達。
そしてハク殿、御身は微力ながらも俺も助力させていただく。困ったことがあればぜひ声をかけてほしい。必要であれば俺の部隊、『名無し名無し』も動かそう」
「なんと頼もしいお言葉、ありがとうございます」
アッシュの言葉にほうと熱い吐息を漏らすハク。
やはり俺との対応に温度差を感じる、理不尽だ。
「それにしてもお前の隊、名無しってんだな。なんでまた」
聞いた話によると、アッシュも軍属らしい。
女将さんを主と仰いでる様子だったし、二君に使えるような器用な男にも見えない。
それに軍属なうえに部隊持ち。いけすかない。
まだまだアッシュに関しても知りたいことだらけだ。
「……はあ。俺も一応、軍の末席に名を連ねることになっている、誠に不本意だが。
国王様も酔狂な方でな、武芸大会で俺を見た際、腐らせておくには勿体ないなどとのたまい、勝手に軍属にされた。そのうえで俺のためになどと勝手に隊を作られ、俺を慕っているからなどと問題児ばかり押し付けられた。正直、俺には将の器どころか一個小隊すら率いれるとは思わん。せめてもの反抗として、隊として認めんと名無しなどと名付けた。名がないならば実態があるかどうかも有耶無耶になると思ったからだ。しかし、それすら認知され、今では入隊希望が絶えんとも聞く。なぜだ、どうしてこうなった」
溜め息と共に吐き出されるマシンガントーク。
息つく間もなく吐き出される愚痴と共に肩を落とすアッシュ。その全身には黒い靄が張り付いているかのように肩を落としている。
ーーああ、ブラック企業に勤める人ってこんな感じなんだなあ。
「まあ、なんだ。お前も苦労してんだな」
「なかでもツヴァイとアイン、あの姉弟はどうにかならんのかと頭を悩ませる日々だ……」
「姉弟?」
「先日お前に剣を突きつけた二人だ」
「あー!あの水色の髪と赤毛の!てめえふざけんなよ!」
「なんというか、すまん……」
意外と殊勝じゃないか。素直に謝られるとは思わなかった。黒衣の魔法使いといい、こいつには文句ばかり言っている気がするが、出会いが最悪な奴らばかりだから仕方ない。
「魔法使い殿に関してはともかく、あの二人に関しては俺の監督不行届きだ。何もするな、手出し無用とも言っておいたのだが……。
あの二人も俺を慕ってきたと言うならばもう少し俺の言うことに従ってくれるならば楽なのだが……」
顔を抑え、はあと大きな溜息をもらすアッシュ。
どうやら相当苦労させられているらしい。
怒りを通り越し、若干の同情を覚える。
「腕も立つから重宝しているのだがな。なんせ『氷剣の令嬢』、『焔剣の貴公子』などと称されるぐらいだからな」
「なにそのなんとも言えない二つ名」
「姉のツヴァイは隊の装備品の剣以外に自身しか扱えない氷の魔剣を持っている、故に氷剣だな」
言われると女の方は腰に氷細工のような鞘に収められた剣を持っていた。加えて本人も冷徹そうな無表情ときた。
剣の二本差し、ツヴァイ。『氷剣の令嬢』。納得した。実に覚えやすい。
「弟のアインは火の魔法を使えることもあって焔剣と称されるが、本人は使いたがらん上に使えることを公にしたがらん。おそらく剣の苛烈さからくるものだろうな」
「火の魔法……へえー。そりゃあ是非一度手合わせ願いたいものッスねえ」
アインの話を聞き、シトリィが嬉々とした表情で言う。反面、彼女の炎のような赤い瞳に昏い光が差したような気がした。
剣を使う者、また火の魔法を扱える者同士。それだけではない何かを感じる。
しかし、シトリィも明るく振る舞う裏で仄暗い感情が垣間見える。彼女もまた一筋縄ではない曲者のようだ。
「ーーまあ人間、色々あるわな」
「アインも人当たりはいいのだがな。いかんせんあやつの怒りの琴線というものがよくわからん。
へらへら笑っていたと思ったら次の瞬間には笑いながら首筋に剣を突き付けていた、とよく報告を受けるんだが……」
「サイコパスじゃねえか」
「俺は目の当たりにしたことがないからその報告の真偽がわからん。報告した人間に何か怒らせるような事を言ったのかと聞けば言葉を濁すし、当のアインに聞いても笑顔で何もありませんよと言うのみ。まったくわけがわからん」
「ふうん」
それだけを聞いていると完全にやばい奴だが、一度見ただけだがあいつはそんな奴じゃない気がする。
言葉に言い表せない違和感。
おそらく、そのやりとりにも意味があるはず。
アッシュには聞かせられない、聞かせたくないやりとり。
そう考えれば、アッシュを慕って入隊したと言われて納得もする。
それに気づかないのは敬愛を受ける本人だけなのだろう。
ーーアッシュ、意外と鈍いな。
「ま、お前も苦労してるんだな」
はあと重苦しい吐息を漏らし続けるアッシュを労う。
「他人事のように言うが、お前も覚悟して置いたほうがいいぞ。なんせ曰く付きの三人に加え、馬鹿二人。しまいには『狂犬』を加えて賢狼の巫女の二人の面倒を見ようと言うのだからな」
「失礼しちゃうッスねー、聞いたッスか、タッきゅん。従順なシトリィちゃんを捕まえて『狂犬』だなんて。なんなら今度から『タッきゅんの従順な犬』シトリィちゃんって二つ名を広げてまわるッスか?」
「なんか俺が特殊なプレイを強いてるみたいだから絶対やめろ」
「ははは、それはいいな。あの『狂犬』を手懐けたとお前の株が上がるやもしれんぞ?」
「なんもよくねえよ、この女が従順だった試しがねえよ」
「あー、ひどい言い草ッスねー!こう見えてベッドの上では従順で有名なんスよ!」
「知るか。つうか、ギンの前でそういうこと言うなっつうの」
教育上よろしくない、よって罰としてシトリィにチョップをくれてやる。
「あいたぁっ」と大袈裟に悶えた後にヨヨヨと下手な鳴き真似をして座り込む。
「これが噂に聞くでぃーぶいってやつッスね……。
不思議と嫌じゃないッス……」
新たな扉開こうとすんのはやめなさい。
「あらあらまあまあ」
クスクスと笑い声が聞こえ、目を向けるとハクが口元を手で隠しながら笑っている。
上品な仕草と口調が相まって『白狼姫』という二つ名を冠するのも頷ける。
しかし、あらあらまあまあってのはどうなんだ。
姫っていうよりーー
「どうかなさいましたか、タツミ様」
くるりとハクが首の向きを変え俺を見据える。光を失った瞳が確かに俺を睥睨している。
ーーこっえー!つうかエスパーかよ!
思考の内に留めていた失言が形を成す前に霧散した。
これ以上考えたら殺される、そう思えるぐらいの迫力だった。
二つ名を持つ冒険者は伊達ではなかったらしい。
女将さんと同じぐらいの圧を感じた。
「ん、んうー……」
「お、起きたか、ギン」
ハクの迫力にびくついていると、彼女の膝下で欠伸をし、体を伸ばすギンが目につく。
「ふぁー、おあよう、おと様」
寝起きで回らぬ舌で拙い挨拶をくれるギン。
よく見れば髪の毛には小さな寝癖がついており、微笑ましい気持ちになる。というかシンプルに可愛い。
「ああ、おはよう。よく眠れたか」
「うん!」
「そうか、それはよかった」
「おはよう、ギン。ほら、こっちむいて。よだれ、垂れてるわよ」
「わあああっ!」
ギンの口元をどこからか取り出したハンカチで拭うハク。こうしてみると姉妹というより親子のように映る。本当に仲がいい。
「……おと様、見た?」
衣服の裾を抑え、顔を真っ赤に染めるギン。
全裸で人様のベッドに潜り込むギンでもよだれは恥ずかしかったらしい。羞恥を感じる部分がおかしくないか。
「見てないからそのままお姉さんに可愛い寝癖も直してもらいな。そしたら出発するから」
「わああっ、寝癖!?って、出発ってどこ行くの?」
「ああっ!ギンちゃんズルいッス!タッきゅんタッきゅん、ウチは、ウチも可愛いッスか!?」
なんつうか、うぜえ。
またしても顔を紅くし、わたわたと両手を動かしている。そんな動きも意に介さず、ハクが黙々と手櫛でギンの髪を整えている。
淀みがない手慣れた仕草、さすが。
「ああ、この森を出るんだ。お姉さんを連れてな」
「姉様も!?」
飛びあがろうとしてハクに制止されて座らされるギン。飛び上がるほど嬉しかったらしい。
やはりこの姉妹は仲がいいし、一緒にいるべきだろう。
「ああ」
「ねーえー、タッきゅんー。ウチはー?シトリィちゃんはー?」
うぜえ。
「わかった。わかったから体を揺さぶるのはやめてくれ、首がもげるから」
「ねーえー」
やめろっつってんだろ、人の話聞けよ。
「あーはいはいわかりましたー、可愛い可愛い、シトリィちゃん可愛いよー」
「うわあ、なんかおざなりッス!」
「てめえふざけんな!首がくがくだろ!今ギンと話してんの!わかる!?第一お前可愛いっつうかキレイ系だろ!?キャラがわかんねえわ!」
「わー、タッきゅんがキレたッス!でぃーぶいッス!シトリィちゃんはキレイなだけじゃなく可愛い系も狙ってるんス!」
「お前はそのビジュアルに口調がすでにギャップなんだからこれ以上キャラ付けしようとすんな!渋滞起こしてんだよ!」
「……大丈夫か、こいつら……。
ハク殿、もしよければこちらで面倒みますが…」
おいアッシュ、勝手なこと言ってんなよ。
「あ、あはは……。だ、大丈夫ですよ、アッシュ様。きっと、たぶん、おそらく、あるいは……」
そこは自信持ってくださいよ、ハクさん。
「ねーえータッきゅーんー」
「つうかシトリィ!てめえまじでいい加減襟を離せ!ガクガク揺さぶんな!」
「タッきゅーんー」
「俺にどうしろと!?何を求められてんの!?ねえ!?あ、さてはお前揺さぶりたいだけだな!?遊んでるな!?よせ、やめろ、やめろおおおおっ!」
「あ、あはは……。やっぱりちょっと、考えさせていただきます……」
激しく揺れる視界の中で愛想笑いを浮かべたハクが告げる。もはやいろいろ台無しだよ、もう。




